09 邂逅


 ルナリザの心臓が、ばくん、ばくんと強い鼓動でその胸を打ち付けている。

 彼女の周囲の空域には、返り血を浴びつつ恍惚とした面の竜騎士がいた。ただ黙々と機械のように竜の命を奪う竜騎士がいた。いかにして映える殺戮サーカスを演出できるかに注力を注ぐ竜騎士がいた。皆、やり方は違えど竜を殺すことに躍起になっている。

 竜騎士が母竜に乗船する理由は、大きく三つ。「竜を殺したい」、「空を飛びたい」、「一大イベントに乗っかりたい」。どれも単純なものばかりなせいか、命知らずで頭のネジが外れた人物が多いのが実情だった。その中でも大多数を占めるのが「竜を殺したい者」たちである。

 彼らは自らの命などなげうって、敵の命を奪うことにすべてをかけている。私怨や道楽で竜を殺したいと願ってきた連中にとって、今日の出撃は待ち望んでいたものだ。


「うあああああああああああああッッ! 誰かァ! 誰かァ!」


 ルナリザの視界で一人の竜騎士が空の底を墜ちていく。竜との戦闘の果てに安全帯が壊れ、飼育竜に投げ出されてしまったのだろう。隊の中でも、次期班長候補として評判の実力者だったはずだ。反対に、向こうの空では訓練中もあまり目立たなかった竜騎士が活躍していた。


 接近後に野生竜に飛び乗って弱点である竜の逆鱗を一突きし、絶命させてから回収班に無線を飛ばして遺体の回収を依頼、戦果確認班とのクロスチェックを忘れない。ここまでスムーズな手順で行ってこそプロの竜騎士である。まさに手本のような存在。腕の立つ竜騎士ならば、野生竜の逆鱗以外傷付けることなく戦闘を終えることだって可能だ。


 この空で飛んでいる者に、未熟者などいない。知識や技術は真剣に取り組んでこそ後からついてくる経験値に過ぎない。そんなものは皆身につけている。

 実戦で竜騎士の技術差を埋めるのは、当人の体調や気力によるものが大きい。実物の野生竜を前に、何一つ行動を起こせず海の藻屑になる実力者もいるくらいなのだから。


 目の前で繰り広げられる惨劇を目の当たりにして、ルナリザはここが命を賭けた戦場であることを改めて実感する。

 同時に、「竜を殺す」という同じ目標を持ちながら、私怨ではなく快楽のために竜を殺す者がいること――そして、この殺戮サーカスを娯楽として楽しんでいる観客がいることにルナリザは大きな隔たりを感じていた。


 ――あたしも、こんな汚い連中と一緒なのかな。

 力強く握った槍が、ふるふると震えていた。手綱を握ったもう片方の手で抑える。

 ――武者震いに、決まってる。


「ずっと……この日を待ってたんだから」


 空が怖いわけじゃない。竜が怖いわけじゃない。必死にそう言い聞かせて、竜騎士の第一目的である竜の巣へ、ルナリザは単身で突撃する。自分を捕捉した野生竜といざ戦闘しそうになると、血塗れの竜騎士二人組が狂ったように割り込んできて、なかなか槍を振るう機会がやってこない。早く憎き竜と初戦を交えて豪快に長い首を切り落としてやりたい。だが、戦闘に入らず少しだけ安堵している自分もいた。複雑な思いのまま、ルナリザは手綱に力を込めて真っ直ぐに竜の巣へと加速していく。


 距離を縮め全貌が見えてきても、その正体は謎でしかない。表面は繊維の継ぎ目が透けて見えるし、本当にこの中に竜が住み、卵を産み落としているのかと思う。

 巣の入り口を探して周囲を飛び続けていると、クレーターのような大穴から一騎の竜騎士が飛び出した。竜の躰に取りつけられたホルスターには薄汚れた白い球体が綺麗に収まっている。

 すれ違い様に竜騎士が言った。


「まだある。だが気をつけろ、中に火竜がいる」


 つまり、戦闘の可能性が極めて高い。これをルナリザはチャンスだと思った。自ら退路を断って、この腕の震えを否応にでも止めなければ。初めの一歩さえ踏み出せば、きっと大丈夫だ。


 ルナリザは表情を引き締めて、竜の巣へと突入する。

 内部は人間の目には暗く、暖かかった。繊維の壁や天井から陽の光が微かに差し込んでいる。

 野性的な空洞の中は竜の糞や脱皮殻、抜け落ちた牙や爪などが大量に散乱していた。これらはやがて巣の資源になっていく。厩舎で嗅いだ悪臭の何倍も臭かった。吐き気が止まらない。


