13 竜の調教士のお仕事
竜の厩舎は朝から大忙しだった。食品班から仕入れた大量の母竜肉を班ごとに捌き、それぞれ担当している竜に食べさせる。しかし、中には素直に口にしてくれない竜もいる。そんなときは一度火を通し温めてから鼻に近づけると、かぶりついた。
そうこうしているうちに各班から二、三人の竜解体資格を持つ者たちが忙しなく動き出す。昨夜の内に終わらせた血抜き後の野生竜を解体するためだった。解体された爪や牙、鱗や骨などの武具素材は装備開発場に回され、肉や油は食品班へ。
髭や眼には鑑賞品や装飾品としての価値があるため、装備開発士による加工を経て商売班へと流れ、販売戦略が練られた後立ち寄る『F10』の富裕層へ流通していく予定だ。
ジラーニ総統の言う通り、竜の躰はそれ自体が財宝なのである。
野生竜との交戦を殺戮サーカスとして見世物にしていた母竜機構の意向は絶対に許せるものではない。だが、経過はどうあれ命を奪ってしまったのなら利用できる部分は最大限に活用させてもらうべきだ。もちろん、奪ってしまった命への祈りだけは捨ててはならない。
カームはその信念に基づき、調教士としての業務に勤しんでいた。
「カーム、竜の卵が搬入されてきた。対応できるか?」
強烈な匂いと共に、竜の卵を整列させた搬入口で台車を出迎えるカーム。卵は柔らかそうな藁の窪みにぴったりと収まっているが、表面には竜の糞がふんだんに付着していた。
「大変だったでしょ。ありがとね」
運搬者にねぎらいの言葉をかけるカームだったが、まさかの人物で驚く。
「整備士から協力依頼が出て……今、丁度暇なのよ」
ルナリザが視線をそらしながら台車を押し付けてくる。
「言っとくけどアンタのせいなのよ。代行の班長を竜騎士長に依頼したのに却下された。七班はしばらく休養だって」
「……ごめん。飛行権、剥奪されちゃったんだ。……班長、失格だよね」
「驚いた。アンタでもへこんだりするのね」
「な、何それ……当たり前じゃないか! 形だけでも君の上司なんだから! 一応俺だって恥ずかしいって思いがあったりするんだよ」
「ジラーニに楯突いたらしいわね。この処遇で済んでいるのが奇跡だわ」
カームが困ったような表情で後頭部に手をやった。
「……ねえルナリザ。君はさ……竜のこと、道具だと思ってる?」
「……質問の意図がわからないけど、当然生き物の認識よ。……ただ、私欲のために利用しているのか、っていう意味では……道具と変わらないのかもしれない」
「…………そう、だよね」
返ってくる答えはわかっていたはずだ。それなのにカームが訊ねたのは、ルナリザの口から真実を聞きたかったからだ。そして、心のどこかで自分に都合の良い回答を待っていた。
「……ジラーニに何か言われたの?」
「え? ああ……良くわかったね」
「鏡見てみなさいよ。それで隠せてると思ってる?」
ため息をつきながら、ルナリザが肘を抱いた。
「まあ、アンタから見れば……あたしもジラーニとそう違わないんでしょうね」
「そんなことないよ。君とジラーニは全然違う。それだけは、俺にだってわかるよ」
「……で、なんで管制室に乗り込んだりなんかしたの」
「探してるんだ……今、俺がすべきことを。失敗しちゃったみたいだけど」
管制室に突入したとき、カームは自分の気持ちに身を任せた。その結果が“大人になれ”だったことが、彼にいくらかの歯止めをかけていた。
「たった一回行動したくらいで満足できる答えにたどり着けるわけないじゃない。今回の件だって、考えはしても普通の人間は絶対にやらない。だから飛行禁止になったって聞いたとき、あたしはとてもアンタっぽいと思った。だから、例えジラーニやあたしと意見が食い違ったとしても、“おかしい”とアンタが想い続けるなら、自分が納得できるまで足掻くしかないと思う。……っていうか、そうするつもりなんでしょ?」
