6. 少年、感情を得て立ち上がる。


それからはただ乱暴に暴れる一方であった。知らない。どうすれば良いかを。だから単に走りまくった。しかし、満たされない空虚さは癒されず、自分から生まれた怒りは方向性を知らず他人への怒りに被せた。出くわした人は皆殺した。自分の異能力で、この手に握ったモノを振るって殺して、殺して、殺して、また虐殺した。この気持ちを収めるために、吐き出すために、怒りを形に変えて行動で噴いた。

行動することに置いて考え事や悩みなんかは贅沢でしかなかった。その時その時の気持ちを、一瞬の欲望を満たすためだけに動いた。それによる責任やこれからの行動なんかは一番最初から穴の奥に捨て置いた。

そう。これは規則に縛られていた僕自身への反抗。

そう。これは責任の置き場に迷ってひたすら目をそらして世界のことを責めるだけの腹いせ。

 ただ上に… 上に向かった。

自分が追っている者がここより上にいるのかはとにかく、今、またあの女の子と共に過ごした所に戻ってしまうと完全に崩れてしまいそうな気分がしたので…… 目を逸らすように、逃げるように、そぞろ上に向かった。

………8階層に到着したのはあっという間であった。



炎の岩石を吐き出している山があった6階層と、空から無数の雷が降ってくる7階層とはまた違う雰囲気を漂っている8階層は、削り作ったかのような岩壁と、どこを見ても硬い岩だけが存在している場所であった。空腹感も、のどが渇いている事すらも感じられなくなった今の僕にそんな風景なんかは一々どうでも良い事であった。

しかしただ一つ、そこに居た旧知。

薄黒い景色の中でキラキラと自分の存在感を放っているランさんだけが僕の興味を刺激していた。

ランさんを見た僕は今までと同じく彼の底に穴を開けて中心を崩すと同時に剣を振るって目の前の存在を両断しようとしたが、光の翼で飛んでいたランさんは飛び上がる事で僕の攻撃をあっさり避けた。


「どうしたのですか? ………何かありましたか。」

私は彼の様子を見て、まずは話をすることにした。共にいたあの女も見えない故、何より…… 彼の絶望に満ちて涙を流しているその姿を見てただではいられなかった。

彼はたちまち剣に頼っていた身を倒し、地面にどっかりと座り込んでぶるぶる震えながら独り言をつぶやき始めた。

「僕を…… 一人にしないでください。ケンさん… 防視… 何で、なんで、なんで僕に…… 寂しい、痛い、知らないよ、いやだ。もういやだ。痛いのはいやだ。僕を放って置かないで………」

すすり泣きながら嘆く彼の姿に、私は自分の腹を撫でながら顔に微笑みを浮かばせた。

「やれやれ、いきなり攻撃してくるなんて、私のこと、今は思い出してくださったのですか?」

「………いいえ、まだ… それも分かりません。顔は、顔は記憶、ありますが、それっきりで…」

彼は辛うじてこっちの話に応じてくれた。

すすり泣きながら嘆いている彼の姿に私はもっと大きく笑い始めた。

「そうですか… 承知しました―― でしたら、貴方にいいことを教えてあげましょう。」


別に彼の話に耳を傾こうとしたのではなかったが、僕の顔に付いている耳はつい彼の話を聞き入れてしまった。

「やれやれ、貴方がこの塔に入ることになったのは、貴方に辛い思い出を残したのは―――――― はい。他でもないこの私が犯人です。」

彼の話を聞いた僕の体内では熱いモノが回り始め、頭はさらに乱暴に、そして鮮明に動き始めた。

この瞬間僕の怒りは極に達したと同時に対象を得た。



僕はランに剣を振るった。しかしランはあまりにも簡単にそれを避けた。再び剣を振るった。しかしランはまた避けた上、今度は空高くまで飛び上がった。僕はただ剣を振るった。しかし地にいる僕が振るった剣が空にいるランに届くはずなかった。それでも振るった。振りまくった。自分はやれないと心の何処かで烙印を付けていたせいか、別に残念だとか腹が立つ事などはなかった。ただ… やはり、という考えのみであった。

「やれやれ、まさに鶏を追っ掛けまわしていた犬が屋根ばかり見つめている様ですね。それに反して私は烏が好きです。あ、今の貴方の姿がまるで空に吠える犬のようだという事です。貴方にはあまりにも難しい言葉でしたっけ?それとも自分自身への自覚が足りないのですか?」

