終幕の参戦者


「——(で、会いに来たんだけど)」


 予定の時刻よりやや遅れてイオンが到着すると、大型商業施設に接続された展望通路と分岐して交差点へ降りる南口と、地上直通のエスカレーターで昇降する西口公園の間のモニュメントの所に暁遊生の姿があった。明るい茶髪に紅と蒼色のオッドアイ——配信する時と同じ格好で来ているのがわりと面白かった。


 ・本当に彼は記憶をなくしているのか?

  YES.


 UWEのゼノリアリティ・アウトに、アラン・プラデシューの通信障害。

 仮想現実が現実になった現代のクリティカルな部分で大きな出来事が二つあった上、その影響が日増しに拡大しているにも関わらず今も、何が起こっているか全容が頑として知れない。

 真実を明らかにしなくてはいけない職業の方々もおそらく、イオンと同じように困っているであろうこの状況が大体九割方、彼のせいで引き起こされたことを考慮すれば(それは、起こした側からすれば予測できた状況なのだから)、記憶という痕跡はなくす必要があるわけだ。

 今日はコスプレメイドさん——。


「——(けど、いつも……)」


 白いカチューシャと革紐でツインテにして、裾がフレアしたストラップレスなミニのベアートップ(※ベアートップ——主に巨乳な女性が谷間を見せるための服で、巨乳だと谷間が見える格好を貧乳ですると? 無乳が貧乳というと貧乳に失礼ではあるが、どうなるかというとガバガバになるので、胸が乳首まで全部見える)ドレス。マリンブルーのドレスとコントラストする白いエプロンは、鎖骨のラインを見せるため肩紐を落とし、腰で結んだだけにしている。


「——(……。ボク、けっこう有名人だし。けっこうかわいいし。おしゃれ? してるつもりだけど。ボクがいても、世界の誰も気にしないんだよね。本物だなんて一生思われることないから)」


 無言で周りを見ると、仮想現実がレイヤードされた周囲一帯には、連れ歩き可能なVR・イオンの個体がそれぞれ無邪気な振る舞いをしながら持ち主と歩いていく姿が散見された。なお、VRパパ活シミュレーターはゲームプレイが常時記録され、製作者にトラッキングされている。

 本物も偶像——VRアイドル、最近ではVR劇場型犯罪者なので良くも悪くもだが、実在の人物とは認知されず無視される。


「(なのにっ——)」


 もし、実在するとなると、『は?? 何で逮捕されていないんだ。治安はどうなってんだよ……』のようにシャバを歩くな面をされる。承認欲求が満たされることは永遠にないという現状。

 人気者になる努力? 無意味だよ、と現実から笑われているような気がして若干背筋を前に折ったイオンの目前には、洗脳されているかのような人だかりがあった。彩色豊かな髪色と宗教の域に達した目と目のその輝きが尋常じゃない。

 池の鯉か。


「(——ボクは実在できないのにっ。本当は何もしてないのに。ボクよりアルティメット有害でヤバいことしてる遊生が普通に元気に人気者なの……何でっ⁉︎)」


 A.人気配信者だから——。押し並べて背の低い女子ばかりの人垣に囲まれ、その全員と屈託なく同時に会話しながら暁遊生は笑顔で溌剌とサインに応じたりしていた。放送事故を起こしてやろうかと思った。


「? ——」

「おお、さすがだな。ブラックラースインクリーターを買ったとは。俺も欲しかったが……どう考えても使い道がない。実に精巧なホログラムだ。まるで本物の——」


 だが、イオンが早足で一気に近づき、彼の目前でブレーキした瞬間だった。主だったファン層である特定年代な美少女たちに囲まれている暁遊生に、あまりにも穏やかでない感じの絶対に何かする気満々で近寄ったイオンは急に思った。こうなることはわかっていたのだろうか、と。

 そう——彼は、わかっていたはずだ。

 七万人の昏倒。それを受けた仮想現実の規制と、規制に抗議して起きた未曾有の通信障害。その中で散発して見られるらしい精神疾患(?)、直接的な因果関係か不明だが、あの日、彼が何もしなければそれらが起こった現在はなかった。

