02 母竜


 母竜機構が企画したサプライズ・サーカスは大成功を収め、出発セレモニーは世界中を騒がせることになった。話題の中心はカームだ。最高責任者のジラーニが、本人の意思を確認するより先に母竜機構の一員であることを宣言したのはこのためだ。


「いつの世も、チャンスは偶然に、突然に舞い落ちてくる。それをいかにして手に入れ、上手く活用するか。成功とは、たったそれだけで構成されている」――とは、彼の著書に書かれた格言である。


 そして驚くべきことに、母竜機構は早くもこの旅の第一目的である、“世界地図に記載の無い人類未踏の大陸の発見”に急遽近づくことになった。それもそのはず、なんとカーム当人が世界地図の外側からウィンガリウムまで竜に乗って来たと言うのだ。真偽はともかくとして、ジラーニはこの機会を逃がすような男ではない。彼の企みによって、ありもしないカームの職歴はさながら一冊の冒険小説になっていく。


 とある極秘任務に基づき先行させていた旅の成果によって、カームが未踏の地を踏むことに成功したこと。道中でめぐり逢った新種の生物と邂逅し手記を紛失してしまったこと。今日をもって五体満足で母竜機構に帰還したこと。これらのデタラメな出来事を実際にあった事実とし、ジラーニはウィンガリウム共和国公式文書として世間に公表した。その効果は絶大で、もはや世界は母竜機構の旅路に釘付けになる他無かった。


 つまり、ジラーニは想い描く以上に最先の良いスタートを切ることになったのであった。



 * * *



 見渡す限りにちぎれ雲が浮かぶ綺麗な青空。その高度二〇〇〇付近を緩やかに飛行する母竜の背中を、カームは踏んでいた。


「ここが……母竜かぁ」


 ウィンガリウム共和国の資産『超大型巨竜飛行船・一号』。登録上は生命体ではなく、あくまで人類初の大型飛行船となっているらしい。

 石畳が敷き詰められた足場は人間が歩きやすいように工夫されており、人工の観葉植物や樹木などの緑が適度に植えられている。時々、波のような独特の浮遊感がやってくるため酔いが回る人も多いと聞く。


「ホントにこの竜に千五百人以上も乗ってるのか……ちょっと信じられないよなぁ」


 視界に映る人々はまばらだった。カームが母竜の街並みを眺めながら舗装された道を歩いていると、具合の悪そうな男性を介抱している女性が視界に映った。彼らは石畳の外れにぽっかりと空いた巨大な穴に入っていく。

 カームも釣られるように穴の中を覗き込む。内部には梯子がかけられていて、下へと降りて行けた。潜るにつれ、じめりとした空気と一緒に生臭さが漂ってくる。

 辿り着いた広間には、カウンターやテーブル、ソファが用意されていて、数十人が酒やカードゲームをしながら談笑していた。

 ここは、この空の旅で人間たちの生活スペースである地下――もとい母竜の体内であった。


「……凄い、本当に母竜の躰の中で暮らしてる」


 どくん、どくんと波打つ筋肉の壁に触れてみると、粘液が指に付着した。

 粘ついた汁を舌先で舐めてみる。微かな甘みが鼻腔とカームの好奇心を同時に刺激する。

 続いて、簡略化された母竜の断面図を見つけた。母竜の臓器を避けて、躰中に蟻の巣のような小道が走っている。どうやらここは第十五区域の共同広間らしい。


「本当に、不思議な生き物だなあ……」


 幼い頃から竜と関わってきたカームにとっても、母竜は謎だらけだった。この巨大すぎる躰を維持するために必要なエネルギーを、一体どこでどのように摂取しているのか。

 故郷の竜たちがするように、群れからはぐれた怪鳥や野鳥を大量に丸呑みするものと思っていたが、母竜は食事どころかカームが乗船してから一睡もしていない。

 ロングスリーパーの竜らしからぬ生態だ。他にもこのサイズの生物における生殖行動や、同種の雄の存在など、考えれば考えるほど謎が深まる。

 竜の生態を専攻する生物学者が同乗しているならば、旅先で何かしらの手がかりが見つかるかもしれない。果てしない空を大勢で旅しながら母竜の謎や未だ見ぬ世界の発見をしつつ、先ほどのような竜のサーカスをやっていけるのだとしたら、それはどんなに楽しいことだろう。


「ハハハ…………くぅ、ワクワクするなぁ!」


 母竜に足を踏み入れたときから、カームの心臓は興奮と期待で落ち着きなく騒いでいた。



 * * *



 出発セレモニー後すぐに契約を交わし、カームは正式に母竜機構の竜騎士となった。

 仕組みも把握できないまま何故だか昇級し、“班長”という肩書きを授けられたが、長の概念が無い故郷の出であるカームは良くわかっていなかった。大勢から祝福されたのでなんだか嬉しくて笑っていたら、一部の人間から睨まれる始末。都会人は恐ろしい。