 だが、そうも言っていられない。早急に竜の卵を入手し、『巨竜』まで運搬し回収班に託すこと。その道中で竜を殺害することが、今ルナリザがやるべきことだ。

 ルナリザは鞍上から降りて、ミレーユの帯に取りつけてある用具入れホルスターから小碇を取り出す。ミレーユが被る簡素な兜に金具を引っかけ、ワイヤーの先を壁に向けて射出する。

 日々調教士が訓練をしているため、逃げ出すようなことはないと思うが、もしここで逃げられでもしたらルナリザは誰かの助けが無ければ帰還することができなくなる。


 続いて用具入れから取りだした球体を、空洞の中央に向かって投げつける。ぼてっ――という音と共にちらちら細かな粒子が舞い散って、空洞の全貌が少しの間明らかになる。この光が竜の眼に捕捉されることはない。――しばらく、時間を置く。

 ……どうやら、内部に野生竜はいないらしい。槍と照明具を手に、緊張して歩を進めると、自分の目線の高さに小さな“穴”を見つけた。


 ――べしんと何かを強く叩く音が聞こえた。背後を振り返る。


 ミレーユが尾を壁に叩きつけて一人遊びをしていた。ルナリザは安堵しつつも、少し苛立つ。


「驚かさないで。静かにそこで待ってなさい。……まあ、言っても無駄なんだろうけど」


 ルナリザの言葉に特に反応するでもなく、ミレーユは許された範囲を気ままに四足で歩き、落ちている野生竜の脱皮殻に顔を近づける。その滑稽な姿に呆れながらもルナリザは前進する。

 目の前の小さな“穴”まで、あと少しだ。雌の野生竜は、産卵期に入ると硬化させた尾を勃起させて壁に穴を掘り、排尿口、生殖口を兼ねた総排出胱から卵を産み落とす。

 空の覇者である竜だが、彼らが産む卵に関しては天敵が存在する。竜は一度眠りに落ちると簡単には目覚めないため、知能の高い怪鳥などに卵を狙われることがあるのだ。竜の卵は大型の鳥類にとって絶好の餌である。


 養成学校で学んだことを思い返しつつ、穴に照明具を向ける。白く反射する滑らかな曲線が奥のほうに見えた。窮屈な穴の中で膝まで身体をねじ込んで、指先を限界まで伸ばす。

 周囲にはご丁寧に竜の糞がたっぷりと塗りたくられていた。息を止めているのに、全身の穴から強烈な異臭がルナリザを襲う。人生最悪な気分になりつつも小手の先が何かに触れたことを確認し、それを両手でしっかり挟んでから胸に抱き込んで穴から抜ける。

 身体中に付着した汚れを払っている最中で突然胃の中が逆流し、ルナリザは地面に嘔吐する。


「……最悪」


 口元を拭ってため息をつく。しかし、竜騎士である以上避けられない。竜の巣から竜の卵を略奪することは、竜騎士の使命であるからだ。

 地面に置いたままの槍と照明具を一瞥し、卵の安全を優先する。落とさないよう慎重に抱えてミレーユの元に戻る。何故か誇らしげな表情で地面を引っ掻いていた。


「……まったく賢そうには見えないけどね」


 ミレーユのホルスターに卵をがっちりと固定し終わったとき、ミレーユがグルルと低く唸った。その先を追ってみると――暗闇の中で“何かの先端”がちらついた。

 呼吸を止め、生唾を飲む。――槍を置いてきてしまった。

 虚空を見つめたままルナリザは身動き一つ取れなかった。目先の存在を意識したせいか、肌にびりびりと生き物の気配を実感する。耳障りな心臓の音が、鼓膜まで響く。


 つま先を向けて音を立てないように横歩きし、槍へ向かって手を伸ばす。

 照明具の光に近付くたびにルナリザの影が大きくなる。暗がりに目が慣れてきたころ、またもや不穏なものが視界に一瞬映った。


 槍と照明具を手にして、道を戻りながらバイザーゴーグルを上げたとき、目前に段差があることに気付く。覗き込むように見下ろしてみると、大きな窪みがあった。

 そこに収まるように、とぐろを巻いて寝息を立てる竜の姿。


 ――どうしてさっき確認出来なかったの。なんで……!


 自らの雑な仕事に後悔した。本来であれば、段差や影が出来る部分は着実に目視確認を実施すべきだ。それなのに、極度の緊張と焦る気持ちが慎重さを欠く結果となってしまった。

 ミレーユのセンサーが野生竜を検知できなかったのは、巣の内部が比較的温かいからだ。低温に晒される高度二〇〇〇の中を高速移動する生物でないと、竜のセンサーは意味を成さない。ミレーユが唸ったのは生物の勘だろう。


 ルナリザは気を落ち着けて目下の竜をもう一度確認する。

 緋色の鱗で、『飛竜』より躰が大柄だ。ミレーユと同じ『火竜』に違いない。確認されている野生竜の中で最も危険な個体だ。

 だが――、今なら……殺せるかもしれない。

 直感的にルナリザの思考を埋め尽くすのは、竜をいとも容易く殺すイメージだった。この高低差を利用して、脳天から逆鱗まで槍を突き刺せば一瞬でその命を奪える。

 刺々しい鱗がゆっくりと上下する。ルナリザは、握った槍の矛先を野生竜へ向ける。


 ――これが、あたしの復讐劇の第一歩なんだ……!

