5. 少年、別れを経して絶望する。

「———————!!」

アルファは目を覚ました。

白い部屋と白い壁………

アルファは慌てふためいた。

どのような家具も置いていない白い部屋。

閉まっている扉を見て顔が青くなったアルファに、声が聞こえて来た。

「少年!少年!大丈夫かい?汗、すごいぞ。」

初めて目を覚ました時と同じ部屋に戻ったとでも思ったのか、冷汗を流したアルファはケンの顔を見て、ようやく落ち着くことが出来た。

「あ… はい。ケンさん、僕を探しに来てくれたんですか?」

周りをもっと見てみると幸い部屋の隅かで防視(ほし)の姿も見つけることが出来た。

「うん?何言ってんだ?ここは次の階層に繋がる階段の前だぜ。俺らの中で君が一番先に来て寝てたんじゃないか。なんだ?まだ寝ぼけているのかい?俺はまたびっくりしたぜ!」

ケンが指している左側を見ると、そこには本当に5階層に繋がる階段があった。

笑顔で拍手をしていたケンはアルファの様子を見てから心配な顔で聞いた。

「本当に、大丈夫か…?」

「はい、何でもありません。さ、次に行きましょう。」

大丈夫だと安心させたアルファは5階層に繋がる階段に向かおうとしたが、誰かがそんなアルファの前に立ちふさがった。

防視であった。

「………」

「え、いたたたたた―!!」

そっと防視が引っ張ったアルファの右手はボロボロで、指の形や位置がバラバラであった。これは誰かとの戦闘で出来た骨折が原因だと思われる。このままだと手を使えなくなることだけではなく、後に骨が付いても手が変な形になるだけだ。

防視の『バベル』が少し減ると同時にアルファの手にとんでもない痛みがしびれた。

「ぐっ、うあああっ――!!」

痛みを訴えるアルファを前にしても、防視は淡々な表情で一貫した。

この子もたまに強硬に出る時があるようだ…

掌に何か触れる感触が伝わると思いきや、痛みと共にボロボロの手が次第に広がっていった。

「ほお… 俺はお前の異能力が防御用だけだと思っていたが、ギブスのような医療用でも使えるのか?」

ギブスが何か知らないアルファも動くたび痛みを伴った手が動きやすくなったのを感じていた。

これもまた活用…

アルファは防視の異能力の使用を見て感心した。

防視は無事に元の形に戻ったアルファの手を包んでは目を閉じた。どうやら彼女はとても心配していたようで、ため息をついてから後ろに下がった。

手を数度動かしてみたアルファは感謝の気持ちを口にはせず、目の前の階段を上り始めた。


階段を上りながらいつもと同じくケンとのお喋りを楽しんでいるアルファと無表情にアルファを眺めながら歩いている防視。そして、ケンだけがいつもとは違って少し不安なように、誰にも見えないよう後ろに隠した手を握ったり開いたりして、どうしてか彼が出す足音のみが静寂に響いていた。



5F


滔々5階層に到着したアルファたちを待っていたのは遠くに見える高い塔一つに、旱魃のようにあちこちが割れた大地が広濶に広がっている背景の上に、そこを飾り付けているごとく散らかっている多種多様の死体。そして墓でもなるのか、地面には数多くの剣が刺さっていた。そしてその数多くの剣は、大きさは違うとも全て一つの共通点を持っていた。

それは、ここにある全ての剣が2階層からアルファと行動を共にしている…… ケンがいつも作り出す剣と全く同じ形をしていたのであった。

それらを見て慌てておたおたしているアルファとは真逆に、ケンは隙間を見計る狩師の事を思わせる目でアルファの反応を窺っていた。

「ケンさん… これは………」

「少年、わるい――――――――」

ケンが何かを話しながらアルファにゆっくり近付こうとした瞬間……………

僕の周りの景色が一変した。


たしかに先までは大量の斬られた死体と剣、そして防視とケンさんがいたはずだったのに、今はその何一つも見えず、僕の両方にはずっと続いている黒い壁のみが…… 僕の視野を包み道を誘っていた。

足下は先と同じく割れてばさばさした土だったのでまだ5階層のどこかではあると思うが、長くて高い、この黒い壁のせいで周辺を観ることができなかった。

この黒い壁を用心しつつ触ってみたが、形のないものを掴んだり殴ろうとしているように触れた感触もなく通過してしまい、その奥では硬い壁に手が触れた。

これでは…… 困る。

まずこの半透明な黒い物は触れないため隙間や傷をつけることができず、またその奥にある壁は黒い物のせいで眼で見ることができない。さらに、高くて長いせいで他の場所まで移動するための視野を確保する事も無理な状況であった。

つまり、全ての面に置いて僕の異能力では…… この壁を崩すことも、ここから脱出することもできないんだという事だ。

何とかできないのか工夫していた僕は、すぐため息をついて断念してからこの壁に沿って歩き始めた。

そういえば、あの壁を包んでいる掴めない黒い物を触った時、まるで司一郎の体に触れようと足搔いた時の感覚を思い出させた。



はあ… これは困る。少年に近付こうとした瞬間、まるでゲートでも使ったように一瞬で周りの景色が変貌しちまった。俺が作って捨てた剣や斬り散らした死体は無論、少年とあの得体の知れない女も見えなくなった。

