9. 青年、立ち向かって―― 次へ

10F


落ち着いた心持ちになってやっと最後の階層まで辿り着いた僕の目の前にはアーチ形の天井の下に数少ないけど強烈な原色で出来た造形物で飾られている光景が広がっていた。

しばらくの間その景色を眺めていると、此処に辿るまでへの歓喜や今まで経した事からの様々な気持ちが心に交差していた最中、

「やっと来たか… モルモット。」

シグマが目の前に現れた。

「うっ……!!」

「こいつは驚きだ。いつもそうやって突如現れるのは御趣味だったのか?残念ながら君もまだ大人気がないようだな。」

ソマさんは突然のシグマの登場にも、僕の前に立ち出てのんびり状況を把握していた。

「別に今お前たちと戦うつもりはない。」

「そいつは結構。」

「っ!! ………」

彼の姿を見て、彼の声を聞いた途端、5階層で湧いたあの感情がまた這い上がった。

僕は彼を憎いと思っている。彼が嫌いだ。しかし……

落ち着こう。あの黒いモザイクの人にも言われたのではないか…

今はまだだ。今僕が先ず怒らなければならない対象は彼ではない。

僕があの時嘆いて怒った理由を恥にしたくないから…… 今はただこの気持ちを抑えて、もう少しだけ後にしよう。

僕も… それくらいは出来るようになったはずだから……

「それで?ではどうして俺たちの前に現れたのかな?一応青少年の前だから俺も我慢しているところ、君を蹴飛ばしたい気持ちで一杯なのでね。」

「目的を言え、ということか。お前も言葉をわざと煩わしく言う趣味は相変わらずのようだな。」

それからのしばらく、ここにいる3人の間で妙な緊張感を覆う静寂が漂った。

「はあ… ボクがここに来た訳は他ならないお前たちにあそこの塔まで来いと直々伝えてあげるためだ。他意はない。」

シグマは彼の後ろに小さくて微かにしか見えない塔を適当に指しながら、その時と変わりなく落ち着いた声で口を開けた。

しかし、ソマさんは彼の言葉に一歩も引こうとせず、むしろ状況の主導権を取ろうとした。

「こいつはまた凄い自信だね。俺は今すぐでもお前を殺せるかも知れないけど?」

「ふん、やれもしないことを…… ボクは合理主義者なんだ… そもそも、お前の目的はボクを殺す事。そして、モルモットの目的はあの女を取り戻す事。そうだろう?それではボクたち互いの目的は相互一致ではないかな?」

シグマはため息を吐くと面倒くさいからなのか、それとも疲れているのか、頭を掴み絞めながら再度要件を口にした。

「では、ボクは先に塔で待っていることにしよう。」

その言葉を最後に、初めてここに現れた時と同じく一瞬でシグマは姿を消した。

確か彼は自分の異能力を「空間」と言っていた。だとしたら、おそらく瞬間移動でもやったのだろう。

「なんで! ……どうして黙って見過ごしたのですか?貴方の異能力の「時間」と肉体破壊力さえ用いれば、何だって出来たはずなのに…」

僕はつい大きくなっていた声を静めてソマさんに訳を聞いた。

「青少年、いくら俺でも瞬時に制圧できない相手くらいはいるものだ。何と言っても彼奴は空間を自由自在に操れる異能力を持っている。いくら俺でも一気にけりをつけるのは不可能だ。彼奴は、強い……」

そういえば彼は確か、前に自分の口でシグマに敗北したことがあると言っていた。

「それに、ここで彼奴を仕留められたとしても、どうせ君の目的を果たすためにも彼奴の言っていた通りあの塔まで行くしかない。そこは認めようじゃないか、青少年。」

「そう… そう、でしたね……」

ソマさんの言葉はご尤もの事だった。

シグマの言う通りにすることは心から嫌だったけど、今はそうせざるを得ない状況だった。

「さ、急ごう。」

「はい… 急ぎましょう。」

今行くから… 後もう少し、待っていろ……



それからしばらくの時間が経って、結構な距離を歩いたはずなのにも関わらず、この階層に到着した時見えた強烈な原色で出来た造形物だけが続いていた。もう目が痛くなり始めた頃、ようやくその塔が鮮明に見え始めた。そしてそれと同時に、僕たちがいる丘の端に…

馴染みのある…………

女の子がいた。

防視(ほし)がいた。

この丘の最後端に、たった一本の薄い柱に身を委ねた状態で、彼女がそこにいた。

しかし………

その姿は、いつもの彼女とはあまりにもかけ離れていた。

腕と足は奇怪に折られて後ろの柱に縛られており、サラサラしていた銀髪はバサバサになって所々はナイフで無理矢理切ったように短く乱れていた。幻想的な感じを与えていた半透明の赤い目は、今やどのような光も映さないまま焦点も無く何とか白目の上に載っ掛かっているだけであった。

身に着けていた衣服は糸一本も残されておらず、表れている真っ白な肌には数多くの赤い線と、青と赤色が入り混じった痕が数個も描かれていた。

そして何より……

彼女の両足の間と体のあっちこっちには白くてべとついている謎の液体が流れていて、そこから卵が腐った臭い、もしくは烏賊の生臭い臭いを放っていた。

……………… ……

……「ソマさん、大人も怒りますか?」

「………」

しばらくの沈黙の果てに、ソマさんは僕の問いに答えてくれた。

「ああ。俺たちも怒る。むしろお前のような奴らよりずっと見苦しく怒りを表す… だから、先に行け。」

「………」

「心配するな。この子も俺の異能力を使えば元に戻せる。それに…… 俺も怒ったんだから…」

「……はい。おねがいします…」

僕は今どんな形になっているのかもはや分からなくなった眼でソマさんを見て、身を翻した。

どうせ僕は今すぐにでも走り掛けたい衝動で溢れていた。これ以上余計な話し合いで無駄にする時間がたまらなく勿体なかった。



走った。走った… 走った!周囲の風景が白黒の色合いに変わったのか、それとも僕の眼に見える風景がモノクロになったのかはどうでもよく、単に走り続けた。彼女のその姿を見たとたん…… 脳を構成していた線一本が途切れたように、先から思考能力が真面に機能しなくなってしまった… 新たに感じるこの感情が…… 僕の頭は真っ白にさせながらも足下からは滾るような力を与えてくれている…… そんな不思議な感情のみが湧き出て———————— 青年はひたすら走って走って、走り続けた。すると、青年はいつの間にか塔の前に付いていた。

理屈とか資格とか、復讐なんかは全部さておいて、彼女をあんな酷い目に会わせた事がまず許せなかったのだろう。どうやら今の青年の頭は一発食わせてあげたい気持ちで一杯になっているようだ。しかしそんな青年の前に、彼を立ち塞がるように誰かが姿を現した。

ピンク髪のやさ男——— シグムンドであった。青年の仲間を洗脳して互いを殺し合わせた張本人……… 青年が口にしていた怒りが向かうべき正しい相手。そんな彼がよりにもよって今、青年の眼の前に現れた。

「おお~ やっと来た来た! 旦那が待てって言ったから待ってはやったんだけど… 退屈で死んじゃうところだったよ~?」

そのまま死ねば良かったものを………

青年は心で舌を鳴らした。

シグムンドはオーバーアクションで伸びをしながら話しを続けた。

「ま、でも感謝もちゃんとしてるんだよ~ お前さんが遅く来てくれたおかげで、その分結っ構楽しめたもんだからな!いや~ あの女はなかなか上等品だったよ~ どう出るか気になって洗脳を解いてやったのによ、反応もしない~ うるさく暴れもしない~ そう。そう!まるで死体や人形と遊んでいるような気分だったんでね!そういうのがまた加虐心と征服感だけはすげぇじゃん?!」

「…………て。」

シグムンドの異能力は洗脳。しかし、その異能力を駆使しようとするためには、少なくとも2つの条件を満たさなければならない。まず、洗脳しようとする相手の全身を目撃している事。そして、その相手が自分の言葉に返事をする事。この二つの条件を満たさない限り発動すら出来ない。言わば、かなり受動的な要素が多い異能力なのである。だから自分の異能力の発動条件を満たすためにも、シグムンドは彼を冷やかし続けている訳だが、肝心の青年は、顔を深く下げたまま何かと呟いてはいるものの、返事らしい返事は未だに全くしていなかったのだ。

その故シグムンドは青年をより刺激する事と決心した。

「特にあの女がここに釣られて来てから2週間程度経った頃にはよ~ 結っっ構見物だったな!あの女よ~ どうしても信じて!待っていたようなお前さんが!あん~まりにも来てくれないから、結局目すら虚ろになりやがってよ!あの時、あの目から光が消える一瞬の表情は今もまた堪らねぇんだぞ!!」

シグムンドは自分の冷やしを聞いた青年が怒りに溺れて、うっかり口答えする事だけを待ちながら口を述べ続けた。

さ!黙れって言え!怒りと悲しみと自分の情けなさを吐き出せ!そう。まるであの時のように!!

そんなシグムンドの考えとは真逆に、青年は、叫び出す事も、座り込む事もしなかった。顔だけ深く下げたまま肩を微細に震えていたけど、5階層の時とは確かに違っていた。

「………って。」

「あん?!お前さんよ… 先から何をそんなにボツボツ言いあがるんだ!ああん!?!!」

シグムンドは激しくなった言葉振りで青年の肩を強く押し続けた。すると、ようやく頭を擡げた青年は、その怒りと意思が籠った眼でシグムンドを睨み付けた。

そしてその瞬間—————————

青年の眼と『バベル』が同時に動き始めた。


肌を視た。筋肉を視た。血管を視た。骨と脂肪層…… そしてそれらの構成粒子の悉くを視た。

青年の眼はその全てを視認し、それらを成している細胞と細胞の間にあるその隙間を、人間の身体という一つの物質を通しての空間の穴として規定、及びそれを認識することで――― またその全ての「穴」を拡張

…………する前に、

僕は思い一杯ケンさんの剣を横に振るった。

「何でも切れる剣」の刃に当たったシグムンドの肌と筋肉は次第に千切れ、上半と下半で綺麗に両断された。

そして青年はそこで止まらず、自分の能力を使って人の身を構成している数千万、数億の細胞、粒子、分子を拡張•分解させて、その全てはまるで引力を無視して放出される如く散らばって…… その原型を崩壊させた。

「————————————!!!」

音をも成せなかったシグムンドの悲鳴は肉と血と得体の知れないモノに分かれて分かれて分かれて… 霧のように青年の周囲を染めた。

「退けって……」

残りも残さず空気中に溶けて消え去ったシグムンドの跡を横切って青年は再び進み始めた。



血の霧を通り抜いて再び塔に進んでいた青年に向かって、突然上空から誰かが不意打ちを仕掛けて来た。

「死にたまえ!!」

「くっ…」

青年はその不意打ちをもう慣れたバク転をする事で何とか避けられた。が、再び彼の前を断ち切るように、誰かが塔から飛び降りて来た。

青年の前を断ち切る如く現れた者は、スーツ姿に髪を分け目にして50代近くに見える男性——— 司一郎(しいちろ)であった。

この塔の中でサバイバルゲームが始まった時……

誰よりも先に相対した二人。

誰より先に青年(少年)に恐怖心を与えた司一郎と、

誰よりも先に司一郎に屈辱を与えた彼—— 青年が、

今、再びこの塔の最上階で相対した事を知らせる如く、戦闘の始まりを知らせる鈴の音が塔(此処)に響いた。



「私は貴方が大変嫌いだ。それ故…… 死にたまえ!!」

「………」

司一郎の最も得意とする攻撃方法——— それは自分の手を影で覆って、全ての衣服と防具を通過してダメージを与えられる得意手。それは過去、固体の形を維持できないというデメリットによって敵に実質的な傷跡を残せないだけであって、防御貫通の上、内臓に直接衝撃を与えられるその攻撃手段はかなり威嚇的であった。が、昔より自分をより研いてさらに進歩した今の司一郎は、影を覆った手を相手の体内まで侵入させてから、そこで異能力を解除することで——— 体内に侵入した時とは違ってちゃんと形を持った自分の手を持って敵の内臓を握り潰す要領まで身につけていて、その時より何倍も強くなっていたのであった。

「どうだ!」

影を覆って黒く染まった私の手をあのクソガキに向けた。あのガキの腹部を狙って進んでいた私の手に、しっかり通過した手応えがあった!

