05 生き物に優しくできる人間と、できない人間


「『棘竜(きょくりゅう)』って本当に尖った鱗をしてるんだね」


 薄汚れた頑強な作業着と分厚い手袋を身に付けたカームが対面するのは、鱗の一つひとつが鋭く剃り上がっている竜だった。鱗は薄紫色に透けていて、まるでガラスのよう。


「カームの故郷には居なかったのか?」隣の小屋で作業をしている調教士が声をかけてくる。

「地元の空には『飛竜』と『火竜』それと『巨竜(きょりゅう)』しかいなかったよ」

「地元に普通に竜が居るってのも凄い話だが……なら珍しいだろうな。『棘竜』の鱗はな、武器なんかの素材に使われることが多いんだ。だから綺麗に磨いとかねえと装備開発の野郎共がうるせえんだ。……それにしても、珍しいヤツだよな。竜の世話を手伝いたいだなんて」


 夜のサーカス以降呼び出しもなく暇を持て余していたカームは、竜の調教士としての仕事を手伝わせてもらっていた。


「基本体力仕事だし、竜自体デリケートで人間なみに繊細な生き物なんだ。物好きなだけじゃまず続かねえ。手伝ってくれるってんなら誰だろうとありがたい話さ」


 調教士は掻き集めた糞尿の始末をするために立ち上がり、倉庫へと歩いて行く。

 カームは一人で口笛を吹きながら鱗磨きに励んでいると、背後から人の気配を感じた。


「――何してるのよ、こんなところで」

「……ルナリザ? 君こそどうしてここに」


 まさかルナリザから顔を見せにくるとは思っていなかった。空いた口が塞がらない。


「アンタ、一応第七班の班長なのよね。今日の班長会議、七班だけ欠席だったみたいだけど」


 ルナリザが鼻を摘まみ、渋面で訊ねてくる。厩舎は竜の生活スペースだ。当然、途轍もない悪臭がする。慣れていない者には毒だろう。


「あれ、明日じゃないの?」

「寝ぼけてんの? 眠気覚ましに引っぱたいてあげようか。……別にアンタが何をしようとどうだっていいけど、上司として部下に迷惑をかけないで」

「どうしてここがわかったの? 母竜だってなかなか広いのに」

「チャルチルから聞いたのよ。最近はここに通ってるって聞いたから」


 カームとルナリザの周囲には大きな小屋がずらっと並んでおり、それぞれの竜小屋が班ごとに区分けされている。母竜体内の胸部から腹部あたりの位置を占める施設で、母竜機構の所有する竜たちが飼育、管理されているのが厩舎だ。


「人手不足だって聞いたからさ。俺に向いてると思ったし、ハハハ」

「笑ってる場合じゃないのよ。竜騎士は副業が禁止されてるの。出撃日以外の日は飛行訓練や休息、母竜の砲撃台の監視に制御とか、やることはいっぱいあるのよ」

「じゃあこれは俺の休息」


 呑気な声で作業を続けるカームの声に、ルナリザが大きなため息をつく。


「そういうことじゃない。正式な竜飼育訓練課程を修めた調教士でもないアンタが調教した竜が問題を起こしたらどうするつもりなのって言ってるの。竜騎士や整備士に大迷惑がかかるのよ。……そもそも、竜騎士としてだって正式じゃないのに」