相変わらず見えるのは、一ヶ月前には無かった… 空高く立っているあの細長い塔一つだけ……

しっかし~ あの時少年の表情……

あの良い子ちゃんだった少年も、今や相手をしっかり疑うことがそこそこ出来るようになったようで、悲しいながらも、少年が成長したようで全く灌漑無量なもんだぜ。

ケフン!ま、一応感性は胸の奥に入れておいて、現在の状況を改めて分析してみると… 俺は、もしくは俺たちは瞬間移動されたと考えられる。

最も安易な考えでは、ただ敵が俺たちを一人ずつ仕留めるためにこの階層のあっちこっちに分散させたことで、最悪の考えでは、敵は「空間」を自由自在に操れる異能力者で、少年がこの階層ではなく、この塔内の何処かに転移された場合だ。

離れていると困る……

そう。困る…

俺は一刻でも早く少年を探すために、とっくの昔に慣れているこの階層の地面を蹴って走った。

もしこの階の何処からでも見つけられなかったら… 他の階層まで探しに行かなければならない……



これは大変だ… 行っても行っても終わりがない……

体感上すでに30分は休まず歩いたはずなのに、今もまだこの黒い壁が続いている。

「皆大丈夫かな…… それに、」

僕の脳裏には、この階に到着した時見たあの惨状と3階で出会ったゼンヌさんから聞いた話がオーバーラップして一つの不安感を組み上げていた。

しかしその瞬間、僕の右手に激痛が走って、思考が途切れてしまった。

4階で防視が治療してくれた右手がまたボロボロになったのであった。

彼女の異能力で元の形を維持していた手がまた滅茶苦茶になったのだ。きっと彼女に何かが起きたことに違いない。

焦りが出た僕は素手だけでも周辺の黒い壁を壊そうとしたけど、壁は当然のようにびくともしなかった。しかし、僕はそんなことを一切気にせず左手だけでも続けて打ち殴った。

………ところで、壊そうとした壁の方ではなく、何故か足元の地面の方が裂けると、そのまま僕を乗せて浮かび始めた。

「これは…… いったい…」



床に転がっている、過去に有機生命体であったモノ以外は何もない所を精一杯の速度で走っていた俺は突然足を止めて、体を一切動かさないまま周りを見回った。

身動きの音は…… なかった。

周辺には… なんの変化も見当たらなかった。

しかし―― 俺の直感がこの先に「なにか」があると警告していた。

俺は何よりも、誰よりも自信を持っている直感を信じて手を伸ばして虚空に手を振った。

………正解。

何かがある。

何も見えないけど、硬い触感が俺のすぐ目の前から伝わって来た。

こんな異能力を使える者は俺の知っている奴らの中でたった一人しかいない……

先、そのまま走り続けていたら顔から突っ込んで大怪我をするところだったから慰謝料でも貰うついでに文句一つでもカッと言ってやろうと思って、俺はゆっくり後ろに振り向いた。

「………」

俺の後ろに立っていたのは、腰につくほど長い銀髪に、それに劣らないほど白い肌。そして、赤い目は何か半透明なものを覆ったように隈っている――――― 女の子。

いつも少年の側にべったり付いていながら一言も口にしない上、俺みたいに何かを隠している人の匂いがする怪しい限りの女の子――― 防視であった。

「や~ 久しぶり!ところで今日は一人ぼっちだね?」

親しみのある笑顔で手まで振るいながら挨拶をしてあげたのに、風に髪が舞うと、俺の頬に一条の傷ができてそこから血が流れた。

前に目を送ると、彼女が俺に手を伸ばしていた。おそらく彼女の異能力である透明な壁を作る力で、短刀くらいのサイズの透明な壁を作り出してからそれを俺に飛ばしたのであろう。