「……!」

僕はすでに半分以下しか残っていない『バベル』を消費して自分の目の前と空中にいるランの前をつなぐ穴を開けては、そこを通して剣を刺し―― 振るった。しかし、その方法ですらもランの数少ない羽ばたきによってあまりも簡単に避けられた。

やっぱり… ダメだ…… 僕なんかがあんな高さの場所に届くはずもなく、何かをやり遂げられるはずもなかったんだ。

だから僕はただその場に座り込むことにした。

「やっぱり… 僕はダメだ…… 僕なんかに何かができるはずがない……… 所詮こんなもんだから、皆僕から離れて行くんだ… なに、何を……」

それからただひたすら自分を抱えて嘆きを呟いた。

しかしそれを見下ろしていたランはどうやら呆気なくなったのかため息をついては、またも僕の事をからかい始めた。

「そんなに自分を責めると疲れませんか?そんなことより自らそんな風に責められないように補い続ける方がずっと尊いと思いますがね。」

しかし僕は彼のどんな言葉にもびくともせず体を抱き続けていた。

「私は貴方と真面に遣り合いたいのです!無力に膝まくって涙なんか散らしている貴方などではない、真面な貴方と戦いたいのです!そろそろ起きてくれませんか?いいや、それとも… 貴方は本当に精々こんな醜態を見せるためにこの階層まで上って来たのですか? 全く… 情けありませんね。」

彼の続く督促とくだらないお説教に、僕は対象を得た怒りを鬱憤に変えて引き出し、ありったけの言葉を吐き出した。

「友達が!友達が死んだんだ!!皆僕から離れて行ったんだ!苦しいんだよ!!悲しいんだよ……」

僕は今まで数多くの苦難と逆境を経験し、それらを何とか乗り越えて来たと自負している。 しかし… でもこれは違う。友達が死んだんだ。知り合いが死んだんだ。共に話し合って笑った彼が目の前で死んだのだ。少しくらいは悲しんでも良いのだ。

「友達って、その剣を預けた者ですか?確かに、それで貴方が悲しもうがなかろうが、それは貴方の自由です。しかし今貴方が直面している問題は本当にそれだけですか?上るべき階段は多く、倒さなければならない敵も、いつ貴方に襲い掛かるかも知れない数多くの敵を前にしてもそんな風に自分の事情だけに酔っている御つもりですか?あ!今も私を前にしてそんな情けない姿を見せていることを見る限り所詮そこまでのようです。」

「僕も知ってる!!」

「知っていると主張する前に知るという事を行動で証明してみなさい!言葉だけであるのはこの塔の外に沢山です!現実から目をそらす前に悲しみを受け止める準備をしなさい!!」

「―――――――!!!」

ランの続く余計な説教を聞いていた僕は頭を抱えながら大声で叫び出したが、ランはそれに気を使わずまた自分の話をやり始めた。

「やれやれ、重苦しい時は叫ぶのも良いでしょう。しかし… 貴方は全く見上げようとしませんね。情けない姿が、はい。今の貴方にとてもお似合いです。」

「―――――!!!!」

僕は腹立ちまぎれに出てくる鬱憤を叫びながら手の剣をついランに向って投げた。

しかしランはその見苦しい足掻きすら自分の翼で受け止めて見せた。

「いくら何でも友達を投げるなんて、これはいけませんね? ……まあ、これは返しましょう。これすらなければ貴方は立ち上がることすらできないはずですからね。」

彼はそのまま翼で掴んでいたケンさんの剣を手で握るとその剣を僕の目の前に落とした。

「失うのが嫌なら何かを失わなくても良いほど強くなりなさい!すでに遅いならそれ以上に工夫して努力することで対策と改善案を探し、それを取り戻したり補おうとしなさい!」

僕の干からびた眼の、その鼻の先に差し込まれた剣と向き合うようになった僕の脳裏には、ある過去の一言が浮かび流れた。

⁽だからどんな場合でも、精一杯足掻いて生き残れ。今は、ただそれで良い。お願いだから…⁾

そう。それは…… 2階層から3階層に上がる途中にケンさんが僕を励ましてあげようと言ってくれた言葉だった。

今も、いいや、今はあの時あの言葉にどんな心が込められていたのかを知る術がさらに亡くなった。しかし、それでも彼の言葉は僕に残っている。彼の頼みはこの一本の剣(彼が残したモノ)にまだ残っているのだ。

僕はまだここに居る。生きている。

「貴方の友達は今のこんな姿を望んでいましたか?!」

そうだ。僕は…… 彼の最後の言葉すら、それすら守れないと…… それこそ本物のクズ野郎だ… ぜ!