 覚悟を決める。崖にかけたブーツがじりりと土を零したとき、竜の咆哮が空洞内を支配する。

 肌に突き刺さる衝撃に、一瞬心臓が止まる。生きた心地がしないまま、音の方向を振り向く。ミレーユの鳴き声だった。空洞入り口方向に向けて威嚇行動を取っている。

 すぐに視線を戻すと、暗闇で金色に光る悪魔の眼が見開いていた。そして、ミレーユに続くように火竜は咆哮を上げる。


 ルナリザは耳を塞ぎ後退を始める。人間としての潜在的な恐怖が彼女の行動を制限する。手足は震え、感覚がなくなりつつあった。

 何度も転びそうになりながら、焦る思いでミレーユの元へなんとか駆けよる。ミレーユの動きを封じているワイヤーを震える槍で切り離し、鞍に飛び乗る。


「早くッ! 早く行ってよ!」


 白い鱗を踵で蹴って出発を促す。ミレーユが鳴き声と共に飛び立ち、外への道を戻っていく。しかし――、行く先の宙で別の野生竜が現れる。ミレーユの威嚇した理由だった。

 冷静さを欠いたルナリザはがむしゃらにミレーユの手綱を引っ張り、速度を上げるよう促す。

 ふと、カームの言葉を思い出す。


「なんで、こんなときにッ……!」


 脳裏で反響するカームの声に力が抜けたとき、背後から“熱”が迫ってくる。

 サーカスで目にしてきた観客を沸かせるためのものじゃない。大きく膨らんだ腹のガス袋から、無限に生み出される獲物を焼き殺すための“攻撃”だ。

 小さな太陽のように燃えさかる灼熱が、着実にルナリザとミレーユの背後に迫る。

 あまりにも情けない結末に、血反吐を吐くくらい悔しかった。敵を取ろうとしていたのに、返り討ちに合うだなんて笑えない。

 ――自分の弱さが、許せない。情けない。悔しい。くそ。くそくそくそくそッ……!

 どうしようもない現実にルナリザが硬く瞼を閉じたとき――、


「ルナリザッ!」


 叫び声が響いた直後、ミレーユが軌道を瞬時に変える。そのお陰で火球はルナリザたちのすぐ横を通過し、行く手を阻んでいた野生竜に直撃。焼け焦げた匂いが空洞内を一瞬で支配する。

 深手を負った飛竜が啼きながら火竜といがみ合う。そんな二匹を飛び越えて救助にやってきた竜騎士が、バイザーゴーグルを上げる。カームだった。


「すぐに体勢立て直してッ! ミレーユに手綱預けて!」

「わ、わかってるわよ!」

「安心して、大丈夫。ミレーユは絶対に俺とファムに付いてくる!」


 唇を噛みしめてカームの言葉を信じ、ルナリザはミレーユに命を預けることを選ぶ。

 暗闇の中で前を飛んでくれる人が居ることに安心感を覚えつつ、竜の巣を脱出する。

 やがて――、眩しい日差しがルナリザの網膜を突き刺し、綺麗な青が広がる大空へと舞い戻る。付近にほっとした表情のカームが待っていた。

 ルナリザは慌てたようにミレーユのホルスターを一瞥する。卵は無事だった。


「卵を巨竜に預けないと」


 約一キロメートル先の空に体長五〇メートルを超える大型の竜、『巨竜』が浮遊していた。空戦を繰り広げる竜騎士たちの停留所のような用途があり、殺した竜の遺体や入手した卵を持ち込んだり、負傷した者、装備の変更を求めたりする者たちも集まっている。回収班である八班が、巨竜と母竜の間を忙しなく移動している様子がわかる。緊急時の砲撃や大碇(アンカー)が使われている様子が無いことから、母竜への被害は出ていないようだ。


 巨竜を目指す飛行の最中、ルナリザはふと背後を振り返る。

 先ほど自分たちが脱出した大穴から、一匹の竜が飛び出した。

 緋色の鱗。さきほど振り切った野生の火竜だった。

 太陽に照らされた奴の全身が――、鮮明にルナリザの瞳に入り込んでくる。

 火竜の躰には、首筋から胸部にかけて乱雑に乱れた“傷”が刻まれていた。

 それを見た瞬間、ルナリザの身体中の血液が沸騰したように熱くなる。


「うわああああああああああああああああああああッ!!」


 ルナリザが――激高した。


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