—————と司一郎は思って興奮していた。

しかし真っ直ぐ進んだはずの司一郎の手は、それとは真逆に位置する、自身の腹部を貫通していた。しかし、青年に一発食わせたいという想いと歓喜に満ちていた司一郎は、つい自分の手の先を確かめる事もせず、不覚にも笑いながら異能力を解除した。

そしてその瞬間——— 形を取り戻した司一郎の手は、本人の腹部に穴を開け、腸を掛け混ぜて、司一郎は体をくの字に曲げた

体を曲げた事は腸が傷付いた事による身体の反射的行動ではあったけど、それによって司一郎の手は、彼自身の腹部により深く混ざり込まれることになって、口からは少なからずの血を吐き出して服を汚した。

「あ………う、あふぁっ!」

地面に倒れた司一郎の腸は彼自身の手によってごちゃごちゃになって、彼の手が挿さっている腹部から流れている血が地面に色を加えて行った。


どうせ倒れ込んでいるから、速やかにけりをつけようとした。のに……

「な、なに… これは……」

司一郎に近づこうと足を踏み出してから、何故か体が一切動かないんだ… 僕の体がびくとも動けなくなったんだ。

影の異能力を持った司一郎が相手の行動を、いいや、体辺りを何かで囲んだように一切動けなくさせられるとは考え難い。

目は開け閉じできる。しかし指一本も動けない上、息も真面に出来ない感じがした。まるで僕の体辺りを他の空間と隔離させたようだった。こんな奇怪な事が…… 空間その物に干渉できる者は唯一人。僕にこの塔まで来いと言った彼奴———— シグマのみであった。

そして僕が動けない隙に、顔だけを挙げてこっちを見た司一郎の元から影がどんどん大きくなると、こっちに向かってずんずん近づいて来始めた。


やっぱバカだ… 今まで青年は頭に血が上りすぎてその時その時目の前にいる相手の事で一杯になり、最も注意すべき異能力を持っているシグマの存在を完全に忘却していた… いいや、そもそもこの全ての事は、自分はいつも合理主義を最優先にすると良く口にするシグマの、彼らしい策略であったかもしれない。いいや、今の青年が顔を合わせただけで即反応するに決まっている相手を一人ずつ配置した事も、彼女をここに来る途中に見つけ易く露骨に置いていた事も、全部奥汚い彼の策略であるに違いない。

それから、今シグマが青年に駆使した技は「空間隔離」。簡単に言えば、相手の周囲1㎝だけを置いて、周りの空間と完全に隔離させる技だ。外から内を、内から外を見ることはできるが、外と内側から互いに干渉する事はできない。その対象の周囲1㎝だけが隔離されるため、内側に存在する空気の量も限定される。相手を完全に隔離・拘束できる強力な技であった。しかしその代わりに、その技を使用している時は使い手のシグマの方も一切身動きを取れなくなるけど、今青年の前にいる敵はシグマ一人だけではなかった。


まずい…… このままだと動けない上、先から何度も異能力を使用しようとしても『バベル』は消費されているにも関わらず視野内の何処にも穴が開かなかった…… 推測できることとしたら、シグマによって僕の体が空間ごと完全に隔離されて、いくら視野内とは言えども周りに干渉できなくなったという可能性しか思い付かない。しかし、それが本当ならこのままだと危ない… 現在塔の上にいるシグマは何の訳か動かずこっちを見ているだけであったけど、地面に下りて来る可能性もなくはない。そして今もまだ近づいているあの影に攻撃され続けたら… 完全に無駄死になる。もう少しだけ早く気を落ち着けたら…… 問題に直面した時心を落ち着かせるべきだと… そんなに言われたのに………

手に握っている剣を使えば何とかならないかも思ったが、そもそも剣を握っている手が動かなかった…

あの影が周囲から隔離されたと思われる僕に届くかは知れないけど、僕の体は昔感じたその日の腹部の痛みを思い出してしまって、つい目をつぶってしまった。

今度は眼を閉じたからとして攻撃を他の所へ通し移す穴が開いてくれるはずもなかったのに、それでも我知らず目をつぶってしまった。

そして————————

しばらくして目を開けた僕の視野には地面に倒れていた司一郎が塔の上にいるシグマと絡み合って転がっていて、僕の目の前には

「青少年、大丈夫か!遅くなってすまない。」

ソマさんの広い背中があった。

「あ……」

出来る。動けるようになった。先までは指一本も動けなかった僕の体が今は何故か普通に動けた。状況から判断するに、ソマさんによって飛ばされた司一郎とぶつかったくらいの衝撃でシグマの異能力が解けたとは考え難い… だとしたら、先の状況との違いは?ソマさんの登場?いいや。いくら彼でも存在するだけで異能力を解くのはさすがに無理だろう。

そういえば、先まで何故か全く動いていなかったシグマと今の彼を比べたら考えられる違いがただ一つ。それは、シグマが体を動かしたことであった。

「おい!大丈夫なのか?!青少年!」

「あ、はい!おかげ様で…」

考え事に夢中になっていた青年の肩を抜いてしまうレベルで強烈に揺らしていたソマによって、青年は早速気を取り直した。しかしそんな青年の目にはある事が見えてしまった。

「すみません… 僕の事情で……」

ソマの『バベル』が半分を切っていたのだ。おそらく防視の体を元に戻そうとした事が原因であるに違いなかった。

「いいや。頭を上げろ青少年。俺は今お前に感謝している。」

「はい……?」

話を聞いてぼやっとした表情をしている青年を見たソマは微笑みながら話し続けた。

「俺は初めて俺の異能力を、俺の力を… 初めて人のために使えた。こんな事を言うと変だけど、こんな年になった俺に、チャンスをくれてありがとう。」

こっちが心配していることを、自分のためだと僕の肩を叩いてくれながらああも晴れやかに笑っている…

まったく、この人は良い大人だ。

しかし… 『バベル』があれじゃ、これからの戦闘では………

そう。青年が思った通りこの塔内での戦いは全て異能力の適切な使用と流れを変える程の活用法によって左右される。

なのに異能力を使用するための『バベル』を半分もなくした状態で戦おうとするだなんて、自殺行為にも程がある。

…………普通の場合には、ね。

「もしや俺の言ったことを忘れたのか?俺は今まで可能な限り異能力は使わず戦って来た。今までそうであって、今(これから)もそうするまでだ。だから何の心配もするな。大丈夫だ。」

「空間」を操れる者を前にしたソマの笑顔からは余裕すら溢れていた。此奴、実は正体が亞人の類いなんかじゃ……

「おい、低所恐怖症でもあるのか?いい加減降りて来い。リベンジだ。」

「ふん、良いだろう。」

ソマの誘いにシグマは微笑と共に応じた。

「あ、あの!それでは私は……」

「ご自分一人でやらなくては。残念にも貴方の面倒まで見てあげながらあの男と遣り合える自信はないので。もしや、それとも貴方一人では戦えないとでも?」

ソマを見ているシグマの目は珍しくも真剣になっていた。

「いいえ!いいえ!とんでもない~ 私のような優秀なエリートがそんな………」

司一郎は無理矢理笑顔を浮かべながらシグマにへいこらしたが、シグマは司一郎の言葉なんかは最後まで聞かず、直ちに塔から飛び降りた。

司一郎も彼の後に続き再び地面に降りて来た。

シグマはソマの前に立ち、ソマは青年に「頑張れ」と言ってからシグマと対峙し合った。それによって、

ソマはシグマと向き合って対峙した。

青年は司一郎の前に立って対峙した。

この多人数の間で一対一と一対一という攻勢が形成されたのだ。

―――これで、僕は邪魔される事無く、司一郎と戦えるという訳だ。

戦いの始まりを知らせる鈴の音は再び鳴り響いた。



では、シグマの方はソマさんに任せることにして、僕は目の前の相手である司一郎の方に意識を集中する事にした。


青年はまず自分と対峙している司一郎に目を送った。まず彼の足は空中に浮かんでいて、その代わりに合計4つの影で出来た昆虫の橋みたいな奇怪な物が伸びて体を支えていた。そして、先まで穴が開いていた腹部は黒く埋まっていて、その中は青年の眼でも視認する事はできなかった。

影で出来た足でどうやって体を支えているのかはよく分からないけど、青年がやる事に変わりはなかった。

青年は今は完全に落ち着けた心で深呼吸をした。

「貴様ぁぁぁ!!!!」

しかし、そんな青年とは真逆に司一郎はすぐ怒りが籠った声を青年に向けた。

先まで息もようやく吐いていた司一郎は今や喋る事も大丈夫になった模様だ。

「貴方… 私にこのような恥をかかせるなんて…… よくも、よくもよくも!よくも私の服をこんなぼろクズにさせて、こんな事をするんだなんて…!」

「貴方が人にやって来たことではないですか?」

「貴方には本当に考えというのがないんですか!?そもそも貴方に何があってもそれはどうでも良いことです!しかし、私にこんな事をするんだなんて、本当に考えというのがないとしか思えませんね!!それに… シグマは自分の事を「管理者」などと名乗っておいて、私により特別な異能力を与えてくれると口にしたくせに未だに—————」

それからは彼の文句が続くだけだった。正直訳も分からなかった。ソマの説教みたいに相手の事を考えてからではなく、ラン先生の説教みたいに人のためですらも無かった… そんな拾える物すらない正真正銘の無駄話であった。

司一郎の話を聞いていた青年は自分も知らない内にうっかりあくびをしてしまった。

そして自分が話している途中にあくびをした青年を見て頭に来た司一郎は青年を睨めながら『バベル』を消費した。

司一郎が『バベル』を消費した事に連れて彼の足下から大量の影の手が立ち上がると、青年に向かって襲い掛かった。

その凄まじい勢いで襲って来る数多くの影の手を前にして、青年はその影を見ていなかった。だからといってその影を操っている司一郎も見ていなかった。彼が見ている方向は——— 上。この階層のアーチ形で出来ている天井にある発光装置であった。

この塔の中では、発光装置の明るさが変わる事で疑似的な昼と夜が作られている。そして、今の時間は昼。発光装置の明るさが最高潮になる時であった。

青年は先ず、天井にある発光装置の真っ下に穴を開けてから、次に自分と司一郎を丸ごと照らせるくらい大きな穴を頭の真っ上に開けた。

影を消す方法には大きく二つが存在する。一つは、その周囲を真っ暗にさせて影と闇の警戒を消す事。二つは、影ができている所に強い光を照らす事。青年が取った方法は2つ目に該当する事で、夏の太陽の真っ下にいるような炸裂する暑さと眩しさが二人を襲った。