僕はほんのわずかではあったが何かをやってみたくなった。やり遂げるかは知れないけど、やりたくはなった。どうせダメかも知れないけど、多分そうだろうけど… それでももし死んだ後にケンさんと出会った時に言い訳くらいは出来るようにしておきたい気持ちになった。

だから考えよ…

今何かをするために。もう本当に立ち上がるために!

しかし………

ランはただじっといるばかりの僕に厭きたのか、翼を一段輝かせると、そこから数多くの光の粒を百方にまき散らし始めた。

「空間に浮かぶ光です。あっちこっちに走り回ろうとすることを抑えなければなりせんが… ま、私くらいになるとこれくらいは普通です。そう、これで貴方はさらに無用の長物になりますね。」

彼は相変わらず尊大な口調でこっちを嘲弄したが、実際… 光が空間そのものを埋めたこととも当然になってしまい、視野を遮断されたことに限らず、眼が真面に機能しなくなったせいで異能力の使用すら困難になってしまった……

さらに、思ってもいなかったけど全身の肌で感じられる熱気も半端じゃなかった。この数分でもう肌は暑くて、額からは汗が流れ始めた。

目を開けることすら難しく、汗を流せば流すほど加速して行く喉の渇きは思考能力を壊すと同時に体力もゆっくり奪い取って行くことが感じられた。

それに、実際異能力を使用しようとしても、手の触感があるだけで本人の手すらよく見えないほど全てのことがよく見えない状態の今は異能力の使用が困難だ。………すでに遅かったのかな..?

いいや!そんなはずがない。僕は何かをすると決心した。ならば―――――まだ何も遅くないんだ!

「頭を使ってみなさい。」

僕も知ってる!

視覚は駄目でも聴覚はしっかりしていたのか、彼のお説教は相変わらず耳に入って来た。

このままだと、何もせずともあの忌々しい言を聞くだけでもストレスで死んでしまいそうだ…

何か、何かあるはずだ…

スモークさんとの戦いの中でもよく考察し、工夫することで何とか危機を乗り越えられた。

考えろ… 考えろ…… 考えるんだ…!!!

今張り切らないと、いつまでもあの上の対象には手が届かない。

「それなりに使いものだった異能力(特技)すらもこれで使い物になりませんね。しかし腕がなければ足で、頭で、その異能力をどうか極限まで引き上げて使いこなして見せなさい。歯がなければ歯茎で生きろと言われますが、歯茎を歯より固く鍛えてごらんなさい?」

「そんな余裕あるか?!」

彼の皮肉な言い方についカッとなって叫んだ。

「瞬間的に多くの問題に対応できなければ、いずれか倒れる次第です。それとも貴方はまた新たな苦難と向き合うたびそうやって座り込む御つもりですか?!」

くそ……

殺す気で、殺す気で考えた。

そうやって周りの温度より僕の頭脳の方が過熱したその瞬間、僕の脳裏にはまたある対話の内容が浮かんだ―――――

それはたしか4階層から5階層に上がる階段でケンさんと交わした話だった。

⁽この剣? うん。空間すら斬れるようだけど、斬れる嵩があまりにも狭い上に、すぐ修復されてしまって単にそよ風を吹かせる以上の意味も意義もないんだよ。あまり使い物でもないな~⁾

自分の異能力に関して話していた彼の姿はいつもと同じく天方地輪だったけど何処かそれを自慢したがっているような気がしていた。

剣の刃一つの太さで切った空間の「穴」はその空間の修復の過程でそよ風を吹かせた。

だとすれば―――――――

僕は手に持っていた剣を何処にでも、とても僕の目から近く水平で、思いっ切り振るった。

そして振られた剣の跡をつくように空間の上に黒い軌跡が残ったのがとても微かに「僕の眼」では見えた。

おそらくあれがこの剣が切り作った「空間の穴」!!