 つまり、それだから記憶を含む全痕跡を徹底的に消したはず、と事態は論理的な帰結を迎える。あらゆる未知を全て排除していけば、論理は必ず収束する。仮に魔法が存在しようと、人が奇跡を操れようと、原因や仕組みがわからなくてもその意図は必ず明らかにできる。


 剥き出しの意図は必ず真実につながっている。彼の場合——こうなることが全て必要だったなら、それは何のためなんだ? と思った所で、向こうから近づいてきたのは喋り方からすれば大人びた雰囲気の少年だった。

 年齢は高校生位で遊生と変わらないだろう。

 ふわっとさせた金髪を仕上げに仕上げた髪型、スリムで筋肉質な体形で背が高く、めちゃくちゃ良い美容院に行ってそうだった。


「……」


 ぱらっ、とアイスシャンパーニュの房がばらける。遊生の前に颯爽と躍り出ていたイオンに鷹揚に手を伸ばしてきた彼が、目が合うと一気に顔面蒼白になった。見た目の雰囲気とその感じが一致せず、注目の只中で戸惑っていると、一歩ノックバックしつつ見ていた遊生が生配信を切り、後を引き取った。


「あ。はい。こちらディスさんでーす……。ってことは大丈夫だよな。合流できたんだよな。いや駄目だよなッ⁉ まさかッ、本当に本物の——」


 ふわっとした金髪の少年が近くにあったモニュメントに背中で激しくぶつかった。見た目には、吹き飛ばされて叩きつけられたような感じで。モニュメントの鐘を反動で激しく鳴らせながらずるずると滑り落ちる。

 ——『アラン・プラデシュー』が、VRでは〈イオリアフレイン〉であり、現実では実在しないとされているVRアイドル、イオンでもある。第百層へは一人で到達し、敗北。しかし何故か記憶が消えず、代わりにアバターがあの状態……誰からも認識することができない〈デッドサイレンス〉化したが、ウォーラインとの戦闘中に正常化したことにイオンはした。

 そうした方が混乱がないし、本物は警察によるビル突入作戦時に行方不明だから、なりすますのに支障はない。


 ◇


「本物が……実在したのか⁉ すまない、先程はいきなり失礼な事をしてしまった。俺は……ディスパッチマンだ。いや、言わなくてもわかるか。二人しかいなかったものな。できるならフレンドコードをッ。いやサインをくれ。イオリアフレインが実在するなら、本物の悪のヒーローじゃないか——」


 話をするために場所を移すことにすると、地下街に手頃なカフェがあったので隅のテーブルに落ちついた。その間に様々なことがあった。まず、鐘の鳴り響く人垣にザコ敵が出たので、自分と二人を抜け出させるのにブラックラースインクリーターの機能をフル活用し、バッテリーが予備分も含めて切れた。

 一々説明するのも面倒で——二人と周囲の人間全員をブーストし、スペックを完全に使い切った。限界性能がトライアルできていなかったせいで、最初の店についてブーストを解くとシステムがダウン。機体が墜落炎上し、店の人には『777が当たったよ! この残骸にボクがサインを入れて……あげるからこれで弁償してね⁉︎』と、ごまかしてやっと脱出した。今、二軒目にいて、店の表には機体配送車のレプリケーターが唸りを上げていた。

 

「ッッ、いやそうではない……そうではなかったな。本物が来ると思っていなかったんだ。俺はてっきりアラン・プラデシューがイオリアフレインの本体で、VRの方は存在しないものかと。待て? この言い方だとどっちもVRの方か」


 そう。既に現実のイオンという概念は、ほとんどなくなっている。実物と相対していても今、キャラクターとしてしか認知されていない。


「とにかく……あの時はありがとう。認知してほしいので自己紹介させてくれ——こちらでは、アランと呼べばいいだろうか? 俺は現実では徳川真希人とくがわまきとという」

「え⁉」

「いや、有名な大御所様とは関係ない。先祖が勝手に名乗った名だ。そんなことより事前に言っていた話は本当なのか——?」


 常に背筋を伸ばした真希人は腕組みし、思索のために周囲を拒絶するかのような真剣な風情で目を伏せた。早々、空気が変わる。

 急に彼の——それは、何かの辻褄があわないという、動揺を含んだ尋ね方だった。


「なるべくお互いのことを率直に話したい。——〈裏側のブラックラウンド〉に行く手段がないとは? 俺たちの認識ではあの世界はブラックラウンドの一部だった。あのアプリは、インストールしていると強制的にゲームへ招待される仕様だった。俺の場合、ある日普段通り招待されてみたらあの世界にいた。それが最初だった」