そもそもどんな異能力を持っているのかを真面に把握していない司一郎と、すでに一度酷い目に会って相手の異能力を知っている青年が戦ったら、すでに対策と攻撃法の面から一つや二つのアドバンテージの差は広がるものだ。そしてその結果が——— 今の戦況であった。


っ… 目は眩しくて、暑さで汗も流れ始まったけど………… ラン先生の時と比べたらこんなの、どうってことでもない事だ。

何ともなく耐えている青年とは違って、司一郎の影はだんだん薄くなりつつあった。

それに伴い司一郎の腹部と足の代わりをしていた影も消え始めて、彼の腹からは再び血が流れ始め、体は再び地に付いた。

しかし、その瞬間、どういう訳か青年が開けた穴の先にある発光装置の光度が急激に下がった。そしてそれによってぎりぎり形を維持していた司一郎の腹と足の影は何とかその形を取り戻してぎょうぎょう彼の身を支え直してくれた。

発光装置の光度が下がったのだ。無理矢理な考えではあっても青年の脳裏にはまたシグマが何かをやらかしたのではないかという疑いが浮かんだ。

しかしソマがどれほど強いのか身をもって知っている青年は、その可能性を否定しながらもつい横に目を送ってしまい、驚愕せざるを得なかった。

そこには、地面に埋められているソマの姿があった。



少し前。

「俺たちがこうやって顔を合わせるのはいつぶりだ?」

「さあ、ほぼ1年と3ヶ月は顔も見れなかったと思うがね…」

「そう… しかしどうやら俺の意地は変わってない模様だ。」

「ふん、貴様も口ごとに自分を大人だと言っているくせに、大人気ないのではないか。」

「そういう君こそあまりにも一貫的なのでは?」

「さぁ…な!」

シグマはワープを使って一気に距離を縮めてから攻撃した。

しかしソマはそんなシグマの身動きをゆっくり見てからその攻撃を避けた。

空間移動による奇襲攻撃。

しかしその攻撃の仕方には一つの短所が存在する。もし相手の顔の至近距離に足が位置した状態でワープしたところで、加速度もついていない蹴りにそこまで高い威力は期待できない。その故、シグマがソマに打撃らしい打撃を与えるためには構えている状態のままワープする事が精一杯だという訳になる。

それってすなわち——————

「ふっ!」

ソマは目も閉じず最後の瞬間まで飛んで来るシグマの足先を注視しながら素早く、そして正確にその蹴りを避けたのであった。

もう一度ワープで移動してから攻撃した。が、また避けられた。

いくら筋肉の動きを先読みができるとしても、どの方向から襲って来るかを知らないと大きな意味がないのが定番なんだけど、彼はなんか気配でも感じ取れるのか… ランダムで無作為に襲って来る全ての攻撃を避けるか受け止めていた。

「君、弱くなったのではないか?」

「ふざけ…んな!」

攻撃だけを続けていたシグマは目に力を入れると、今度はソマが主に使う右足と地面を一つの空間座標に固定させることで動きを封じてから、頭の上に現れて、上から下に足を降ろし蹴った。対象の媒体を同一の空間上に縛り付ける技。外で見るとソマの足が地面に埋められた風に見えた。かなり大量の『バベル』を必要とする、必死の打つ手であった。

しかし、ソマはそんなハンディにも屈せず、いいや、むしろその固定された右足を軸にして思いっ切りの回し蹴りとハイキックを汎用させた攻撃を飛ばした。シグマは至急に再び地面にワープすることで、ソマの攻撃を紙一枚の差で回避した。

攻撃が避けられた事を見たソマは舌を鳴らしたけど、直ちに足の軌跡を変えて自分の右足を固定させている地面を丸ごと崩壊させる事で地面に埋められていた右足の自由を取り戻した。しかし、不安定な姿勢で体の自由が取り戻されたせいか、その余波で体がほんの少しよろついた。ソマは瞬時に構え直すために雑ステップを踏んだ。

しかしシグマはその隙を見逃さず、ソマの後ろに移動し、即座に彼の足首を蹴ってソマの重心を完全に崩壊させた。

「この…!!」

ソマの体が完全に後ろに倒れている状況でシグマは再び彼の上に移動して、踵でソマの腹を蹴り刺そうとした。

無論ソマもその攻撃に備えるために時間を止めてその間に腕をつぼめてガードしようとしたが、それでも彼の攻撃を受け止めるにはもの足りなかった。

「くふっ!」

腕を超えて腹部に加えられた衝撃に、ソマは肺の空気を吐き出し、地面に背中を強くぶつけた事でもう一度肺の中身を吐き出すことになった。

休む暇も与えず、シグマは地面と接したソマの全身を地面との空間座標に固定させた。それによってソマは地面に埋められて完全に動けなくなり、それを見たシグマは勝利への確信を持って余裕が出たのか、青年と戦っている司一郎をサポートしてくれた。

だが、ソマを地面に固定させた事に置いて、シグマは一つの僅かなミスを犯してしまった。

それは、ソマの威嚇的な攻撃と身動きを封じるのに汲々となって、一応ソマを地面に埋め込んで固定させることまでは良かったものの、彼の異能力に関して詳しく知らなかったのが問題であった。

ソマの異能力は「時間」。燃費はこの塔内の全ての異能力の中で最悪だが、時間を止めて自分以外の何も動けなくさせたり、範囲はこの塔に入ってからに狭まってはいるだけであって、『バベル』がある限り手で接したモノの時間を一日単位で戻すことができるんだ。そう、「手で接したモノ(者・物)」の時間を戻せるのだ。9階層で少年の傷を治した事も、体がボロボロになっていた彼女の身を元に戻した事も、その全てがその、「時間戻し」による事であっだ。

もしシグマがソマを完全に封印したかったのなら、ソマの手首までを地面の座標に固定させて、手だけを出して置くことで何とも接せない状態にさせるべきであった。しかし、ソマの手は今地面に埋まって、この階層の地面に「接して」いる状態になっているのだ。

ソマは自分の異能力が『バベル』の消費量が激しい事を知っているため今まで一人だけを対象に、それもほんの少しずつしか使わなかったその技を、この階層———— 現在接しているこの階層の地面全体を対象に始展した。

この塔内で誰もが駆使したコトのない、その前例無き大規模の異能力の使用によって……… 小さな島くらいの大きさである此処——— 10階層全体が激しく鳴き揺れた。


その異能力使用に応じて、戦いによって破壊された地面も、シグマが手を出した天井の光度も、地面に残っていた赤い跡も、シグムンドがこの階層のあっちこっちに密かに仕込んでおいたトラップまで——— その全てが、一つたりとも残さず丸ごと一日前に戻された。

そしてそれに伴ってソマの『バベル』は僅か1、2%しか残らなくなってしまった。

それはともあれ、ソマは無事に地面の封印から解放されて身体の自由を取り戻すことはできた。けど、今のソマは動くこと自体が疲れる状態になったはずだ。元々、本人の体力である『バベル』が風前の灯火になったのである。普通に歩くことも困難になるレベルだ。

しかしソマは…… そんな『バベル』にはひたすら視線を与えず、基本的な格闘姿勢を取って目の前の相手であるシグマの姿のみを眼に入れていた。



シグマの介入によって力を取り戻した司一郎は100は軽く超える影の手で僕を攻め続けた。異能力を使って対応しようとしても、それを許さない凄まじい数の影が反撃は無論、穴を開けて移動するなどの回避すらも心に任させなかった。一応ケンさんの剣で襲って来る影を切ろうとしたら、空中から飛んで来る影は切れても、地面から這って来る影は地面が切れるだけであった。何とか避けてはいるものの、

このままだと危ない…!

そんな考えで固唾を飲みながら青年は必死で自分に襲って来る影から逃げていた。

その時であった———— ソマが「時間戻し」を使用した事は。


そしてその異能力の余波で司一郎が見せた僅かな隙を見逃さなかった青年は自分と司一郎の足元に穴を開けて、そこから3㎞は離れている場所まで移動した。

ソマの恐ろしい異能力の使用によってもうこっちに気を配る余裕がなくなったシグマは青年の異能力の使用に干渉することができなかった。

その場所から遠く離れた所まで移動したおかげで、青年は先まで暇もなく自分を苦しめた塔の影から一時的に逃れる事ができた。



そんな… 馬鹿な…… あり得ない、マジで信じられない。

『バベル』がゼロに等しいソマは、先より鋭く、素早く、そして容赦なくシグマを襲っていた。本当に人間なのか疑って然るべきレベルだった。

ソマはワニが食い付くように両手でシグマの腕を握ったまま自分の体だけを水平で360度回転させた。彼が今使ったものはレスリングの技の一つであって防御技としても使えるが、攻撃技として使う場合は容赦の欠片もなく相手の腕を折って、酷い場合は筋肉に莫大な損傷を与える技であった。シグマはその握られた手首と肘、肩を完全に隔離及び固定されることでその技から逃れられたが、ソマはそこで諦めず、シグマの腕を握ったまま彼の背中まで移動し、左肘で胸椎を攻撃した。シグマは自身の視野の外側からの攻撃に備えるために必要以上の過剰な『バベル』を消費して自分の上半身を包む2㎝程の隔離空間を作る事で何とか受け止める事ができた。

すごい…

先からソマの一挙手一投足はその全てがたった一撃で勝負の行方を決められる事だらけであった。

これはまるで、そう。先程までのソマは戦いをしていたのだとしたら、今はただひたすら相手を殺すためだけに体を最も効率的で最大限に動かして、文字通り必殺に等しい一撃一撃を殺到させていた。

それに、ソマはずっとシグマの体を掴んで離さないことで、シグマが得意とする「瞬間移動(ワープ)」を混ぜた攻撃もできなくした上、回避もろくにできず、「空間隔離」も自由にできなくさせていた。これは異能力の使用時、自身の体と接している者にも同じ効果が及んでしまうシグマの異能力の短所ならぬ短所であった。

そのため、先からシグマはソマからの攻撃に備えるために全身を隔離する事ではなく、必要最低限の部位だけに集中して『バベル』を消費していた。その精密なコントロールのため、いつもより『バベル』の消費量は少ない反面、精神的疲れによって攻撃に対する反応が遅くなり、どうしても戦い辛くなっていたのであった。このままだとシグマの勝算なんて微塵もなかった。

要するに、シグマにとって絶体絶命の状況の他ないということだ。


絶体絶命の状況で彼はもう仕方ないと判断… いいや、普段は隠している彼の良くキレる性格が表に出たのか…… シグマは残り『バベル』の半分を一気に消費して暴走し始めた。

残っていた70%の半分以上を消費して駆使した大規模な異能力の使用は————— この階層全ての所に及んだ。

空間その物が揺れて地面や天井などにはひびが入った。それくらいにして治まって欲しい期待を馬鹿にするように、明らかに空気の色まで紫色に変わり始めて、空間が歪んでいるという事実をより明らかにさせていた。

その歪みは先ソマがやったことよりずっとバカげたレベルであった。



『バベル』の無駄使い、やけに広範囲の攻撃範囲、それに自分の安全も脳裏に入れてないこの攻撃が彼が理性を蒸発してキレているという証拠だ。しかし、その攻撃の範囲内にはシグマ本人以外にも司一郎も、ソマと青年から私まで入っていた。

青年は今結構離れた場所で司一郎と戦っていたので何か手を打つには遠い上、それでは間に合わない。

このままだとこのプロジェクト実験が終わってしまうだけではなく、私すら死んでしまう!この問題児が!!しかし… 事態の深刻性に気付いてくれたのか、ソマは紛れもない大惨事を止めるために残り微かな『バベル』を使い切ってでも時間を戻そうとしたが、むしろそれをトリガーとして思いたくもなかった凄まじいスケールの反発と臭突、そして濤(屈曲)が発生してしまった。

