8. 少年、手を伸ばして成長する。

………………

…… ……目を覚ますと、そこは4つの鏡の壁で囲まれた小さな鋼鉄の箱の中であった。

少年は何処を見ても自分しか写っていない狭い構造にかなり驚いたのか視線の置き場に困っていた。

そう。そこはエレベーターの中であった。

だとしたら少年はエレベーターに乗ってから気を失ったのかな?

いいや、それはありえない。だって、この塔にはエレベーターが設置されていないんだもの。


今起きた事に疑問を抱いている少年の脳裏に、何処かから誰かの声が聞こえて来た。

どこか聞き覚えのある声。

明朗で悪戯気が込められた話し振りではあったが…… それでも、その怖気立つ冷たい呼び声は少年をより深い場所へ引きずった。


しばらくの時が経って、少年を囲んでいた4つの壁のうち正面の壁が真っ二つに分けて広がった。

その壁の向こうには、真っ暗な闇しか見えなかったが、少年は意に誘われるがままにそこに足を踏み入れた。

随分勇気があるね~ えらいえらい。



ずっと続く闇を超えた少年の目に入ったのは―――― 子供が残したような落書きに、褪めて剝れた壁紙、そしてモノサシで刻んだような印がたくさん残っている木の柱がその年月を現している……… そんな古い建物の中であった。

そして、呼び声の主と思われる黒いモザイクの人――――私がそこに居た。

「こんにちは?」

「はい。こんにちは。」

そう。ここは君の「深像世界」。ここに君が隠せる嘘はなく…… このプロジェクトの中枢に該当する、君への試練なんだからね。

「では、君は今まで何をして来た? 私に、聞かせてちょうだい~ 君自身の口で。」

私の質問に応じて、少年は数十分に掛けて今まで経験した自分の物語を全て語り出した。

初めて目を覚めた時の当惑感、暴力への恐怖、疑問、生き残りたい渇望。そして、唯一である友達の死、今女の子が拉致されたこと、ランという過去の先生の死、少しずつ戻っている自分自身という存在への戸惑いまで。その過酷な経験からの衝撃、思い出、悲しみ、苦しみ、苦難、混同、混乱。そして、それによる自分の鬱憤と嘆き。さらに、自身すらまともに把握できない正体知らずの塊をただ単に目の前の私に浴びせた。

奥に引き籠っていた想いを自分の意思とは無関係で強制的に引き上げたせいか、少年の顔には5階層で見せてもらったあの卑屈さを取り戻しつつあった。それに、これで少年もはっきり分かったのだろう。

此処には嘘も、隠せる真実も無いってことを。

「悔しい?」

「悔しいです…」

この空間の影響によって、少年の口からは敢えて隠そうとした、消え切っていない暗闇の欠片が抑えられる事なく素直に口から流れ出た。

「憎い?」

「憎いです…」

「なんで~?」

「防視(ほし)とケンさんを…… 皆を、僕から離れさせた。悔しい… 憎い…… 僕たちをこんな目に会わせた彼奴を… 決して許せない!」

「じゃ、誰を許せない~??」

「シグマ!!」

「はははは! 可っ笑しいな~ なんで?」

「……先言ったじゃないですか…」

「うん。だから~ 君って、変!いいや… 酷い自己中心的な子供だね~??」

「何の…?」

少年は今私が何を言っているのか理解ができなかったのか、ぼんやりとしていた。

「あらら… 本当に僕は知りません~って白気取ってるじゃん… 気付けないの? 君は、今までその二人を戦わせたシグムンドではなく、君に屈辱と無力感を感じさせたシグマの名前ばっかり叫んでいるんでしょ? なのに君は悲しみで挫折した時も、怒りを納めず暴走した時も、それに今も… 君はあの二人のために怒った事、悲しんだことって、一度でもあったかい? 君は自分が寂しい、自分は可哀想って言うための言い訳としてあの二人の事を――――」