首を左側に傾けてよかったものの、これは完全に顔面狙いじゃねぇかよ。

おほ……………

「お前、これ双方だぜ――」

俺は仮面を脱ぎ捨てて、これからすることを思って晴れやかに笑った。

しかし、俺が剣を作り出して構えたと同時に、地面が激しく揺れると、そのまま俺と防視を乗せた巨大な岩盤になって、空中に浮かび上がった。



俺と防視を乗せて浮かび上がった岩盤は、この階層の天井に触れるまで10mほどを残した所でようやく止まった。

まず、環境の変化に拠って目の前の敵を凝視しながら、剣一本を空中に作り出して水平に飛ばしてみた。

真っ直ぐ進んでいた剣は岩盤の果てに辿ると、何かに立ち塞がれたのように空中に少し刺さると、そのまま傾いて落ちた。

「オ~ケイ…」

どうやらこの丸く浮かんだ岩盤は、防視の防壁で包まれているようだ。

努力すれば壊したり破れないものでもないが、あいにくにも… 見えない武器を操る相手を前にしてよそ見をやれるまでの余裕はない。

しっかし~… 出られない丸いドームに、対峙している二人…… これじゃ… 剣闘者を戦わせてそれを見るためのコロセウムと変わりがない。

相手が普段から気に入らなかった防視であることには不満がないけど、何者かがよくもこの俺を見物にさせるつもりでこんな気の狂った一手をやってくれたと考えると………

ま、これはあまり面白い……

それに、おそらくではあるが、俺たちを強制移動させた奴とこの仕業を成した奴は同一クソ野郎であるに違いない。

その時、俺の考えに答えでも付けたかったのか、前の方向、すなわちこの階層にあった謎の塔から声が聞こえて来た。

「ちょっと話がしたくなってね。でもその前に君はいらないから… ここで死んでくれたらありがたい。」

訳も分からない言を口にしながら現れた奴は、白と黒の巻き毛に不器用そうな顔をしている男だった。

それにしても、俺は要らないから死んでくれって………

「結構勝手なことを言ってくれるんじゃないか?」

「さぁ~ さぁ~ 観客も呼んだから、今はムキになるんじゃねぇよ。」

先の彼に続いて、また誰かが塔の中から現れた。今度は目立つピンク色の髪に、そこそこイケメンの男であった。

「観客……?」

俺は何を言っているのか意味を理解できず顔を皴めた。しかしあのイケメンの奴は何か探していた物でも見つけたのか、突然また大声で話し出た。

「はい、ドン!観客のご到着―!!」

イケメンの奴がうるさく吐かしながら見ている方向に目を送ると、そこには……… 少年がいた。



アルファは周囲を見回った。

アルファを乗せた岩盤は、乗っている彼の意思とは無関係に、どんどんこの階層の中央にある塔に向かって移動していた。

アルファもまず高い場所から周りを見回す気があったので、途中で能力を使って脱出することなくその岩盤に乗ったまま塔の前まで移動した。しかし、止まった岩盤の前方には、もうケンと防視が揃っていて、後方にある塔には見た事がない人たちがいた。

今何がどうなっているのかを考えていたアルファの耳に、後ろにある塔から声が聞こえて来た。

「ひひひ… 仲間が見ているところで自分の仲間同士が殺し合うことを見させるんだなんて!なんて楽しいことだ!な!そう思わんですか?」

2番目に出た男、シグムンドは隣に居る1番目に出た男、シグマに興奮して舐めずりまでしながら同意を求めた。

「知らない。」

しかしシグマは落ち着いた口振りでシグムンドの同意を無視した。

そんな彼の反応に興が冷めたシグムンドは たった今塔から出た最後の3人目の人に声を掛けた。

「つまんねぇな~ ま、アンタはどうよ?」

その塔から現れた3人目は、ちょうど今此処に連れて来られたアルファに、忘れようが忘れられない人。このサバイバルゲームが始まってから彼と初めて対峙して、彼(少年)に初めて恐怖と痛みを与えた者……… 司一郎が、そこにいた。

「観客なんて余計です。あんな無礼なクソガキは早く綺麗で迅速に死留めるべきだと強力に主張するところであります。」

「いやいや~ ちょっと待っ…… そうだ!」

シグムンドは何か面白い事でも思いついたのか手で自分の体を抱き絞めながらニコニコと言った。

「おい、[あいつを殺せ]。」



あの塔の上にいるイケメンの奴が誰に言っているのかも知れない戯言を口にしたと思いきや、防視が少年の方に振り向くと手を伸ばした。

防視が何かをした感じがした途端、俺の体は行動反射的な動きで剣は放した。しかし、飛んでいた剣は途中で何かにぶつかって弾け落ちた。

何もない虚空を飛んでいた剣だ。少年に当たるずっと前に消えるようにさせておいた剣だ。なのに、その剣があんな風に弾かれたということは、あそこに見えない何かがあったとしか考えられない。ただ単にいつも少年の事を過剰保護しているあの女郎の奴が俺の事を疑ったせいで念のために防壁を張ったとも考えられる。がしかし、俺は見たのだ… あいつが今取っているポーズ。手を伸ばしているその姿は、先俺の頬に 傷を負わせた時取っていた事と同じポーズだったのだ。普段じっと立った状態でもよくよく防壁を張っていたあの女郎の奴が、防壁を張る事にわざわざあの姿勢を取っている理由がどう考えても理解できなかった……

だとしたらまさかあの女郎の奴がさっきイケメン野郎がふざけた虚言を聞いて実行しようとしたという訳か…?

何のためにあんな戯言に従って少年を攻撃したのかは知らないけど……

………………これは、むかつく。

この階でまた遭遇した時から防視が普段とは違った感じだったことは無論気付いている。


――― ケンは足を運びながら、重苦しい雰囲気を醸し出していた。


しかし、そんなことは俺の頬に血が流れた瞬間にも興味なかった。


――― それから手に握っていた剣を岩盤に降り刺しては立ち止まった。


俺は、お前が今なぜ彼奴の言うことを従順に聞いて、お前が何者で、少年に取ってどんな存在なのかも知らないけど、正直別に知りたくもないけどよ…


――― すると、ケンの周辺から一つ二つずつ何かが光ると思いきや、そこには数十、いや、数百数千を超える剣の刃が表れ、その全てが防視を狙っていた。


今ここでの話が少年に届いていないという前提でなら、ごっそり堂々と言える。


――― 目を閉じ切ってないまま笑っている彼の顔は、いつもと違って、明白な殺気を噴き出していた。


………俺の友に手、出すんじゃねえよ―――、と。

「お前は少し叱られなければならなさそうだぜ。」


戦いの始まりを知らせる鈴の音が堅固に鳴った。



俺は容赦なく俺の後ろに作り出していた剣2376本の剣を全てあの女郎の奴に叩き込んだ。

ま… 知ってはいたけど、まさかがやっぱり… 全部防がれたり、途中で止まったり、跳ね返された。しかし俺はそんなことを一つも気にせず剣の山を突き抜いて突撃した。



覚悟はしていたけど、さすがに見えない武器を相手にするのは相当きついもんだった…

そもそも、無駄に走ったら躓くか、体のどこかをぶつけて転んでしまうようにこのコロセウム内のあっちこっちに仕掛けられた見えない防壁は、足を踏み出すことすら戸惑わせるに十分な威嚇であった。けど、俺は迷いなく走った。