さらに続けて、僕は自分の眼で視認した空間の穴を拡大・拡張させた。

この二つの異能力の適応•活用によって発生した巨大な空間の穴、いや、亀裂は、空間そのものの修復力によってえげつなく巨大な突風を吹き起こし、周囲の空気、気圧、空間に浮かんでいた光、そして僕とランすら吸い込もうとした。

僕は精一杯ケンさんの剣を地面に差し込むことで吸い込まれようとする体を全力で固定させて、ランは光の翼で高速移動することでなんとか逃れることが出来た。

ラン本人にはあまりダメージを与えられなかったけど、先の一撃で、先ほどまで僕を苦しめた光の粒は一つたりも残らず亀裂の中に吸い込まれ、完全に消えた。

これで、何をやっても何かをやれる。


@


そうやってチャンスを得た僕がどうしたのかと言うと―――――


僕はランの前まで繋いだ空間の穴を開けては、そこに剣を刺した。

「やれやれ、先と何も変わっていませんね…」

ランは最初の時と同じく、別の方向に飛び移ることで僕の攻撃を回避した。

しかし、今度はそれだけではなかった。

確かに避けたはずの剣が未だに彼を襲っていた。


確かにかなりの余裕を持って避け切ったはずの剣が未だに私を狙っているだなんて…

どういう訳なのかは分からないけど、まずはまた飛び移ることでそれを避けた―――が、あの剣の刃はまだ私を向いていた。

そんな馬鹿な……

ありえないことだ。

剣の刃身が曲がる訳でも、長さが伸びる訳でもないのに、ずっと襲って来るなんて…

どうやっているのか勘もつかない事だ。

何か手を出すべきだと判断した私は、飛行速度を減らしてでも、後ろ向いてはあの剣を注視した。

そして―― 私は目を開かれた。

私が避けた剣が、直ちにその地点で新たに開かれた穴を通して、飛び移った私の目の前にまた現れたのであった。

全く… 恐ろしいやり方だ。

擦れただけで切られてしまいそうな鋭い剣を、自身の異能力を絶妙に交え、活用することで距離感と射程距離を完全に無視した化け物みたいな誘導ミサイルにさせ成した…

しかしその必殺の攻撃に追われながらも私の口元には、そっと微笑が帯びていた。

実際のところ、私が光の翼で飛び続けることはあまり『バベル』を消費しないことに反して、彼が私に凄まじい一撃を与えるために空間に無数の穴を開け続ける事には、とんでもない量の『バベル』を必要とするはずだ。

その上、剣の攻撃が乱雑で避けずらい事でもなかった。

つまり、このまま長期戦にさえ誘導すれば、彼は新たな手を編み出さなければならなくなる。

そう考えまとめた私は必死に逃げ続けた。



走った。走った。走った。ただ前にまっすぐ走った。彼を落とすための眼と異能力は彼に固定させたまま、僕と彼の周りを丸く包んでいる崖のようにそびえている岩壁のすぐ前まで、僕は走った。

さらに、崖のような岩壁の先まで辿った僕はそこで止まらず走り続けた。

岩壁を走った。垂直に切り立った岩壁を走った。置き場のない足裏を底の地面との間を穴で開け、繋げることを繰り返すことで――― 突き上げる岩壁を走った。丸く掻き回っている岩壁を走り走ってより高く、さらに高く…… 上に行った。

そして、ランより上に立つ事ができた時点で僕は彼を斬るためにそこから飛び降りた。

「ふぁあああっーー!!!」


馬鹿な…

確かにあの底にいたはずの彼が、いつの間にか私より上に立っていた。

ちっ… 剣の攻撃方法に夢中になっていたせいで、いざ重要な彼本人から目を放してしまっていたんだ。

くそ…… 最もやってはいけない事をやってしまうなんて、愚かだった。

それに彼は先まで私が必死に逃げていた剣を私の真正面から振るおうとしていた。

このまま… ただではやられない――――


僕は見事に彼の上を占めてみせた。

しかし、ランは上を占めただけで勝てる者ではなかった… 彼は僕と自分の間に大きくはないけど、確かな質量と凄まじい熱量を持った光の壁を張った。

あの壁を何とかしない限りランを倒すことは出来ない。

しかし直々傷をつけないとあの壁を、僕はどうすることもできない。

光の壁がぴったりランの姿を隠していたため、どうしても本人に手を出すことが出来ない。

だからといって、このままだとあの光の壁にぶつかってその熱量に体が焼かれて死んでしまう。

だとすれば僕はあと1度くらいの量しか残っていない『バベル』で目の前に巨大な穴を開けてまた底の地面まで戻るべきか?

