ゲームオーバー
◇
——仮想現実が現実になった現代では『厳密な現実の世界が実はVRの世界』という世界論が論理的に否定されている。
仮想世界をシミュレートすることはできても、〈仮想世界をシミュレートする仮想世界〉——即ち、体感できる仮想世界を全て内包した世界のさらに……と連鎖が続けば破綻するからだ。
また『現代の仮想現実』はユーザーの意識がダイブするゲームではなく、デバイスがユーザーの脳内を再構築して得る——〈仮想の五感〉で『体感できる、膨大なデータのネットワーク』。
拡張された脳機能による仮想体験は現実での生活、行動を一切阻害しない代わりに、現実を離脱することもできない(構築された仮想の五感で、情報を体感できるようになっても、身体感覚には影響しない)。
それはルールであり、プログラムと言い換えることもできる。入ることも出ることもできず、仮想は現実と隣り合わせになっているはずだ。なのに、今まで感じたことのない強烈な疲労感に眩暈がした。
仮想にいる間も、意識が切り替わらないとしても時間は進んでいて、UWEのステージに上がった途端に倒れたであろう時点から一時間かそこら経過しているなら——緊急医療センターで目が覚めるはずだった。だが現実は違った。
まるでかけ離れていただけでなく、考えられない状況だった。
「……。グランプリに参戦する予定だったんだけどね。来シーズンから。シート合わせも済んでたのに」
顔を上げると強い光に目が眩み、何度か瞼を瞬かせる。
「眩しいな——」
霞がかった前方、一段下がった地面にはひたすらに広い空間があり、背後からの強烈な光彩によって奥行きのある面と線の輪郭を持ったその靄の銀白色が、金色の瞳の輝きを際立たせる。
光源を振り返ると、主張の激しいゲーミング・ウォールが会場を隈なく照らしている。周囲は、あの時のまま。
七万人に囲まれたUWEの会場、巨大な両翼を持つステージの中心に、イオンは戻って来ていた。見たところ時間は全然経過してなく、ランウェイを歩いてきてグラウンドを踏んだ体感では一時間から二時間程前と、一方的な仮想体感から帰還した今、瞬間と瞬間の景色が直通。
隠すものがない生尻の下を冷風がそわりと撫で過ぎていく。Augment Reality——謎の光と湯気で見せないスタイルのパンツ。
その単純な時間的連続性だけでも常識ではありえないことだが、立ち上がろうとすると目が回った。息が吸えず、唾液を飲み込めなくなって額を打ち、突き出した舌から地面に透明な糸を垂らす。
体の芯を融かすような強烈な疲労感は、現状の異常と同じ原因で起こっている。
現実の一秒は絶対的な時間単位だが、仮想での一秒はプレイヤーが所得する情報量の単位。現実の一秒間に、数時間分の情報を脳に所得させることは可能だ。
処理能力を別にすれば。
「——ところで、これ。全部、ボクのせいってこと?」
やっとのことで立ち上がった。常人が持つはずがない。
仮想世界での一時間を現実の一秒間で体験するには——〈裏側のブラックラウンド〉の場合なら、『ニューヨークのマンハッタン島と同等以上の空間で一時間に起こる全てのことを一秒間で演算できるハードウェア』がいる。
また、それ以上に人間側が持たない。
景色と景色は直通していて、過ぎた時間はほんの数秒。その数秒間に一、二時間分の仮想体験をした脳が消耗しきっていて、高次元情報処理能力を持つイオンですら上手く身体を動かせなかった。
それでも——心臓の鼓動に早く立つことを促される。
圧巻だ。
あの世界から退去して、結果はどうあれ、一先ず全てが終わったのだと思っていた。だが。予想した小さな終焉は極大なスケールで裏切られ、今——。本当のゲームは、今始まったのだった。
「——————。——」
イオンはステージの中心に立って、観客席の方を見つめた。
目を凝らすと靄の向こうに、何人もの観客が座席からずり落ちているのが見えた。皆一様に不自然な格好で床に倒れ、柱や椅子の背に縋るようにしている。
俯いている人間もいれば、天を仰ぐ姿もあり、彼らの内の何割かは——ぞっとするような無意識の不随意運動で自らの身体を痛めつけている。
今見る限り、彼ら会場を埋め尽くしている観客は誰一人として例外なく、正常な意識を持っていない。
七万人全員が昏倒しているのだった。
「——」
白昼堂々どころじゃない——。
七万人が会場にいて千何万人以上の同時視聴者がいたUWEのライブ開幕時に起こった史上空前の事故映像は、イオンがステージに現れた瞬間から今まで一直線になって、世界中に配信されている。
見た人間が考えることは大差ない。
一体誰がこんなことを? 大抵皆が同じ結論に行き着く。
一方、そうなることは事前に予測することができる。
近くの床にダイブ端末が落ちていた。
小さな液晶を操作すると既に最適化が済んでいる。
それともう一つ。それまでは無意識だったものがあった。今まで、端末に伸ばしたのと反対の手でずっと掴んでいたそれは、一〇センチ四方の透明な方形。
「!」
——〈イマジナリキューブ〉? あの世界で最後に渡された、虹の螺旋を中に閉じ込めた立方体が現実に今、あった。
瞬間。