一度の踏み外しもなく走っている俺を見た女郎の奴は、余程俺を近付かせたくなかったのか…… 走っていた俺の左腕に激烈な抵抗感が感じられた。まるで俺が腕を引っ張っているような乖離感であった。

びくともしない自分の左腕を見た俺の脳裏には先程の一斉攻撃のことが流れた。

確かあの時、剣のうち数本が何かに固定されたように空中に止まっていた。

おそらく、物体が存在する空間上に、その物体の周りを完全に囲むように防壁を張ることで対象をびくとも動けなくする、ってところかな…… またあの変な異能力の使い方の一つである事には違いない。

しかし、居場所さえ明確なら壊せない物でもない。

俺が剣を振るうため『バベル』を少量消費しようとした瞬間、体が警告して来た。目をそらして女郎の奴を見ると、手がこっちに向いていた。

くそ、 またかよ…

俺は即座、空間上に固定されている左腕を中心にして体を逆立ちするように極転(回転)させた。半分程度回った時点で精一杯剣を振るって俺の手を固定していた防壁を壊し、腕の自由を取り戻した。

まぁ…… 惜しくも完全に避け切れなかったのか右耳が根から消えて、固定されていた左腕は骨に罅が入ったようだけど、彼奴を殺すことに問題はない。


何とか乗り越えることはできた。が、後2度以上こんな事を許しては、こっちが確実に死ぬ……

つまり、俺が女郎の奴に勝つためにはこっちを捉えられないほど速やかに動き回りながら彼奴を殺す必要がある。もし、いつどこに仕掛けられているか知れない防壁に躓いて転んだりでもしたら、それで終わりだ…

ま、だったら俺らしく巧妙で狡い手を使えば良いまでだぜ! 


しかし全く見えない。

しかしながら、だとしたら何とか柔軟に対処していけばいいことだ!見えないのはあの防壁も、人の心も同じだ。だとするば、首領の秘書一人をこの世とサヨナラさせた時やカジノで出会った黒いローブを被った老人に勝った時の方がずっと大変だった。

―――――やれる!



聞こえた。

ケンさんは、確かに僕のことを友と、手を出すなと言った。それに、先程はっきり聞いたんだ。僕の後ろにある塔から「殺せ」と言ったことを。この階に到着した瞬間からケンさんの事を疑わざるを得ない状況で不安になっていた上、先ケンさんが剣を投げた事も理解できなかったけど、それでもケンさんが僕に害を及ばしたり、殺そうとする気がないということだけには確信が行った。だとしたらあの二人はどうして戦っているのであろうか…… どう考えても、あの塔の3人が何かをしたこと以外ありえなかった。

「貴方たち!一体何をしたんだ!?」

「うん?そりゃ勿論~ 君のパートナーちゃんを洗脳して俺の思うがまま操っているのさ!俺はそういうのを見るのが――――」

至急に彼の口を断ち切る如く、隣にいたシグマが口を開けた。

「黙って見ていろ。モルモット。」

「貴方は……」

「ボクの名前はシグマ。貴様はそのまま引っ込んで見ていれば良いのだ。」

落ち着いて冷淡な感じがする声で僕の事を「モルモット」と呼んでいるシグマという名の男が口を開けると、先まで話していたピンク髪の男は降参の意を表にするように両手を頭の上に挙げて口を閉じてゆっくり後ろに下がった。

せんのう?せんのうという用語がどういう意味なのかはよく知れないけど、彼は「思うがまま操っている」と確かに言った。

「くっ… 貴方たち、どうしてそんなことを!!」

もし先ピンク髪の彼が言ったことが本当なら、彼女は今、自分の意思とは無関係にケンさんと戦っていることになる。

彼女の事をこうも自分勝手にして、僕らを苦しめている事に僕は心から怒った。

僕は、まずそんな彼女を止め、ケンさんに事情を知らせるために今いる此処から防視とケンさんが戦っているあの岩盤の上まで移動するために巨大な穴を開け、それを通過した。

それから現在自分と防視、そしてケンさんとの距離を見るため周辺をきょろついた。

目に見えたのは岩盤の地面に、高い景色、そしてすぐ後ろにいるシグマの姿… さらにあの向こう側の岩盤で未だに戦っている防視とケンさんの姿……

………………先のあそこであった。

「な、なんで……?」

僕は確かに『バベル』を消費することで、穴を通し移動した。しかし穴を通して出た場所は他でもなく、先ほどまで僕が立っていたそこであった。

僕は訳が分からない状態でまた穴を開け、防視とケンさんが戦っているあの岩盤に向かって移動した。

しかし… また先自分がいたそこであった…

今度は穴を開けた途端走って出てみたが、それでも変わりはなかった。

一体どういう訳か知れず慌てている僕は結局足に力が抜けてその場に屑折れてしまった。

「なんで… どうして貴方は僕らにこんなことをするんだ……」

もう自分にできることがないという事実に茫然となっていた僕は、遂に足に力が抜けてその場に屑折れていた僕は、震える声で問いかけた。

「目的の事か?それは無論ミス・ハワー博士に用事があって――――――」

「ハワーなんて此処にいない!!」

瞬間的に声を挙げ、言葉を吐き出した僕は… 片息をついた。

しかしシグマは僕なんて見もせず相変わらず落ち着いた口振りで言った。

「それではあそこの女はなんだ?」

「女?ハワー……?」

僕はひょっとした感じでケンさんと戦っている防視を見たが、彼女は僕が知っている彼女本人であった。彼女と似た誰かでもなく、彼女本人に違いなかった。他に周囲も見回ってみたが、周囲には人の影らしい物すら見当たらなかった。

だとしたら、防視―― 彼女の名前がハワーなのか?