この絶好のチャンスをすべて捨てて―――?

……………ふざけるな!!

僕はそのまま落下を加速して突き進んだ。

「何っ?!」

そして僕は落下していた途中――――光の壁と接する直前に、地面と繋ぐ小さな穴二つを足下に開くことで落下を停止し、空中で体を固定させた。そうしてから、ケンさんの剣を光の壁に刺すことで、掴めない壁に無理矢理傷(隙間)を作ることができた。

僕は直ちにその傷を一つの壁という面にできた「穴」と規定、認視し、『バベル』を消費することで…… それを裂き散らすごとく拡張させた。

小さな隙間をはじめに、大きさの限界を超えて拡張された光の壁は空間の向こうに拡散され散り去った。

これで僕の前を妨げる壁はなくなった。

僕は足を挙げては、驚いた表情でまだ飛んでいるランの体に打ち下ろし、彼を地面に蹴り落とした。

僕が剣を刺した一瞬壁の光度が少し減ったような気はしたものの、とにかく… 幸いこの作戦は成功だった。

僕はやれたんだ。僕もダメなだけではなかったんだ…

僕の足掻きは有意義だった。

僕はこのあらわれきれない膨らむ感情に感激した。

剣の状態もケンさんがあれほど自慢していたことはあってか、剣の刃には見えるまでの損傷はできていたけど、壊れた訳でも、溶けた訳でもなかった。

しかし…… 僕がランを打ち下ろしたのと同時に僕の『バベル』も尽きてしまい、気力が抜かれ全身が重くなる、そんな初めての感覚と共に…… 僕はそのまま地面に向かって倒れた。



8階層の岩盤地域。その地味な背景に、二人の男性が地面に並んで横になっては荒い息を吐き出していた。

一人は少年。今は喪失感と絶望感に塗れた、まるで反抗期の青少年の姿を思わせる記憶喪失の男の子であった。

もう一人はラン。少年の過去を知っているような男性で、(本人によると)職業は先生だったようだが、少年を拉致してこの塔に投げ込んだ張本人だそうだ。

さ、では私はちょっと10階層に用事があるからこれで失礼することにする。

(まぁ~ 面倒くさくて、ここ(9階層)での出来事は最初から何も記録していなかったんだけどねん~~)



くそ… 何とか制圧するまでは良かったものの、その果てに僕の『バベル』が尽きることになって最後の最後に及んで身動きを取れなくなるだなんて… 愚鈍だ。

しかしあっちもびくともしないのを見る限り、どうやらランの『バベル』も尽き切れたようだ。

だとすれば

そうならもう少し早く… ほんの少しだけ…… たった一瞬、ランより1秒でも早く『バベル』が回復できたらこっちの勝ちだ。

そうやって時間を促迫しながら罪のない腕輪ばかり切実に眺めていた僕の耳に、突然声が聞こえて来た。

「やれやれ、貴方とこう空を見上げるのは久々ですね…… まったく。」

彼の声には緊迫感や焦りは何処にもなく、やや低く、どこか嬉しくもすら聞こえて来た。

「………」

いったい何を言いたいのかは知らないけど、僕はようやく動く首だけを回して彼を凝視した。

「少し、昔話をしましょう。」

どうせ身動きも取れない僕は素直に彼の話を聞かざるを得なかった…………

 


………そもそも、私の残り寿命は3日も前くらいに終わっていた。

この塔に入る前、私は各地で孤児になった子供たちを拾って小さな養護施設で彼らを育てる先生をやっていた。質素な生活でいつも金に困って食い兼ねていた上、子供たちに教えられるのも荒涼して腐敗した周辺の環境を除けば私自らの知識しかいなかった。しかし皆はとても良い子で賢く成長して行く一方であった。

無論だ。この私が先生なのだ。そうならないはずがない。

その生活は断然いやではなかった。いいや、その本当の家族のような穏やかな雰囲気は誰にも自慢できるほど素敵な生活であった。


しかしその素敵な生活はある日突然終焉を迎えた。

誰なのか知れない者達が黒い車に乗って養護施設に訪ねて来て、ただ自分達が止めた車から最も近くにいたトオラ君を拉致しようとしたのであった。建物の中にいた私は遅くでも彼らに飛び掛かったが、何か壁にでも閊えたように私は虚空を叩くことしかできず、ただ彼らが子供たちを次から次へと虐殺するところを、トオラ君を攫って悠々と去るところを見守る事しかでき得なかった。