「一度行くと実績が解除されて、いつでも行かれるようになる。ゲームが始まる前にマッチングしてる所の広場、あそこに虹色のモノリスができてて、操作すると〈裏〉に転移する。転移先は一層で固定な。俺が最初に行ったのは〈表〉が閉鎖された後だった」


 遊生が後を続けた。


「え⁉ ——」

「それに……〈裏側のブラックラウンド〉という呼び名は、今まで俺たちは聞いたことがない」

「じゃあ、何て」

「——〈アビス〉。あの世界で会ったプレイヤーは皆、あの世界をそう呼んでいた。裏側と聞けばそちらの方がしっくり来るが、差し支えなければ、これからも〈アビス〉と呼んでいいだろうか」



 ——〈深淵アビス〉?



「もう一つ。どうしても尋ねたいことがあるんだがいいか?」


 あの世界に最初に行ったのが、〈表〉が閉鎖された後。

 それはそう、そうなる。遊生は言ってみれば——〈表〉が閉鎖される前のことを覚えていないのだから。それ以前から継続して出入りできる状態だったとしても、当人からすればそういう認識になる。

 しかし。あの世界が今は——〈アビス〉と呼ばれているなら、その存在は秘密ではなく既に、呼称が定まる程多くの人々に共有されているのか?


 確かに表は閉鎖されたが——〈ブラックラウンド〉こと、コアーズ10041には広場がまだある。確認しにいくと、未だに墓参りみたいに何人かプレイヤーが来ていて記念撮影中だった。虹色のモノリスは見当たらなかったが、半透明で黒色をしたウインドウが横から視界にフェードインする。

 直剣をモチーフにした仄暗い靄を纏うウインドウ。剣刃には真希人のプレイヤーコード〈Addicted to_VS〉、イオンの〈EXES:Zodiac/No.the N〉が絡み合って銘記されている、ブラックラウンドへの招待状。


「あの世界に入る手段がないなら、僭越ながら俺が招待しよう。先程フレンドコードを貰ったしな——この招待に応じたとしても、表のブラックラウンドとは違ってバトルロイヤルは始まらない。そもそも〈裏〉の方は、最終層を目指すゲーム性になっているようだ」


 目的は達した。イオンは呆然として、そのことにもしばらく気がつかなかった。これで——。

 これで——あの世界に戻ることができるが。


 だが、どうなっているんだ?

 何か違う。


 ブラックラウンドの……あの世界が、その一部だった?

 二人の話が事実なら、あの広大な世界は正に〈裏側のブラックラウンド〉——隠されたゲームモードのような感じだ。

 だが、矛盾する。

 これは犯人のわかっているゲーム。蜘蛛ではなく、ラインを追って蜘蛛の巣の中心を目指す。

 時間の加速したあの仮想世界、その最深部にイオンが辿りつくことが中心の糸であるとすれば——ブラックラウンドをリリースしたことも彼は、同じ糸の上でしている。

 

「だが教えてくれ。アランは……あの世界の第百層に行ったのだろう? 俺はどうしても知りたい。最深部には、一体、何があったんだ」

「!」


 第百層の光景は無論よく覚えている——そこにいたのはかつて頂点と目されたプレイヤー。

 どんなゲームでもプレイヤー/アバターの名前は毎回出鱈目な文字列。

 対戦相手を小馬鹿にする腐敗した汚物のグラフィティアート、姿を隠す蜃気楼。

 誰だかわからず実在するかも怪しまれながら、当時のプレイヤー間では確かにいると語られた伝説。

 対人戦でたった一度の敗北さえも喫しなかったと言われている彼——〈ブリストル〉は、おあつらえ向きな舞台のはずのブラックラウンドができた頃唐突に姿を消している。その性質上、彼には偽物が多くいた。本物は何者かに破れ、敗北を機に消えたのだとされているが——。


「——〈ブリストル〉。そうか、なるほど。それでは聞くが……俺たちがいればそいつを倒すことは可能か?」


 大まかな所を語り終えると、真希人が腕組みのまま視線を上げた。それは予想外の発言だったらしく、遊生も横から彼の方を見た。後ろの方で、チワワを連れた一般客が入店してくるや、急に暴れ出したチワワがその客の腕から跳躍し、真希人のいるテーブルの上に着地して何かし始めた。


