2. 少年、周囲と関係を持つ。

2F


蜘蛛の巣窟を、知っているだろうか?

数多くの蜘蛛が張った蜘蛛巣が一つにもつれてもつれて、すぐ目の前も見えないほどの壮観を成しているその姿。この塔の2階層の風景はまさにそんな蜘蛛の巣窟を連想させる事であった。


天井の光を悠々と反射している鋭利なワイヤーが地面から天井までを埋めているそれは、エサが掛かるのを待っている巨大な蜘蛛の糸に似ていた。しかしそれが何なのか知らない少年は光っているそれに興味を持って指を出して、そのまま血を流してしまった。

所々ワイヤーが切られていたり、途絶えられたワイヤーもあって道を進むことは大した問題にはならなかったけど、触れるだけで傷が出来てしまう鋭いワイヤーの存在は、それだけでも十分に気を付けなければならない存在であった。

それに… この階層、「蜘蛛の巣窟」には巣を作った蜘蛛以外にも、獲物を狙っている存在がもう一人潜伏していた。



少年が2階に上ってから2時間… かなり長い間ただ光っているだけの蜘蛛の巣窟の中を歩き続けていた退屈な時間が流れていた最中、突然少年のすぐ隣から弦楽器の糸が切れたような音が聞こえたと思いきや、少年のすぐ隣にいたワイヤーの束が、そのまま少年の頭の上に落下し始めた。

だが、そのワイヤーは見えない何かの傾斜にでも触れたように少年とは距離のある空中ですべるように落ちた。

「あ、起きたの?ありがとう。」

「……」

少年からの安否の確認と感謝の挨拶に、女の子は少し焼かれてぼろぼろになった自分の服を一度見てはどうでも良いのか、また目を閉じて少年の背中に身を凭せた。

一応女の子が意識を取り戻したというなら、もしも何か起こったとしても今までのように何とか無事になるはずだと少年は安心した。

しかし… その考えが油断を呼び起こしたのか、この階層に入って来た獲物の存在に気付いた「蜘蛛」からの攻撃により、天井と周りを囲んでいたワイヤーの壁から数筋のワイヤーが延び出て女の子を引っ手繰ると、そのまま首を絞め、腕と足にもからんで空中に拘束した。突発的なワイヤーの攻撃と女の子のみを狙う精密なコントロールまで……… どうやらこの階層のどこにでも見えるこの無数なワイヤーは全て一人の異能力によって作られた人為的な造形物であった模様だ。

「え?! 一体どこから!!」

一瞬で何が起きたのか知らずに慌てていた少年は速やかに女の子の位置を把握して、女の子を救うために接近しようとしたけど…… 今度は少年の体を貫通する勢いで打ち降ろすワイヤーの束が、あっという間に少年と女の子の間を分ける壁となって二人の間に距離を作った。

「あら?珍しく二人もいるなんて。それにまだここに女の子が残っていたんだ?これはこれは… とっても嬉しいわ!」

どこかから女性の声が聞こえると、その声が聞こえて来た方向にあるワイヤーの壁をまるでカーテンの如く開いて、このワイヤーで成し上げた巣窟の主と思われる女性が現れた。

シルクみたいな長いアイボリー色の髪に猛獣のような赤い目を輝かせる女性、確か「アクネ」という名であった女性はそのまま女の子の側まで歩いて行っては、女の子の髪を撫でつけた。

「うん!うん!とても良い… 綺麗で新鮮そうな女の子…… ああ、あああー ああぁあ!! 君の血を味わえば私は今よりもおっと綺麗になれるわ!さぁ、私に君のジューシーをたっぷり味わわせてちょうだい!」

「やめろ!!」

少年は女の子を眺めているアクネの眼を見たとたん、拳を握って大声で叫び出した。彼女のその眼は少年が今までこの塔の中で何度も見てきた人々の目に似ていた。そう、それは今すぐでも人をあやめようとする者の、酷く怖い眼であった。