その濤(屈曲)はまるでソマとシグマの二人を捕食する如く取り込んではその姿を歪めて、伸ばして、縮める事を繰り返すと、そこにワームホールでも出来たかの様に周囲の風景すら二人の間に巻き込まれて行く錯覚すら見させた。

しかし、ソマがシグマの暴走を自分の異能力で相殺したり、処理しようとしても、所詮1、2%程度の『バベル』で40%近くの量を消費したシグマの暴走を何とかするには、最初からどうしても無理があった。

その事実を誰よりもよく知っていたソマは、一つの莫大な決心をしたように歯を食いしばって、目までつぶると全身の力を絞り出した。

そして、彼(ソマ)の体が微かに黒く輝き始めた。



少し前。

塔からかなり遠い、この階層の中央まで移動できたアルファは、もう先のような影が出来そうな何らかの造形物がない事を見て安心していたら、司一郎を見たとたん酷く慌てざるを得なかった。

司一郎の足元には8つもなる影が存在していたのであったのだ。

どうやらアルファは気付けなかったらしいけど… 此処、最後の階層である10階層の天井は他の階層とは違って天井がアーチ形になっている。そして、アルファが司一郎と移動した所はよりにもよって、この階層の真中央であったのだ。

これによって、まるで野球場や公演場のスポットライトのように、この階層の発光装置にある全ての光が司一郎を照らし、彼の全方向に影を差していたのであった。

先の場所とは違って周りに造形物が何一つ存在していない平地であったからやれる変則技であった。

八つと言えば先と比べれば大したことないと思えるかも知れないけど… その分、影を精密に操れるようになったため流石にきついと言わざるを得ない。

「結局無駄なんですよ!!」

司一郎の足元にあった8つの影が一気にアルファに襲って来た。

アルファは空中から来る影は彼の剣で切り裂いて、地面から這いて来る影は地面に何処とも繋がってないただの穴を開ける事で対処していた。

とても素晴らしい能力の活用であった。

しかしこのまま守っているだけでは切りがない。そう思って行動に出る事にしたアルファは自分の前と司一郎の前を繋ぐ穴を開けて、そこに彼の剣を刺したが、むしろ司一郎の足元から湧き出た影に腕を突き抜れてしまった。

「くっ…!!」

まるで手首の中に氷でも入れたような熱く疼く痛みが脳を刺した。まるでケーブルが途切れたような… そう、まるで筋が途絶えられたような感覚がアルファの腕を麻痺させた。しばらく右手は使えなくなるけど、どうせこの前のようにしばらくしたらすぐまた治るはずだ。しかし、その内に決着が付けられてしまうかも知れない事は無視できない要点であった。

アルファの体は先の被害によって、先よりやけに司一郎の攻撃を避け辛くなっていた

彼の剣を左手に持って先と同じく上と下の両方から攻撃を対処するにはさすがに無理があったのか…… アルファは影が襲って来る次第に左肩、右の足指、腰の右隣の順で、どんどん動ける体を失って行った。

それに加えて、アルファは結局司一郎に隙を許してしまい、8つの影全てに囲まれる事になってしまった。

今まではそれでも頭だけは死守しながら戦っていたけど、8つもなる影が同時にアルファの頭を狙って来ては、どうしようもない………

絶体絶命になったアルファは緊急回避策として自分の足元に落とし穴を開けて、はるか遠くの空中まで落下した。

アルファは穴を通してまで追い掛けて来る3つの影を彼の剣で処理しながら無事に空中まで回避した。しかしこれからどうすれば良いかを悩んで目と頭を精一杯回していたアルファの眼の遠くに、言葉では現れ切れない事が起きていることが見えた。

「あれは… 一体……」

僕の視野の遠くに言葉では表し切れない事が起きていることが見えた。場所は先まで自分が居た――― 塔の辺り。

白と黒の二色しか存在しなかった単調なその一台は今や紫色に変わって、所処スパークまで生じていた。

一体何をどうすればあんな事になるのかと思いきや

————— その渦巻の中でソマさんの姿を見つけることができた。

僕は至急更なる穴を開け————— ソマさんのいる場所まで迅速に移動した。

僕にあれをどうにかできるのかは知らない。

しかし、それを考えるより先に体を動かしていた。

一瞬でその渦巻の所まで移動した僕は思いっ切り手を伸ばした。



ちっ… これはいわば禁忌の中でも禁忌なのに…… お前っていう奴は毎回最後のタイミングになると迷惑を掛けてくれて、どうも殺してあげたい奴だ。

まぁ… 話したかったのはもっと沢山あったけど…… どうやらあの青少年にそれを直接言うのは、少し辛そうだ。

お前はこの一ヶ月間、計71回も意識を失って、その内13回は死にかけた事もあった。

しかし、お前はたった一瞬も俺を殴り倒すことを諦めなかった。

痛くて怖かったはずなのに少しもその決意を折らなかった。

それほどの本物の粘りさえあれば、何でも何とか遣り遂げるんだろう。

いいや、いくら粘りがあっても、それだけでは明らかに限界がある。だから顔を広げろ。足を広げろ。目を広げろ。それだけはお前の分だ。

今後はもうお前次第だ。

勝手に成長しろ!お前は、そう言っても良い奴だ。

そして、その果てにお前の過去を知って、それからは……

……………………

…………

………………………………

…お前には本当申し訳なくて…… また申し訳無くて、すまない。

まず、シグマの奴に負けるな!

確かに彼奴の使う力は概念的にはお前を上回っているのかも知れない。しかし、彼奴の「異能力」などに負けるな!青少年(オリジナル)————!!

それに、そこの君。ほどほどにしてやれよ。

ソマの肉体が黒い輝きを発すると伴って、だんだんその歪曲の濤(なみ)が小さくなって行った。

それから———————— 消滅した、

ソマが。

その後を継いで、歪曲も完全に消えた。

青年が思いっ切り手を伸ばしたのはその直後の出来事であった。



ソマがどうしてそんな行動をしたのかは知れないけど、彼は様々な可能性と手段を速やかに論拠し、その中から消去して取り出した答えで、最小限の手段と最大限の動きで最高の効率の結果を導き出した。それにしても… その中で観測されたあの力は…………

彼は我々が『オーバーアクセル(精神の昇華)』と呼ぶ力を駆使したとしか思えない力が観測されたのだが…… まぁ… それは後でゆっくり調査するとして、今は先ず任務を続行する事にしよう。



ソマが消滅した事と同時にシグマは気を失ってその場で倒れ込んでしまった。これで一応また先のように暴走する事はないんだろう……

それはそれにして、そこに到着した青年は空虚になった手元を放せないのか伸ばした手を下ろさなかった。

しかしそんな青年の手の甲を何か黒い物が突き抜いた。

何故か痛みは感じられなかったけど、その黒い物の先にそって目を送ると——— そこにはここまで歩いて来た司一郎がいた。

「まったく… どれほど融通性が無いのか… これだから実力はあっても実利がない連中はだめなんですよ。放っておけば自分の責任にもならず消える事を、わざわざ自分から名乗り出て被害を受ける連中って…… 何人見ても愚かとしか言いようがないね。そもそも社会っていうのはタイミングとラインが大事なんだよ。ま、私のようなエリートでもない以上それには気付けない方がよっぽど多いのかも知れないけどね。だと思わないか? か弱くて礼儀知らずのお馬鹿さん。」

「………」

口を叩きながら青年の前まで歩いて来た司一郎は、ソマが消えた———— 歪曲の目であった場所を見ながら彼のコトを愚弄した。

「ほら、見てみろよ。貴方がそんなに弱くて情けないから周りの人々に被害が行っているのだろう。あの小娘も、先の彼も!いいや、実は貴方と顔を合わせるのが嫌になってあの世に逃げたかったのかな?もう飽きたから単に————」

これで3度目だ。知り合いの消失だ。当然、何も感じられないはずがない。また暴走したり、挫折感に跪いても仕方ない事なのだ。

しかし… 青年は拳を突き出した。

決して「あの時」のように屈することなく、しっかり前を観ながら真っ直ぐ拳を突き出した。

そう… 彼は「あの時」私に歩き出すと、自信が選んだ揺るぎない決意を口にしたのだ。青年は目が涙で一杯で、頭はグルグルだったけど、それでも———— 迎え撃った。

元々青年は今すぐでもシグマに文句を言いたかったけど、まずは司一郎からする事に心を変えた。

「このガキが!貴様は一体どれほど礼儀という事を知らないんだ!!」

正面から、それも話をしている途中に顔面を殴られた司一郎は青筋を立てて激怒した。


ああ… 本当おかしい。あそこに自分の身を投げて無くなった「大人」は今より幼かった僕すら尊重してくれたのに…

どうして人を尊重する事をも知らない愚かな人がまだ生きているんだろう?

世の中が決めた善と悪の基準が全く分からない。何処かそれを定める天秤でも在って欲しいくらい判らなかった。

いいや、そもそも僕の世界はあまりにも狭かった。

しかし、ただ… 僕の意見を口にすると————

ソマさんは僕にとって良い大人だったと思う。なのに、どれほど考えても良いとは思えないあの司一郎は、あの悪い人はどうして未だに目を開けていて、ソマさんはあんな風になくなってしまったのだろう……

だとしたら悪く生きる事が正解なのか?

いいや、それだけは違うと思う。そう最後まで信じたい。

そうでないとしたら、もしそれが正解だったら、周りには悔しい人があまりにも多くなってしまう。

ケンさんは言っていた。気に入らなかったら変えろと。自分が正義になれと。

残念ながら僕は普通の人間だ。

だったら、そんな傲慢な資格が僕にはないのかも知れない。

しかし、だったら、唯一人の人間として、この小さな社会の一員として…… 僕はそのルールを守って、ルールを利用してやる。

ま、難しく言ったらそんなことで………

簡単に言えば—————

今から戦うって話だ。

「じゃ貴方は死を知っていますか…?」

この人がどれほど凄い人なのかは知れないけど…… 僕の中でこの人は、ただ嫌な人に過ぎないんだ。


腕輪から戦闘の始まりを知らせる鈴の音が鳴った。



そもそも司一郎がこんな至近距離まで近づいた事からが彼の大きなミスでしかなかった。

昔のアルファ(少年)だったら目の前で唾を吐いても反抗すらできないくらい貧弱だったけど、今は違う。

多くを見て、多くを聞いて、多くを考えて、多くを学んで、そして誓った今の彼はその時とは違った。

しかし、今から司一郎が反撃しようとしても……… アルファが彼の顔を地面に降り突き刺す事の方が格段に速かった。

壊れた頭蓋骨が入った頭を地面に着けて息だけを辛うじて吐き出している司一郎は痙攣するように止まらなく体を震えていた。

しかし司一郎はそんな状態になってでもまだ言いたいことが残っていたのか僕のズボンの裾を握って声を挙げた。

「まだ青二才でこの世知らずのガキの分際で!!自分の身の程も知らずエリートであるこの私を無視するんじゃねぇええ!私を!無視するな!!」

青年はそんな司一郎に近づいては

「殺す価値もありませんね…」

見下ろす目で、彼の腕輪を踏み躙った。

腕輪が破壊されたことと同時に司一郎の体力は0とみなされ、全身の気力が一瞬で抜かれ去った。それ以上その口から声が出ることもなかった。

一段落を付けた青年が振り向こうとした瞬間————— 青年の足元の地面が突然、形を変えて突き出て来た。



僕の足下から地面が突き出て来た途端、僕は天井高く吹き飛ばされていた。僕は空中に浮かんでいる状態で視野を下げて地面を見回すと、やはりと言えばやはり… そこにはいつ目を覚ましたのか、シグマが起きていた。

