『最悪の罰』は全ての真実を言うこと
◇
「——あんた、例えば今年の目標ってあるか」
「ボク?」
戦況が一段落すると突然、
その対面、セクシーなストラップの水着姿でソファーの背もたれに座り、生足をぶらぶらさせていた美少女。
「次はどうするか……今のうちに考えといた方がいいぞ」
「え?」
脈絡なく問われて顔を上げ、弾む音を立ててソファの座面に滑り落ちると——ストラップの水着の紐がずれて、ちらっ、と。
胸さえなければ。
絶対成長しない奴。
夢と希望だけでできた乳。
本当は、シュレディンガーの猫は死んでいた。
水着で自然に際立つはずのつつましい胸は未熟・発展途上と言うより既に可能性のない残念さを感じられる。
自称・VRアイドルにして天才中の天災——
駒数優勢なのは黒だったが今、その盤面は通常の定石では絶対にできない形となっている。
「——ライブじゃなくてこれからの事な? UWEのイメージキャラクターだろ、今。昔、あんたが言ってたことで一個好きな言葉がある。
自分が変われば世界は変わる。アイドルだったのがVRアイドルってことにされ、チャンネルはZ指定コンテンツになり、普通ならいじけるのに強く生きている。リスペクトだ。でも」
真正面にいるイオンのことを不自然な程一瞥もせず、語りかけているのに無視しているような感じで順々に言っていく彼の目前、机上。
チェス盤のすぐ隣にはノートパソコンがあり、画面には『チャンネル凍結のお知らせ』と『イオンのSNSアカウントに今朝届いた大変不穏なDM』が表示されている。
『少し不安になったりもします。
無理、していませんか?
新しい事務所に怖い人はいないですか?
何でも相談してください。どんなことになってもずっと、私はあなたの親友だから』
————。
——。
一旦言葉を切って、一からそのDMを読み上げると、好奇心に満ちた微笑みで金色の目を輝かせるイオンに遊生が勢い迫った。
「でも、見ろ! 友達はメンタル鋼じゃねェよ⁉ 全方位に喧嘩売るからさッ。ライブ本番直前の今周りからは完全に別の心配をされてるっていう、このことを一回考え直そうぜ! もう有名になったんだし、これからの活動は、『優しさ』とかをテーマにだな……?」
一度頷くと、先程揺れて位置のずれたゲーム盤の駒をわざと音を立てて戻し、座面に座り直したイオンは——『未来』のことを聞いてきた焦り気味の彼の今、『現実』をにっこり百点満点の笑顔で告げた。
大学での一騒動と、VRでの戦いの裏でずっと繰り広げられていたゲーム。
このゲームは——〈代償のチェス〉と名付けられている。
「……先のことはボクにもちょっとわからないけど。でも、このゲームのせいで今月が終わるまでにあと三回……『ボクのコスプレでゲーム配信♡』しなきゃいけなくなった遊生さんは、自分の行く末を考えた方がいいと思うよ☆」
駒の配置は通常のチェスと変わらないが、追加ルールが一つある。
自分の持ち駒が取られた時、プレイヤーは互いが相手に用意したデッキから一枚引き、カードに書かれた罰ゲームを受ける。
例を挙げれば、『ボクのコスプレでゲーム配信♡』のような——。
「——絶望しろ、を長く言うなよ‼︎⁉︎」
罰、代償は事前に合意したものだが、己に積まれていく重みに耐えかねたプレイヤーは、相手に与える代償を全て放棄するのと引き換えに投了することができる。
たった今、世にもおぞましい代償を引き当ててしまった遊生は投了し、対局は終了したところだった……。
「——つか、ありえねェ! VRゲームを八つ同時にやりつつ、ダイブ端末でドローン操縦しながら、その最中に本体は『【立体映像】偽物がバレるより早く水着に着替えれるかチャレンジ!』のクソ動画撮り中のチェスだぞッ⁉ それなのに、何故俺は負けるッ‼」
「クソ動画♪」
机上には駒が欠けた盤とデッキ、既に引かれた数枚のカード。
何でだろうね——? と、悪い笑顔で囁きながら水着を直したイオンはソファから立ち上がると、ウインクした金色の瞳とアイスシャンパーニュのツインテを煌めかせ、デッキを掴んでぱっと空中に放り出した。
床一面にカードを散らかし、壁際にとことこ歩いて行く。
「マルチタスクは、得意なの。——」
——何故負ける? 特殊なプレイをしていない限り、布の服で魔王に挑む人間はいない。