このままだと、今女の子の首と全身に張り巡らされているワイヤーがあのか弱い体を掘り下げて、一瞬で命を奪っていくのであろう。

しかし、それを阻止しようと必死にワイヤーの壁を超えようとしている少年の事は眼中にもないのか、アクネは女の子のみに心酔したように眺めながら彼女の首を嘗めた。

そしてそれと同時に―――――

「うわああ!!またかよ!そこ、退け!」

後ろから男性の声が聞こえた直後、少年の進みを妨げていたワイヤーの壁が完全に二等分された。それから、新たに現れた男性の隣に、何処かから手榴弾が転がって来ては爆発した。

その爆発で怪我した者はなかったが、アクネはその爆発を避けるために少し後ろに距離を置き、その透きを見逃さなかった少年は女の子に走って行って、至急に彼女の状態を確認した。

首や全身にワイヤーが張り巡らされてはいたが、幸い女の子の肌とワイヤーの間には明白に空間の隙間があった。

先の爆発のおかげで少し緩くなったのかと思ったが、直ちに否定した。

これもまた彼女の異能力の活用の一つのなのだろう。

心から安心したのか、少年は真っ先に戦闘の始まりを知らせる鈴の音が鳴ったことも聞けず、今周りに自分たち以外にも人がいる事実すら忘れて、胸を撫で下ろすと足に力が抜けてバッタリと倒れた。

「こりゃ…… おいそこ、大丈夫か?」

話を掛けて来たのは、コバルトブルーの目と黒に近い青色の髪に、手に持っている剣でワイヤーの壁を一発で両断した男であった。

「あ、はい?はい。あの、ありがとうございます。」

今になってようやく先までの状況を思い出して周りを確認すると、どうやらアクネは第三者の乱入によって退いた模様だ。

「いや、俺は別に助けようとしたのじゃないんだけど… それで君。もしかして、俺とやりあうつもりか?」

「い、いいえ!僕はその… そもそも戦いたくないって言うか……」

「ふぅん… ま、別に良いだろう。俺はケン。よろしくな~ 少年。」

自分のことをケンと名乗った男は剣を持っていない手を出して握手を求めた。

「あ………」

しかし少年は自分に出された手を見てびくつきながら警戒した。

しかしそれも当然といえば当然なことであった。

今まで少年の記憶にある出会った人と言ったら、何も言わずにただ付いてくる女の子を除けば、誰もがむやみに攻撃を仕掛けてくる人だらけであったのだ。なにより初めて対峙した人が謀りと不意打ちで攻めて来た司一郎(しいちろ)だったのだ。どうやらそのせいで少年はこうもびくついているようだ。

「はは!良かったぜ~」

しかしケンはそんな少年をしばらく見ると、作り物でない笑顔で笑いながら、もう片方の手に持っていた剣を空中に溶かすように無くしてから話を続けた。

「ぼっとした印象だったのでどれほどの馬鹿なのか心配だったけど… うん!それでも警戒くらいはできるようで良かったぜ~ もう一度よろしく~!俺の名前はケン。先見たのと同様、剣を作り出せる異能力だから残念にも不意打ちなんてできないから心配しなくてもいいんだぜ~」

照れ隠しの笑顔を浮かべながら、もう一度出されたケンの手を見た少年は少し悩んだ後、とうとうその手を掴んだ。

「あの…… 僕こそ、こちらこそよろしくお願いします。僕は……… アルファ、はい。アルファと言います。異能力は何か見えたりはするんですけど、正直よくわかりません。」

少年―― アルファは自分が受けたのと同じく、初めての自己紹介をやり遂げた。

「うん。良い。それ良いね!しばらくよろしくな! で、そこの君は?」

ケンは再び剣を作り出すと、まだワイヤーに拘束されていた女の子を解放させた後、彼女に名を問った。

「……… …、…防視(ほし)。」

「え?!」

「そう。俺はケン。君もしばらくよろしくな~」

ケンは再び作り物のない笑顔を見せて、アルファは初めて聞いた女の子の名前に驚くと何度もそれを心の中で言い呟いて、何がそんなに嬉しいのか微笑んだ。



「それでその時はどうやって僕たちがいる場所まで来たのですか?」

2階の内部を移動しながらアルファはちょうど先出会ったばかりのケンとの会話に夢中になっていた。どうやら誰と会話らしい会話を交わすこと自体が初めてであった上、ケンもまたアルファの言葉によく笑って、応答してあげる事で話す側が楽しく話せるようにしてくれたおかげで、相当楽しい様子であった。