「大丈夫だよ。簡単なことしか手伝ってないし」

「あたしの言葉の意味をまったく理解してないってことがわかったわ」


 小屋に入り込んだルナリザが、カームから竜の洗浄用具を取り上げる。


「あ、返してよ! ……ルナリザもそういう子供っぽいことするんだね」

「……黙りなさい。それよりアンタ……昨日の夜、空に出たでしょう」

「あ、バレちゃった?」

「困るのよ、同じ第七班として。出撃禁止にでもなったら一生恨んでやるから」

「ごめんって。次はもっと上手くやるから」

「ねえ、知ってる? 竜騎士が飛行前に踏まなきゃいけない手順や申請があるってこと」

「まあ、そりゃ、知ってはいるけど……だから……今回は内緒で――」

「内緒じゃ済まない。昨日のは完全なる違反行為。アンタ、今すぐ母竜からつまみ出されたってなんの文句も言えないのよ」

「俺は、なんのしがらみもなくファムと空を飛びたいだけなんだけどな……」

「残念なことに、母竜機構に加わった時点でその自由は失われたみたいよ」


 何のけなしにルナリザが持っている竜の洗浄用具を見つめる。泥だらけに汚れていることに気付いたらしく、小さな悲鳴を上げながら投げ捨てた。


「ハハハ、可愛い悲鳴だね」


 カームが洗浄用具を拾い上げ、作業の続きを始める。すると棘竜はその掃除を邪魔しようと、長い首をカームに擦りつけるようとする。


「……ふふ、アンタに触れられるのが嫌なんじゃないの?」

「そんな! 違うよ、くすぐったいんだよ、きっと……っていうか――」


 棘竜にじゃれつかれたカームは、ルナリザをじっと見つめる。


「ルナリザ、今笑わなかった?」

「笑ってない」

「え、嘘。ふふって」

「笑ってないから」

「わかったよ。俺だけの心にしまっとくね。誰にも言わないでおいてあげる」


 カームがにやにやして言うと、ルナリザの表情がしかめっ面になっていく。


「……何? あたしは笑っちゃいけないわけ?」

「ごめんってば、怒らないでよ。……あ、そうだ。七班のスペースあっちなんだ。おいでよ」

「ちょっと、あたしはそんなものを見にここへ来たわけじゃ……」

「いいからいいから!」


 カームが強引にルナリザの手を掴んで走り出す。いくつもの小屋を通り過ぎ、カームの足が一つの竜小屋の前で止まる。


「“ミレーユ”はここだよ。ちょっと前に食事が終わったところなんだ」

「ミレーユ? なんなのそれ」

「え? 君の相棒の名前じゃないか」


 驚愕した表情でカームがルナリザに近寄る。異臭を纏ったカームに、ルナリザは顔を顰める。

 二人はミレーユの小屋に入り、とぐろを巻いている白い火竜の前に足つ。


「……名前なんて、あったのね」

「当たり前じゃないか! 今までなんて呼んでたわけ?」

「『竜』って」

「……それね、ルナリザが『人間』って言われてるのと変わらないから! ほらここ、見て」


 カームがミレーユの首に巻かれている鋼鉄の首飾りを指差す。そこには竜と人が手を取り合う母竜機構のシンボルと、名前が刻まれていた。


「お腹いっぱいになった? ミレーユ」


 カームが和やかな表情で頭部に触れようとすると、ミレーユは唸り声を上げて尻尾を跳ねさせた。その際、尾の先端がカームの厚手の作業着を激しく擦った。


「うぉ……! なかなか心を許してくれないなあ。今のは自分に触るな、放っておけって威嚇だよ。敵意はそれほどないけどね、ワザと当てないように加減してるから」

「竜にそんなことができるの?」

「できるさ。賢いんだから」

「……ふうん。ていうか、全然好かれてないじゃない、アンタ」

「なっ……全然じゃないから! 俺は竜から好かれてるほうだよ! 今朝だって、一匹の竜の世話をしてたら他の竜からやきもち焼かれたりしたんだ! 本当だよ! しかも複数!」