それに、はかせって… はかせが何なのかは知らないけど、まるで防視が此処に入ってくる前にはどんな人であったのかを知っているかのような口振りと堂々としている視線が僕を圧倒した。

まさかシグマが言ったことは全部事実なのか?

………よくわからない。

本当に、全く分からない… わからない。いや、いいや。今大事な方はそれより今すぐあの戦いを止めることだ。

荒く響いている心臓と呼吸を抑えふらふら立ち上がった僕は、ダメだとは承知の上であっても、自分の目の前に穴を開けまた防視とケンさんがいる岩盤まで移動しようとした。

僕はよろめきながら歩いて穴に入って、

出た。

しかし結局また先の自分がいたその岩盤の上であった……

そうやってみっともなく『バベル』だけを消費し続けていた僕の耳に、再びシグマの声が聞こえて来た。

「だから引っ込んで見届けておけと言ったんだ。モルモット。」

「…くうっ!!」

どう考えてもこの訳の分からない現象は彼、シグマと何らか関連があるとしか考えられない。

僕は優先順位を切り替え、今度は防視とケンさんがいる場所ではなく、彼らが立っている塔の前に新しい穴を開けて、そのままその穴を通して出てから、速やかにシグマに向かって拳を振るった。

しかしその拳はシグマの肉体に触れる事もできなかった上、直ちに拳が固くなった如く動けなくなると、そのままあっという間に先まで自分がいた岩盤の上まで取り戻された。

体が飛ばされた訳ではなかった。自分が立っていた岩盤が僕が移動した所まで近づいて来た訳でもなかった。ただ、一瞬で周囲の景色と僕の居場所が、再びこの場所に取り戻されただけであった。

呆気に取られて、一歩を動かす気力もなくなった僕に、彼がまた声を掛けて来た。

「いい加減断念しろ。ボクの異能力は「空間」。貴様の能力の「穴」如きで対抗できるレベルではないのだ。だから―――――」

しかし今度はピンク髪の男がシグマの方が言葉を継ぐように、彼の言葉を切って話し出した。

「―――[いい加減黙って見届けろっつうの!]」

「煩ぃ!!! あぁ……………」

瞬間的にアルファの頭がぼうっとなると、それから瞳が虚ろになって目から焦点が無くなった。

シグムンドの異能力。それは「洗脳」。洗脳を掛けようとする相手の全身を目で見ている事と自分の話に相手が口答えなければならないという条件はある物の、一度掛けたら自分の思うがままに相手の事を操れる格離れの異能力である。そしてたった今、アルファもシグムンドの言葉に答えてしまった事によって彼の異能力に掛かったのであった。

「おい。解け。」

しかしそんなアルファの様子を見たシグマはシグムンドに、彼がアルファに掛けた異能力を解けと指示した。

「え~?どうせあのままじゃずっと煩いばっかりじゃないっすか。あのままの方が絶対良いと思いますがね。」

しかしシグムンドはどうやら自分が掛けた異能力を解く気が無さそうだ。

「いっそ、あのまま自殺しろと命令するのは如何かと。それが大義のためと思われますが。」

今度は司一郎まで加勢した。

「それでは進まない。解け。」

しかしシグマはひたすらシグムンドに異能力を解くように命令した。

「どうしてですか!あんなクソガキを生かす利率的価値がどれほどあるとのことで!」

「おい、欲しいモノはもう要らなくなったのようだね。」

「あ、はい~はい~」

シグマの一言を聞いたとたん司一郎はたじろいで、シグムンドは素直に指をパチンと鳴らしてアルファに掛けた異能力を解いた。

しばらくすると、アルファは少しふらつくと、彼の目に焦点が戻った。

状況から見る限り、どうやら先のあれがシグムンドの言う「洗脳に掛かった状態」であるらしい。

「くうっ……」

「どうしても貴様はボクらに敵えない。だからただ大人しくいる方がずっとマシなはずだぞ、モルモット。」

アルファはそれから疑問と屈辱だけを何度も思い噛みながら、防視とケンの戦いを見守る事しかでき得なかった。



ひたすら走り出した。

見えない。しかし見える。感じられる。

ただひたすら俺の人生を支えてくれた直感がそう告げている。

左側上段に一つ、右側中上段に三つ。前方の膝の高さに敷かれているように距離を置いて8つ。

念のため剣3本を作り出して左、右、中央に一つずつ飛ばすと、全部命中した。

俺は速度を減らさずより加速して、膝の高さに張られている防壁の下をスライディングするように抜け出した。

続けて、抜け出たとたん力を入れる暇もなく剣を垂直に振るうと、剣が何かにぶつかって跳ね返られた。

俺は即時方向を変えてどっちから攻めに行くかを決めるために女郎の奴の顔を窺って、左に身を向き直して走った。

避け切った直後にまた新たな防壁をすぐ目の前に張るだなんて…… 全く、俺が考えそうな汚くてきつい方法ばっかりで攻めてくるんだなんて。まったく… わかりやすいもんだぜ!

やることはいつもと変わらない。

相手の顔の表情、瞳の動き、指先と足が向いている方向及び筋肉の動き、服の襞などを実時間でチェックして予測して戦況を操ってから全力で相手を圧倒する。

8年以上。詐欺ばっかりで人を騙す汚い事しかやらなかったけど、それがこんなに俺のためになると、塔に入る前までは夢でも思わなかった。

まったく、人は直接やってみてこそ才能を見付けられる、だっけ…!