2階層の風景は1階とは全く違ってどこに行ってもアクネがワイヤーで作った蜘蛛の巣窟の中であったからすぐ退屈になった上、ワイヤーによる先程の危機感と恐れが未だその身に残っているのか、アルファは出来る限り周りの風景から目を逸らして、今はただワイヤーが切れて出来ている道を歩きながらケンと話を交わす一方であった。

「ある奴を追っていたんだよ。」

「ある… やつ?」

「ああ。その時手爆弾が転んで来たんだろ?」

「てりゅう…弾?」

「まさか知らないの? あの時地面に転がって来て爆発した丸い球みたいな物。それを手榴弾と言うんだ。」

そういえば、ケンの登場のみならず、手榴弾が爆発することもあってアクネは女の子、防視から距離を置いたのであった。

「そいつ今度も手榴弾だけ投げて逃げやがってよ。」

「でも… その周りには誰も……」

「うん。彼奴、自分の姿を透明にさせるんだよ。前々からヒットアンドランばかりで、30分のタイムリミットもくそもないんだよ…… 俺、もうこの八日間彼奴とばっかり戦ってるんだぜ…」

「でも… 見えない相手なんて、そこにいるのかないのかは知れないんじゃないですか?」

「いいや、知れる。そいつ… なんの悪趣味か、姿は透明になれるくせに香水は滅茶苦茶かけてんだよ。それで、近くにいたら匂いですぐわかる。」

「香水?…の匂い?でも匂いは長く嗅ぐと、嗅げなくなったりするのではないですか。」

アルファも1階の村で眠りにつく際に、最初は小屋の木の匂いのせいで眠れなかったけど、すぐ匂いに慣れてぐっすり寝れたことを思い出した。

「それは心配無用! こう見えても五感や直感的なことに関しては絶対的自信を持っているんだぜ!!」

「あ… はい。」

「むしろ彼奴の香水は頭が痛くなるくらいでよ~~」

彼の言葉をよく理解することはできなかったけど、今こうやってどのような襲撃も受けず、誰かとこんなにお喋りをしている事実が、今まで経験したことのない安らかさと楽しさを感じさせていた。

「そ~こ~で! 君にお願いがあるんだけど!」

ケンはこれが本題だと言っているように自分の顔をアルファの目に突き付けた。

「君のその「何かが見える異能力」でその透明になるやつを探し出して欲しい!」

「はい?でも先は周りにいたらすぐ分かると……」

「周りにいるのかいないのかを分かるのと、どこにいるのかを分かるのは全く違うもんだぜ… それに~」

ケンは顔を引いて少し距離を置きながらも、相変わらずアルファの目を見つめながら話を続けた。

「知り合い同士はお互い必要な時には助け合うもんだぜ~ うん!」

「あ、はい。そんなことなら仕方…ないですよね。はい、協力します。」

「良っし!じゃさっさと彼奴を探しに行くか!」

「その代わり!その代わりに…… 僕たちが危険になった時は、その時は必ず僕たちを守ってください。」

アルファの提案は合理的でありながらも自分自身に対してはあまりにも残酷な一言であった。確かに今まで数多くの危機を防視の異能力(防壁)で乗り越えてきた。しかしそれは防視に全面的に頼るやり方であって、実際に先ほど防視が襲撃された時も、アルファは自らの手で何もすることが出来なかった。いつも自分を守ってくれる防視を守ってあげられなかった… それから、アルファの願い通りに防視を守るためには… 不確定で危ういアルファ一人だけの力では足りない上、危険性も高い。すぐ先ほどのことだけでも、もしケンの乱入が無かったら、絶対無事では済まなかったはずだ……… だから必要なのだ。自分なんかよりずっと強くて心強い仲間の存在が―――