見当も付かなかった不意打ちをきっかけに何度目か知れない戦闘の始まりを知らせる鈴の音が聞こえた。

今度は空中まで瞬間移動させてからどうにかする企みか注意しながら周りを見回ると、天井と地面から――― この階でも見て、5階でも見たことのある塔が合計12個も僕を包むように涌き出て、僕を踏み潰そうとした。

一気に僕の四方から近付いて来る塔を見てふと、一つの事実に気づいた。

さすが彼は僕の異能力を知り尽くしている。涌き出た塔が完全に僕の辺りを囲んで、異能力で移動するために視認すべき空間的抜け隙すら残してくれなかった。

一応僕は襲ってくる塔から時間稼ぎでもするつもりで剣を支持台にするために上と下の塔の間に立てたが―――― さすがは何でも切れる剣…

圧迫して来る塔の進みを止めるところか、剣の刃が塔の外壁をものともせずに突き進み、そのまま埋まってしまった。これでは圧迫されて死ぬのみ…… 先と全く違いがない。

早く、早く早く… 何か手を考え出さないと……

そうやって冷や汗と充血で曇っていく目に、ある可能性が眼に入った。

パニックに等しかった脳裏に一つの可能性が煌めくと、痺れていた頭が一気に爽やかになった。

それは、今も現在進行形であの塔を突き進んでいるケンさんの剣!

その剣が突き残しているその切り傷!

たしか… あの切り傷を残している剣の刃はあまりにも薄くてその間で脱出する事は常識的に不可能だ。

しかし……

この剣が突き進んでいる隙間。

僕はそれを自分の眼で塔の外壁という一つの面における穴として規定•視認することで『バベル』を消費すると同時に、塔はだんだん広がって行く隙間(亀裂)に耐えられず崩れ壊れた。

さらに、僕はこれによって視野を確保した途端穴を開けてそこから速やかに脱出した。

脱出に成功した途端先と全く同じやり方の攻撃が襲って来たけれど、今度はずっと手軽に攻略できた。

僕が脱出に成功する度にシグマは僕の進みを妨げようと攻めて来て、僕はそれを攻略しながら徐々に、徐々に彼との距離を縮めて行った。

今まで彼の動向から思う限り、多分シグマは自分の異能力である『空間を操る力』を使用して地面と天井の空間上の形を自在に伸ばしているのであろう。しかし、この程度の技使いでは僕を止めるには全然足りなかった。

「くらえ!」

剣を高く持ってシグマを一刀両断しようとした瞬間、

床から塔が涌き出ることが薄く見えた。

また同じパターン。

それを見ても回避をしようとする気配が無い青年の事を見て、シグマは微笑んだ。

そしてその次の瞬間―――― 青年の体がその姿勢のまま空中で動きを止めた。


シグマの行動は5階層で青年と相対した時とはどこか違っていた。

瞬間移動も、体を停止させる事も、その他の数々の方法で青年を苦しめられるのにも関わらず、床と天井から塔を湧き出すという地味で雑な攻撃しか取っていなかった。


今、シグマの残り『バベル』は僅か30%にも及ばない状況。

しかし、もしシグマが瞬間移動を使う度青年が穴を開けてまたその位置まで移動しては、結局消耗戦に繋がる。

ただ穴を開けてそこに身を投げるだけの―― まだ『バベル』が70%以上残っている青年と、すでにソマとの激戦によって『バベル』が30%にも及ばないくせに空間座標概念に干渉するシグマの『バベル』消費量は比較するまでもなかった。

つまり、今のシグマは使える異能力の技も少ない上、その中でも瞬間移動は完全に封印されたも当然であった。そこまでの余裕がなくなったんだ。

だからシグマ―― このプロジェクトの具現化デザイン部門担当者は、先から『バベル』を消費する異能力は一切使わずこのプロジェクトの一角を担当する自分に与えられた「塔を作り出させる権限」だけを駆使して青年と戦っていた。

しかし… シグマも認めざるを得なかった。

相手の事を知り尽くしていると自負していたシグマと

相手へのリベンジで歯を食い縛って上って来た青年。

この間で出来ていた差はシグマの予想をはるかに越えていた。

そう、青年は強くなったのである。シグマが手加減をしても勝てる相手ではなくなったのだ。――――『バベル』を使わずとも勝てる相手ではなくなったのだ。

その故シグマは舌を食い切って気を変えた。

今まで可能な限り使用を控えていた自分の『バベル』をもう惜しみ無く使おうと――――

シグマは自分に向かって飛んで来ている青年を正面から見て、完全に身動きを止めてから、『バベル』を消費した。今シグマが使用しようとする技は『空間隔離』。

自分が動かない限り、『バベル』が続く限り相手を永続的に無防備にさせられる技であった。

権限で作り出した塔が青年の体を圧迫する直前に『空間隔離』を解除すれば青年は為す術もなく下敷きにされて死んでしまうはずだ。勿論この作戦に掛かった瞬間から青年に出来ることは断念以外他はなかった。

この残酷で完璧すぎるプランでシグマは青年を確実に仕留めようとした。

が、そんな中青年の眼は確かに輝いていた。


そもそも青年は先の戦いでこの『空間隔離』の弱点にうすうす気付いていた。だから青年は自分の肉体に妙な違和感が感じられると思った途端、速やかにシグマの踵と接している地面に小さな穴を開けた。そしてその穴の存在によって体の中心が崩れ体が少し後ろに傾いたのと同時に青年の身動きを封じていた『空間隔離』も解除され、自由を取り戻した青年は間もなく襲って来る塔に剣を振るって切り傷を残した後それを視認•拡張させる事で全て崩壊させた。それから、未だに驚きの表情で後ろに倒れ掛けているシグマに向かって落下を加速した――――― その瞬間、


僕と彼の間に渦巻きの波紋が広がった。

それは… 紛れもなく4階で見たゲートであった。

しかしそれに気付いた時はすでに僕の体がゲートに取り込まれ、シグマとは1kmも離れた場所まで移動されていた。

しかし、それでも未だ我々は相対していた。

また攻めに行こうと思った瞬間、シグマはため息を付くと自身の親指と人指し指だけを広げて拳銃を撃つ真似をした。すると、シグマの指先に空間が歪み•集約されると黒い玉みたいなモノが作られた。

それは『空間の弾丸』。シグマが持つ最大最強の技。

これを出したという事はもうその戦いを終わらせようというメッセージ。

彼が小細工は全部捨てて全力で相手を倒そうと決心した事への証拠。

それを、シグマは青年に向かって撃った。



シグマが発射した空間の弾丸は、空間そのものをねじ曲げながら進んで、その軌道上の空間は言葉の通り破かれてその姿を取り戻せず完全に破壊されて行った。

青年がそれに対して開けた穴も、その弾丸が接近したことと同時にねじ曲げられ、渦巻きを描きながらそのまま消滅… いいや、正確には埋められてしまった。

青年もその怪奇な現象を見た途端危険を感知しては体を精一杯横側に傾けてみたものの、突風にでも直撃したように体が激しく揺れた。

当たったのではない。かすめた訳すらない。なのにこれほどの威力……

これは… まるで空間を揺さぶる小さな暴風。

回避困難、防御無意味の一撃。その弾丸が再びシグマの手の先に集約され始めた。

そしてそれを見た青年は固唾を飲むと、眼を大きく開けて人20人は軽く入れそうな巨大な穴を開けた。

しかしシグマはそれを悪足掻きと鼻で笑いながら弾丸を発射した。

明確な『バベル』の過消費。

もし弾丸が穴を通過し切るまでその弾丸の余波で埋められないくらい巨大な穴なら――――

その可能性に掛けて青年は敢えて『バベル』の過消費した。

しかし、青年の可能性に掛けた挑戦は……… 失敗のようだ。

青年の穴が閉ざされる速度が青年の予測をはるかに上回っていたのであった…

しかし青年はそれを前にして避けようとしなかった。そこから、眼を離そうとしなかった。青年はまだ、諦めていなかった。

青年の眼に力が入った事に応じて、青年の『バベル』がまた減り始めた。

すると、青年自身が開けて、青年が視認していて、今現在進行形で埋められ小さくなって行くばっかりのその穴を―――― 拡張させた。

弾丸によって小さくなって行く穴と、

青年によって拡張されて行く穴。

同じ穴を置いて繰り広がれている競い間の中で一つの違いがあったとしたら、弾丸は前に進んでいるという事と、すでに発射した弾丸はシグマ本人にも制御ができないという事であった。

結局青年の干渉によって穴を消滅させ切れず穴を通過した弾丸は、青年が開けて置いたもう一つの穴、シグマの頭の上から出て飛び続けた。

シグマの真っ上から猛烈に下降している弾丸。

シグマにその弾丸を避けられる余裕は無かった。

だからシグマが選んだ行動は――――

先ほど自分が発射した物と同じ空間の弾丸を、それに会わせて向かい撃つ事のみであった。

衝突した二つの弾丸は互いが互いの存在を否定するように混じり会って、ぶつけ合う事を何度も繰り返した果てにその周囲一帯の空間ものとも破裂させ、とんでもない破壊の衝撃波をこの10階層に撒き散らした。

その衝撃波の影響によって地面には巨大なクレーターが出来て、その衝突の真っ下にいたシグマの骨数個は一瞬で粉に化した。さらに、今まで数々の者達が破ろうとチャレンジして数多くの辛い思いを残してくれた内壁には罅まで入った。

しかしその衝撃からどんな影響も受けなかった、穴と穴の間を飛んで一気にシグマの前まで走って来た青年は――――― シグマの顔面を殴った。

やっと届いたのだ。

あの時はどれほど足掻いて悲しんでも届かなかったその手が今、やっと届いたのだ。

しかしシグマもやられてただでいられる人ではなかった。

シグマはそれに負けず青年の顔を拳で殴った。

互いの拳が一度ずつ交差した事で第2回戦の幕が挙がった。



青年は「穴」の能力で、空間に穴を開けて足蹴りをした。

すると、シグマが「空間」異能力でその穴が開いた空間を収縮させ捻る事で僕の足をねじ切ろうとした。

しかし、青年はそれより先に自らその穴を消滅させる事で、空間の収縮力を利用して自分の足が切断される前に弾き出させた。

だけどシグマは休む暇もなく、今度は「空間」異能力で僕周囲の空間自体を歪ませようとした。

まるで重力のように体を圧するその攻撃に青年は、その圧力に身を委ねる如く体を後ろへ倒しながら、その後ろの床に開いておいた穴を通してシグマの視野から離れた場所まで転び出た。

青年という質量体が消えた事によって抵抗なくそのままつぶれた空間は内部から閃光まで起こしながら破裂した。

しかし、その直前の瞬間、未だ床に足が付く前に、青年は「穴」の能力を使ってその破裂する空間の四方に穴を開け、シグマの四方に新しく開けた穴と繋げた。

やがて完全に破裂して爆発した大質量の爆発はシグマを死角無しで襲い掛かった。

しかし、シグマは悠々と毅然に自分の体を薄い膜で囲むように周囲の空間から分離させたのか、その爆発の影響から完全に逃れた。


……今までの10秒も掛からなかった激戦の果てに僕が消費した『バベル』の量はもう5%以上…

あれほどの攻撃と防御をしたのだ。シグマもきっと少なからずの『バベル』を消耗したに違いない。

しかしだからと言ってこれ以上『バベル』を乱用してはいけない…

僕も少しは学んだ。

そしてこれほどのとんでもない異能力はすでに沢山見た。

最初から怯えていなかったし、負ける気もしない。

だったら自分が取るべき方法は何か。

それは、異能力に頼るだけではなく、ソマさんから学んだ格闘術を全力で活用して叩き潰す…

行くぞ!!