あまり好きな言葉ではなかったけど、案外間違った事でもないようだ。

身を左に向き直して走っていた最中、俺は突然大きくバク転した。そして体が地面につくずっと前に掌から剣を作り地面に刺して、それを台にすることで空中でもう一度バク転した。

それによって、より高い高度に位置する事ができた俺は巨大な剣を、今度は柄が俺の足に向くように作り出しては、その柄の上に着地した。

完全に不意を突いた行動位置範囲の変更と連続した動きで敵の気を引いてから…… その隙に!!

速攻で作り出した6本の剣を女郎の奴に投げ降ろした。

しかし…

「くそ……」

剣は確かに女郎の奴に当たった。が、彼女の身に刺さる事なく全てが跳ね返られた…

さすがに、何時何処から飛んでくるか知れない見えない武器を使っているくせに、常時自分の身に太い防壁を包んで守っていることまでしていたなんて……… 鬱陶しい!

どうやら今度の詐欺は少し難易度が高いかも知れない…… しかし―――― だとすれば、より汚く狡い手段でやっていけば良いまで…!!



昔の御伽話の中に、何でも打ち抜ける「槍」と何でも防げる「盾」が遣り合ったらどうなるのか、とのお話がある。皆はそれを矛盾の関係だとよく言っていたが、槍と盾(得物)に限ってはそうじゃない。

槍と盾が最強というのなら、残りはそれを使う者のやり次第に決まっている。

何でも斬れる「剣」の俺。

何でも防げる「壁」のお前。

この戦いもどっちの器量が大きいのか、

どっちの方がより想定外の事で巧妙に相手の透きを打ち刺すかのお話だ。

つまり、俺は全然負ける気がしない―――ってわけさ!


正直なところ、この巨大な剣の上で攻撃し続ける事も考えてみたけど、結局女郎の奴が投げ続けた防壁によって俺が足場に使っていた柄が壊れてしまい、そうもやれなくなった。俺はもう使え物になれない剣を無くして地面に着地した事と同時に地面を踏み躙んだ。すると、『バベル』が減るのと同時に俺の足を押し上げるように巨大な剣が再び地面から湧いて、俺を高い所まで一気に移動させた。元々は高速で移動する時によく頼りにする使い方だったけど、こんな風に使えなくもない。しかし、これでは先までと変わりがない。それに、また女郎の奴が投げて来る防壁に俺の足場になっている柄が壊れてしまうはずだ。だから―― 飛び降りた。

そして俺は先作った剣よりずっと巨大な、そう。俺と女郎の奴を平等に踏み潰せるほど巨大な剣を俺の頭の上に水平で作り出して、自由落下させた。

しかしその剣は、女郎の奴が自分の頭のはるか上に張っていた防壁にぶつかって傾いて落ち始めた。

このままだと… 女郎の奴だけが無事なまま、俺はいくら必死に走っても下半身が踏みつぶされる事を免れない…… ま、君ならきっとそうくると思ってたぜ、このクソ野郎め!

俺は自分に向かって落ちている剣の下で動きを止めて後ろに振り向いては、先ずこのコロセウムの端を見てからまた振り向いた。それから、軽くジャンプする事で体を少し浮かばせた。

すると、コロセウムの周辺を取り囲んでいる女郎の奴の防壁に刃が向いている剣が俺の背中に向かって猛烈なスピードでだんだん大きくなると、その剣によって俺の体は前方に凄まじい勢いで押し出された。

脊椎が少し痛いけど、これで良しだ。

その押し出しに身を任せることで、㎞/s単位の速度で移動できた俺は一気に女郎の奴との至近距離まで行くと、即座に女郎の奴の足元に両手を着けた。

「―――やってみな。」

俺が手を着けた所を中心に、女郎の奴の足元から大量の剣が湧き出た。

結局その内何一つも女郎の奴本人に傷を負わせられたな物はなかったけど、足元から剣が湧き出たせいで足場が不安になった女郎の奴の重心を崩せた上、彼女の体を空中に浮かばせた。

「ふああっ!!」

そして急激な環境の変化によって判断力が落ちているはずの今一瞬を逃さず、俺は剣を作り出し、『バベル』を消費した一撃を「振るった」。

確かにあの女郎の奴の防壁は異常なほど硬くて結構苦労したもんだ。しかし実のところ、今まで俺は「剣」を投げたり刺した事ばっかりだったから効かなかったかもしれないが、俺の異能力は「何でも《切れる》剣を作る」だ。

心身を込めたこの「切り」には、いくら「何でも防げる最強の盾」であっても簡単に防げるはずがねぇんだろう――!!!

剣の刃が女郎の奴の体の周辺に触れると、少しの抵抗感だけを残して ――――――彼女の防壁は六角形の星を振り乱しながら空中に消えて行った。

―――その硬い防壁を到頭破ったのであった。

このチャンスを生かすため、万全に万全を尽くすために、両手に剣を、さらに女郎の奴を取り囲むように十数本の剣を作り出した。

死角はない。

俺は周辺の剣を動かしながら両手の剣を振るった。

完璧なタイミング。正確な攻撃。そして先と同じく、防御するとしてもそれを破れる自信がある。

俺の剣が彼女の全ての防壁を破って彼女の体を斬り分けた。

―――――はずだった。そうなるべきだった、はずなのに…… 俺の全ての剣は彼女に触れることさえできなかった。

先は確かに破った防壁が、今は少しの罅が入っただけで、未だ頑丈だなんて…… ありえない。

それとも、俺に… 今一瞬で彼女の異能力の使用能力が伸びたとでも信じろって言っているのか………


俺が混乱している間に女郎の奴は速やかに構え直すと、そのまま俺の手足を防壁で固定させ、見えないモノを握ると俺の首を狙って振るい出した。

予測できなかった。動けないんだ… 避けられ、ないんだ……

また剣を作り出して飛ばしてみたものの、防がれる一方であった… やれることがない。生き残れ… ない……

それでも…!!

