第6話 未知の化物


「ふふ。顔に地が出ているぞ、ミント。何かあったのか?」

 何故だか少し楽しげな笑みで近づいてきたココが、頬を引き攣らせていたミントを見上げてこそこそと問いかけた。するとメイド服を着た戦士はぎゅっと結んだ唇で吐き気をこらえながら。

「………いえ。久しぶりに男のおぞましさを見た気がしただけです」

 すると、目の前の少女はしたり顔で頷きなどして。

「ふむ、そうか。ふふふ、これはなにやらロマンスの香りがするぞ」

「……………はぁ? おっしゃっている意味が良く分かりませんが?」

「ふふふ。なに、今にミントにも分かる。『何なのよ、あいつ』がやがて『私、何であんな奴のことばっか気にしてるんだろう。ぶくぶくぶく』へと変わるのは良くある事だ」

 統一コミーヨ歴にして七年目の付き合いである二人だが、真面目な顔でそんな事を言う彼女がミントには時々わからなくなる。少女小説を引き合いにお姉さんをからかっているのか、あるいは本気で恋愛小説の出来事そんな事を信じているのかが。

 肩を竦めて見やったモニターでは、相変わらず敵をなぶる様な砲撃が続いている。圧倒的な戦力差のある状況では、安全な位置からちまちまと相手を削るべしと宙軍戦術の教科書にでも載っていたのだろうか。

 だとしたら、読むページを間違えているとミントは思う。

 この任務中、守るモノはココお嬢様ただ一つ。なのに、自分の命に代えてもお嬢様を護ろうという気概があの男には感じられない。

 しかし、そんなメイドの心配はお構いなしに顎に手をやってモニター内の闘争に瞬きをした由緒正しきココ嬢は。

「ふむ。しかし、随分と豪華な武器を積んでいたのだな。確か私は、私達の役目はベルテデロ側との『交渉と対話』だと聞いていたのだが」

「そうですね、まあ、そんな我々の護衛が彼等の任務ですので」

「う~ん、そうか。彼等には是非『宇宙騎士オニョン』の第一集を読んでもらいたい物だな」

 目を閉じ神妙に頷く少女の頭を見下ろしながら、ミントは苦笑。腹に一物も無い事を知らしめるためにオニョンが裸で交渉に臨むというエピソードの事を言っているのだろうが、そんな物は子供だましの絵空事だ。

 当然ながら、第七惑星アギーラの軍が武装をしているのは星賓たるココの護衛のためだけでは無く、『交渉』のためのカードなのだ。帝国式の『交渉』とはつまりなのだから。『脅迫』も『侵略』も、その交渉を他人が何と呼ぶかの違いでしかない。

「お言葉ですが、ココ様。交信履歴を見る限りこちらに非はありません。十分な距離から進路変更の警告を発し、それを無視した相手から攻撃を受けています。例え相手が無法者でなくとも、反撃するのが常識でしょう」

 乾いた声で言いながら、ミントは『う~ん』とお下げの先で鼻をくすぐる年下の主の顔色を窺った。

 弱者への感情移入は、為政者にとって甘さという欠点につながりかねない。彼女の今後の為にも争いの現実に触れさせておくべきか、それともまだ教育に悪いのか。『大事な娘を頼むぞ』と泣きそうな声で言ってきたセリザワ家の親馬鹿当主の顔が目に浮び、ミントはこっそりと溜息を吐いた。

 砲撃のリズムは、少しだれた様なイチ、ニ、サンの三拍子を刻んでいた。


 ――と、その時。

『敵機、魔導炉に急速点火! ベルテデロ方向へ離脱する模様!』

「!?」

 通信兵の声に思わずミントは振り向いた。それは、予想される相手の行動の中で最悪の一手だった。

 当然。

「……フハハハハ、一か八かの逃げを打つとは、大ばか者め! 全隊下がれ! 主砲、発射用意! 我が軍飛艦『ユイ』の主砲精度をみせつけてやれ!」

 艦長モチヅキも、ここぞとばかりに指示を変えた。

 が、敵と味方が奏で続けた気怠いワルツに慣れきっていたアギーラ軍の反応は、ホンの一瞬遅れていた。

 その、隙間に。

『何か来ますっ!』

 と言う一人の兵士の声にモニターを見れば、まさしくその通り、主砲照射の反動に備え撤収モードに入った甲板兵のまん真ん中に。

 ゴシャッ!

 と言う音を上げ、が舞い降りてきた。

 それは確実にこの軍飛艦に乗る全ての人間が見た事がある物で、どんな物なのかも知っているはずだった。

 だけど、誰も理解が出来なかった。

 アレは何だ? どうして、あんな物がここにある?

 少年向けの冒険小説じゃあるまいし、一体何故、そら

「はぅひっ!」

 と息を飲んだお嬢様とは違う意味で呼吸を失ったアギーラ軍の兵士の中へ、ガシュン! と鳴いた巨大なバイクが突っ込んでくる。

 咄嗟の出来事に驚き戸惑う兵士達を、鋼鉄の獣が蹂躙する。

 その獣に跨るのは、一人の男。黒い髪、しなやかな身体、右手に何やら長い光。

 円を描くように兵士達の周りを走りながら、ブン、と男がその腕を振った。そこから伸びた一閃の光になぞられて、次々と倒れる兵士達。

 斬られたはずの兵士の周囲に血が見当たらない違和感に、特級侍従兵ミントはすうっと目を細めた。

「おい、どうした!?」

 うめき声だけが返ってくる問いかけを繰り返す大変優秀な艦長も、本当は分かっているはずだ。


 アギーラ宙軍が誇るこの軍飛艦は、に乗り込まれたのだ。


 甲板に転がったハンディカメラが映し出す映像の中、ドッドッドと低く唸るバイクに跨って詰まらなそうに倒れた人の輪を見下ろす黒服の男。

 その瞳がちらりとカメラを捉えた瞬間、ミントの全身の毛が逆立った。

 あの小さく可愛らしい作業船ウサギは、危険な牙を持っていた。しかも、追い込まれて剥いた牙では無い。最初からそれを突き立てる気満々で逃げ回っていた、狡猾で凶悪なウサギだったのだ。

