14 サーカスが好きなんじゃないの?


 竜の厩舎から体外の竜騎士訓練場へ出ると、夕焼けがカームとルナリザを照らした。二人は既にまばらになっている訓練場の中心まで歩き、天井である母竜の腹部ど真ん中にぽっかり空いた大きな空洞を見上げる。やがて、天井から鎖と金属の音を響かせた足場付きのチェーンコンベアが現れる。そこには全身に頑丈な枷を取りつけた竜が二匹と、七班の調教士と整備士たちが乗っていた。

 ガチャン――とコンベアが停止すると、チャルチルが訓練場の地を踏む。


「お待たせしました、カームさん、ルナリザさん。ファムちゃんとミレーユちゃんをお連れしました! 日が落ちる前にお声がけさせてもらいますね。出撃申請に記載頂いている装備一式はご用意していますので、ご自由にお使いください」


 立ち会い人を努めるチャルチルが淡々と説明していると、他の整備士たちが装備の詰まった車輪付きの台車をコンベアから降ろす。一方の調教士は竜の枷を取り外していく。


「ファムは枷なんて付けなくても暴れたりしないのになあ」

「カームさん、お気持ちはわかりますが規律なんです。形だけでも従っておきましょう」

「わかってるけどさー」

「ではわたしは観覧席で立ち会いをしてますので、ごゆっくり」


 愛らしい笑みを浮かべたチャルチルが手を振る。カームも同じようにしていると、隣に立ち尽くしていたルナリザが眉を顰めたままカームに近づく。


「ちょっと待って、ミレーユって雌だったの?」

「え……、本気で言ってるの? どこからどう見ても女の子じゃないか」


 枷を外してもらうことが当然だと言わんばかりに顎を上げるミレーユ。ごつごつした顔面からは意外にも豊かな表情が浮き出て見える。


「ミレーユはかなりお嬢様気質だよね。結構珍しいと思う……かわいいよね」


 うっとりした表情でミレーユの隆起した鱗に触れるカーム。ミレーユはウウゥ、と低く唸って首を背けようとするが、暴力を振るうつもりはないようだ。


「かわいいなあ。べたべたされるの嫌なんだろうね。でもそんな表情もまた愛らしいというか……でもあんまりやり過ぎると嫌われちゃうからここまでにしとこう……だけどそんな子がたまに甘えてきたりするともう凄いかわいいんだよ。はぁ……胸が苦しい」

「……ア、アンタ……やっぱり相当ヘンね」


 若干頬を引きつらせたルナリザがカームから距離を離していく。ペリドットのようなミレーユの瞳は、静かに主人であるルナリザを見つめていた。

 準備が完了すると二人は早速空へ飛翔する。訓練空域にはカームとルナリザしか居ない。


「ひゃっふー! やっぱこの時間穴場だったみたい。気持ち良い~!」


 武器も持たずに空域内を駆けめぐるカーム。こちらが清々しい気持ちになるような、綺麗で無駄のない美しい飛行。ファムも嬉しそうに鳴き声を上げ、翼を大きく羽ばたかせている。