僕は拳を握り締めてシグマに走って行った。

しかしシグマはそんな青年の姿が片腹いたかったのか見下す目線で『バベル』を少量消費した。

すると青年の足下にあった地面が歪むとそのまま沸き上がって青年の足下を消した。

これでは走れない。このままじゃ……

僕も『バベル』を少量消費した。

空中で中心を取れなかった僕は、「穴」の異能力で僕の足下と僕の視野のはしっこに見える地面を繋いで空中からあっちこっち周りながらもきちんと両足を掛けながら走った。

いくらこの塔内の全ての空間がシグマの支配下にあるとしても、ソマさんとの激戦で半分も残っていないはずの『バベル』では正確な位置も知らずに無作為に異能力を使う事はできないはずだ。

冷淡な表情で一貫していたシグマは一瞬顔をしかめるとすぐまた『バベル』を消費して僕の肉体を狙って空間を歪めて作り出した黒い弾丸を撃った。

先程も見たあの馬鹿げた弾丸だ。霞んだだけで体が空間ごと千切れて死ぬ。

しかしそれはすでに見た事だ。ならば――――― 僕は先と同じく過剰に大きい穴を開けてその弾丸を迎える準備をして、今度僕はその弾丸を成功的に流れ通した。

残念だけど、空間に悪戯できるのはお前だけじゃない!

しかし… さすがシグマが通じないことを知っても無意味な攻撃をするはずが無かった。

それも当然、彼は一応自称合理主義者であるのだ。

彼の攻撃に対抗するためには青年が過剰に巨大な穴を開けざるを得なかった上、その点はシグマもすでに読んでいた模様だ。

彼は僕が巨大な穴を開けたと同時に、僕の視野の大部分が遮られた隙間に乗って瞬間移動で僕のすぐ隣まで突如現れたシグマは、そのまま僕の側頭部を加撃して地面に何回も転がせた。

そしてその衝撃によって原型を保てなかった穴はあっという間に修復され、地面に着弾した黒い弾丸によって先まで僕が立っていた地面に巨大なケレーターが描かれた。

「くうっ…!」

僕は至急顔を上げて体勢を立て直そうとしたが、シグマは僕の目の前まで瞬間移動して来ては僕の顎を力強く振り蹴った。

「ボクは、我々はこの塔を作った崇高なる機関の偉大になる人間だ。」

対抗しようとしても一度順次敵優位を取られた彼に変檄するのは容易い事ではない……

「そして、お前はただ我々のために存在する礎。すなわちテスト・モデルにすぎないという訳だ。分かったか?モルモット。」

そして彼はまた僕の前まで瞬間移動しては脇腹を踏み躙んだ。

「しかし…… どう見てもこのプロジェクトは失敗だ… 被害だけ大きくて、人力も多数失った。全く…… 非効率の極致だ。お前に『到達』は出来とも『昇華』は無理だろう。そもそも彼奴のいない以上もうボクにこのプロジェクトはどうでも良い… だからもう終わらせてくれ、モルモット。

シグマはいつもの落ち着いた目よりずっと冷たい目で青年を見下しながら呟いた。

どうやらシグマの奴… ソマが消えた事をよほど気にしている模様だ。

しかし青年はシグマに踏み躙られる激痛の中でも根強く自分の言葉を出した。

「お断りいたします。僕、生きたいから。それに… 僕は貴方に勝ちます。」

自信堂々に返ってきた青年の返答を聞いたシグマは指先に黒い弾丸を作り出しては青年に向けた。

しかし、青年は悪足掻きのつもりか、地面とシグマの頭の隣に穴を開け、地面の穴に向かって手に握っていた剣を刺し下した。

しかしその足掻きはシグマが頭を少し反らした事で呆気なく終わった。

――――――と思った。

たかだ小さな穴。たった一度の刺し攻撃… だと思っていた青年の足掻きは、

青年の穴の枠を始めに空間その物を切り分けながらシグマに殺到した。

そのあまりにも変則的で予測外の攻撃にシグマは腰を曲げて全身を反らすことでぎりぎりその攻撃から生き残ることができた。

が、その一瞬の隙を見逃さなかった青年は横になっていた状態で最下段振り蹴りでシグマの後ろ踵を蹴飛ばす事で隙を作ってその場から脱出に成功した。


シグマを含んだ彼らがどんな目的で自分を拉致して、何のためにこの塔を作り出すなどの奇行を犯したのかは分からないけど、僕の心の中ではそれがやけに意地になった。

一応倒したい。

アルファは初めて感じる「勝利への渇望」という勢いを燃やしながら… 笑った。

高揚される心、本性に近い勝負欲、その全てのことを感じているアルファには、女の子を拉致した敵も、自分の大切な友達を死なせた奴も、生き残るために殺すべき相手も、恨むべき奴もなかった。

ただある事は負けたくない相手が目の前に一人いるという事だけ。

そう。今はそれが良い。そうするが良いわ。アルファ。私の愛しいモルモット。


伝言撤回だ!完膚なきまで貴方に勝ってみせる!

出し押しは無しだ。

ただ、今持っている全力を絞り出して、あの相手に勝ちたい。

そう心を決めた僕はしばらく息を選んでは、そのまま周囲に多数多重の穴を展開して開けてはその間を行き来してシグマの周りを走り回った。

距離が縮まる訳でもなく、ただランダムに現れて消える事を繰り返しているだけの状態。

シグマは一瞬も休まず動いている僕を横目で睨みながらいつでも対処できる構えで動かず立っていた。

そうやって僕がしばらくを走り回っていた所に、もう一つの新たな穴が開かれた。

その位置はシグマのすぐ目の前。

穴を通して入った僕はあっという間に距離を縮めてシグマの目の前まで移動しては、拳を振るった。

しかし、シグマはある程度予測していたのかそのまま体を横に避けると僕の肘と肩を掴んでは空間をひねて腕を壊そうとした。

「ふん、こう… だったか?」

彼はまるで先程自分との戦いでソマさんがやった動きを真似するように僕の腕を両手で握り掴んだ。どうやら、このまま僕の腕の筋肉を折ってひねるつもりであろう… それに彼の異能力である「空間」まで利用したら、僕の腕はもう二度と治せなくなるかも知れない…

だけど―――――

僕もニヤッと笑った。

「ふうっ!!」

僕はむしろ彼が愚っきり握っている腕を重心台にして、足を高く持ち上げ、彼の腕を包み組むように掴んだ。すると、そのまま体全体の遠心力を利用して体をひねた。無論、僕の腕を掴んでいる彼の腕も共にだ。.

そんな技、こっちはとっくに経験してんだっての!!

できればそのまま腕輪まで破壊したかったけど、長さと位置が微妙で出来なかった。

いいや、そもそも少なくともそれだけはさせなかったのだろう…

しかし、僕もそこで終わらせる気は欠片もなかった。

僕は腕の関節がひねられる激痛と共に完全に体の中心が崩れたシグマから彼の足下に視線を移して、正確に彼の足の半分だけを掛けるように穴を開けた。そして、平らだった足下に穴が出来た事によって、彼の体は後ろに傾いた。続けて、彼の体に沿って前に転がっている僕の体には、腰に力を入れて……!!

地面に落ちる時の衝撃で前に転がろうとする体を少し曲げて、左足をシグマの首に掛けて、右足を僕の左足とシグマの首の間に挟み入れて、その衝撃による慣性を利用して彼の――― シグマの首を絞め

ようとした瞬間、シグマが眼に力を入れると僕を遠くまで強制転移させた。僕もやり返しで彼の足下一台に穴を開けてその上に開けた穴に落として落下させた。

シグマはまた僕をこの階層の何処かに強制移動させた。僕もそれに負けずシグマが穴から落ち出た途端その真っ下に新たな穴を開けてまた彼の身を落とした。

ぶつかり続けて来た僕(ボク)らは血が熱くなり過ぎていたせいか、互いを倒すことだけで頭が一杯になってこの行動を繰り返すだけの、ただ攻める一方の乱戦を続けた。

空間のあっちこっちをさ迷っている青年と

果てなき無限の落とし穴に落ちているシグマ。

終わりない二人の攻攻戦が続く中で両者の体力はだんだん取られて行く一方であった。

それどころか、すでに何百回を越える空間移動による頭痛や意識の麻痺が互いの判断力を削って、より攻めるだけの一方的な交攻戦を繰り広げるだけの本能的闘争本能のみを残させていた。


そしてだんだん空白になっていく脳みその中で、青年はある記憶(心)を思い返した。

時はすぐこの前、私との話し合いの最後に彼が《自分として》進もうと決意したその日…… 一人だけの時間を送りながら青年はあるコトに思い付いた。考えの発端は単なる疑問。自分はどうしてシグマに勝てなかったのか。そして、シグマの異能力はどうすれば良いのか…

そして気付いたんだ。自分とシグマとの違いを。

どうすれば良いのかの対策までは至らなかったけど、彼はそのおかげではっきり分かったんだ。

似た異能力を持ったシグマにはできなくて、自分にしか出来ないコトに―――


青年は無限に続く強制転移の中で精一杯眼を背けて今やてんてこ舞いしているシグマの顔を視認・捕捉しては、眼に力を入れた。

するとそれに応じるように青年の『バベル』が大幅で減少し始めた。

そして…

青年の能力の使用はすぐ効果を現した。

果て無き穴に落ちているシグマの顔から

――――――目と鼻と口がなくなった。

そう。青年は使用したのだ。

空間に干渉する数々の異能力のうち一つではない、自身の、自分だけの『穴』という『能力』を使用して、シグマの顔から眼の穴、鼻の穴、口の穴を次々閉じたのであった。

これによってシグマの顔面の全ての臓器が肉に埋められたように彼の顔面上から消滅した。

これは空間の異能力を持ったシグマではなく、穴の能力を持った――― 青年が青年であるからこそ出来る事であった。


視覚も、聴覚も、嗅覚さえもなく、唯一伝わる落下感はシグマにいつもの何倍ともなる恐怖心を与え、彼は精一杯開かれていない口で叫び上げた。しかし彼の口はとっくに閉じ込められていて、それが音を成す事はなかった。


僕は知ったのだ。

似たような異能力だから分かるんだ。我々の異能力の弱点を―――

それは、認識。眼でも皮膚でも、どうにか媒質となるモノを認識しない限りこ(そ)の力は精密と真面に起動しない。


視覚も聞覚も嗅覚すらなくひたすら果て無く続くだけの浮遊感は人の思考能力と判断力を崩壊させ、最後にはじっくり精神も崩壊させる。

そして――― 度合150番目になる穴を開けた僕は今度はまた新たな穴を上ではなく、僕の両足の間に彼の首が入るように穴を開けた。

そして彼の首が僕の足の間に入った途端――― 僕は足を交差させ彼の首を精一杯絞め尽くした。


@


実際、青年の考え通りシグマもまた青年と同じく眼がなくなったら、出来る事があるとしても精々「空間の弾丸」や自身に限った「瞬間移動」くらいしかできなくなる上、それも真面に作用するはずがなくて結局『バベル』の無駄使いにしかつながらない。すなわち、彼は自分の体力とを削る行為しかできない上、ここで異能力を使用するなんて、馬鹿でもない限りするはずが無い。

ただし、青年が見落としたことがあるとしたら…… それはシグマの奴が実はその馬鹿である事であった…

――――直後、シグマは自分ごと周囲の空間一面を少し捻縮める事で小さな空間の振動を起こした。


突然の、予測できなかったシグマの悪足掻きについ手に持っていたケンさんの剣が飛ばされてしまった。

まさかこんな事も出来たなんて…

しかし―――― こっちにも手はある!