「それが、僕からお願いする提案です。」

人に何かを頼むこと自体が初めてであってか、自身の情けなさを自ら語っているのと同じ事であったからか、アルファの声と体は明白に震えていた。

「そう。良いぜ。そんじゃ俺たちもう友達だな~?」

「とも、だち?」

「そう!互いが互いに頼って共に行動するっていうなら、それはもう当然友達でしょ~!」

「友達… 友達、ですか。」

アルファは初めて聞いてみるその単語の響きを繰り返しながら、その言葉からあふれてくる温かさにそっと微笑を浮かばせては頷いた。

「じゃ出発するぞ。少年!」

「はい!」

「………」

意気投合したケンとアルファ。そして、いつもの無表情とは違ってどこか文句があるような防視が共にまた道を進み始めた。



「それで僕は何をすれば良いんですか?」

「うん… そうだな、君は――――」

そうやってこれからの計画を決めようとした瞬間、この階層の構造そのものが動き始めた。

一つの階層の巨大な空間で独自の天井と壁を形成していた、アルファたちの周辺にあった、すべてのワイヤーが彼らを捕食しようとするように生き揺れると、一斉に襲い掛かった。

一筋だけでも手足を切り飛ばせるほど鋭いワイヤーが数百、数千… それら全てが彼らの肉を切り取ろうと死を纏って襲って来た。

アルファは意味のないことだと知りながらも瞬間反射的行動で女の子の前に出てから両手を広げて防御姿勢を取った。

しかし、

アルファとは正反対にそのワイヤーに向かって突進したケンはそのまま剣を作り出すと大きく振るって、襲って来る全てのワイヤーを抜かりなく切り落とし続けた。

「お前さんはいつもこれっだけか!」

「ケンさん!」

「お前はその透明な奴を探せ!周りにいる!」

「あ、はい!」

アルファは今起こっていることに驚くことをも後回しにして、目をグッと見開けて周辺にその身を隠して近づいている存在を探そうと、精一杯周りをキョロキョロ見回った。

しかし、『バベル』が少したりとも減っていないアルファを待ってあげる事はなく、先見たのと同じ種類の手榴弾が、次から次へとワイヤーを切り落としているケンの足元に転がって来た。

「くそ… またかよ!」

ケンは自分の足元で転がっている手榴弾を見ても、歯を食いしばって、ひたすら襲ってくるワイヤーを切り落とし続けるだけであった。

「ケンさん!!」

「お前はお前の仕事をしろ!」

爆発の向こうから聞こえたケンの叫びを聞いて周辺を全力で凝視すると、アルファの眼の片隅に人の形をした輪郭が見え始めた。

「います!」

直前までは何も見えなかったのにも関わらず、手榴弾による爆発の攻撃をされたのを基準に、見えない存在の輪郭がはっきり見え始めたのであった。

「良し。これは俺が何とかする。だから頼んだぜ、少年!」

ケンは速やかなステップであっちこっちに走って本人と防視に襲って来る全てのワイヤーを切り落としながら、アルファに笑って見せた。

「は、はい!」

元々は見つけることまでがアルファの役割であったはずだが、ケンは今ワイヤーを切り落とすことでいっぱい… のようだ。それなら仕方ないと判断したアルファは一刻も早くあの透明な者を生け捕りにするか、逃さないために慎重に、そして出来るだけ早く、薄くなり始めたあの輪郭に向かって走って行っては、それを急に抱き締めた。透明な人物も自分野が見えるとは思ってもいなかったのか、そのまま抵抗なく捕まれた。

しかしそれが間違いであったのか?、今までケンと女の子のみを狙っていたワイヤーの猛襲が… アルファの行動をきっかけに、今までこの階層の中を隠れ回っていた透明な存在の位置を把握できたのか、7時方向の遠くから数多くの新たなワイヤーが襲って来た。

それ以上動けなく捕まえることまでは良かったものの、おそらくアルファの頭には自分がやるべきことだけで一杯になって、周りのワイヤーの存在も、自分が捕まえた人が自爆覚悟で手榴弾を使う事も、それとも、また第3者の存在が現れるのかなどの多様な可能性を何一つも顧慮していなかったはずであろう。

