Re Match——


 エントランスから一歩出た所は、二〇〇メートル程扇状に噴水池があり周りの空間が開いていた。そこに詰めかけた警官がイオンを一目見ると、あっけにとられたように目を剥く。全員に見つめられていた。幻想的なドリス式のビルの内部で本当に何かが起こったのか、自分達がパフォーマンスに利用されたのかわからないでいる。

 個々人が自分の意思で来たのでは決してない彼らは、彼らにそうさせた集団の判断を疑い出しているようだった。薄々気がついている。今や仮想と現実とは切り離せなくなっているが、仮想現実が現実になった現代では彼らには止めることができない。

 不確かでないものなど何もなく、あらゆる思惑が真偽不明のまま前進し続けてしまう現代でイオンは、干渉不能のアンリアル——だ。


「……皆、買ってくれるのは嬉しいんだけど。今はね?」


 水が噴き出す瞬間だった。どこかで誰かが操作しているレプリカの——〈ブラックラースインクリーター〉、取り囲む機動隊や警察車両の間を割って飛来したドローンが地面すれすれまで高度を落とし、堂々姿を現したイオンの生足にぶつかりそうになりながら掠めていった。その一機だけではなく何機もがビル周囲を飛行している。

 フレームを除けば原始的なレプリケーターで生産できるよう元々簡単な設計の上、大学の件で有名となったこのドローンは日々アップデートされながら、フル機能版を謳ったものが公式通販されている。

 瞬間、噴水池に残光が映った。

 遠くから、見覚えのある一対の瞳が真一文字のエフェクトを放って光る。


「これは嬉しくなくない——⁉ 同じファンでも厄介過ぎる、同じじゃないかもしれないけど」


 轟音。反射で動いたイオンの体に、ワンテンポ遅れて激痛が走った。神経の麻痺と急反応感は、即座にダメージが発生するVRではなく今が現実である証拠。

 噴水からつづら折りになった階段を観衆と警官隊が押し合いながら埋め尽くしていた——なりふり構わず跳び退いたのは、その中に一際目立つ青い姿を見つけた瞬間。

 思い切り地面を蹴って、何かもわからない物陰に砂埃を上げながら全力でスライディングした。噴水の瀑布が噴き出し、加速する思考に合わせて周囲の速度が遅く感じられた刹那。

 柱陰(柱だった!)に滑り込むまでの間に空撮の中継を垣間見ると、一瞬ビルの荘厳なファザードが全て揺れた。噴いた水が止むと、揺れたビルの壁面が一階から三階にかけて得体の知れない重圧に潰れ——その陥没から跳ね返った反作用で表面硝子が弾け飛ぶのが見えた。降る滴と硝子の中を大きな破片が墜ちてくる。


『見つけたよッ』

「ボクを?」


 ダイブ端末越しで会話する。——誰でも送ることのできるショートメッセージが、立て続けに連投されてきた。



『——殺すッ、殺す殺す殺すッ、今度は絶対に逃がさず殺すッ‼』



 コバルトの和傘を両手でしっかりと持ち、浴衣の袖が肘まで捲れた美少女が、イオンの見ていた中継映像——そのカメラを“見た”。彼女の瞳を半分隠す前髪が瞬間、パッとばらける。

 まさか画面越しに⁉︎ それはなかったが、思わず柱陰で仰け反った。

 同時に彼女からメッセージが着信、柱を背に密着しながら周囲を見た。状況を。マジで、本当に、真剣に緊急事態だった。今のこれが現実であるとすれば。

 息を吸うと鼻腔に嫌な臭気がし、パラパラとビルの表面だった塵が煌めきながら空中を次々と落ちてくる。パニックを起こした警官が我先に逃げ出し、抑えていた群衆を押し退けていく。これが現実であるとすれば今、何をされているのか心底からわからなかった。わかるのはおそらくこれが自分のせいにされるだろうという事だけ。


「誰——?」

『——ボクの名前は〈霧穢早苗〉。あのゲームでは負けちゃったけど、現実ではボクに勝てるかな……ァ? 忘れられなくしてあげるよ』


 突風が吹き、地面から煌めきが巻き上がった。自分の目がおかしいんじゃない。倒れ込んだ時に勢いよく擦った肌が未だ熱を持っている。

 エントランスの柱影が磨き上げられた石の床で、今は柱に背中を接しているので、前には催眠がかったようなエントランスの光景があったが突如として、一連の連鎖反応であるかのように皆が目を覚ました!