「……凄い」
本当に関心した表情のカームが、ルナリザに顔を近づける。
「だから近い! アンタいつも顔が近いのよ、なんなの。離れて」
「ええー、そうかな? ……ふふ。ルナリザってば、俺のこと励ましてくれてるの?」
楽しそうにカームが微笑む。ルナリザは赤髪を軽く払って言った。
「話ちゃんと聞いてた? アンタは頭がおかしいって言ってんの」
「ハハハ、世間から見ればやっぱり俺っておかしいのかな」
「人間の性根なんて、そう簡単には変わらない。山があろうが谷があろうが、結局死ぬまで自分らしい生き方をするしかないのよ」
ルナリザの心の中で育まれる竜への殺意も、変わることはないのだろうか。カームがルナリザのことをじっと見つめていると、ルナリザはしかめっ面で目を合わせてくる。
「また顔見てるし。ほんとになんなの……じゃあ、あたしはこれで」
ルナリザが搬入口から去ろうとカームに背中を向ける――が、数秒後に振り返る。
「……カーム」
「ん、なに?」
小首を傾げるカーム。一方のルナリザが強張った表情で、ゆっくりと唇を開く。
「昨日は……助けてくれてありがとう。あのまま戦ってたら、絶対に死んでた……から」
しおらしい表情のルナリザに、カームが大声で笑い始める。
「は? な、なんで笑うのよ!」
「だって面白いんだもん。君ってなんでいつも去り際にお礼言うの? 恥ずかしいの?」
「違うから! 別に意味なんてないわよ、本当に馬鹿みたい! さよなら」
ふて腐れた態度で立ち去ろうとするルナリザの手首を、カームは握った。
「待ってルナリザ。休暇の間、一緒に調教士の仕事を手伝わない?」
「はあ? そんなことあたしがやるとでも思ってるの? 離して」
ルナリザが呆れた顔で振りほどこうとするが、カームは毅然とした態度で譲らない。
「嫌だ。俺、やっぱりルナリザは竜を好きになってくれる人だと思うんだ。ううん、例えそうじゃなかったとしても、竜の可愛いところや凄いところをもっと君に知って欲しい!」
「あたしが竜を好きになることなんて、絶対に無い」
ルナリザの瞳はいつも冷たくて凛としている。決してその奥を覗かせてはくれない。
「結果がそうなら仕方ないさ。でも、俺に努力をさせてほしい。……“君の命の恩人である俺の言うこと聞いて欲しいんだ”」
カームなりに工夫したささやかな脅しだった。そこに笑顔を添えるのが彼らしさである。
「……ふうん、意外とがめついのね。それに恩着せがましい。……性格、悪いわ」
「ハハハ、できそうなことは最大限やろうと思ってさ。手伝ってくれるよね? ルナリザ」
「できそうなこと……ね、心外だわ。……だけど、いいわよ。そんなに言うなら試してみなさい。絶対アンタが望んでる形にはならないでしょうけど」
ルナリザの唇が不適に歪んだそのとき、「このクソ忙しいときに盛ってる場合じゃねーぞ!」と忙しなく働いている調教士に二人は怒鳴られるのだった。
* * *
ルナリザはカームと一緒に台車を引いて厩舎へと入り込む。まずは手に入れたばかりの竜の卵を洗浄する作業からだった。二人は飼育竜たちの躰を洗い流すために設置されている大型の水道場で作業着の袖をまくり、肩を並べていた。
「水、あまり使わないでって言われてるんだ。最近雨降らないしね」
「母竜に乗ってるのはあたしのほうが先なのよ。なんでアンタに注意されなきゃいけないの」
「親切で教えてあげたのに……素直にありがとうでいいじゃない」
「ありがとう」
「心がこもってないなぁ」
「うるさい。早く仕事するわよ!」
「気をつけて。重いよ」カームから竜の卵を一つ手渡される。
「わかってるわよ。あたしだって一つ回収して帰還してるんだから」