このままだと…… あのワイヤーの束に体をバラバラにされて死んでしまうかも知れない。

アルファは恐怖によって透明な人を捕まえている手にもっと力を入れて怯えた。

しかしそんなアルファの心配を全て吹き飛ばすように、アルファのすぐ後ろの足元から10本を超える剣が一気に湧き出ると、ワイヤーから周りを囲んでくれた。

「は、はあっ……」

アルファは緊張でためていた息を吐き出してからゆっくり後ろを振り向くと、ケンが持っていた物と同じ形の剣の刃が自分の背中に触れる直前の距離で止まっていた。

アルファは一応気を改めて前を見たら、自分の懐にいる老人の姿にびっくりして腰を抜かした。

その老人の体は、まるでアルファが1階層の村で見た、サボテンの事を思い出させるように、アルファの後ろにあった剣と同じ剣がその老人の身をそのまま貫通してあっちこっちから体内の鮮血を惜しげ無く吐き出していた。

人の身から血が出るのを見たのが初めてであるはずなのにも関わらず、原始的恐怖がアルファの全身を舐め刺した。

「うああああああ!!!」

恐怖を感じるのが当たり前だと思われるそのビジュアルに、アルファは大声で叫んで、その場に頽れた。

しかしそれと真逆に、ケンはそんなアルファとすでに死んだ死体には目もくれず、地から巨大な剣を湧き出しては、その剣に乗ってアルファを襲うためにワイヤーが迫って来た7時方向に向かって高速に移動した。



ケンが他の敵を仕留めるために去った後、アルファはまるで何か嫌なことでも思い出したように顔を青ざめてその場で恐怖に食われて身を震えていた。そして、そんなアルファを見ていた女の子は後ろから静かに近づいて来ては、

そっとアルファの体をぎゅっと抱いてくれた。

「あ………」

あまりにもショックを受けてまごついていたのか、アルファが一体どんなことを言えば良いのか分からず唖然となっていた渦中に、初めて女の子の方から話しをかけてきた。

「大丈夫。大丈夫… 落ち着いて……」

静かで頭に響く女の子―― 防視の美しい声色に一時… ほんのわずかではあっても落ち着くことができたアルファは息を飲んで吐き出し、うろたえる心をようやく沈められた。

恐怖、もしくは悪夢と呼べる感情に震えながら、アルファは自分を温かく抱きしめてくれた防視の手のみをぎゅっと握って震え続けた。


そうやって十数分の時間が経つと、周りの景色そのものを成していたワイヤーが緩くなると、そのまま崩れ倒れて、元々この階層を構成していた砂漠の景色が姿を現した。

さらにそれから数分の時間が経つと、広い砂の草原の向こう側からケンがゆっくり歩いて帰って来た。

「………」

防視は相変わらず口を開けていなかったものの、誰が見てもひどく怒っていると分かるほど険悪な表情でケンを睨み付けた。しかし、そんな防視を流れ済ますようにケンの方から先に話し出した。

「あ、あの時の爆弾。サンキュー~」

どうやらケンが先の爆発の中で無事でいられたのは防視が自分の異能力で彼を守ってあげたおかげだったようだ。

しかし… 何がどうあれ、アルファに被害が及んだことでかなり本気で怒っているのか、不満を表そうとした防視は、何事かとニヤニヤと作り物のない笑顔でこっそり笑っているケンの顔を前に、また口を閉じてしまった。

「少年。ごめんな… 俺のミスであまりよくないモノを見せちゃったな…」

「ミ、スですか…?」

「その… うん。本来は君にしたように直前で止まるはずだったのに……… 俺の視野から見えていなかったせいで距離感を、よく把握できなかったようで…」

沈鬱な表情で下唇をそっと噛みながら話したケンは何度も心からすまないと言っているようにアルファに誤った。

女の子はそんなケンに対して何かもっと言いたいことがあったようだったけど、結局沈黙を維持した。

「また誰か来るかも知れない… さ、もう早く他の階に移動しようぜ。うん?少年。」

「は、はい… そうですね…」

まだ混乱しているアルファはまるでケンに誘われるように周りに広がった砂漠を目に尽くす余裕もなく、その美しい風景を後にしたまま、ケンの後を付いて次の階層に繋がる階段に向かった。



3階層に繋がる階段を上りつつアルファの頭の中では先の出来事が、先ほど自分の頭の中に流れた「あの記憶」の事が思い浮かび続いていた。

そう。自分のすぐ目の前で人が血を吐き出して死んだ姿を目撃したことをきっかけに、アルファの脳裏にはある災害のシーンが思い浮かんだのであった。

目の高さが自分より少し低い黒髪の男の子一人がその身を拘束されて、自分が見ている目の前でその男の子と似た体格の子供たちが赤く染まり、その子たちのであったと思われる「モノ」が散らばって地面に転がっていて、その後ろに見える木造建物が防火され燃え尽く光景を見せられるている悲しみの記憶が……… ひたすらその火災を見眺めるしかできなかったその黒髪の男の子の姿が、先からずっとアルファの頭の中を駆け巡っていた。