それに反射した背後。ステージとランウェイの境がゆっくり——渦巻いた。時計回りに空気が揺らめき、揺らめきによって空間と空間が引き剥がされると、隠されていた秘密が現れるように、加速度的に渦巻きながら境界が再構築する。
最初に色がついたのは仄白い体皮だった。
照明光を反射しぬらぬらと光る肌の質感は濡れた布のようで、性別のない全裸の人間を思わせる頭部と胴体が印象的だが、凹凸や体毛のない滑らかな白肌はシームレスに、刃状になった左右非対称の八腕へ続く。
見たことのない怪物がいた。
「……。じゃ、まず自己紹介しようか——『Z指定の十一歳、仮想の魔法少女イオン! 金髪ツインテ、元気いっぱい、ちょっとえっちなVRアイドル☆』、だったけど見て? 凄く先行き不透明だよ。あなたは? 喋れない? 言葉が通じないといいな。何考えてるか知りたくない形してるよね。本当、何て言うか……逆に安心したよ。敵、出てくるなら」
拾った端末でドローンをアクティベーションする。
仮想の五感で操縦をスタート。プライベートチャンネルで使う動画のため、上空を旋回させていた——〈ブラックラースインクリーター〉。
大学でのパフォーマンスにつかったのと同型機のドローンを近くに呼ぶと、ホログラムを周囲に展開しながら観客席側へステージを降りた。
今、何が起きたのか確定はできないが——イオンがVRアイドル扱いなのは、数え切れない条例とドローン規制法違反、仮想ネットワーク法違反、衣装のコンテンツレーティング違反、その他諸々によって仮想でなければ許されないからだ。
多重ダイブ能力を持つちょっと生意気なアイスシャンパーニュ・ソレイユの髪の美少女でなければ。美少女に生まれてなければ? 否、実在の人物であるならアウトで今、この状況で警察など、公的な機関は絶対に味方になってくれない。
——PC。
「あっ」
「うわっ……⁉」
現実の事象には必ず再現性があり、何らかの方法で同じことができる。
まず——確定できる真実から推理するなら。
七万人の観客があの時、〈裏側のブラックラウンド〉に行った。広大な世界のそれぞれ違う層にでも。
一秒間に一時間分の仮想体感。脱出はできず過負荷が脳のリミット超えした端から昏倒していく。現在の状況はそう考えれば辻褄が合う。
懸命に展望階のレストランへ向かい、観客席の通路からエレベーターホールまで出ると、早くもそこに制服警官がいた。イオンとばっちり目と目が合う。
驚愕し、彼が動きかけたとき——イオンの姿はそこから消え、立体映像の中から黒いドローンが出現。
「⁉︎ だよな……絶対に実在なんかしてない、アニメキャラを捕まえられるもんか。大体どんな方法で、誰にあんなことができる?」
『——どうした?』
「すみません。ちょっと緊張を!」
戸籍や出生届などの情報があっても、しかし真実は——?
ダイブ端末を複数同時に扱える能力も、その本質と限界が世間には知られていない。ドローンアーキテクト、グラフィティアーティストといった様々な側面に、日常的なレーティング違反。
人間は、他人を真に知ることはできない。
想像でしか理解できない。
イオンが実在の人物だと知らされても……何人もの別人たちが結託し、VRのキャラクターをつくりあげているとする方が、より現実的なら?
万魔の中で真実は形を変えていく。真実と虚構は混じり合い、その境界は主観的なリアリティでしかない。
立体映像で視線を惹きつけたイオンは何でもなくエレベーターに乗った。洞窟風の入口からアトリウムをできる限りの早足で歩き、元の席へ急ぐ!
「あった。あれだ……っ」
透明なキューブをPCの隣に置く。放置されたノートはSNSが開きっ放しで、閉じようとすると今のトレンドに目が行った。仮想関連条例が改正し近く全面的な法整備へ。最近話題になっていた改正法案だが今、必要なのはソーシャルにある情報じゃない。
ブラウザを閉じると、すぐにそれは見つかった。
疲労と眩暈を強く感じながら声に出して見つけたものを読み上げる。自分に言い聞かせ、理解するために。
「——〈ブラックラウンド〉のバックアップデータと、管理者権限……?」
あらゆるVRMMOからアバターをコンバートできるバトルロイヤル——〈ブラックラウンド〉。
最新の大ヒットタイトルでありながら、無断なデータ流用に近いその性質上完全な非正規。運営者は正体不明。まさか。彼がつくった代物だったのか……? 待て。
——『俺がこの世界を〈裏側のブラックラウンド〉と呼ばないのは、暗に犯人を特定しないためだよ』
確かに——〈ブラックラウンド〉は、基本的に単純なゲームだ。VRゲームを制作する上で最も手間のかかるマップは大半ランダム生成で、制作と管理にかかるコストは大したことない。
いや。思考を後回し、管理者権限にアクセスする。ここは下で起きたことの圏外なのか、周囲には何人か無事な人間がいて、無遠慮にイオンを見てきた。
——パスワードを入力してください。
『aJLe97Bb9wE0』
ビーーーーーーッ‼ という余りにも馬鹿でかい音がしてアクセスが拒絶された。レストランにいた全員がイオンを振り返った。腫れ物に触るような視線で。
「え」
——パスワードが間違っています。
9=q——?