本当のゲームオーバーがある時。
負けたら死ぬとわかっている時。
立ち上がり挑む人々は万全な準備をしてかかる。しかしチェスの駒と違い、人間の能力は全くもって平等ではないのだ。
仮想現実が現実になった現代、ウェアラブルのダイブ端末によって現実と同時進行するようになった仮想の中で人々が生きるようになった時代のルーラー。
あらゆる高級セラピーを受けつけなかった多重人格者——複雑に分裂した精神と無数の人格を持って生まれたイオンにとって、『常時ダイブできるVRの世界』とは、自分専用にオーダーメイドされた特別製のオペレーションシステムに等しかった。
無数の人格を持つ彼女は、複数の端末を一度に扱い、別人格を別人としてVR世界にダイブさせることができた。
仮想現実による人格の分割は、錯乱した精神を安定させたのみならず、分岐した可能性にすら先回りする——〈超高速の分割思考〉を可能にした。
多くの世界を渡り歩くことで膨大な経験値も得た。
そして生まれた万魔の王にとってすれば、人間が……万全と思った鋼の鎧と布の服など大差ない。
「でも遊生は、勝ち敗けの条件に抜け道があるゲームはうまいよね——?」
イオンは口元に浮かんだ微笑を両手で隠しながら、上目遣いで励ますように声をかけた。結局、強い金色をした目が笑っていた。
「正攻法で勝てないって言ってるよな! いつか見てろよ⁉ えー。まずツインテと言えば金髪ツインテですけども、黄色が強いのがこの業界の正しい金髪なんで、あんたのは純粋種ではなく亜種! 凄ェリッチな色よね、サロンのつけたカラーの名前呪文だろ。でもッ」
分割思考と経験値によって、あらゆる原理をイオンは一目で解体できる。例えば——今まで展開されていた、〈代償のチェス〉の肝は盤外戦。
互いが差し出す代償は一つを除いて全て事前に合意したもの。しかし、その、『合意といういわば、互いのリスクリターンが対等でないといけない』ルールによって、絶対許容できない代償を設定することができる——『俺はここまでやるから、君はこれね?』、と。
では、このゲームにおいて勝利に至る最短距離とは?
「俺は、ツインテは黒髪派なんだ……ッ‼ インスタント感がいいじゃん⁉︎ 二つお下げじゃなくてちゃんとした黒ツインテのさ? 王道なテンプレの属性を敢えてやや避けることで、俺ら向け感しか残ってない。その感じが好き。いかにも手軽に寄せた感が興奮する。いつかあんたを——俺が“黒”に染めてやるッ」
別に伏せられているただ一枚、意図的にキングを失った場合のみ発動する〈最悪の罰〉以外全てのカードは今、床に散らばっていた。
投了不可避の死毒の杯が混じっているなら、それを引かせてしまえばいい。逆に、定めた死の寸前までは……何度でも破滅を回避させ、ありとあらゆる苦痛を与えて。
カードをすり替えたことをおくびにも出さず、悪戯っぽく尋ねるイオンは一見すると、イオリアフレインになっている時が嘘のように、元気いっぱいに壁際でにこにこしていた。その近い所には自由に食べれるケータリングのワゴンがあった。
「——は?」
だが、その時だった。
突然——
——まるで金細工の太陽を思わせる大きな目に上半分瞼をかけ、逡巡するように輝かせるとイオンは「しーっ」と吐息で囁きながら、自分で水着の紐を引っ張る。
ストラップがひらり解けると、きらきらした白桃色の乳首が露わになる。
明らかに人格が切り替わっていた……。
それは能力と引き換えのリスク。
「いつか……? 今染めてよ——ボクと気持ち良いことしたいなら、今にしよ♪ ここだけの話、ボク……VRでは男性キャラのがよく使うから、どっちもわかるし、好きな方でできるよ……? ねぇ一緒に死のう……? ドキドキし過ぎて心臓、きっと破裂しちゃ……っ」
両方の乳首をツンと尖らせたまま、イオンはそこのケータリングから『0.01と数字が書かれた紙の小箱』を取ってくると手慣れた感じで封を開け、個別包装された小箱の中身を一つ咥え、手を後ろに回して床でぺたん座りした……。
「俺は社会的に死ぬのな⁉︎ ——」
病みきった極甘の視線は絡みつき、瞬くと起こる金色の波紋が虜にする。
なお、付属事項として——間もなく本日のオープニングライブが行われる超大型スタジアムの六階。