「ちょっと! 七班の訓練空域はみ出てる!」

「いいよそんなの、誰も見てないし。空はこんなに広いんだから、いっぱい使わなきゃ」

「七班の整備士があそこで見てるじゃない!」


 ルナリザが観覧席を指差すと、手すりに肘をかけていたチャルチルが笑顔で手を振ってくる。


「チャルチルー見てるー?」


 カームが笑いて片手を上げ、そのままの体勢でくるん、くるんと綺麗な円を描く。立ち会い人のチャルチルを楽しませるように。


「チャルチルは上に言いつけたりしないよ」

「……こんなの、遊んでるだけじゃない」

「それが大事なんだ。ルナリザには、ミレーユと一緒に空を楽しんでほしいんだよ」

「…………楽しむって言ったって、どうするの」


 不満げに唇を尖らせたルナリザが訊ねる。まさか自分からこんなことを質問するとは。対面のカームがやたらとニヤニヤしているのが余計に腹立たしい。


「よーし、俺についてきて!」


 言ってからカームが緩やかに旋回する。ルナリザも置いていかれないようにできる限り同じ軌道をなぞり、追尾する。


「ミレーユが躰の向きを変えようとしたら、細かい軌道修正を一切しないでみて!」

「無茶苦茶言わないで! そんなのできるわけないでしょ!」


 言葉だけだと簡単に聞こえるが、手綱を手放そうとしても勝手に力が入ってしまう。そもそも、こんな方法で飛行している竜騎士はカームくらいのものだろう。

 前方のカームが剃り上がったのを確認する。ルナリザもそれに続こうとするが――急停止。


「ぅわっ! ど、どうしたのよ!」


 驚いて顔面をミレーユの背中にぶつけそうになるルナリザ。それを見ていたカームが滑らかな軌道でルナリザの元へ戻った。ファムとの安全帯を取り外し、こちらに乗り込んでくる。


「……震えてる。ミレーユは、ルナリザのことを怖がってるのかもしれない」

「あたしのことを……? どうして」

「我を忘れて暴走したこと、忘れたの? あのときの君は……俺だって怖かったよ」

「……それはごめんなさい。だ、だけど、竜が人間に怯えるなんてありえるの?」

「そりゃそうだよ。ミレーユは表面上毅然としてるように見えるけど、心はまだまだ幼い子供なんだから。怒鳴られたり叩かれれば怖がるし、危害を加えてくる相手は嫌いになる」


 ――でも、コイツはあたしが死にそうなとき見向きもしなかった。

 腹立たしさと申し訳なさがルナリザの胸に同居する。気付けば握る力が強くなっている。


「……時間をかけて、壁を壊していくしかないよ。たくさんの愛を込めてね」

「何よ、愛って……」


 愛だの恋だので盛り上がる薄っぺらな舞台劇じゃあるまいし。もやもやした思いが募るルナリザを差し置いて、カームが愛情いっぱいの手つきでミレーユの角を撫でる。


「ミレーユのことを心の底から想ってあげてよ。美味しいものを食べたとき、アイツも食べたいだろうなとか、今ごろ小屋で何してるかな、寂しい思いをしてないかな、とか」

「何よ、それ……馬鹿らしい」

「そういう気持ちから友情って生まれてくるものだと思うから。お願いしたことをミレーユが上手くできたら大袈裟に褒めたり、逆に上手くいかなかったら慰めてから一緒になって考えるんだ。とにかく、頭の中をミレーユでいっぱいにしてみてよ。唯一無二の相棒なんだから」