「ふうん……そうは見えないわね」ルナリザが勝ち誇ったような表情で唇を曲げる。

「あ、あのね! ……竜と人間が関係を育んでいくのは凄く大変なことなんだよ、そう簡単にはいかないの。だから……、ルナリザもミレーユと仲良くなれるように頑張ってね」

「別に……あたしは竜と馴れ合おうだなんて、思ってないわ」

「またそういうことを……もう一度振り落とされたって知らないよ」

「…………次それを言ったら、酷い目に遭わせるから」

「え、何それどんな目!? 凄く怖いんだけど」

「教えるわけないじゃない。その日が来るまで、恐れ続けるが良いわ……」

「なんでやられる前提なんだ!」


 カームが叫んだ瞬間、ミレーユが不機嫌そうな鳴き声で小さく唸った。


「あれ、どうしたのミレーユ。もうお腹が空いたの?」


 様子を窺おうと近づくと、またもや尾の先を跳ねさせるミレーユ。


「うーん……何かに不満があって、俺たちに解決させたいけど近寄っては欲しくないって感じ……かな。ええと、それとも……」


 ミレーユの様子を真剣に観察するカームの横で、ルナリザが自分の腕を抱いた。


「……そこ、汚れてるわ」ルナリザがミレーユの尾の先端付近を指しながら言う。「さっきアンタに触れた部分が汚くて嫌なんじゃない?」

「何それ、失礼な。で、汚れはどこなの?」


 洗浄用具を構えたカームが頬を膨らます。


「だから、そこよ」

「え? どこ?」カームが見当違いな部分に手を伸ばす。

「もう、じれったい……貸しなさいよ!」


 カームから汚れた洗浄用具を奪いとり、ルナリザは強引にミレーユの尾をひっ捕まえると、ゴシゴシと擦り磨きを始める。ミレーユも初めは嫌がっていたが、だんだん気持ちよくなってきたのか、瞼を閉じて尾をぺたりと地面に付けた。ルナリザのほうもやり始めると熱が入るタイプらしく、やれ文句を言いつつも尻尾以外の汚れの隅々まで掃除を始めてしまう。


「全然磨けてないじゃない! まったく、調教士は何してるのよ。この程度じゃ失格ね」


 額に汗を浮かべ、ふふんと満足そうにするルナリザ。


「あ、ありがとうルナリザ。…………でもさ、ちゃんと作業着着ないと汚れちゃうよ」

「え」


 ルナリザがはっと自分の身体を見下ろすと、木綿のシャツが真っ黒になっていた。


「何よこれ、汚れてるわ! 最悪! もう、そういうことは早く言いなさいよ!」

「いや、だって急に奪いとるんだもん。ルナリザも案外ドジなんだね」


 へらへらした笑みでカームが告げると、ルナリザは顔を真っ赤にする。


「アンタにだけは絶対に言われたくない!」


 全身泥だらけでむくれ顔のルナリザと、ぴかぴかになって満足そうに眠るミレーユを交互に見渡して、カームは直感的に思った。


 ――もしかしたら、ルナリザは竜を好きになってくれるかもしれない。


“生き物に優しくできる人間”と、“できない人間”――大雑把に区分したその二つの中なら、ルナリザはきっと優しくできる人間だ。たとえ竜を嫌っているのだとしても、無自覚な優しさがある。そんな彼女が、殺したいと断言するほどの屈辱を竜から与えられた……それは、一体どれほどのものなのだろう。

 彼女の抱える復讐心の底がカームには見えない。わからない。でも、知りたいと思った。汚れた洗浄具でミレーユを綺麗にしてくれた優しい復讐者の気持ちを、もっと。


「ハハハ、ルナリザは良いね。うん……なんか、良いよ。俺、好き」


 これは自分のエゴになってしまうのかもしれないが、カームは尚のこと思った。

 ルナリザがミレーユと一緒に自らの意志で、自由に空を飛べる日がくれば良いな、と。

 溢れ出る幸せが抑えきれずにやついていると、「気持ち悪い」というルナリザの冷ややかな視線を浴びた。


「……って、こんなことをしている場合じゃなかったわ。班長会議の内容を別の班から聞いたの。次のサーカスの公演時期が決まったそうよ」


 新たな空のステージを思うと、カームの胸がドクンと大きく高鳴った。


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