15 耳介への潜入
「本当に翼灯付けないんですか?」
一時間前にカームに叩き起こされたチャルチルが、眠り眼を擦りつつ訊ねた。
「うん。ファムとミレーユはワイヤーで繋ぐし」
月も雲隠れしてしまった今、微かに漏れる月光しか夜空にはなく、消灯しきった母竜は完全に闇の世界に溶け込んでいる。そんな暗闇の中を飛べば、当然だが数々の危険が伴う。もし積乱雲にでも入り込んでしまったら、帰還できない可能性だってある。カームとて気楽には飛べない光源なしの夜間飛行。きっとルナリザはかなりの不安を抱えているはずだ。
「冗談じゃない――って言いたいところだけど……アンタに、付いていけばいいんでしょ?」
「うん。任せて! もし何かあっても俺がサポートするから」
二人はそれぞれの相棒竜の鞍に乗り込んだ。チャルチルたちが点検整備を行う。
「……チャルチルも不運よね。アンタみたいな奴に目を付けられて」
「酷い言いぐさだな……でもそんなことないよね、チャルチル!」
「えっ……あ、あの……はいっ。わたしは楽しいですよ。でもそうですね……何か埋め合わせをしてもらっても、バチはあたらないかもしれないですねえ」
「なんでも言って良いわよ。チャルチルにはその権利があるわ」
「なんでルナリザがそれを決めるんだよ! 埋め合わせはするけど」
「うふふ……それじゃあ、今度、地上に降りたとき……皆さんで舞台劇を見に行きませんか? それで、是非……一緒に食事なんかできたら、なんて……」
「この前言ってたやつだね。チケットは手に入ったの?」
「……カームさん、聞こえてましたか……えと、あのときの話は忘れてください」
チャルチルが微妙に頬を染めてもじもじする。
「……? よくわからないけど、見たこと無いし七班の皆で行こうよ!」
「呑気なもんね。アンタ、これから違法行為をするってことわかってるのよね?」
「それとこれとは関係ないでしょ。チャルチルとの舞台劇楽しみだなあ……!」
やがて、耳まで染めたチャルチルが「準備おっけーですぅ」と甲高い声で親指を立てた。
* * *
カームとルナリザは母竜胸部に位置する飛行場を飛び立ち、暗闇の中で高度を上げていった。
順調に思われた夜間飛行だったが、追い風に乗った雲が視界のすべてを暗色の霧で覆う。バイザーゴーグルの隙間から、冷えた水滴が肌や瞳に飛んでくる。
「雲よ、カーム! ちょっと聞いてるの!? 早く返事しなさい!」
ファムとミレーユを繋いだワイヤーの先から、ルナリザの悲鳴が聞こえる。雲に視界のすべてを奪われた状態で長時間過ごすと空間失調症になる。その心配をしているのだろう。
「そんなに厚い雲じゃないから安心して。なんだったら目瞑ってても良いよ!」
ファムに雲が流れ去るまでその場をキープするようにお願いする。数分後、雲が掻き消える。
目の前に広がるのは、微かな月光で照らされた母竜の横顔だった。
「改めて見ると本当に大きいねえ」
カームがほれぼれと言う。竜に乗った自分たちよりも一回り大きい乳白色の眼は、進行方向をまっすぐ見据えたまま瞬き一つしない。真横を併走していても、反応がない。
カームはミレーユへのワイヤーをしっかり掴みながら水平に移動し、母竜の側面に茨のように生い茂る鱗の中で、逆立つように生えている耳に突入する。
用具入れから照明具を取りだして辺りを照らすと、耳介内の至る所に蔓延っていた黒い塊が光源から逃げるように飛び散っていく。
「わっ! 何よこの黒いのっ……! 気持ち悪い!」
身体を抱きかかえ叫ぶルナリザ。一方のカームは相棒竜の鞍から降りて、光から逃げ遅れた塊を捕らえていた。
「これは……真っ黒になっちゃってるけど、『リュウノダニ』だね。母竜だから特大サイズってわけか。ここ温かいし、居心地良いのかもね。感染症移されるかもしれないから、あんまり触らないほうがいいよ。ほら、見て」
カームは、手にしたリュウノダニをルナリザの顔面に近付ける。人間の頭部ほどある巨大な節足動物は、無数に生えている手足うじゃうじゃと蠢かせている。
「うぎゃあぁぁぁ! そんなものあたしに向けないで! 今すぐ、捨てろ!」
「ルナリザの驚いた顔だ。珍しい、ハハハ」
「笑ってる場合か! アンタが何の前ぶれもなく触ったことに驚いてるの! 感染症は!?」
「俺はほら、手袋してるし。初見は良く見ないとわかんないからさ」
「もう、いいから! さっさと進むわよ!」
二組がしばらく水平飛行していると、やがて巨大な壁にぶつかった。
それは無数の繊毛が巻き付いたダニたちの住処――母竜の鼓膜だった。カームは大仰な鼓膜の壁を仰ぎ見て、付近を捜索する。
「誰かが入った形跡があるね」
壁の端に人間が屈んで通過できる高さの入り口が用意されていた。獣道の中に突然現れた鋼鉄の扉は、どこまでも人工的なものだった。
「母竜機構が出撃時以外の飛行を禁止してた理由の一つってこと? このぶんじゃ、この体内のどこかに怪しい実験場があったって、不思議じゃないわね」
「……俺たちは、それを確かめに来たんだ」
ヒンメルがなぜ母竜機構の秘密を密告したのかカームにはわからない。しかし掴んだ機会は利用すべきだ。知ってしまった以上、母竜機構の行いは見過ごせない。
ルナリザがミレーユを小碇で固定しようとしていた。カームは彼女の手を止める。
「いいよ、そんなのしないで」
「は? もし逃げ出したらあたしたち帰れなくなるのよ」
「平気平気、逃げたりしないから。それにファムだけ自由なのにミレーユが拘束されてたら、彼女ストレスに感じるかもしれない」
「だからアンタのファムも拘束すんのよ、ほら早く」
「やだよ、ファム拘束具嫌いなんだから。引っぱたかれたくない」
「……何それ、もう知らないから。帰れなくなったら、全部アンタのせいだから!」
「ハハハ、心配性だなあ。大丈夫だって」
カームが二匹の竜に手を振る。ファムは大きなあくびで返事を返し、ミレーユは爪を研ぐのに夢中でこちらに気付いていない。
「本当に伝わってるのかしら……」
不安な気持ちのままルナリザはカームの後に続く。迷路のような道筋を右往左往しながら進んで行くと、照明具が照らす風景は徐々に変化していった。
壁や地面には膨れあがった皺が刻まれていて、人が歩ける道は細く、狭くなっていく。やがて行き止まりに差し掛かり、カームは目の前の鋼鉄の扉に手をかける。
部屋の中は、天井を覆い尽くす皺が息をするように蠢いていた。室内は狭く、背伸びをすれば頭部が触れてしまうくらいの高さしかない。
「なんだ……これ」
室内の雰囲気はこれまでの体内とまるで違っていた。居住空間は人工的な部分もあるが、まだ生物としての匂いが強かった。しかし、カームたちの上部には一メートルほどの巨大な金属が無数に突き刺さっている。縫い付けられた跡や、肉であったはずの一部が金属になっていた。グロテスクなその光景は、自然と生き物に嫌悪感を与える。
ここが、ヒンメルから受け取った地図に記載された場所――母竜の“脳室”である。
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