「今のアランの話では、ブリストルは第百層にいた群体エネミーとプレイヤーを倒した後、向こうから襲いかかってきた。この認識であっているだろうか?」


 そう。そうだったが。

 犬が。


「——。俺は知っている気がするんだ。あの世界のことを。もちろん何の根拠もないし、隅から隅まで第百層にも行ったことがあるとは言えんがッ」


 一方これは彼にとっては、何を目指したゲームなんだ? だが。放ってはおけない、と真季人は言葉をつないだ。


「第一に、こうだ。あの世界でゲームオーバーになると、ゲームに関する記憶が消える。俺は詳しいわけではないが、これはかなりピンポイントだろう。直近何時間、何日とかではなく、かなり遡った記憶まで操作できるなら。人間の人格に関わる思い出すら消してしまえる」

「⁉」


 真希人が言い出した。別のことを考えていたので意表を突かれた。それは。


「ゲームという体裁に惑わされそうになるが、大事だ。技術的には、消せるのはあの世界の記憶だけではないだろう——今、誰も知らぬ間に、水面下でとんでもないことが起きている可能性すらある。特定の記憶をなくせるのなら、悪用されれば証拠や痕跡云々以前に疑われることすらない」


 しんとした中で真希人は色々な出来事に一瞥もくれず、真剣な面持ちで続けた。


「第二に、既に〈ウォーライン〉、〈霧穢早苗〉、〈ブリストル〉。俺とアーサーだけが出会ったのも他に何人かいたが、相当数のプレイヤーが——既に、〈アビス〉をクリアしている」


 全く違う道順から、同じ矛盾点に行きついていた。

 そこがクリティカルなポイントだった。

 彼らや真希人がイオンより前に、第百層へ辿りついているなら。『イオンが第百層をクリアすること』が目的であるとして——一連の行動と記憶を消したことでそれはほとんど確定している——『自分のつくったゲームを誰かにクリアしてもらいたい』なら、それが彼らではいけないのは何故だ?


「ウォーラインは俺たちを阻もうとした。第百層に何があるか知っていなければ、それはしないだろう。だから、少なくともこの三人は結託している。同じ目的でないのならブリストルに倒されているはずだ」


 ウォーラインとブリストルでは相手にならない。


「……それ。もしかしたら俺らもどっかのタイミングで、奴ら側につくチャンスがあったって考えられるよな?」


 問答無用。現実での時は私怨っぽかった(そして、ゼノリアリティ・アウト以上にあれが最も狂っている)が、イオンが第百層で出会ったとき霧穢早苗は侵入者を無差別に攻撃している感じだった。確かに、思えばそうだ。

 あれならウォーラインが第百層に到達しても、同じように戦闘が行われていたはず。順序が逆だったとしても、ウォーラインも真希人と遊生を阻んでいた。


「ああ。何かをすることで味方になれたかもしれん。願い下げだがな。忘れることは何よりも辛い。自分では価値のわかるはずもない、誰かにとって大切かもしれない思い出を奪うなど」

「……その条件、気にならないか?」

「特定する事は無理だろう。残念だが可能性を絞れん。たとえば俺たちが来るより遥か前に——ブリストルや他のプレイヤー全員が第百層にある何かの正体を知った。それを巡って二つの陣営に分かれたとしたら条件など存在しないことになる。勝った側が連中だというだけでな」

 

 彼らの知らない前提として——遊生は知っていたはずなのだ。第百層に何があるとしても、彼はブラックラウンドの管理者。コアーズ10041は彼の世界であり、好きなように改変できるし、望まない人間を世界から排除することもできる。

 真希人がイオンを見た。



「あるいは、もっと緩いつながりなのかもしれん。目的は同じでも互いに面識はないとも考えられる。その場合——他のプレイヤーを第百層に行かせないことがそのまま、目的達成の手段となる。そうするだけで何事かが叶う。ならば既に、何らかの事は動き出している」



 イオンは、その対面している空気の感じで自分が相当疑われているのを感じた。無理もない。元々あいまいな存在だった上に、極々大スケールの通信障害を引き起こした——けれど、それすら信じられないという、常識を超えた特別枠の天然記念物。

 ビルの一件は一応穏便に処理されたが、アラン・プラデシューは指名手配されている上、後がない。


「……俺が言いたいのは。アビスにいる人間が裏で、何か一つのことを目指している。だが、それが——果たして今まで現実と仮想現実に何の変化も起こさなかったか? ということだ。入口がブラックラウンドにある以上、あの世界は最初からその一部として存在していたことになる」


 あ、と思ったら声が出た!