しかし、少なくともアルファが此処で目を覚ましてから見た「コト」の中でそんな「覚え(記憶)」はなかった。

だとしたらこれが「僕の記憶」なのか…?とアルファは悩んだけど、それよりも、今は自分の周囲で続いて見えて、思わせて、近寄って来るこの「暴力」にうんざりになっていた。今はもう自分自身にうんざりになっていた。そして周囲からの暴力よりも、その中で何一つたりとも真面に出来ていないアルファ自身があまりにも憎く、馬鹿みたくて、歯切りがした。

だからアルファは… 自分でも、何かをやりたいという愚かな決意をしたのかも知れない。

「なんで、そんなことになってしまうのでしょう… なんで皆、戦おうとするのでしょう?」

後から静かに付いて来ていたアルファの突然の質問に、ケンはしばらくの間を置いて悩むと、すぐ諦めたように答えてくれた。

「それがルールだからだぜ。」

24世紀の現在。皆がホログラフィック・ボードでネットワークに接続する時、一人だけが紙で出来た本を読んでいると、その読書をしている人は当然ながらも周りから目立つだけではなく、変な目で見られる事になる。

同じ理屈だ。

今はアルファがその読書している人なのである。

事実、世の中には様々な事情があり、事件もあるが…… 結局その原初を捲れば、あれもこれも全部似たような理屈の上に成り立っている事だらけであるのだ。

此処、この塔という一つの小さな世界で、互いが互いを殺そうとする弱肉強食が勧められているこの暴力の世界で、一人だけが平和を主張し、実践しようとする愚かな人の言う事など、その誰もが耳を傾けてくれない。

それが自分たちと違うと思うからだ。

つまり、その人を「おかしい」と考えて差別化することになるのである。

それが「差別」であって、その対象はどんどん自信を無くしていく……

しかし―――――

「迷うな。正直に言って俺は今君にすごく驚いているんだぜ。」

「はい?」

「お前なら俺が結局最後まで持てなかったモノ… なんかそれを叶えられそうな気がするんだぜ。だから…… 迷うな。」

直感が良いと自慢していたケンがまるで自分の過去を顧みるように目を逸らしながら、そんな訳も分からない言葉を口にした。それからケンは「それに」と話しを続いた。

「君がこの世界を、殺し、殺されようと足掻いている此処の連中を否定したいのなら、本当にそうなら、生き残れ。必ず生き残れ!どんな状況でも必ず最後まで生き残るんだ。そうやって、君が正義になれば良いんだ!」

「あの…… 何のことか、よく分かりません…」

ケンはそんなアルファの反応を見て微苦笑を浮かべると、アルファの頭に手を載せてから言った。

「死ぬな。お前は… こんな処で死ぬには白すぎる。だからどんな場合でも、精一杯足掻いて生き残れ。今は、ただそれだけで十分だ。頼むから… 今のままにいてくれ。」

アルファには相変わらずケンが何を言いたかったのかはよく理解できなかったけど、彼の「生きてくれ」という気持ちと、自らも何かをやりたいという意志だけはより堅固になった。そしてそのおかげか、震えが止まらなかった心もようやく落ち着けることができた。

「ふぅ… ありがとうございます。僕なんかに気を使ってくれて…… 防視… うん。君もありがとう。」

アルファはケンと防視に向かって順に礼を言った。防視は相変わらず淡々と頷いて、ケンは晴れやかに笑って見せた。


そう。君は俺みたいな奥汚い奴らといても良い奴じゃねえんだ…

俺が欲しがっていた、しかし最後まで持てなかったあれ… 何故か君となら、なれそうな気がするんだよ……

ケンはアルファと初めて会った時見せたのと同じ作り物のない笑顔でアルファとの対話を続けながら、誰にも聞こえないよう、見えないよう、心の中で呟いた。

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