僕は穴を通しての空間移動で彼の体を急発敵に地面に突き落としながら、直ちに自分の足を再び彼の首に巻いた。

片方は広げたまま、残りの片方を半分折った状態にすることで僕の太腿と脹脛の間に彼の頭を挟み両足を密着させることで三角形で彼の首を絞めた。

彼を地面に置いたまま絞めても、彼なら再び瞬間移動でとにかく距離を置くはずだろう。

だから居場所すら把握できない空中で、それも今度は眼と鼻と口までなくしてから可能な限り素早く彼の首に僕の足をまとわりつかせた。

身体を接続している者同士は共に移動される。お前とソマさんの戦いを見て知ったお前の異能力の限界だ!

僕はそのまま彼の首に纏った足に力を入れてより狭く、より強く彼を逃す事なく確実に締め付けた。

三角絞め。

前にたった一度だけソマさんにこの技を成功させた時、いくら彼でも(地面を掘り崩す前までは)この技から逃れる事はできなかった。

ソマさんによると、(常識的には)この技から抜け出ることはまず不可能だと言った。

完璧に決まったこの技、シグマに逃れる方法はない。

青年から逃れるために瞬間移動しても、彼と接している青年も共に移動され、

空間の弾丸を撃とうとしても、その余波で最少減自分も死亡確定だ。

管理者の権限で何処かから塔を湧き出そうとしても、青年はそのままシグマまでまるごと連れて 穴を通して逃げてしまうのだろう。

つまり、どのような異能力の使用(足掻き)も無意味だった。

しかしシグマは自分の首を絞めている青年の足を叩きながら、その締めから逃れようと足搔き続けた。

しかしそうすればするほど青年の締めの強度は強くなる一方、変わることは何一つなかった。

そうやってしばらくを足搔いていたシグマは、アッチャ…… どうやらまた理性を失ってしまった模様だ。その証にこの大馬鹿の『バベル』が今までとは格違いの加速度的に減少し始めたのだ。

今までシグマの『バベル』がこんなに減少したのはたった一度、ソマとの激戦の果てに彼を焼失させたきっかけになったその時のみ。

悪い予感はすぐ歪みと崩壊となって現実に姿を現した。

先のソマとの激戦であった濤(屈曲)は鼻で笑うように今度はこの塔全体をものとも揺るがして、その余波は絶対硬度の壁に罅を入れるだけで済まされずその外壁を完全に崩壊させてその向こうに広がっている外の景色を現した。天井や床も当然崩れ始め、今空中にいるシグマと近い天井から地面に崩れて行くのであろう。

もうここにソマはいない。空間の異能力に直接干渉できるランクの異能力はもう無い。この技を止める方法はもう展開した彼の意識が完全に消える事のみ。

このままこの技の余波と衝撃で青年が先にリタイアするのか、もしくは青年の締めでシグマの意識が先に飛ぶかの競い状態。

青年は続けて絞めた。もう崩れ始めた天井から落ちて来るコンクリートの破片が落ちる事にも、なぜか頭の上で何か光がピカピカしている事も、今は全て無視した。

今はただ、ひたすら、精一杯の力を絞り出して目の前の相手、シグマの首を絞めた。絞めて絞めて絞め付けた。

そうやって… どれほどの時間が経ったのだろうか、青年が司一郎を相手しながら開けた床の穴と合わせてもはや10階の何処からでも9階の風景を見下ろせるようになって、天井の発光装置は一つたりとも残されず割れて壊れ、その上のコンクリートを赤裸々にさらけ出していた。さらに、今まで外と内部の世界を分けていた堅固な塔の壁は所々崩れて暁の夜空を惜しみなく現した頃、ようやく…… 濤(屈曲)が止んだ。

そしてそんな残骸と傷跡の中から、地面に横になって体を垂れているボロボロのスーツ姿の男性と顔面に顔がなくなって意識(命)が残っているのかさえ確認できない白黒髪男。そして荒い息を吐きながらただ立って天井から剥き出しになったコンクリートを見上げている黒髪黒目の青年の姿だけが確認できた。



気を失っていた。

やった。やった!僕が勝ったん……だ。

達成感と共に訪ねたちょうど良い疲労感が自分を眠気に沈ませようとした瞬間、僕の耳に音が聞こえた。

誰かの足音だった。その方向はこっちとは逆の方向にある丘の方からのもの……

険しい絶壁から、あの絶壁には足を触れず、何もなく、目に見えない階段を作り踏みながら誰かがゆっくりとこっちに近付いて来た。

口の程足音も静かで、長い銀髪を靡かしながら鮮明な赤目を輝かせている女性。

あまりにも馴染みのある女の子、しかしそれでいて知れない女性、彼女がそこにいた。

「おはよう?こうやって二人でお話するのって結構久しぶりね、私の愛しい少年くん。」

「……」

それが僕が彼女と交わした初めての会話であった。



「……本当に、君なの…?僕を拉致した犯人って…」

「やれやれ… そう。君が何を、どうやって知っているのかは知れないけど… 君を此処に連れ込んだ張本人、うん。私よ。」

彼女はもう隠す気も無いのか爽やかに自分の事をさらけ出した。

心の何処かではずっとあの黒いモザイクの人が言った事実を否定していたのかも知れない。

知っていたくせに心の何処かではその事実を拒否していたのだろうか、本人の口からその事実を聞くと……

知って、覚悟して、誓いもしていたのに、正直動揺した。

頭は鮮明だけど、胸の奥にはまた謎の塊が出来るようで、両拳はぐっと握られていた。

アルファはどうやらいつも自分の側にいた女の子がこのクソみたいな塔に自分を連れ込んだ張本人だという事実に思ったより驚いていな…… いいや。

「やれやれ… 思ったよりつまらない反応だね?それとも実は気付いていたのかしら?」

もう直接口で言うことにした。


今まで彼を観察して来た。記録して来た。見守って来た。あの向うでずっと、ずっと――――

昔も今も変わることなくだ。

私が離れざるを得ない状況では、彼女が代わりをしてくれていた。

だからもし観察や記録がしたいのなら後はお前が勝手にやれ。私は向き合う。


青年の淡々とした態度を見た彼女は残念だと言っているように肩をそびやかして残念なふりをすると、続けて見えない階段を作り踏みながら青年に向かって歩き続けた。

「いいや。正直未だ否定しているのかも知れない。」

「そう。」

地面に付いた彼女は静かに歩きながら、未だに『バベル』が回復されなくて動けない司一郎を何か見えない物で脊椎から胸部までをそのまま一直線で貫通した。

「にしても本当に久しぶりね?」

断末魔すら残せず死んだ司一郎には目もあげず彼女はひたすら青年のみを見詰めながら近づいて来た。

「やれやれ… 酷い様ね。それに… これでは建物と言えるものじゃないね。あの奥にもう一つの部屋が用意されているわ。さ、長くて長かった0(ゼロ)の旅立ちだったでしょう?もうじきジャッジメントの時間よ。じゃ私は先に行くから好きなだけ休んでから来てね。私はいつまでも君の事を待ってあげるから。」

彼女は青年に意味深長な言葉を残してはその場から去ろうとした。

「ちょ――――」

青年は彼女に行って文句を言ってあげたい気持ちは一杯だったけど、

だけど…… 動くための手と足は何かに挟まれて固定されたのように次第にびくともしなくなって、声を出すための所には何かで閉じ込められたように空気すら防がれていた。

「ごめんね。でも君とのお喋りはもう終わり… さようなら。」

そしてそんな状態は寂しげな彼女の後ろ姿が見えなくなるまで続いた。

青年は何もできなかった(やらなかった)。


@


彼女が去った跡、その広い白と黒の世界の向こう側にシグマによって建物が崩壊されたことで姿を現した外の景色から溢れて来た自然の光が青年の目を集めた。

どれどれ… 時間はまだ暁だった。そして果て無い黒青い色の背景にちょうどよく登り始めた夜明けの朝焼けが悠々と青年が経っている大惨事の風景を美しく埋めていた。

ああ、そうだね。新しい記憶を沢山作っても、この塔でどれだけの景色を見て来たとしても、あの美しい世界の景色は何より真心で伝わって来るはずだから――


なんとか彼女とまた出会う事ができた……

が、全ての記憶を思い出した今の僕は… 僕を今の僕にさせた君(彼女)の事を許せない。でも許した。

憎い。でも憎くない。嫌い。でも嫌いじゃない。

暖かくて辛く、めまいがする僕の胸(心)を苦しめた。

しかし…… わからない。

その訳をも知れない心情は暖かかった。

ケンさんが僕を友達と呼んでくれた時の事とは一つ違って暖かかった。

僕は彼女を殺したくない。

しかしながら…

僕はこの先を、今僕の目の前に広がっている世界より、より広い世界を観たい。

だから、僕は最後を告げる場所へ向かうことにした。

「行こうか。」

しばらく外の景色を眺めていた青年は、何故か先まで彼女が立っていた場所に残されていた友の剣を抜き拾って、彼女が歩いて行った北の端に存在するある部屋に向かって歩み出した。


@


永遠のような一瞬の時が経過して、青年が彼女の後を付いて部屋に立ち入ると、そこは円型のドームを連想させる、そう。まるでこの塔で初めて目を覚ました時いた部屋から出た時初めて見たそのもの凄く広いドームの縮小版のような印象を与えてくれる説妙な気分(歓喜)にさせる場所であった。