 緩い沈黙が解けて中で何人もが絶叫すると、外を指差して反対側の奥やエレベーターホールの方へ逃げようとする。

 揺れを感じて肩越しに見ると、黒塗りの警察車両のバンが車体をひしゃげさせながら柱に叩きつけられた。


「……斬った?」

『この世界はボクのものなんだよ! みんな、みんな——君だってボクのなんだ……だからね』


 ……これは間違いなく現実のはずだ。ニュース番組の空撮に撮られて、世界中に中継もされた。

 イオン一人が見ている幻覚などではありえない。

 今の全身の感覚も仮想の五感じゃない。

 もし、現代の現実がそもそもVRであるなら——知覚できない本当の現実では一体どれだけの速度で、仮想の仮想の仮想……演算を行えることになるんだ? 無理だ。それでは絶対にない。


『持ち物には名前を書かなきゃ——』

「現実のビルを視線で斬った……でもいいかな。You can see me? I'm Prime Live Designed Drag. Never excise me.」

『——? かっこいいと思ってるわけ』


 できるわけない。

 不可能だ。

 常に状況を打開するためには、否定が前進への第一歩。


『でも、いいや。ボクの玩具にしてあげるね。持ち物には名前を書かなきゃいけないから、消えないように刻んであげる』

「——友達いる?」


 コバルトの和傘が花開くように廻って、降ってくる硝子片を弄ぶのが見えた気がした。

 群衆の最前列とエントランス。続けてダイブ端末に喋り、メッセージを返信する。


「陰キャ過ぎ。バトロワ下手でしょ。ブラックラウンドのレート戦では一度も会ったことないよね——ボクは、ランク一位の〈イオリアフレイン〉だから、下位ではプレイしなかったせいかな。一つだけレクチャーしてあげるけど。撃った順番で撃たれるんだよ」

 

 警察の車が飛ばされてきたのは、障害物を退かした——待っていようと、最初の状態ではイオンがいつ、エントランスに現れるかわかりようがない。視線が合うまでにラグがある。だから紙一重避けられたが今は、ずっと見ているはずだ。イオンが影に隠れた柱を。

 手の届くところにあったドローンの残骸を投げると、空中でそれは弾け飛んだ。目の前のエントランスの壁に真一文字のエフェクトが映ったのも見えた。が同時に、それが最後。

 やたら目立つ格好の彼女は——今まで周囲に詰めかけていて、今は凄い勢いで逃げ出していくマスコミや機動隊からまさか、この事の元凶と思われることはなくても、イオンだけはわかっているのだ。



「見ィつけた〜♡ かーわーい〜い……ッ、ねぇ。君男の子? 女の子? イオンさぁ〜ん、こいつでよかったのよねッ。ゲームのスキルを現実で使うってどういうこと⁉」



 人波が大きく動くのが見えた。霧穢早苗の能力は(それが仮想にしろ現実——とは考えられないから、何らかの形で現実に影響するにしろ)発動した瞬間なら、絶対にそこを見ているという欠点がある。地面が揺れる程、その場にいた人間という人間悉くが一気に動き出して大混乱に陥った非常線の中、さっき新型を作ったのでお下がりをあげた〈ブラックラースインクリーター〉——ドローンが特大の電衝を放った。時同じくして恐慌状態だったエントランスからも皆が逃げ出そうとし、一人が恐る恐る外に出て、何も起こらないとみるや全員が駆け出していく。

 イオンも柱影から出ると、近づいてきてUターンした自動運転のバンに乗り込んだ。


「ええ〜っ。あたしのこと知ってるのぉ〜⁉︎ ファンなの、うっそー! ありがとー。今度チン写メあげるね」

「……もう出て来ないでね? 一人称被ってるから。“ボク”はボクのだよ!」


 恋花と二人、車内へ戻って笑顔を見せ合うと、三秒ほど何も起こらなかった。その後、引き気味でジト目で見られた。

 え——? とイオンはなった。


「純粋な疑問なんですけど。何故、勝ってるのよ——……? 何で警察が封鎖してるビルに一人で堂々と入って、指名手配犯と話して出てきて、アニメキャラに襲われて返り討ちにしてるのッ? で、何でこの辺にあんたのファンが集結してんの⁉ 祈りのポーズでコールしてるんですけど!」

「——明日暇?」

「明日収録だわ。じゃなくてこんなこと、しばらくごめんよ⁉︎‼︎」



【続く】

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