分厚い手袋越しに、竜の糞に塗れた薄汚い卵を受け取る。しかし、嫌なことを思い出して鳥肌と一緒に吐き気が蘇る。実際、今でも身体の匂いが落ちきっているとは言えなかった。
「自分の卵をどうしてこんなに汚す必要があるのかしら」
「外敵から卵を守るためだよ。卵を産み落とすとき、うんちも一緒に放出するんだ。成竜が体内に持ってる細菌の抗体を作るためなんだって。それ自体は強い躰を作るために必要なことなんだけど、でも浸かり続けてると感染症が発症して死んじゃうこともある」
カームが秤に卵を乗せて重さを量って、表面の色合いを確認しながら言った。ルナリザも顔をしかめつつカームの真似をする。
「半月は経ってるな。この二つは洗い落としちゃって大丈夫。あ、そういえばルナリザ、昨日は洗い落とせた?」
薬品班が開発した特殊な洗浄液を泡立たせて、カームがにやりと口角を上げる。
「ま、俺鼻良いから大体事情はわかる――痛っ」
ぽかっ、とルナリザがカームの頭を叩く。
「急に叩くなんて酷いよ。野生の竜は有害な菌をたくさん持ってるから心配したのに」
「……うるさい。もうこの話はおしまい、さっさと仕事しなさい」
搬入された卵は全部で五つ。中にはルナリザが死に物狂いで取ってきた一つも含まれていた。
「ほら見てルナリザ、この卵なんて、もうすぐ生まれそうだよ」
カームがぴかぴかにした白い球体を見せてくる。下部が少し碧色に変色していた。
「孵化するまでにどのくらい時間がかかるんだっけ」
竜討伐科の必須科目である竜の基礎生態学はルナリザも学んでいるが、卒業後不要だと思った知識に関してはうろ覚えだった。
「種類にもよるけど、『飛竜』だと大体ふた月くらいかな。どうして?」
「わざわざ命の危険を冒してまで竜の巣に向かう必要があるのか、考えてたのよ。実際に自分で経験したからこそ思うのかもしれないけど」
ルナリザの言葉に、カームが憂いを帯びた表情をする。
「去勢されてるんだってさ、ここの飼育竜」
「知ってるわよ。より懐柔しやすくするためでしょ。でも、だからって全部する必要はなくない? 繁殖用として数匹確保しておけばいいじゃない」
当然のように答える。カームの引きつった笑みを見て、なんだか後ろめたくなる。
「……まあ、人間としてはそれが利口なやり方なんだろうね。でもやっぱり竜の交尾ってとても危険なものだからさ。……知ってる? 雄には陰茎が六つ生えてるんだけどさ、それぞれが特殊な用途を持ってて一度差し込むと簡単には抜けないんだ。無理矢理何本も入れる雄も多いし。それで雌は内臓を破裂しちゃったり、骨折したり、最悪死んじゃうこともある。……俺も見たことがあるんだけど……本当に凄いよ。なんか……言葉に出来ない凄さがある」
カームの語尾が少しずつ消え入るようになっていく。人間の話でもないのに、ルナリザはなんだか返事がしにくかった。
「そういえば、アンタの竜は去勢してるの?」
「……してるよ。俺の故郷じゃ雄は去勢するのが当たり前だったからね。でも最近考えるんだ。ファムは嫌だったんじゃないかって」
「…………」
「潜在的に人間が竜を下に見ているから、従えようとしているからこその行動だよね。生物としての大事な部分を奪われるんだ、俺だったらそんなの嫌だよ。……偉そうなことを言って、結局俺も皆と同じなのかもしれない」
「……あたしたちは人間よ。古来の祖先たちが築いてきた生物界の頂点で毎日文化的な暮らしをしてるの。自分たちがより便利に生活するため、贅沢をするために格下の生物を手に入れて管理し、育て、殺し、食べる。そうして身体を作ってきた。それが嫌なら……、もうアンタは人間じゃないってことよ」
「……うん、俺だって美味しい動物の肉が食べたい。それはわかってるよ」