『aJLeq7Bb9wE0』
ビーーーーーーッ‼
『aJLeq7BbqwE0』
ビーーーーーーーーーッ‼
『aJLe97BbqwE0』
⁉ 違うッ、ならまさか。
『aJLeQ7Bb9wE0』
『aJLeQ7BbqwE0』
ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼
——⁉
「……⁉︎ ゼロは素数じゃないしッ、素数列をゼロから数えるとしても文字は一文字目が一番目でしょ普通ー‼」
「あれ何やってるの……?」
「きっと証拠隠滅だよ」
——最初の入力から三〇秒経過しました。管理データを全破棄します。
「え⁉‼︎」
じとっ、と内腿に嫌な汗をかいた。ウェアラブル端末用のベルトが微かな跡になっている。端末はない。深呼吸する。
空気はある。吸っていいよ? と呟きながらソファから立ち上がると空き缶を踏みつけ、遊んだままになっていたチェス盤とデッキに目が行った——。
「イオン?」
「——」
「また何かやらかしたでしょ。はいこれ、友達のよ・し・みッ。重かったんだから……ないと困るでしょ?」
「あ、うん。ありがと……——? 本当にっ」
「うん?」
バックヤードに置いてきた私物を入れるボックスが、音を立てて机の中心に置かれた。預けていたダイブ端末が中に入っている。それと——ピンと立てた人差し指でクルクルと弄んでいた、ビキニの水着のパンツが顔に飛来してきた。
「やぁだ〜♡ ノーパン〜っっ、あたしのパンツあげるねー。履いて履いてーっ……あ、へーんな勘違いしないでよねぇ? 女の子には興味ないから。ああ、疲れた。正直助かったわ、何したか知らないけど今の体調じゃ万全なパフォーマンスって物が——」
「!」
後で確認すると本当に彼女、桐先恋花は——〈裏VR世界〉でのことを一切覚えていなかった。
だが今は。
深呼吸し、取り戻した自分の端末でログイン。
《ようこそ————》
瞬間、ブラックラウンドのナレーションが聞こえ出した。
一瞬、思った。
許された。セーフ。合法。全ては夢。
しかし。
《————ブラックラウンド・コロシアムは、雷神の怒りを受けて破壊されました。復旧の予定はございません》
ああ……。
《ようこそ、ブラックラウンド・コロシアムは——》
「イオリアフレイン⁉」
墓標のように残骸が散らばる、狭い広場につながるや——イオンは一般のプレイヤーに話しかけられた。
パリッ、と空気には軽い電位が漂っていた。
何人もいた。
「戦ってたら、急にこうなったんだ……。ああ、最後にサインとグラフィティいいかな?」
「——」
《——長年のご愛顧、誠にありがとうございました》
終わった。
そして気づけば、その世界でも——蒼光の刃で肩口から斬り落とし、奪ったままの機械腕、〈ガントレット・グラインダー〉と掌中に透明なキューブが存在していた……アバターの状態が引き継がれている。
「そだ、記念撮影も! これで卒業って寂しいけど、いつかはこうなるもんな。あ、後ろ向きで君のグラフィティといい?」
「——」
死んだ、と思った。想定外だろう、完全にやってしまったのだった。
【続く】
おまけ:〜作者近況・審判の双蒼星編〜
四月某日
俺「どう? 出そう?(出玉)」
ケンシロウ「——」
ケンシロウ「——北斗神拳は、"無敵"だ」
スマスロ北斗の拳——
本当に無敵だった北斗神拳によって大量の出玉を手に入れた俺は、教習所に向かった。俺はバイクに乗ろうと思った。
思いの外重くて持ち上がんない。教習後半、正しい運転を身につけた結果、一本橋が全然渡れなくなる(最初は余裕で落ちる気がしないレベルだった)などの事件に見舞われつつ免許を所得。で、買ったバイクが納車されたのですが……これは大丈夫なのでしょうか。オイルの量を見るとこから覗くと、ラインの下限ギリギリしか入ってないです。このギリギリというのは最早ラインを下回ってるものの、表面張力を駆使したら本当に紙一重で線に掠っているレベルです。俺はダメだと思います。
ま、半年間は保証あるからいっか——(RDBRN
保証期間内にイカレてエンジンが新品になるか自費で直すことになるか、ゴブスレの50%の天井を目指すかのようにして、俺は本作を執筆してます…
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