「うるさい!!うるさい!うるさい!!!違う… ちが、ち、違う… 決して、そんな……」

「さぁ~ どうだろうね~?」

私はカラカラと笑いながら少年を苦しめた。

どうやらかなり効いたのか、少年は目と耳を塞いで座り込んで体を丸くした。

「ふふ。君は今何を最もやりたい?」

「それは… まず防視を助けに行かなくちゃ……」

しかし私の質問を聞いた少年は、座り込んだ状態でも、今本人が思っている想いを口を通して吐き出さざるを得なかった。

ただ悩む事より、一刻も早く危険に置かれている彼女を助けに行くのがずっとマシって訳か………

私は少年をより攻めることにした。

「ぷははははは!!」

私はつい腹までよじらせて大きな声で笑ってしまった。少年の方から見るとかなり残酷な笑いであっただろう。

「あ、わりわりぃ~ 何って言えば良いかね?残念?可哀そう?せつない?いいや、そうだ。バッカみたい!うん。君が、と~てもバッカみたくてさ~~」

「はい…?」

「君、本当に知らないの、それとも未だに気付いてないふり?」

「な、何を……」

少年の顔に影が映り始めた。

「防視、あの人こそ君をここに連れ込んだ拉致犯本人ってことをな!」

待ちに待った真実を告げた途端、少年の顔から血気が完全に消え去った。

少年は知っているのだ、この空間に嘘は存在しないということを。

少年は知ってしまったんだ、私の言葉が紛れもない真実であることを。

だから必死に否定した。自分の事を支えてくれていた存在を亡くさないために、すがるところを無くさないための悪足掻きであった。

現状維持のための… 単に子供の生存本能であった。

「なんだなんだ?本当に気付かなかったの?マジのマジで?!」

「ぁ……っ、な…」

少年は口を閉じられず言葉も成り立てない一方だった。

「マジで~?!バッカじゃねぇの? ぷははははは!! あぁ~ バッカみたい。」

少年の顔は今まで見たこともないほど悲しみと絶望感に満たされ、一生懸命その真実から目を背けていた。

それもそうだ。実の親でもないのにずっと一緒にいてくれて、いつも守ってくれていた者が実は自分をこんな目に遭わせた張本人だなんて…… これって中々のサプライズだもんな~

「それに君も見ただろう。彼女が君のお友達をガバガバにする光景を。」

「うっ!うぅ… それは、ただ… そう。ただ彼奴らに操られて仕方なく……」

「実は君も知っていたんでしょう?それとも…… 君はいつまで君自身を騙すつもりかね~?」

「……いいや…」

少年の声は喉に詰まり、柄空きの空気のみを口から吐き流していた。

「まったく… 本当バッカみたかったよ~君。観察している私のむやむやな気持ちも少しは分かってくれよ、もう~!」

さて、個人的ストレス発散はここまでにして――― そろそろ仕事をしようっか…

「さぁ、もう思い出すべき番だよ。」

…………………………

……………………、………

……、……世界はまた闇に包まれた。


目を覚ました。赤い空と廃墟の道。僕の名前はトオラ。赤ん坊であった。周りの数多くの威嚇から僕を守ってくれていたのは、薄い毛布一枚という唯一無二の壁だけであった。町の真中に一人で放置され怯えていた僕に、誰が近づいて来た。

その人はウエーブが入ったブロンドの男性――― ラン先生であった。

ラン先生に拾われてからの生活はまったく、穏やかさと楽しさで満ちていた。何不自由無く楽しく遊んで騒いでいた幼い僕は、いつまでもそんな生活が続くと信じて疑わなかった。それほど、其処での生活は楽しかったのだ。

しかし……… その楽しい生活の終わりは突然僕の前を訪ねて来た。

黒い車に乗って表れた人たちは、友達の群れで遊んでいた僕を強引に彼らの車に乗せようとした。何故か体が動かない僕とは違って、僕の友達はそんな僕を助けようと取るものも取り敢えずその人たちに駆け付いた。

しかし… わずか13歳にもならない子供たちが大人に、それも異能力を使用する人に勝てるはずも当然なかった。

そうやって一人一人、僕の友達が僕の目の前で空中分解されて消えて行く事をただ見届けざるを得なかった。目からは涙が滝のように流れたのにも関わらず、どうやらその光景を遮るには途轍もなく足りなかったようだ………


その後僕はある所で目を覚ました。

体は浮遊感に浸っていて、目は上手く開けられなかった。そこは、いわゆる恒成分培養槽カプセルの中であった。

一体どうなったのかはさっぱり分からなかったけど、どうやらその黒い車の人たちに拉致された後、ここに閉じ込められたと考えられる。

それからしばらして目を開けてみると、真っ白な床と天上、壁に―――― 彼女がいた。

僕が知っている姿とは少々違っていたけど、長い銀髪に、赤い目。防視(彼女)であった。

「おはよう…? 君は、私の話聞いてくれるのでしょう?」

カプセルの向こうで意味深な彼女の声が聞こえて来た。


それから彼女は何度も何日も僕の前に現れて自分の話を呟いてはまた帰った。

「もうすぐだね… あともう少しで始まってしまう。」

訳も分からない事や、自分の身の上を嘆くばっかりの話しかしなかった彼女の姿は… 何故か寂しくて小さくだけ思われた。

そんな彼女の目は、

一体なんだったんだろう……


たしかに…… 僕はただ周りによくいる孤児であって、ラン先生に拾われてからは皆と一緒にそれなりに豊かで平凡な日常を過ごしていた。しかし、誰かの―――― ある目的のために、ある組織に拉致され…… 記憶も、過去も忘れられて、その誰かの意のままに実験のためのモルモットになった。