 「くそっ! 扉を塞げ! 奴を絶対に艦内に――」

 偉大なる艦長モチヅキが叫ぶと同時、カキンッという小さな音が甲板から響いた。

 そして。

「――っ!? 艦長!! も、もう一人来ます!!」

 見れば、敵作業船が放った回収用魔導ワイヤーが『ユイ』の船体に吸着していて。

「なんだとぅっ!?」

 モチヅキの驚声を掻き消す様に、一台のエアボードが彼我を結んだワイヤーの上を一気に滑り落ちて来た。

 次の瞬間、バヒュン! と音を上げて甲板に舞い降りたのは白い光を身体に纏う一人の人間。すたりと甲板に足を下ろしてもその印象は変わらず、ごく普通の、生身の人間。互いの魔導膜の間を飛んできたはずなのに、安っぽい作業服に耳当て付きのゴーグルという、いかにも鉱山都市にいそうな金髪少年の姿に見える。

 普通でない所と言えば、身体を包む可視レベルの魔導力と、その額で輝く紋様位か。

「……ロッ、ロックだ! 早く全ハッチにロックを掛けろ! 無論、扉もだ! 残っている兵は廊下に並べ! 絶対に奴らをここに入れるんじゃない! こ、この艦にはココ様がいるんだぞ!」

 取ってつけた様にセリザワ家のお嬢様を示した艦長の指示に、それでもアギーラの軍人達は頷き合って。

『基本は艦長の指示通りだ。ただ、敵の狙いが分からぬ以上、この艦に最重要貴賓が乗っておられるという事実は伏せる。いざと言う時にはモチヅキ艦長に囮になっていただくので、そのつもりで行動する様に。これは非常に危険な状況だということをスカスカの頭に叩き込め。以降、状況が終了するまでココ様とミント様に敬称は不要とする』

 鼻の下に髭を蓄えた通信兵長が、落ち着いた声で艦内へ命じた。

「アイサー!」

 途端、気合の入った返事がブリッジ内の乗組員クルーから。「ちょっと待て! 囮とはなんだ、囮とは!」と言うモチヅキの叫びを掻き消して。

『もちろん、賊がクルーを皆殺しにするなどした場合等、両名の身分を明かすことでココ様の命の保証が得られるのであればその限りでは無い…………まあ、要するに良い機会だ。見せつけてやれ、野郎共。鬼鯨の尻尾を護る辺境軍人の実力って奴をなあ!』

 唸るような兵長の呼びかけに、クルー達が全霊の『アイアイサー!』で応えて見せた。

「グッ、き、貴様ら~、一体誰が艦長だと思っている~」

 歯噛みするモチヅキを尻目に、艦内に残っていた各兵士たちが続々と持ち場に散っていく。

『一班、二班はブリッジ前の廊下を固めろ。三班は上階、ハッチの下で待機。四班から十班は甲板扉の前。やっこさんの様子を見るに、恐らく正面から堂々と御出でなさるぜ』

 兵長の言葉通り、モニターの中の賊二人組はなにやら一しきり揉めた後、超高速のあっち向いてホイで決着をつけた様だ。うおーっと両手を突き上げた勝利者らしき金髪が、ゆっくりと甲板扉に向かって歩いて来るのが見える。

『四班、持ち場に着きました! 五班以降も集結していますぜ! ラムジー兵長!』

 先程までとは明らかに異質な士気をたぎらせた兵士の声。

『よし! 来るぞ! タマに力入れろよ、クソ野郎共っ!』

 兵長も、やる気満々の声でそれに応えた。

 が。

『いっくぞ~』

 と微かにマイクが拾った声と共に拳を構えた金髪の様子を見て、ミントは思わず叫んでいた。

「っ!? 駄目だ! 離れろっ!」

 ゴン!

 という巨大な打撃音は、モニターの中だけでは無くミント自身の耳にも届いた。更に信じられない事に、戦艦自体がぐらりと揺れた気さえする一撃。

『ウオオオオオッ』

 それを至近距離で受けてなおひるまぬ兵士達の声が通信機から漏れると同時、前輪を持ち上げたバイクがギャリギャリギャリっと扉の中へと突っ込んでいく。

「……ちっ」

「駄目だ、ミント」

 思わず走り出しかけた侍従兵の腕が、パシリと主に掴まれた。

「しかし、このままでは――」

「駄目だ。彼らが何を護ろうとしているのか、それも分からぬ私では無い。今、目の前の戦士達が心を燃やし、命を懸けて戦っている。彼らが護ろうとしているのは決して本星の貴賓などでは無い。無能な艦長になぶられ続けた、国防の要としての矜持なのだ」

 グッと拳を握りしめ感動の面持ちでのたまう勇ましい主の姿に、長年付き添ったメイドは呆れ半分嬉しさ半分の笑みを浮かべ。

「……かしこまりました」

 とスカートの裾をつまんで礼をして、その場に静かに控える事にした。

 するとココは、『うむ』と可愛らしく頷いて。

「それに、十三武宮の出番は彼らが皆敗れてからでも十分だろう?」

 と、おすまし顔を決め込んだ侍従兵にいたずらっぽく微笑むのだった。

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