04 夜のダンス
暗闇の空の中で色とりどりの光が飛び交う。その輝きは小さな宝石のようで、ルビーやエメラルド、トパーズと空に様々な彩りを与えていた。夜間飛行のために竜の両翼に取り付けられた翼灯(よくとう)を宿した数匹の竜たちが、大きな輪を口に咥えて水平に滞空する。
そこへ上方から現れた火竜が轟音とともに火の玉を放出する。それは、昼間とは比較できないほど派手で美しかった。
火球が竜たちの咥える輪を通り過ぎると、引火性の油が塗られた輪に火が移る。一定のバランスを維持しながら竜が次々と輪から離れて向かう先は、燃え上がる火の輪の中。やがて輪を持つ竜は一匹も居なくなり、火の輪自体が空を墜ちていく。しかし一匹の竜がすかさずそれをキャッチ。観客を大いに沸かせる。
その熱を逃がさないように、母竜に備わっている砲撃から放出された砲丸が破裂し、ドカンと大きな花火が空に咲く。暗闇で演者の姿が見にくい分大変な危険も伴うが、光の演出を最大限に引き出せる夜のサーカスならではの醍醐味だ。
煌びやかなな背景を背に、カームは活き活きと演目を続けていた。支給された騎乗装備に身を包み、このサーカスの中で皆と一つになれていることが嬉しかった。練習などまったくしていなかったが、天性の飛行技術を有するカームは周囲に溶け込むことができていた。
「ファム、俺たち本当にサーカスしてるんだ……楽しいな」
相棒に笑いかけるカーム。ファムも上機嫌で、すこぶる調子の良い一人と一匹は、演目を行う竜騎士たちの中でも際立っていた。それは彼らが心の底からサーカスを楽しんでいたからに他ならない。それだけにカームは気付いていた。皆が皆、自分のような気持ちではないことに。今夜のサーカスにヒンメルが参加していないことが、尚のことその事実を浮き彫りにしている。
サーカスが大嫌いだとぼやいたルナリザのことを思い出す。彼女の“復讐”という強い言葉に、どうしても思考が引っ張られてしまう。カーム自身に一切無い感情だったからだ。
夜目の利くカームの視界で、一組のペアが不穏な軌道を描く。
竜兜(ドラゴン・ヘルム)に取りつけられているダイヤルを回すと、ファムの臀部に搭載された無線装置が起動する。無線の周波数を同班へと合わせる。
『……ええと、班長のカームだけど、ルナリザ平気?』
返答は返ってこない。昼間のことを引きずっているのかもしれない。注意をはらいつつ演目を続けていると、目下のVIP観客席会場の壇上に金髪で小太りの男性が現れる。母竜機構の最高司令官、ジラーニ総統だった。
「VIPの皆様、母竜機構の出発記念ナイトサーカス、お楽しみ頂けているでしょうか。我々母竜機構がこうして旅立てたのも、皆様のご協力があってのものです」
上品な拍手が会場に広がる。ここに集まるのは母竜機構のスポンサーである『F10』の偉人たちであり、皆ジラーニと個人的な繋がりを持っているとまで言われている。
「今後も皆様に楽しんでいただけるサーカスを我々はご用意しています。尚、本サーカス終了後は竜騎士たちとの晩餐会も予定しておりますので、そちらもお楽しみ頂ければと――」
カームは演目中でありながら一時離脱し、ルナリザの付近まで滑らかに移動する。
「ルナリザ、具合が悪いなら無理しないで休もう」
「……あたしは平気よ。アンタこそ、演目中に勝手なことをするのは――」
ルナリザの視線が、チラリと下方の暗黒色に染まった雲へと注がれる。
「空が、怖いの……?」
カームの瞳には、彼女が今にも墜ちてしまいそうなくらい弱々しく見えた。
「うんざり……してるだけよ。この馬鹿みたいなサーカスにね」
* * *
ナイトサーカスの終了後、竜から降りたルナリザはドレスに着替えることもなく油臭い騎乗装備のまま晩餐会に参加した。一目で竜騎士とわかったほうが良いとの上層部の判断である。男性竜騎士ならばその姿も絵になるが、女性竜騎士の場合は微妙なところだ。煌びやかなパーティーの中で随分と浮いて見えるし、実際お偉い方々から怪訝な顔をされることもあった。たとえ失笑されようと、ルナリザは精一杯気にしないふりをした。
一度だけ口をつけたワインを片手に隅で立ち尽くしたまま、ルナリザはため息をつく。
半年に一度補給を行うことが決まっているとはいえ、母竜内での暮らしは火竜による火力発電が主で自給自足だ。つまり、この夜会は大切なエネルギーを浪費しているだけに似すぎない。
お国事情の面倒さ加減に呆れていると、ルナリザの元にヒールの音が近づいた。
「久しぶりね、ルナリザ。凄く綺麗だったわ。夜のサーカス」
「……お久しぶりです」
リィネの村を出てから養成学校へ入学するまでの間、ウィンガリウムで世話をしてもらった女性だった。着飾った黄色のドレスからは女性らしいか細いラインが浮き彫りになっているが、腹部だけが大きく膨らんでいた。女性が微笑んで、お腹に手を当てる。
「もう少しなの。そしたら、この子は世界で初めて空で産まれた人間になるわ」
竜騎士候補生になったとき、手紙のやりとりで彼女が母竜への乗船券を手に入れた話は聞いていた。ルナリザは何度も反対した。空での生活で胎児に悪い影響が出るかもしれないと。乗船者の抽選を行っていた運営にも訴えたが、空で子が産まれれば、それは世界的な快挙であると、上機嫌になる有様だった。そのときルナリザは思った。自分を含め、母竜への乗船を覚悟した者たちは皆どこかが狂っている。帰還できる保証もなく、目指すべき場所もあやふやな、当ての無い空の旅に命を捧げる者たちがまともなわけがないのだ。
