08 竜の巣


 母竜正面、水平距離およそ五キロ先のところに全長三〇〇メートル程度の塊が浮遊していた。母竜機構が『竜の巣』と呼称している、竜の住処である。

 カームの瞳には見慣れた物だったが、母竜機構にとってはそうではないらしい。

 現在の生物学者たちの研究では、竜の巣は繭や糞で作り上げられたものと言われている。産卵期に入った数匹の竜が体内で軽く頑丈な繊維を作り出し、それが体内に特殊なガス袋を持つ火竜の糞と混じり合うことで、人知を越えた浮遊を実現しているのだと。大変面白い考察だと思う。しかし、そんなことより優先すべきことが、人と竜の間にはいくつもある。


 乱入する予定の空域内で、黒光りする個体が縦横無尽に駆け巡っていた。

 ――前方一キロメートル、高度差百以内の空域に野生竜が五匹。竜騎士が十三騎。

 前方の空域を正確に把握する。規格外の視力を持つカームならば、戦闘空域に入る前から一目で戦況を把握することなど容易だった。だからこそファムの超高速に身を任せ、鷹の目の如く目標まで急接近できる。

 連携を取る二騎以上の竜騎士に一匹の野生竜が翻弄されていた。個体ごとの繋がりが希薄な野生竜は、ただ闇雲に竜騎士たちを威嚇して空を逃げ回るしかない。圧倒的な劣勢。


 野生竜の躰は、飼育竜のそれよりいくらか大きく、全身を覆う刺々しい鱗もより鋭利だ。頭部の角も不格好にねじ曲がっていたり、折れている。

 視力の低い野生竜が低温の空中でも確実に獲物を補足することができるのは、頭部の角に特殊なセンサー機能を有しているからに他ならない。ここを負傷してしまうと、竜は空での探知能力の殆どを失ってしまう。


 一人の竜騎士が低姿勢のまま槍を抱え、旋回しながら野生竜に急接近。その矛先を――野生竜の頭部へ。やせ細った枝木を切り落とすように、角を空の彼方へ吹き飛ばす。

 痛々しい野生竜の悲鳴が空に響き渡る。攻撃に成功した竜騎士は満足そうに声を上げて、もう一人の竜騎士と一芸を披露するようにスピンしてハイタッチを交わす。


「そんな! 本当にッ……!」


 カームの全身に嫌悪感が走った。つい現実から目を背けてしまう。

 食用のために野生竜を狩猟する文化がある大陸の存在をカームは知っているが、そこでは奪う者としての誇り高い意識と、相応する慈愛の心を狩人たちは持っていた。

 ファムという親友を持つカームが竜の肉を食べることはないが、牛や豚の肉ならば喜んで口にする。自分を含め、人間が身勝手な生き物である現実をカームは十分に理解していた。それが自然の摂理で、生物の頂点に立つ人間が太古の時代から繰り返してきた結果であり、この世界での在り方だ。見ないふりをすることはできない。

 だから竜が食用にされている現実をカームは否定しない。でも、そこにはいくらかの慈しみや優しさがあって欲しいと願っている。偽善だと笑う人もいるだろう。だが、生物の命を奪う過程を見世物のエンターテインメントにすることに一体なんの意味があるのか。


 母竜に乗船している連中は、この残虐な光景を本当に楽しんでいるのだろうか。

 探知能力を失った一匹の野生竜の元に血に飢えた竜騎士たちが群がる。飛び散る片鱗。切り裂かれる翼。吹き飛ぶ腕。無くなる足。地獄のようなその光景に、カームの瞳が揺れる。

 やがて肉団子のような姿になった竜は空を飛ぶこともままならず、そのまま空の底を墜ちていく。カームは竜兜の横に付いているダイヤルを『七』へ合わせる。


『――第七班、班長のカームだよ。皆、今すぐ攻撃をやめるんだ!』

『――はは、班長さん、そりゃないぜ。まだ夢の中か? 本当に笑えるな、アンタ』


 最初に応答したのはカームを嘲笑った竜騎士のうちの一人だった。


『班長命令だよ。言うことが聞けないの?』

『じゃあ何か? 野生竜どもに母竜が襲われるのを黙って見てろってのか。一五〇〇人の命より、世界の厄災が大事だってのかよ。流石に頭イカレてるだろ』


 歯噛みするカーム。考えるほど、人間として何が正しい行為なのかわからなくなっていく。


『世界中の大半は、人間に危害を加える可能性がある竜の滅亡を心から望んでる。害虫と一緒だ。それをついでに殺戮ショーにしたところで何か問題あるか? 刺激的な映画を楽しむのとなんら変わりねえ。害虫は駆除するだろ、普通。――おっと、新しい獲物だ』


 次の玩具を発見した子供のような声が聞こえてから、無線が切れる。

 次の瞬間――鋭く、甲高い音が空に響いた。

 戦闘中の竜騎士が振るった長刀を、カームは槍の柄で受け止めていた。


「お前、なんのつもりだ!」相手の竜騎士が苛立って叫ぶ。


「……わからない。でも、今の俺にはこうすることしかできないんだ!」


 カームは相手の武器を空の彼方へ吹き飛ばして、一方でこちらへ襲いかかろうとしてくる野生竜を槍とファムの軌道で威嚇し、後方へ引かせる。


「君も、遠くの空へ逃げて!」


 野生竜が怯み、戦闘態勢を崩す。その隙にカームは先ほどの竜騎士に矢継ぎ早に伝える。


「武器を飛ばしたことは謝る! 君はすぐに飛行場へ帰還してッ!」

「たった一つの武器で出撃するわけねえだろッ!」


 激高した竜騎士が騎乗する竜の帯に差していた剣を抜き取り、カームを飛び越えて野生竜に斬りかかる。しかし、剣は竜の首元を薄く切ったくらいで大したダメージに至っていない。


 次の瞬間――ドゴンと重たい直撃。野生竜の獰猛な爪が反撃の如く竜騎士を切り裂いた。


「――クソッ……!」


 ばらりと竜鎧の肩当て部分が砕け散り、剥き出た肌から鮮血が飛び散る。

 深手を負った竜騎士は戦闘空域を退散する。野生竜の次の獲物はカームだ。殺伐とした極限状態の続く空に、動悸が激しくなるカーム。野生竜の行動を視認しても頭が働かない。


 野生竜が大口を開ける。二重、三重、と不揃いに並んだ鋭利な牙がカームを狙う。

 瞬間――空が震える。ファムが強烈な咆哮を放ったのだ。

 突然の出来事に驚いた野生竜はすぐに身を引き旋回。カームとファムの元を離れる。


「ごめんファム、ありがとう。しっかり……しなくちゃ」


 竜兜のバイザーゴーグルを上げて、カームは次の空戦が行われている現場を探す。

 彼の瞳には、遠くの空を黙々と飛行している白い火竜が映った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る