「やれやれ… いらっしゃい。ようやく私をその剣で刺す気にはなったの?」

その部屋に足を踏み入れた青年を待っていたのは何か見えない物に掛けて空中に座っていた防視…… 彼女の苦笑と冷やかしの言葉だった。

「いいや。僕は君が好きだ。決してこの気持ちは嫌いではないと思う。僕はそう信じている。でも……」

「うん?」

「僕は今、前に進むために君(貴女)を超える。」

僕は構えて、今や微かにしか光っていない友の剣で彼女に向けた。

彼の眼には微かながらもハッキリと覚悟が込められていた。

「やれやれ… 良い。良い!望んだシナリオとは大分違うけど、君は本当に最悪のモルモットよ。でも、最高の子だわ!」

彼女は心の底から嬉しそうに満面の笑みを浮かびながら青年を見詰めた。

「やはり君がモルモットで良かったよ!」

いつも後ろ姿しか見れなかった彼女の顔がどんどん近づいて来た。

いつも彼(か)の向こうで触れる事ができなかった彼の姿がどんどん鮮明に見えた。

そうやって二人は、この円型のドームの真中で相対するように向き合った。

そこで「塔」内での最後の戦闘が今、幕を鳴らしたのであった。



彼女に向かって速やかに走って行って振るった青年の剣は彼女の体に触れるも前にはじかれて相手に近づく事すらできなかった。

「くうっ……」

今まで青年を危機から何度も救ってくれた固くも透明な防壁が、今は青年本人が超えなければならない高くも頑丈な壁といて彼の行き先を妨いでいた。

あの防壁を突破できない限り、青年の攻撃が彼女に届く事はない。

しかしだからといって青年に為す術がない訳ではないんだ。

まず彼の手に握られている剣は、元の主の戦闘でも無敵の防壁を相手に一度たりとも屈しなかった最強の攻撃手段だ。

そして幸い青年は自分の能力の御陰で僅か微かでも何処に防壁が張られているのか程度は把握することができる。

しかしだからといって彼女も容易くやられる存在ではないんだ。

青年の眼に見えている防壁は全て彼女の周囲を囲んでいて、空間上に設置された数多くの防壁には隙間と呼べるものが何一つもなかった。

それにあの防壁は、何でも切れる。という特徴を持ったあの剣の元の主との戦いで一度しか突破された事がない程のありえない硬さを誇る物だ。

そして何よりやっかいな事は足首や腕を固定するように張られる小型防壁の存在であった。

攻撃を中断される事に限られず、走っていた時には引っかかって大きく転ぶおそれもある。

これを避けるためには本当に天命的な直感で回避するか、自分の速度を調節しながら能力を利用して防壁に隙間を作って抜け出るしかない。

…… 単の小型防壁の設置と、それを解除するための能力の重複使用。

『バベル』の燃費比例があまりにも不都合だ。

能力を使用しながら彼女の死角を狙ってあっちこっちに走り回っている青年と、ただ単に立ったまま青年の行動を妨害するために異能力を使用する彼女。

このままだと『バベル』が尽きるよりも前に青年の体力が尽きるだろう。

そう判断した青年は小型防壁の存在を警戒しながら彼女に近付けられる所まで近付いては、彼女の方に傾けるように剣を床に刺さった。

それから、青年の『バベル』が少し減ると、即時その剣を中心にして床に大型クレーターが出来上がった。

急激な地形変化に、クレーターの傾斜面の位置に足を置いていた彼女は一瞬ながら重心が崩されてふらついた。

そして彼女が立っている位置座標が変動した事によって先まで青年の攻撃から彼女の身を守ってくれていた数多くの防壁がもう機能しなくなった。

今だ!

青年は剣を持って全力で疾走した。

このまたとないチャンスを生かすために———

しかし……

「う、ううっ…!!」

「残念だったね。」

正確に突き出した剣の刃と向き合うように貼られた、たかだ指一本サイズの急造された防壁は罅は入ったものの、青年の一撃をギリギリ受け止めていた。

「でもさすが二度は危ないね。」

「うっ?!」

青年が踏んでいた地面から見えない何かが斜めに盛り上がると、青年の体を一瞬少しだけでも空中に浮かばせた。

今まで防御や邪魔のためだけに異能力を使用していた彼女の目付きが変わった。

その直後青年には床に落ちる感覚は一切なく、背中に固い壁の間直が直ちに感じられた。

そして、それっきり彼はあの遠くの壁まで飛ばされた。

「くうっ…!」

速やかに剣を支え台にして立ち上がった青年の眼に見えたのは自分に向かって素早い速度で襲って来る巨大な防壁の存在であった。

そう。まるでそのまま青年をぺちゃんこにするような勢いで……

青年は両眼を大きく開けて襲って来る防壁に全ての精神を集中させた。眼をぐっきり開けてその防壁の事を視認したおかげで、体を投げて圧死の攻撃からギリギリ避けられたけど、そこにだけ目が行き過ぎて彼女がその防壁と共に送った小さな防壁の存在に気付けず、また壁に頭をぶつけた。

素早くて、鋭かった。

まるで先まで防御にだけ専念していた事が嘘でもあるように彼女が直接青年に攻撃を殺到し始めた。

目も真面に開けられないくらい四方から最強の硬度を持って回転までしながら襲って来る防壁のブレード、鋭い防壁を作り握って体を切断するために振るう数々の斬撃、手足を防壁で固定されてから鋭い防壁で腹部を刺そうとする攻撃など… 息をする暇すら与えない猛攻が続いた。

どうにか流して、能力で穴を開けて手足の自由を取り戻して、こっちも剣で対応する事で身を守る手を取っていたが、座標という空間と絶対的耐久力を持った防壁を作るなどの青年よりずっと卓越に自分の力を扱っている相手を前にしてはもう為す術が……

空間…?

一瞬、あるアイデアが閃いた青年は直ちに自身の後方に巨大な穴を開けては、この部屋の入口付近まで穴を通して移動した。

空間の穴を利用した転移。青年がこの塔に入って一番最初に成功した能力の活用。確かにあの時は手だけだったけど、今は全身を移動させる事も大したことではなかった。

一応これで距離は確保できた。

しかしこれからどうすれば良い?

青年は精一杯頭を回した。

今この瞬間を打破するための策略を。逆転の一撃を入れるために。

今までの防視との時間を振り返って見た。そして彼女と今相対しながら知った戦闘パターンを一つずつ思い浮かばした。

違う。これじゃない。もう少し… もう少し前の記憶……

そう。ケンさんと防視の戦闘…

そしてそこから一つの可能性が青年の脳裏に閃いた。

空中で足下辺りの空間に穴を開けこの部屋の床と繋いだ後、その穴の向こうの床を蹴って防視に向かって跳んだ。

足場のない位置からの、予測できない加速。中々変則的な動きであったはずなのに、彼女は今度も慌てる事なく広くて頑丈な防壁を張った。

集中しろ、集中しろ… 集中しろ!集中するんだ!!

普段より3倍は早い速度で『バベル』が消費されて行く。

そして―――――

その瞬間、青年が振るった剣に… 彼女の防壁が散散に砕かれた。

「……え?」

「行くぞ!」

続けて振るった次の一撃も彼女の防壁を砕けながら降り刺さったが、瞬間的な剣と防壁の衝突による摩擦のせいか剣の刃は彼女に届く事なく、ギリギリ床をこそぐだけで済まされた。

「何をしたの……」

「いや… 少し頭を使ったまでだよ。」

そう難しい事ではなかった。

この前ケンと防視の戦いの中でたった一度、防視の防壁が破壊されたことがあった。

そしてそこで微かにだけど、壊れた防壁の破片が六角形の形を取っている事が、青年の眼には見えたのだ。


蜂の巣の構造。蜂の巣は正六角形のパーツが繋がって出来ており、世の中の何よりも頑丈な構造であると伝わる程の耐久性を誇ると言われている。

彼女の防壁自体もあり得ない耐久性を持っているのに、それにそんな蜂の巣を模倣した構造で形成させていたとしたら、その頑丈さは実に想像以上であったに違いない。

確かに彼女の防壁がそんな構造で出来ていた。だから斬撃と衝撃を緩和させて、破壊する事は決して簡単なことではなかったのだろう。

しかしだからと言ってその構造が最強だとは言い切れない。

六角形と六角形が繋がっているその間の隙間。そこを「何でも切れる」あの剣で正確に狙い当てる事さえできるとしたら…………

そして結果は、大成功だった。

確かにあの透明な防壁の隙間を見つける事は断じて簡単なことではないんだ。

しかし青年の能力である「穴」を活用して極度の集中力を発揮すれば、それは絶対不可能の事でもなくなる。

結果的に作戦は無事に成功したし、彼女を追い詰めることまでも成功した。

しかし唯一問題があるとしたら、この手を使うためには普段の何倍ともなる『バベル』を消費しなければならないという事であった。

そうじゃなくても先までシグムンドと司一郎、そしてシグマとの戦闘まで終えた直後であるため、青年の残り『バベル』は全体の20%を下回っていた。このまま長期戦は不利だ。

「これでお終いだ。」

「いいや、まだよ。」

彼女に向かって剣を振るおうとする青年と、再び防壁を作る彼女。

おそらく彼女なら教えてあげなくとも青年の能力と自分が置かれている状況からどうやって突破されたのかを把握したのであろう。

そしてまた激突する剣と防壁。そして今度は呆気ないほど彼女の防壁がそれぞれの形の破片で散らばった。

おそらく正六角形の防壁が敗れたため、今度は防壁を丸い形で貼ったらしいけど、正六角形の構造を持たない防壁にはあの剣を受け止められるまでの耐久性がない。

そして青年はさらに内側に進むための一歩を踏み出した。それから、肩を挙げて腰の中心を少し回転させる。足が地面に振れると同時に反射的に腕が開かれてその手に握っている剣が彼女に向かって突き進んだ。


……僕が剣を持って刺し出すまでのその一時の瞬間。その小さな動きの中で僕の脳裏には様々な考えが行き来した。

君が連れて来て期待した僕は、一体誰だったんだろう?

僕は明るい子供だ。

僕は記憶を失ったモルモットだ。

僕はあの女の子が好きな少年だ。

僕は座絶をこの身に背負って進む青年だ。

僕は人と出会って人を知った人間だ。

僕は僕だ。

そして…… 僕はもう二つの足で立ち上がらなければならないんだ。

自分の両足で立って、自分の両眼で外の世界を見て、思考して、判別しなければならないんだ。

そのためには………


僕に刃を向けている、彼女の側で彼女を守るために、僕を攻撃するために作られた無数の防壁。

あの透明で硬い壁は、未だも力一杯集中しないとよく見えない…

初めて防視と出会ったあの時とあまり変わった事無く上手く見えないんだ。

だけど見える。

今まで積み上げた、「今の僕」の眼には――――――

わずかながらあの硬くて雁高な壁の存在が観える!

戦える。向き合える。いつも守られるばかりで、真面に守ってあげた事もなかったあの銀髪の女の子、僕を此処まで来させてくれた支持者……

此処に、こんな経験と記憶を持った僕がここに居られるのは… 言わば良い意味でも悪い意味でも、全て彼女のおかげだ。

だから僕は彼女が嫌いじゃないんだ。

だけど―――――― 今はもう此処から出る時になった。

僕自らもおかしいとは思うけど、それでもそれが僕の選択だ。

僕は、この塔から出るんだ。

それ故、今一度だけでも、前に進むために君(貴方)を越える!

……これは決して憎しみも、怒りも、やがて殺意すらない。

ただ… ただ…… この狭い世界を越えてより広い世界へ進むために行うべき儀礼の一撃。

胸の真中を貫いた煌々と輝く剣はそのまま肋骨を壊し、心臓を貫通した。



何でも切れる剣。

あの子の友達が作り、今はあの子がその手で道を切り開かせてくれる… 私とはまた違うあの子の支え。

きっと私の肉は切られて骨は砕かれたはずなのに…… なぜか苦痛なんて欠片も感じられなかった。

しかし… なんでだろう……?

この心だけはあまりにも痛かった。

彼がもう此処を出ると思うと、もう死んで行く自分の体より先に彼の安否がずっと心配になった。

きっと、心を決めたはずだったのに………


やれやれ… まったく、私っても困った人だ……



よろめきながらも出口に向かって真っ直ぐ歩いて行く彼の姿を最後まで見守りながら、彼女(先輩)は目を閉じた。



さぁって~ これで彼(青年)は人として自分の道を歩み始めた。

君のその覚悟のおかげで『彼奴』とその組織の目的は半分失敗と化した。

心から感謝するよ。

……でも、それだけでは困る。

《あの御方》に『彼奴』はどうしても邪魔だ。

少なくともその組織は消さなければ…

だから――――

私も覚悟を決める事にして、先ずは死にかけている彼女に近付いた。

「だから君も宜しく、白い女の子(先輩)ちゃん~」

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