 思い出した。

 考え込む様子になりながら真希人が相槌を打ったが、だがそれなら遊生は?

 逆だ。ブラックラウンドの管理者、記憶を失う前に彼は——〈裏VR世界〉と呼んでいた。

 今、イオンだけしかそのことを知らない。第百層で全滅して一人になったと彼は言っていた。つまり、その時点で第百層にブリストルが到達していた。ウォーラインとキリエはいなかった公算が大きい。

 まず、あの世界がブラックラウンドの一部であるなら——起こったことから逆算して、『第百層のブリストルをイオリアフレインに倒させようとしていた』らしい彼は、そのためにブラックラウンドをつくったことになってしまう。順序が逆転してしまう、その矛盾が引っかかっていたのだが。


 事実、彼はブラックラウンドを管理していた。あの時、イオンがパスワードをミスしたのに合わせ、完璧なタイミングで偶然閉鎖するなんてありえない。

 ということは?


「だから——俺はアランを疑っていた。アランというかイオリアフレインを。ブラックラウンドが生まれてから起きた事の中で、最も多くに影響を与え、かつ風化霧散せず今まで続いているのは名凪イオンの存在だろう? 仮想現実が飛躍的な拡大を果たす中で現れた史上最凶、現実であるかすらわからない美少女」


 ブラックラウンドは何故つくられた?

 霧穢早苗はともかくウォーラインは、爆縮レンズで倒せるのにあの世界で生き残っていた=記憶喪失前の遊生とは戦った事がない。彼らはどこから現れた。

 入口だ。

 ブラックラウンドに入口があるから〈裏側のブラックラウンド〉——なら、それは入口をつくっただけで、本当は〈得体の知れないイセカイ〉なのでは。



「俺は今まで、第百層で俺達を待っているのは——〈イオリアフレイン〉だと思っていた」



 地球四周分半の総面積を持つ、正体不明の仮想世界。

 何らかの別の方法でもそこに行かれるとしたら。

 本当はそちらが正式な行き方なら。

 仮想最新のヒットタイトルだったブラックラウンド——あらゆるVRMMOからアバターをコンバートすることができ、勝者が敗者の全てを奪えるバトルロイヤル・ゲーム——は、あの世界を攻略する最強のアバターをつくるためのコンテンツだったのでは?


 これなら第百層で全滅したという彼の話は真になる。始点がブラックラウンドだとするなら(そしてそれは動かし難い事実なのだ)、それは偽でなくてはいけないという矛盾がずっとあった。

 一貫して彼はブリストルを排除しようとしている。

 『世界』ではなく『入口』をつくることでプレイヤーを集め、蜃気楼と戦わせていた——?


 だが、さらに思い出した。アラン・プラデシューは端末をくれたとき、『起動するだけであの世界へ行ける』と言った。

 そして、あの時——。

 一度目と違ってブラックラウンドのナレーションはなかった——。



「そして、第三に——俺はおそらく、あの世界を訪れるのが二度目だ。一桁層の頃は朧げな感触だった。しかし層を進むごとにはっきり感じるんだ。思い出すことはできない、できないがやらなければいけないことがある。俺には」



「!」

「……何なのかはわからないが、俺の心が言っている。これは記憶ではなく思いだ。今までは疑っていたがアランは——名凪イオンがアラン・プラデシューとわかった以上、むしろこの件に関しては一方的な被害者だろう。仮想資産の暴落、心中御察しする」

「えっ」

「金ほど信用できる要素ないよなッ⁉ 損した人間が敵側じゃないって発想、実際はかなり危ねェけども。でもこれに関しては、交渉して、決裂したって俺も聞いたぜ。何が起こってるか確かめるには第百層の奴を倒すしかない、か」