そして僕は誰かの狙い通り全てを忘れて、ただこの塔(小さな世界)の中で生きた。実験に助力する事になった。彼女の思うがままに――― 利用されていたのであった。

しかし……… それなのに、この小さな世界での生活は満更嫌ではなかった。守りたいと思えた女の子ができて、友達と呼べる人もできた。辛い事も沢山、いいや、ほぼそうだったけど、僕にとっては偽りのない幸せな瞬間があった。

しかし…… 守りたいと思えたその女の子が実は自分を拉致した真犯人であって、彼女の手に唯一の友の首は飛ばされた。そして僕は数え切れない残酷なコトを見て聞く事になった………

「悔しい。悔しい。彼女が、防視という存在があまりにも憎くて憎悪する!そうでしょう?」

「それは……」

「そうでしょう?彼女は「君」という存在を完全に奪った存在なんだよ。」

心が混同し、矛盾され、ぶつけ合った。

頭がずきずきして、手足の先は誤作動を起こしたように震え、胸は密閉された空間に閉じ込められたのように苦しかった。苦しかった。

「ああああああああ!!!!」

だから叫ぶことにした。

「あああああああああああ!!!!!!!」

「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

叫んで、また叫んだ。この胸に引っ掛かった塊を全て吐き出すことを願いながら、続けて、続けて……

この叫び音でもうあの黒いモザイクの人の声が聞こえないことを祈りながら、続けて、続けて……

結局、どれほど叫び出しても変わったのはただ涙が流れ始めた事くらいだけだった。



…………………………

……………

…………………この木造建築の小さな窓から見える上弦の月が山を越え見えなくなるまでの時間が経った。

僕はただ単に両目と両耳をふさいでは全身を丸く巻いて、精一杯うずくまった。

世界と隔離されるように、このまま周りの全てが両目を塞いだように真っ暗に消えてしまうことを祈りながら………

しかし、黒いモザイクの人はそんな僕の姿が楽しいのか僕の前に屈んで、先からぴくりぴくりと笑いながらこっちを見ていた。

「少しは落ち着けたの?」

こっちの反応を期待しているような語調で話しかけて来た。答えたくも無かったけど、口が開いた。

「まだ……」

「ま、そもそも君がそれを負えるとは思ってもいなかったよ… どうせ君という者の存在価値は、彼奴らの偉大なる証明のためのモルモット。それ以上でもそれ以下でもなかったんだから。たかだか実験用のネズミにどうやら過ぎた期待をしていたようね…… そのままにいて。私が終わらせてあげる。そして、また最初から繰り返せばいいんだ。そもそもね、君がどれほど足搔いて、否定しようと、過去の事実はどこにも消えない。ずっとずっと君の周りに居残って君の体を壊す刻印になるんだよ。」

黒いモザイクの人は恐ろしい暴言で僕を容赦なく扱き下ろした。

ああ― そういえば… 前にもこんな風に暴言だらけを聞かされた覚えがあるような気がするな………


―――――やれやれ、貴方はまたそうやって座り込んでいるだけですか?

貴方は私の教えを受けた私の生徒です。私が誇れる学生です。

それとも、貴方は所詮これくらいでしたか?


……………久々に聞く懐かしい嫌味に、自分も知らず笑ってしまった。

「うん??」

「僕… やはり行きます。」

「え?何?!じゃ君はその頃の君を、あの可哀そうな子が過ごした日々を、その子の生を自分の足で踏みにじるとでも言っているのかい?いいや、君がその傷跡を抱えて歩み出せるとでも言っているのかい?!!」