 やがてカームはファムの鞍上へと戻り、ルナリザを振り返る。


「ルナリザはきっと大丈夫。ぶっきらぼうだけど、心の底には優しさが詰まってるから。俺、人と竜を見る目には自信があるんだよ。ハハハ」

「……とてもそうは思えないけど」


 ルナリザが軽口を叩くと、カームはお得意の変顔を見せつけてきた。苦笑すらでなかった。



 * * *



 夕空に群青が差し掛かったころ、チャルチルの合図でカームたちは訓練を終了した。足場へ戻るなり、カームは相棒の頭部に乗りかかって太い首にギュッとしがみつく。


「楽しかったよファム。また飛ぼうな!」

「がぅ」


 ファムの短い相づちを聞いて驚いた顔のルナリザが、ミレーユの鞍から降りて言った。


「今、返事をしなかった? アンタの竜」

「ファムね。仲良しだからね、普通にするよ。……ほら、ルナリザも」

「なんであたしが」


 納得のいかない表情で、ルナリザが翼を畳もうとしている相棒竜に目を向ける。


「ほら、恥ずかしがってないで」


 カームがにやにや催促してくる。


「君は、“ありがとう”が言える人のはずだよ」


 面白いくらいに瞬きの回数が多くなるルナリザ。肘を抱きながら、ミレーユに歩を寄せる。


「…………よ、良く、……やったわ…………ミレーユ」


 勇気を出した一言。しかしミレーユは無反応だった。じっと主人を見つめているだけである。


「もっと撫でてあげるとかさあ……」

「う、うるさいわね。これでいいのよ。こいつだって返事しなかったし。おあいこよ」

「こいつとか言わないの。ハハハ、そんな拗ねないでさあ」

「拗ねてないわよ、馬鹿!」


 ルナリザが頬を赤く染め、早歩きでミレーユから離れて行く。カームが和やかに微笑んだとき、観覧席から姿を現したのはチャルチルと、もう一人。


「訓練、見させてもらっていた」

「ヒンメル、竜騎士長……!」ルナリザが上ずった声を上げる。


「あれ、ヒンメルだ。どうしたの? こんな時間に」

「ち、ちょっとアンタ!」

「構わない。二人とも……少しだけ、話せないか」


 ヒンメルがチャルチルや調教士たちに視線を投げると、彼女たちは慌ただしく撤収の準備を進め、やがて竜二匹を連れてチェーンコンベアで上っていく。


「先ほどのは……一体どんな訓練だったんだ?」

「ルナリザとミレーユをもっと仲良くさせるための特訓だよ」

「その、すいません。この人が勝手に言っているだけです……」


 直情径行なカームの横で、ルナリザが消え入りそうな声で補足する。


「成果はどうだ、ルナリザ。次の出撃で役に立ちそうか」

「それは……」

「お前は竜を殺すために乗船しているのだろう。前回の出撃ではえらく暴走していたな。躰に傷を負った火竜に、執念深く襲いかかっていた」

「…………見ていらしたんですか。……敵、だったんです。姉を殺した」

「……もし、より高い空戦技術を身につけたければ、俺が稽古を付けてやろう。君の班長の訓練は、だいぶ生ぬるそうだからな」


 棘のある言葉に、カームが反応する。


「そんなことないよ。ルナリザは少しずつ進歩してる」

「あれでは野生竜との戦いで生き残れない。ただ命を落とすだけだ」

「武器の扱いや空戦技術よりも、相棒竜との信頼関係のほうがずっと大事だよ」

「ルナリザには己の力一つで生き抜く実力がいる。竜を殺そうという人間に竜との信頼関係が必要か? お前の生ぬるい思想で部下を見殺しにされちゃかなわん」

「俺の手が届く場所で、殺戮サーカスのために人も竜も殺させたりなんかさせない」

「……カーム、お前は何もわかってない。どちらかが虐げられるのは自然の摂理だ」

「自然? あの殺戮サーカスがそうだっていうんなら、皆相当疲れてるね。サーカスも空戦も全部俺に任せて長期休暇にでも入ってよ。大丈夫、母竜に被害なんか出させないから」


 笑顔のカームと厳しい表情のヒンメルがお互いの瞳をじっと見つめ合う。二人の言い合いの間に挟まれるルナリザは、耳を傾けることしかできない。


「……ヒンメル、君は……竜とのサーカスが好きなんじゃないの?」


 カームの一言に、ヒンメルの眉がピクリと動く。


「出発セレモニーで君とガルミールのペアは活き活きと空を踊ってた。あれは絶対“演技じゃない”。俺も同じだからわかる。相棒と二人で飛び回ることに、君は幸せを感じてたはずだ」

「同じ……か、お前にはそう見えるんだな」

「うん、見えるよ。……どうして隠すの?」


 真っ直ぐな瞳のカームに、ヒンメルが小さくため息をつく。


「管制室でも思ったが、お前はこの世界の理を何も知らない穢れ無き子供だ。俺は、その純粋な信念がこの悪意に満ちた世界でどう抗うのか、途轍もない興味がある」

「悪意に満ちた……世界?」

「お前が察している通り、俺や母竜機構の司令官以上の幹部は秘密を持っている」


 懐から何かを取りだしたヒンメルが、カームの手に握らせる。


「今夜、日が変わってからにしろ。選択するのはお前たちの自由だがな。これは竜騎士長としての命令ではない。俺個人の耳障りな戯れ言だ」


 ヒンメルは、そのまま視線をルナリザへと移動させる。


「お前の信念が本物なのかどうかにも、俺は興味がある」


 それだけ残して去って行くヒンメルの背中に、カームが声をかける。


「あのさ、俺一応飛行禁止になってるんだけど」

「そんなに行儀良い奴だとは思わなかったな」

「当然無視するつもりだったけど、竜騎士長としての意見が聞きたくてさ」

「俺を保険に使うつもりか。気にするな。面倒なことは俺がなんとかする。だが代わりに今後の出撃に七班は必ず組み込む。お前たちの行く末をこの目で見届けたいからな」


 片手をひらひらさせながら、ヒンメルは夜の闇に消えていった。


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