今やどれが誰のであったのかも分からなくなった子供たちを手で一つ一つ集め慎しんで養護施設の西側に埋めた私は、血涙を流しながら絶対の復讐を誓った。そして、必ずトオラ君だけは彼らの掌から逃そうと誓った。

そう決心した私は、誰か知らない者達に拉致されたトオラ君を探すために昼夜を分かたず走り回った。

ある時は自然災害に巻き込まれ建物の残骸に下敷きになることもあった。情報を集め回っていた途中に乱暴に殴られて手と足の骨が折れ、鹿の骨にひびが入ったこともあったなど… 本当に一生懸命精一杯あの子を探し彷迷った。

しかしそうやって足搔いた私が得られたのと言ったら、放射能汚染による臓器の被爆と喀血症などによる内部からの身体の崩壊であった。

………あっけなかった。苛ついた。殺意さえわいた。

私の生徒たちを殺して、トオラ君を自分達の利欲のために拉致したその誰かが堪らなく憎かった。

今こんな目になった私自らが馬鹿見たくて情けなかった。

そして、なにより何の罪もないあの子供達を守ってあげられなかったことがあまりにもすまなかった……

しかしながら、その情けない足掻きは、私の長年は決して無駄なだけではなかった。

最近有名な犯罪者が一人ずつ行方不明になったり、誰かに拉致されているという情報を偶然に聞くことができた。もしかしての切情な気持ちでその事件のことをもう少し深く探ってみた結果、拉致された犯罪者達を目撃したという者たちの証言を聞いてみると、[何か硬い壁に防がれたようにそれ以上進められなかった。]、[大型の黒い車が訪ねて来てはフードを被った誰かが有名な犯罪者を容易く制圧してから車に乗せて拉致した。]というなど、私がその時見たものと同一な特徴が多数あった。

しかしその拉致犯達を捕まえようとしても、それは何度を挑戦しても無理であった……

速やかな仕事処理や迅速な移動もあったが、まるで対象にしている犯罪者の居場所を全て見通しているようであった。

しかし私はこの一度きりかも知れない機会を逃すわけには行けなかった。

彼らが狙っているのは明白に名高い犯罪者が主であった。

だからと言って、私が彼らより先に、彼らが次に狙う犯罪者を特定して追い越すことはどうしてもできなかった。

だとすれば、そう。だとすれば… 私自身が彼らが狙いたくなるほど悪名高い犯罪者になればいい。

迷った。躊躇した。部屋に引き込もって一人で体を丸くして悩んで悩んだ。これが本当に正しいことだろうか? やって良いことか……

しかし私に残された時間はそう長くなかった。

子供たちを導き教えるためであった知識を頭の中で搔き集めて刑務所内の犯罪者を、拘置所に監禁されている犯罪者を、周辺で見える全ての犯罪者をあらゆる手を駆使して皆次々と殺した。殺してまた殺した。この世に不器用な噂が広がるまで、彼らが… 私をターゲットに狙ってやってくる時まで………

そして―――

やっとその日が訪ねて来た。

あの時は死ぬ気でも近寄れなかった黒い車が、今はこんなにもあっさり私の前に姿を現した。

私は少しばかり抵抗するふりをしては、そのままおとなしく捕まった。

その時はすでに、左側の太ももと下腿に感覚がなくなり始めていた頃であった。


長時間の間意識を失くした後、目を開けた私の目の前に広がっていたのは白い部屋に固く閉じている扉と壁に刻まれた果物っぽい絵。そしてカメラが一台。さらに、自分の口から流れた大量の血液が床を飾っていた。

それからしばらく部屋のあっちこっちを見回った直後、何処かから電磁的音声が混ざった「声」が流れた。

………どうせこの部屋から出られないとその子と会える確率が格段に下る。

私はその「声」の命令に従い、目の前に現れた象牙色のトランクの中にあった腕輪を装着した。

そして部屋から出た私を待っていたのは――――

探し、探し求めたその子、トオラ君の姿であった。

彼は私を見てどのような反応をするかな?私を見ると私の懐に飛んでくるのかな?もう一度あの笑顔を見せてくれるかな?