…………分からない。

正直そんな資格が僕自身にあるのかも分からないし、そうやれる自信も正直無い。

しかし………

それでも、僕は諦めたくなかった。

このまま今を諦めてしまうには… 勿体ないんだ……

僕はよろつきながらも、力を入れて立ち上がった。

しかし僕が此処の扉を開けようと起きたとたん、扉から凄まじい熱気が僕を妨げるために襲い掛かった。

凄まじい冷気が僕を動けなくするために吹雪となって吹きすさんだ。

暗い闇が僕の周辺を覆って周りをまともに認識することをも困難になった。

熱風と吹雪は突風になり、闇は静寂になって僕の行く先を遮った。

痛い。怖い… 肌が燃えるように焼かれた。全身の震えが止まらなかった。一歩を踏み出す事にすら怖気になった。

さらに、この全ての事が扉を開けた瞬間、これよりずっと巨大な事になって自分を襲い掛かるかも知れないという暗黙の恐怖が僕の足をより重くさせた。

しかし、僕の頭の天辺から爪先までを成している全て(事と物)が――――― 悲しみが、苦痛が、安堵が、安逸さが、冗漫が、油断が、屈辱が、信頼が、憤怒が、暴走が、後悔が、学びが、習いが、覚悟が………… その全てが、僕がこの塔を上りながら得られた――― ここに至るまでの過程(過去)が僕を支え、膝を折れなく、屈しないように立たせてくれた。


―――――精一杯足搔いて生き残れ!


そう。

何一つ無駄なことは無かった。無意味なことなんてそもそもなかったんだ。

「今」さえあれば、過去に学んだこと、感じたこと、笑ったこと、泣いたこと、痛かったこと、うまくやれたこと、うまくやれなかったことまでも… その全てのコトが――― 今の僕を成すための素晴らしい、そして自慢は出来なくとも… 自信は持てる一つ一つの僕の欠片になっていたんだ。

僕は僕だ。

そのすべての過程があってこそ、「今」こうやっていられる……「今此処の僕」だ。

だとすれば僕がやるべきことに変わりはない。


―――――進め。倒れるにはお前のその時間が勿体ない。


歩むこと。

前を見ても、横を見ても、後ろを見ても、上を見ても… まして、走ることが難しいと言えども、歩くこと。進むこと。止まらないこと。何処かにでも足搔かないと…… 僕はただソコに居続ける事しかできなくなってしまうのだから。

「僕は…… 行きます。」

「本当に彼女を許せるとでも言っているの?」

僕は苦痛と座絶に満ちた足どりの先に、ようやく扉の把手を掴み握った。

僕が「決意」を持って扉の取っ手を握ると、僕を遮っていた数多くの事(苦難)がまるで秋風のように感じられた。

「さぁ… でも、彼女がいなかったら僕は未だに「ここ」にいたはずです。まるでさっきまでのように…」

「……はたして、君はその先に広がっている道を進んで行けるのかね?」

黒いモザイクの人はまだ見えない扉の向こう側を指差しながらそれとなく言った。

「どうでしょう。それでもやってみます。もしダメだったらまた戻って来ます。今とは違っているかも知れませんが、その時はまたよろしくお願いします。」


―――――大丈夫… 大丈夫。


僕は力一杯扉を開けた。

その先には割れた大地と、その別れた隙間から人の身体部位と思われる物が散らかっている……… 果てない地獄のような光景であった。

しかし僕はなんとか真っ直ぐ正面を見詰めて、その先に歩み始めた。


朝の太陽が昇り始めた彼方に向かって、アルファという名の少年…… いいや、もはや「青年」と呼ぶべき彼は二つの足で、真っ直ぐ前に進み出した。


そして、時間が流れる事を思い出したのように昇り始めた太陽を前に燃え始めた小さな木造施設の中で、咲き始めた白い薔薇の峰と黒いモザイクの人(私)は… そんな彼の事を見送っていた。

「そう…… 中央の柱(成立)に辿ったのね。先輩が君のことを気に入っていた理由、少しは分かったかも……」

私は知っているのだ。

この空間に嘘はないことを…

彼の、青年の決意に揺るぎなど無いということを――



「青少年!おい!大丈夫か?!」

目を覚ますとそこは10階層に繋がる階段の前であった。

あ…… そうか、戻ったんだ。僕は... 今に戻れたんだ。

……………生きた。

ソマさんはどうやら意識を失って倒れていた僕を抱えてくれていたようだ。

「ソマさん、ありがとうございます。」

その時…… きっと、皆との記憶とその想い一つ一つが無かったら、僕は結局そこで崩れ終わったはずだ。

そして、僕を支えてくれた数々の事の中にはソマさんの言葉も確かに有った。

ぼんやりでよく覚えてないけど、何故か倒れかけた僕の背中を力強く叩いてくれたような気がした。

「あの… 本当にすみません、いろいろ…… 後1時間だけ… 待ってくれませんか?」

ソマさんは僕の突然の頼みにも静かに「分かった」とだけ言って席を外してくれた。

まったく…… 良い人だ。

とうとう一人になれた僕は、やっと目を隠して、一人だけの時間を……… 精一杯流した。

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