 真希人は大きく頷いて、スッとイオンを見た。


「協力してくれるだろうか? ——そうか。心強い。では……アラン、聞きたいんだが、今はどこでどうやって生活をしているんだ」


 イオンは頷き返した。

 が、後半で『あれっ?』となった。何でそれ聞くんだよ……という感じで遊生も見た。それから、たっぷり一拍あった。既に目的は達している。イオンは先程の招待でアラン・プラデシューの端末に代わる、あの世界——〈アビス〉に戻る手段を得られた。今から第九十九層、硝子の吹き荒ぶ電塵荒野に戻って、すぐにでもブリストルを倒しにいける。極論、二人のことはもう無視してもいいが。

 すると。

 ガッといきなり両手をつくとそのまま、前のめりに仰け反った真希人がテーブルに額を擦り付けるようにした。


「いや、何でかは言えん。理由は言うことができない。だが、もしよければ…………頼みたいことがあってだなッ⁉︎ 生活する場所がないなら、一度俺の家に来てはくれないだろうか。回線と部屋は幾らでも提供できる」

「何で⁉ すっげえ方向に舵切ってんぞッ⁉ 『よしッ、これからどうする?』とか、今はそういう話するとこだったろ、事件解決に向けて! その強い奴を倒す作戦会議とか……⁉︎‼︎」

「実はッ、折り入って助けてほしいことがある……内容は、申し訳ないが言いにくいのだが」

「えっ⁉︎」


 パサッ、と土下座の反動で跳ねた前髪が戻る。不思議だが、何か引っかかる感じがした。顔を伏せたまま真希人はもっと何か言おうとしたみたいだったが、退店していくさっきのチワワがその背に向かって吠えていた。それで一旦言葉を切り、素早く体を上げるとそれからより真剣な極まった表情で遊生に尋ねた。


「待て。慣例として——誰かに助力を乞う時は、その内容を言わねばならんものだろうか?」

「どんだけ言いたくないんだよ……⁉︎」

「言ったら助けに来てくれないかもしれん」


 は——?


「別件なのだ。このことは——〈裏側のブラックラウンド〉とは一切関係がない。だが俺を悩ませ続けているッ。あのイオリアフレインが実在し、味方だというならどうか俺を救ってほしい!」

「訳を言ったら助けに来てはくれないようなことでか⁉︎」



 別件?



「………………——?」


 ——ふっ、とその時重量に負け、すーっとずり落ちていったベアートップの前がはだけてお臍の辺りまで、透明な汗をたっぷりとかいた肌が露わになった。綺麗な鎖骨のラインから、かすかに肋が浮いた胸まで一切のふくらみがない逆に完璧なボディ。ツンとした乳首だけが生意気に主張していた。

 退店したチワワと入れ違いに——〈VR女児服デザイナー〉、メインコンテンツが『少女マンガと年少向けノベルのレビュー配信』である遊生のリスナーと思われる女の子が二人、店に入ってきた。


 緊張、不安その他諸々の感情が入り混じりつつ、意を決して初めてカフェに入った感じだった。


 それで堰を切ったきたみたいに、さらに今度は五人の集団の女子の群れがすぐ隣のテーブルにランドセルを次々に置くと、慣れた表情になった真希人が「始まったな」と頷いて神妙に目を瞑った。

 行くとも助けるとも言ってないが。



『すっごーい、本物だー!』

『かーっこいー……っっ♪』

『聞ーこーえるよ! 違うよー、笑っちゃダメだよっっ、くくく。よく似てるけど別の人だよー?』

『本当ぉ? じゃーあ——』



 と、そのグループの中から遊生の配信の時の声が聞こえた。



『——比べてみようよー? 動画見れば、わかるよねぇ?』

『これ一番新しいのぉ?』

『ぷっ、くくく……っ」



 見るとダイブ端末ではなくテーブルの上にスマートフォンを出して、彼の動画を再生していた——。

 押し出される形で店を出ることになった。


「何にせよ、俺たちが関わりあいになっているのは、長く続いたゲームの最後。最終幕ということだ。——〈アビス〉は全百層、元々は途方もない規模の、完全に未知な世界だったはず。残り一層となった今の状態になるまで、想像できない程に多くのことがあったに違いない。俺は知りたいんだ。あの世界の正体。起こったことの全てと何のためにつくられたのかも」



【続く】

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