俺は死ぬのは歓迎でも、その前にやりたいコトはやってから死んでもらうぜ!

俺は俺の残り『バベル』のうち半分以上を消費することで一つの剣を振るった。

この剣は見えず、在らず。だから今から俺の命を奪って行くであろうあの手の小さな防壁を切ることも、俺から先に彼奴の命を奪う事すらもできない。

しかしただ一つ切れるコトが残っているのかも知れない。

俺の異能力は「《何でも》切れる剣を作る」こと。あの女郎の奴の異能力がやたら硬くて少しややこしいだけで、武器も、岩石も、地面も、空間も、病気も、身体も、そして、心さえも――――

前に一度少年に試したことのある奥の手、今ここでもう一度使ってもらうぜ!

その目が何をそんなに隠していて曇っているのかは知れないけどよ、行くときは行ってもそれは明かしてからにしてやるぜ!

そう思い切った俺は見えない、存在しない剣を振るった!対象は目の前の防視の心の壁。



「これは……」

まだよくは解らないけど…… 目を覚ますと、所々大きな水玉が漂っている真っ暗な背景に… 微かに輝いている壁一つが張られていた。此処に居ると、つい心が落ち着きながらも頭内は鮮明になる悪くない感じになった。

まず俺は壁を眺め回ってから、少し引いて全力で剣を振るった。

幸いと言うべきか、その壁にはあっさり切れ跡をつけられた。

そしてその切れ跡から覗き見た向こう側にはあの女が、いいや…… 防視とは一種違う…… 彼女が、彼女の記憶を……… 彼女の正体を見た俺は、まだ自分が見たその真実を受け入れずに茫然と思考を停止していた最中に、心の奥から歩いて来た彼女に押され――― そこから跳ね返された。

はは… くそ。

お前は… 俺より腐ってるぞ… この可哀想な奴め……



あの変な空間から離れられて目を覚ました俺は、俺に残された『バベル』を全て費やして一本の剣を創ってから、もう一度、少年に向かって… 放した。今度は途中で消えるようにし無かったし、何処かにぶつかる事も無く、このコロセウムを取り囲んでいる女郎の奴の防壁に半分以上突き刺さってそこに居残った。


正直に言って、最初はあの少年もタイミングを見て殺すつもりだった。どうせここから出られるのはただ一人のみ。戦う意思も、力もない間抜けな奴なんてさっさと死んだ方が楽じゃん?だから挨拶の時殺そうとしたが、如何な事、少年の異能力はなかなか使えるモノだった。そう。とてもレアな匂いがした。だから一応共に行動することにした。その時は、随分やっかいな奴と戦っていたため、そのために使おうと思っていた。俺は詐欺師だ。使えるモノは徹底的に使ってからその後容赦なく捨てて、次の手と方法を探し廻る。だからあの見えない奴ごと殺そうとしたら、女郎の奴のせいで失敗した。

でも、本当に良かった。その時殺せなくて、その時少年に会って…… あの少年は困った奴だった。馬鹿な奴だった。あまりにもあほくさいお人良しだった。

人を裏切ることも、利用することも知らなかった。むしろ人だと思えないくらい………人らしかった。最後まで俺が得られなかった、俺が探し求めていたのがそこにいた。隣にいたくなって、少し離れているとすぐまた会いたくなって、共に進みたいと思う――― そんな本当の友達に、あの少年とならなれると思った。

だから俺はあの少年と親しくなろうと思い込んだ。

その考えは今まで俺がした最も馬鹿らしいことだった。

その考えは今まで俺がした最も誇れることだった。


そもそも、詐欺師にとって、互いを信じて、共に活動していた仲間に裏切られるのは最もありふれた落ちだ。俺の此処に来る前までの人生も、そうやって終わったのだから。

だから俺は警戒した。嘘もした。利用しようともした。心の何処かで怖がっていたのかも知れない…… でも、その心配は全て杞憂だった。

「少年!!生きろ!ありがとう!それは持ってけ――!」

一秒後に死ぬせいで言葉が変になっちゃったんじゃねえかよ…

でも…… うん。本音を口にするのって、こんなに気持ち良かったんだな。

最後にあの少年が俺のことをどう思ってくれるのかは知れないけど、俺はやっぱりあの少年が生き残って欲しい。騙し騙されることだらけで人生を無駄使いした俺なんかより、これからを「生きて征く」少年がこんな所で終わってはいけないんだと、俺は思った。だから… その「剣」はこんな俺からのお詫びとして、どうか君が使って欲しい。どうか、生き残って欲しい。

それに… あと一つ、言えるとしたら… もう一度俺とと……………………、……ケンさんの首が飛んだ。



アチャチャ~ 残念残念!あそこで0.4cmだけもっと右を切ったら君の勝ちだったのかも知れないのにな……

残念~残念~~ w



頭の中が混雑だ。

ケンさんの頭が飛んだのを見たとたん穴を開け、その岩盤まで駆け付いた。何故か今度は妨げられる事無く無事に移動できた。僕はケンさんに近づいて、彼の体を抱きしめた。しかし彼の体は失くした頭を探し迷っている如く激しく動く一方だった。だから僕は急いで体から落とされたケンさんの頭を拾って魚のようにパタパタしているケンさんの体に持って行って、それを差し出した。