半分ドキドキしながら、そして安心する気持ちで少し深く物思いにふけっていたら、トオラ君の方から先に話を掛けて来てくれた。

「……あの…」

しまった。嬉しさのあまり、彼に答えるために彼の顔を見たとたん、私は気を失ったように彼の顔を眺め続けた。

ああ… どれほど久々に見る顔なのか、どれほどこの瞬間を待ち望んでいたのか。

私の口は心より先に再会の喜びに酔って気持ちが行くままに言葉を出した。

「はい。やっとお会い出来ましたね。」

「はい?僕のこと、知っているんですか…?」

「はい…? 私です。ランです。ラン先生ですよ!」

………………………なんだ?これはどういうことだ?

いくらしばらくの間離れていたのは言え、トオラ君が私のことを見逸れるはずがない。

あはははは… そうか、いたずらか。やっぱ彼らしいな…

そう。私が勝手に暴走してはいけないんだ。彼の意見をしっかり確認しなけれっばならないんだ。

私は精一杯…… 一つの最も遭遇したくない可能性の存在から目を逸らして平気をよそおって話を続けた。

「覚えて、いないのですか………」

彼はそっと頷いた。

……終わった。確定だ。何かが、あったんだ。

「彼ら」がトオラ君に何かをしたに違いない。

私はそれからは何もしなかった。

何も、したくなかった…



それからしばらく後、また流れた「声」の説明。腹いせのための戦いの仲裁。それから瞬間移動されてから自分に向かって襲ってくる連中を皆殺しにして、焼いて、殺して殺して殺して殺して殺した。

それでも… この怒りは一片たりとも収まらなかった。

探し求めていたその子とは無事に会うことが出来たものの、いざ話してみると、その子は記憶喪失状態である上、時間が経つにつれて私の体内の激痛はひどくなる一方であった。

今は新たに手に入れた異能力である「光」の熱気で臓器を焦がしてどうにか耐えているものの、一時凌ぎにもならない民間療法であった。

その時は本当にもう残された時間がそう長くなかった。

それでも今は、まだは必死で耐えなければならなかった。



この塔の中でトオラ君とまた会えたのはあらゆる階層を回って1階層に到着した時であった。

その途中5階層でどうしても殺せなかった奴が一人いたけど、見える全ての奴らは全て殺し廻った。ここに居る奴らは皆ともかくも殺し合う競争者に過ぎない。だとすればトオラ君の邪魔ものを先消しすることに重ねて、勿論私の腹いせのためにも十分すぎる殺すための理由であった。

その時のトオラ君は見た覚えのある筋肉質の男に襲われていた。

当然トオラ君を助けたかった。

しかし… その時はどうしてもトオラ君とあまり顔を合わせたくなかった。

その時の私は体の中外に蓄積された疲労と傷に、精神が病んでいて、どうしても彼を傷付けるかも知れない状態であった。だから私が選んだ手はトオラ君の視野を奪うことで彼が見れないうちに筋肉質の男を仕留めて速やかにそこから去る事であった。だからまずその周辺に強烈な閃光を放すことで、まるごと視野を奪ってから、正確に筋肉質の男を殺した。

しかしその時はどうにかしていたのと思うトオラくんの隣に誰かいると認識した途端私は光線を発射した後であった。

攻撃を飛ばすと同時にしくじったと思いきや、彼女の焼かれた服の中に見えるその比翼のタトゥーを見た途端彼女が「彼ら」と何か関連があると直感した。

何故なら、私はそれと似たタトゥーを黒い車に攫われた時見たことがあったのだ…

それからは、精神を怒りに浸食され、殺意が肉体を動かした。

しかしトオラ君はそんな彼女を守ろうとした。なのにも関わらず、私はトオラくんのを巻き込ませてまで彼女を攻め続けた。しかしながら、結局その戦いはタイムオーバーによる強制移動される落ちであった。


それからはこの塔の中の何処かにいるか知れないトオラ君をまた探し廻ることだけであった。


それから――――― 今。

この階層でまたトオラ君と会えた時は素直に嬉しかった。

しかし、彼は私に剣を振るうと、突然悲しみと絶望感に満ちた顔を見せた。

私に剣を振るったのは別に良かったものの、彼の悲しそうな顔は素直にショックであった。

私は話を聞くべきだと思った。

なんと慰めてあげたら良いかさえよくわからなかった…

直ちに彼を抱きしめて、今からでも彼がここから無事に出られるように手助けをしてあげたかった。導いてあげたかった。

でもそれではダメだった。無理に伸ばしていた私の寿命は、いつ終わりを迎えてもおかしくない状態であった。これからの彼のためになるのは、今一瞬を満たしてくれる存在より、これからを自ら、自分の人生で戦うべき数多くの穴を埋めながら歩き進められるようにしてあげることであった。