「なら良かった。別種の生き物なんだから、どちらも同じ生き方は絶対にできない。まあ……、ジラーニの殺戮サーカスに不満があるって部分は、あたしも少なからず同意するけど」
ルナリザは、先日の殺戮サーカスで竜の血を浴びてはしゃいでいた連中を思い出す。カームと彼らでは、生き物の命に対しての思想がまったく違う。
――自分は、果たしてどうだろうか。
二人は卵を丁寧に運んで、専用の小屋に入れ込んでいく。内部には柔らかそうな藁がベッドのように広がっていて、竜の卵はちゃんと一つひとつ丁重に管理されている。
ルナリザは、大事に抱えた卵をゆっくり藁のベッドに沈める。
「その卵、君が持ってきたやつだよ」
カームが手元のチェックシートを確認しながら言った。
「……ルナリザさ、その卵自分で育ててみたら?」
「どうしてよ」
「そのほうが愛着湧くかなと思って。そしたら竜を好きになってくれるかもしれないし」
「それ、まだ言うの……」
ピクリとも動かない白い球体を見下ろして、その殻に手を触れてみた。仄かな温かさがルナリザの手のひらに伝わる。
「……この中に竜がいるだなんて、未だに信じられない」
「本当に。信じられないよね、生き物って不思議だよ……」
「アンタと哲学やり合うつもりなんてないわ。あと卵の世話もやらない」
「ええ……そんなぁ。命の恩人のお願いなのに……」
「自分で言うな。それにいつからお願いになったのよ」
「じゃあ改めてお願いするよ。その卵を孵化させる手伝いをして欲しい」
カームの表情は真剣だった。自分にそんなことをさせて、この男は一体何がしたいのだろう。まさか、言葉通り竜を好きになって欲しいから? 本当になるとでも思ってるんだろうか。
「何それ。あたしはアンタの忠実な下僕ってわけ? 上司としての命令だって、報酬があってしかるべきだわ。その任務を行う上でのあたしへの見返りは何もないわけ?」
カームはううむと悩み始めた。見返りはどうでも良かったが、やられっぱなしのカームをたまには困らせてみたかった。我ながら子供っぽいとは思いつつ、どんな回答がくるのかルナリザは少しだけ楽しみだった。どうあしらうか考えていると、カームが手のひらを合わせた。
「わかった。ルナリザとミレーユのコンビを、俺がコーチする」
「……は?」
「君たちが空を楽しく飛べるように俺が指導する。いや、君たちをもっと仲良くさせる。その代わりにルナリザはその卵が孵化するまで世話をするんだ」
「何それ、見返りも要求も全部アンタの自己満足じゃない。絶対おかしい」
「……確かに!」
間の抜けたカームの顔を見ていると、なんだか力が抜けてくる。復讐のために母竜に乗船してからというもの、気張りっぱなしだった。不意に、くすりと鼻から自然に息が抜ける。
「……はーあ、本当に馬鹿みたい」
「あ、ルナリザが笑った、やっぱり素敵だよ! 俺もっと見たいんだ、君のそういう表情」
「……アンタって……本当に……はあ、もう断るのが面倒になってきた。疲れた」
「やった!」
「でも、卵の世話なんて全然わからないのよ。それでもいいわけ?」
「大丈夫。実際そんなにできることはないから。ただ、そういう意識でいて欲しいだけ」
「……何がしたいのか、いまいち良くわからない奴ね。本当に」
「よし、じゃあ早速ミレーユのところに行こうよ。調教士姿の君も見せてあげたいし」
カームがルナリザの腕を引っ張って、ミレーユの小屋へと走って行く。ルナリザの前を走る青年は、太陽みたいな笑顔を咲かせていた。
「ちょっと、調教士の仕事はどうするのよ? 放棄していいの?」
「ああ、謝っとく! ていうかノルマはもう終わらせてるし! 次は倍働くから!」
「……もう、怒られても知らないわよ」
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