「ケンさん… ケンさん… ここにあります。僕が持って来ましたよ。だからもう落ち着いてください。」

しかしケンさんの体は僕の声をまるで聴く気がないのか、パタパタするのを止めなかった。

それから僕は一体何をどうすれば良いのか分からなくて、何とか笑顔を作ってそんなケンさんを見守ったけど、それからケンさんは一度身を大きく跳ね返ると、それっきりでもう動かなくなった。

「ケンさん?ケンさん?」

いくら呼んでもケンさんはびくともしなかった…

「彼はすでに死んだ、モルモット。」

今僕が一番聞きたくなかった事を、最も知りたくなかった事実を、散歩するかのようにゆっくり歩いて来たシグマに聞かされた。

「違う!ち、がう… そんなはず!!」

その瞬間ケンさんの左手が空間ごと曲がり、途絶え千切れた。

「死んだんだ。」

「ち、ちがう……」

その瞬間ケンさんの右足が空間ごと曲がり、途絶え千切れた。

や… やめ………

「いつまでやったらその眼で前を見る気だ… 貴様はこんなに軟弱ではならないのだ。モルモット、早く精神を昇華させろ。お前はボクたちを導く標になるべき存在なのだ。」

「やめて!!!!!」

僕は右手がボロボロであることも、体がゆるゆるしていることも気にせず、拳になれない手を振るった。しかし僕が精一杯振るった手はまた彼には届かず、僕の体は地面に倒れた。それでも僕は少しでも足掻こうと、硬くて握れない地面を這った。

…………ダメだ。

何もかもが足りなかった。あまりにも弱かった。こっちから先に異能力を使ってもシグマが全て相殺してしまって、自分の身体能力は言うまでもなかった……

「これ、殺すかな?」

嘲う顔のシグムンドは哀れに倒れている少年を指で指しながら言った。

「あはは。去年聞いた社長の冗談より面白い御言葉を。当然、殺すべきです!」

すると、司一郎がわざとらしい笑い声を出しながら殺そうと主張した。

「いいや、放っておけ。上で待つ。その状態で這ってでも上って来てみろ。ま、駄目だったら結局このプロジェクトもそこまでだろう。」

しかし、シグマはそんな二人を止めてから独り言を呟いた。

「うん~ ま、アンタが言うなら仕方ねぇな。おい、副社長の旦那~ 行きますよ。」

「なんという……!!」

「[行こう]って。」

「はい。」

「………」

シグマを筆頭にシグムンド、司一郎、そして防視まで淡々と彼の後を付いて少年から離れて行った。



僕は…… 最初から最後まで、傍観することしかできなかった…

僕はもう一人になった…いや、ケンさんは息はせず隣で横になっていた。

結局最後まで何をした人か、何故ここにいたのか、何をしたかったのかなど…何も知れないけど…… 隣で共に戦い、一緒に話し会い、笑った彼と―― ケンさんともう会えないと思うと、頭がぐるぐる真っ白になって酔いを訴えて、全身から力が抜かれ座り込んでいる事しかできなかった。いいや、体が重くなってどうしても立ち上がれなかったんだ……

おかしい処もあって、疑いもしたけど、知り合いだった人が死んだということは、あまりにもえげつなく心を裂いて寒い体を震わせた。

まるで心臓を手で握って揉んでいるようだ。

ケンさんともう会えないと思うと……沢山のことが思い浮かんだ。

初めて会った時僕たちを助けてくれたこと。

僕と話をしてくれたこと。

僕を心配してくれたこと。

僕の話によく笑ってくれたこと。


………全部全部全部良い思い出しか思い浮かばないんだ…

でもなんでだろう。

思い浮かぶのは良い思い出ばっかりのくせに、なぜ胸はこんなにも苦しいんだろう… 涙はなぜ止むことを知らないのだろう……

なぜ… こんなに痛いのだろう………

「うあぁああぁぁぁ!!!」

悲しい。

思いっきり泣いた。いや、声が…沈まなかった。涙を流した。叫び出した。それなのに、この痛みは全然減らなかった。

どうすれば良いんだ――――!

回復の異能力者を探せば良いのか、

『バベル』を減らせばこの痛みも減るのか、

どうすれば!どうすれば!!どうすればどうすればどうすればどうすれば、どうすれば良いんだ……

僕は知らないんです。また誰か僕に教えてください!僕を抱きしめてください!僕に立ち上がるための手を伸ばしてください!

知らないんです… 苦しいんです……

どうか、だれか―――!!

僕は絶実に叫んで、形にならない声を流した。



それが絶望感と喪失感であると知るのは、おそらく随分先の話になるんだろう。

まったく… 哀れな様だな、モルモットくん。しかし~ まさかあのシグマがあんな汚い手を使うなんて… 正直私もびっくり!

まぁ…… それは後にしても、今少年の様子を見る限り、どうしてもこのプロジェクトは続けられなさそう――――――と思いきや、あら?少年はたちまち立つと、まだ使える左手でケンが残した剣を握って、次の階層まで繋がっている階段に向かって、何とか動き始めたのであった。

その鋭い棒でも亡(な)ければ今すぐにでも倒れ散ってしまいそうな…… 危うくも、軟弱な歩みで――――


どうやら、観測(任務)は続くべきであるようだ。

(面倒くさいんですけど…… ま、面白そうから良いっか!)

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