そのために私は彼のための悪役になろうと決心した。迷っている悪い気持ちを全て吐き出させる必要があったからだ。

なに、これからを生きて征く子供の、自分の生徒の未来のために必要となるなら喜んでその役目を引き受けよう。

それからは、「これからの彼」のための私の最後の授業を精一杯した。

彼のコトをけなし、窮地に追い込め、私の言葉で刺激した。まぁ、場合に酷かったことがあったような気もするが、幸い彼は見事に立ち上がってくれた。まったく… その時はどれほど抱きしめてあげたかったのか…… 今もそれが悔しい程だ。

体を使うことと彼が捻ていただけで、

その感覚は… 私にはとても懐かしくて…… 天に感謝でもしたいほどの大切な時間であった。



「だったら……どうして、そんな嘘を…!」

彼の、ランの、ラン先生の話を聞く次第に僕の中には… 彼の話は何も嘘ではない、そんな確信が僅かの過去の記憶から微かに芽生えた。

理解できなかった。

彼の話のわけが分からなかった。

そもそも、いったいなんで彼は自分が僕を此処に投げ込んだ張本人だという、そんな無茶苦茶の嘘を………

「ふふ、さぁ… 何のことでしょ?」

彼は僕の疑問を否認した。

しかしその瞬間、僕の『バベル』がわずかばかり回復した。僕はどうにか動けるようになった体を引きずるように起きて、ラン先生に文句を言ってやろうと彼の側まで走って行こうとしたが…… それより先に、横になっていたラン先生の上に鋭い光の槍が現れては―――― そのまま自らを刺した。


視野の底側から飛び出して上がる血の鈴は、やがて線となってどんどん、だんだん私の視野を赤く染めて行った。体が浮かび始める感覚と、遠くなりつつある体の感覚の中で視野の向こうに慌ててだらだらこっちに走って来る彼の姿が見れた。

彼には申し訳なくて、残念だけど… これで良いんだ。

そう。これで、良いんだ…

寿命が過ぎた私が突然死ぬ姿も、真実を知った彼に殺させるのも……… 彼にはどっちも残酷すぎる。

だから私は20%ほど残っていた『バベル』を用いて自分で自身の命を取る事にした。

「なんで!これが、一体なんでこんなことを!?

「ふふ。私の時間はここまで…でした。」

私はなぜか普段より重くなった手を彼の頭に伸ばした。彼は嬉しくもその手を握ってくれた。顔はまだ混乱していたが、彼は私の手を… 包んでくれた。

「君はもう大丈夫。この私の生徒なのです。大丈夫に決まってます。」

さらに進む私の教え子よ… 君の少年よ……

貴方は、今は危うくて、ふらつくかも知れません。しかし、貴方として…… いつも元気で自分の考えを信じて正しくまっすぐに進むと、立派な大人になれるはずです。

この私が信じることです。君が歩む未来です。

――――良いに決まってます!

……………………

……ふふ。

……………

…さようなら、



明るく笑った彼は、小さな声で大きな激励を最後に目を閉じた。

二度目、知人の死を見た。

確かに、先生は僕に悲しみを受け止める準備をしろと言った。「今すぐ」ではなく「準備」をしろと仰った。

彼は自分がこうなることを先に知っていたんだ。

現実から目をそらすなと言った。強くなれと言った。僕はもう泣かないんだ。

でも… 僕は顔を下げざるを得なかった。

見せられなかった。

こんな顔は見せられないんだ…

見せるわけにはいけないんだ。

先生にこんな顔を見せてはいけないんだ。

僕は、僕は……… 泣いた。

顔を隠し、音を殺し、泣いて、また泣いた。

ただ今だけだと、これが最後だと彼に、僕自身に言い訳を述べながら漏れ出る声を力一杯抑えて、泣いた。


僕はまだ全てを思い出したのではないけど、ラン先生があの向こう側で僕の、いいや、トオラ…君の友達に会えるように祈った。

「さようなら…」

僕が次の階段を上り始めたのは、しばらく後の事であった。


―――――――階段を上る少年に一点の光が後を追っていた事は、彼には知れない事であった。

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