「……触っても、いいですか」
ずっと気張りっぱなしだった表情を緩め、ルナリザは女性の腹部に手を乗せる。
温かい膨らみの奥に新たな生命がいるのだとわかると、不思議と使命感に駆られる。
――自分のような、悲しい想いをする人を二度と生まないために……あたしは竜を殺す。
目標はもう目の前だ。なのに、何故自分はサーカスなんて見世物をやらされているのだろう。
ほろりと温かい涙が頬を伝う。
「……大丈夫。目にゴミが入っただけです」
精一杯のごまかしを見せながら、ルナリザは少しだけ笑って見せた。
* * *
「母竜の進行は順調なのか? 竜騎士長」
最高司令官のジラーニ総統が、黒い空を見上げて金色の髭を揺らす。
「ええ。あと二、三日で第一陣といったところでしょう」
声をかけられた大柄の男――竜騎士長ヒンメルが答える。
「…………居ると、思うかね」
「ええ。何故なら、俺はこの手で“ヤツ”を殺したのですから。生物学者たちの研究も日々進んでいます。広大な空を巡っていれば、必ずや邂逅することでしょう」
「ならば良い……ところで、どうだね。あのカームとかいう男は」
「『羅針球』を持たずして未開の地より偶然ウィンガリウムまでやってきたという話は到底信じられませんがね。ただ、並外れた天測能力を持っているのは間違いない。今からウィンガリウムに帰還せよと命を出しても彼ならば到着することが容易でしょう。飛行技術に関しても、俺以上の才能を持っている」
「ハッハッハ、どうやら儂のアンテナもまだまだ現役のようだ」
葉巻を吹かしながら、ジラーニは近場を歩いていた美女の尻に手を這わせる。
「にしても、竜による空のサーカスがこうも人々に受け入れられるとはな。近い将来ウィンガリウムの国技になることは間違いあるまい。VIP連中も“次のを”と楽しみにしてる。よろしく頼むぞ」
群がってきた美女をはべらせて、ジラーニは満足そうに会場から去って行く。
「あれが豚に真珠か」
ヒンメルはニヒルな笑みを浮かべ、肥えた背中を横目に言った。
自分も退散しようとグラスをテーブルに置いたとき、ヒンメルは会場の隅で夜空を見上げる赤髪の竜騎士を見つけた。
* * *
遠くの空で、何かが月明かりを反射する。
「まさか……」
ルナリザは目を細める。独特の反射の仕方から、竜の鱗だとわかる。母竜機構以外に竜に跨がる術を持つ人間など居ない。となると、規則を破り飛行場から勝手に空へ向かった馬鹿が内部に居るということだ。ルナリザにはその心当たりがあった。
この暗さで母竜からあんなに離れて飛行を続けたら、雲に飲まれて自分の位置を見失い、最悪帰還できなくなる可能性だってある。だがカームからそんな不安は一切感じられなかった。のびのびと楽しそうに、星々と雲を背景に夜のダンスを踊っている。
「…………馬鹿は、怖くないのかな」
呆れることも忘れ、安全柵に頬杖を付いて夜空のカームを目で追う。ループを描きながら急加速し、失速したかと思えば流れに身を任せた華麗なターン。どうしたらそんな軌道が取れるのか――いや取ろうと思うのか、ルナリザには理解できない。
水を得た魚のように、カームは縦横無尽に夜空を飛びまくる。青白い幻想的な月明かりが彼らを照らし、それはより美しく尊いモノに見えた。
夜空に手を翳して、飛び回るカームを捕まえてみる。
でも彼らはルナリザの手から離れ、月光で透けた雲の中へ逃げてしまった。先ほどまで色々な鬱憤があったはずなのに、不思議と今はすっきりした気持ちだった。
「――規則を守らないヤツは嫌いか?」
近付いてくる足音の正体がわかり、ルナリザは焦った様子でびしりと背筋を正す。
「……ヒンメル竜騎士長、お疲れ様です」
「崩せ。堅苦しいのは好きじゃない」
ヒンメルはルナリザの隣までやって来て、安全柵に肘を置くと空を見上げる。丁度雲から飛び出したカームが無造作に飛び回っているところだった。
「楽しそうだな」
「……はい」
「きっと、空を飛ぶことが好きなんだろう」
「竜のことも、好きなようです」
「……そうか。珍しいヤツだな。……君は、どうだ」
「あたしは……竜を殺すために竜騎士になりました」
「そうか、それもまた立派な目的だな」
それ以降しばらくヒンメルは口を開かなかった。無表情でただじっとカームを追いかけている。彼とこうして言葉を交わすのは初めてだった。何を話すべきか悩んでいると――、
「空には、国境も無ければ所有者も居ない。縛るものは何も無く、すべてが自由だ」
ヒンメルのいつになくぼんやりした横顔が、ルナリザの瞳には印象深く映った。
「それが心地良いという者は多いだろう。だが……ふと気が付くんだ。それが眩しすぎることに。そうなると、もう元には戻れない。純真な子供では居られない。後は濁り具合を調節することくらいしか、できなくなってしまうんだ……アイツはどうだろうな」
ルナリザは、かつて自分が空や竜のサーカスに憧れていたことを思い出した。
今では――、考えられないことだが。
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