「……さて、俺は何をすればいいんだろう。ファムとも離されちゃったし」


 案内係に施設の説明を受けたが、ほとんど覚えられずじまいだった。気の向くままに人の流れを追っていると、細長く立ち並ぶ商店群を見つけた。母竜の尾側に近い背中部分に位置するここは母竜唯一の市場だった。母竜で暮らす人々が食材や生活品を求めてやってくるのだろう。

 色とりどりの商店が並ぶ中、良い匂いのする方へカームの足が自然と向かっていく。


「ここは何屋さん?」わくわくしながらカームが出店に首を突っ込む。

「おう、ここじゃ牛肉の串焼きを取り扱ってるよ。空の旅に出ちまえば半年は牛が捕れねえ。牛肉食うなら今のうち……ってアンタ、まさかカームの兄ちゃんじゃねえのか!?」

「え、俺のことを知ってるの?」

「勿論だぜ! 兄ちゃんは今世界中の有名人だよ。にしてもさっきのサーカス、ありゃ凄かった。竜騎士長ヒンメル様と同じくらいによ。……あ、ここにサインもらって良いかい?」


 良くわからないままペンを渡され、カームは出店の柱に故郷の言語で一筆する。そのとき、店主の口から出た名前が頭を過ぎる。


「……そうだ、ヒンメル! あの凄い竜騎士ってヒンメルって言うんだよね」

「ああ……っていうか同じ竜騎士なんだから、俺なんかより兄ちゃんのほうが詳しいだろ」

「あ、そうだった。ハハハ!」


 爪の傷跡が残る目尻を優しく曲げ、カームは声高らかに笑う。


「はは、良い声で笑いやがる。人生楽しいって面だ。ま、でもそれは選ばれた三百人の俺もそうだ。世界初の偉業に参加させてもらってる今、毎日がお祭りみたいなもんだからな」


 カームが辺りを見渡す。昼間っから酒を楽しむ若人や、落下防止の安全柵まで進み、大空へ母国の硬貨を投げ込む者がいた。出発セレモニーの余韻が愉快な雰囲気を残している。


「あいよ兄ちゃん。串焼きだ、持ってきな」

「わあ、どうもありがとう。あ……えっと、これで良いのかな」


 乗船時に渡された“小切手”を切る。故郷では物々交換が主だったため手こずっていると、


「いいよいいよ、取っときなって。あと一応教えとくと、それ金額書かないと意味ないぜ」

「あ、ハハハ、そうなんだ! ごめん、良くわかってなくて!」


 田舎者感丸出しで恥ずかしい思いをしつつも、カームは受け取った串焼きを右手で掴み、左手で包んでから胸の前へ。そのまま瞼を深く閉じて祈る。


「お、なんだいそりゃ」

「故郷のしきたりなんだ。生き物には感謝しないと。じゅるる……じゃあ、いただきます!」


 ごくりと生唾を飲んでから、カームは香ばしい香りのする串焼きを一口かじる。一瞬で肉汁がじゅわりと口内に広がり、熱々の肉を噛み千切るたびに味が深く濃くなっていく。


「あっつ……! けどウマい! これ凄く美味しいよ!」

「良い食いっぷりだなあ、嬉しいよ。飯食うのに生き物に祈るだなんて良くできた兄ちゃんだ。似たようなのがウィンガリウムにもあるが、誰もやりゃしねえ。若い連中は特にな」


 騒ぎ散らしている若者たちに呆れた視線をやった店主が言った。


「兄ちゃんは何処の出身なんだい? このサインも不思議な文字だよな」

「リイフィってところから来たんだ!」

「ん……? それは兄ちゃんが見つけてきた大陸の果てのことだよな?」

「あ! 間違えちゃった! り、リイフィツガルドリアンゴラスから来たんだった。ハハハ」

「聞いたことねえなあ。しっかし呼びにくい名前だなあ……どこ大陸なんだよ」

「え!? あー……な、なんだっけな……えーっと、忘れちゃった! 俺、地形とか疎くて!」

「はあ……? 自分の住んでる大陸だぞ。マジか……兄ちゃん大分変わってんな」

「あ、それより! このへんに食堂ってないかな? 俺、お腹空いちゃって!」

「ああ、それならこの市場を母竜の首側までまっすぐ行くと広場がある。そこに食堂と酒場が集まってるぜ。夜は大分混むけどな」

「教えてくれてありがとう。行ってみるよ」

「ああ。また兄ちゃんのサーカスを見てえもんだな」

「うん! ……おじさん、凄くいい笑顔だ。なんか見てて幸せになる。また、会いに来るよ」


 店主の顔が見えなくなるまで手を振って、カームは広場へと向かう。

 ――故郷について口止めされているの忘れてた。あぶないあぶない。でも店主さん良い人でよかった……よし。気を取り直してヒンメルを探そう!

 伝説の竜騎士と呼ばれる彼のサーカスに対する想いを聞いてみたかった。食事中の竜騎士がいれば、きっと話を聞くこともできるはずだ。

 しかし、テーブルはどこもかしこも埋まっていた。空いている席もあるが、知人同士が談笑している空間に割って入っていくのは流石に気が引ける。


「…………あれ、あの人は」


 唯一の知人を見つけたカームは、にっこりと微笑んで彼女に近付いていく。


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