今はウェイティングルームとして使われているこの区間は普段、アミューズメントレストランとなっている。
その入口は、奥行きのない小さな洞窟風の空間。
水が静やかに這う四方の壁は自然石で蔦が這い、南国風な濃い香気のミストが漂っていて、初めて入る者は必ず背後の自動ドアとエレベーターホールを振り返らずにはいられない。岩壁に隠された東南アジア風の黒檀の階段を上がると視界が開け、そこには信じられない光景が広がっている。
見えるのだ。
今、満員を超えた階下のライブアリーナが。
弓形のフロア全体がスタジアムを展望する形に突き出していて、見られる下階からも見えているが故に、そこで開始されようとしているのは超満員になったアリーナ全員をまきこんだ特殊な露出プレ——
「つか違うッ、そうじゃないんだわ——⁉︎」
——イから、ゲームアバター並の瞬発力で跳び退くと、悪ふざけの仮面を外したかのように遊生は顔を上げ、イオンを見て叫んだ。フロアに居合わせた他の人は各々、畏れを抱くかのように彼女らを遠巻きにしていた。
「そうじゃないッ、『何でも言うこと聞いてあげるよ?』ってそれは——現実ではありがたくも何ともねェよ⁉︎ 俺はあんたに何度も頼んだ、今までッ」
ちょうどそのとき、机上にあった一台のダイブ端末が光って、空中にツリー状のSNSウインドウをポップアップさせた。
それを見て、水着を着直して立ち上がると、散らかったデッキを戻してイオンは入口へ向かった。
「————プリーズVR! つまりだな、それを仮想の方で頼むわッ‼︎ あんたじゃなきゃ駄目なんだ。とある世界で一度だけ、俺に力を貸してくれ‼」
「一度でも、ボクにゲームで勝てたらね——。黒髪ツインテの友達も紹介するよ。その子、男の子だけど」
シームレスな拡張現実が現代のVR。
イオンはアトリウムの階段を洞窟へ下りてく間に、恐竜のヴィジョンと一緒に振り返った。
「——で、遊生さん……仮想のボクは好きだけど現実のはいいって、『ずっと今のままがいい、賞味期限つきの生ものはいらない。成長しないロリだけが大しゅき♡』ってことだよね? わかるよ。終わってるのか始まってるのか、そこはどっちかわかんないけど、でも性癖はわかるから安心して! このまま人生詰んだとしてもボクだけは友達でいてあげるから……」
常軌を逸した能力が偏に彼女をそうしてしまった——未来は今や一つだけ、抗えない運命となった。
「何ッッで、そうなるんだよ! 一度に十二とかVRゲームやるからあんたの脳は仮想で酷使されすぎて幻覚見てるッ、今に死ぬぞ‼ そしたらどうよ⁉ はいー、事務所が出してる公認VRモデルが爆売れ。本人死亡セール。ついに仮想だけの存在になったイオンちゃんが今だけ六〇%オフ⁉ おいおい、どうっすかなー? 俺もなー? ……絶対ェ買わねえ——面白えな⁉ あんたの死んだ後の世界!」
◇
もう一方の現実では、無差別破壊フィールドの余波が吹き抜けていくと……白金を繊維にしたフードマント。
その背に描かれた絞首死体のグラフィティが、陽炎に揺れながら現れる。
橙色に煌めく蒸発障壁——防御の周囲では空気が湯気を上げて対流を起こし、高温の焰煙すら噴き上げていた。
今までの視界の揺らめきや最後何かがぶつかってきたような手応え。それにフィールドのダメージを殺したのはそれかと悟るも、既に遅い。
「あたしがルールを教えたせいで……わざわざ百秒待つなんて——おまえ、本当に人間か……⁉︎」
デッドラインを超えたネザーフィアのアバターは消滅を待機している。
地面に半身をついたまま顔を上げ、見た。
「フィールドの効果でHPがゼロになる前にあたしを倒したんじゃ『もしかして』、『もう少しだけ頑張ってたら結果は違ってたかも』。って思うもんな——? イラストリアカノンのルールを教えてなかったら、あんたはあの技で瞬殺してた」
仮想現実へのダイブ端末を初めて手にした時、名凪イオンこと本名・
同時にわかっていなかった——星帆が当たり前にできることが他の誰にもできない&できるわけがない。してはいけなかったとわかるまで、相当な時間が必要だった。
「……。本当に——そう思う?」
「あァん⁉」
「あ。うん? ごめん。こっちじゃなかった。『【全ロス配信】美少女に食べられてみた動画【ヴァース引退】』……? 見よ。ゴア大好き——」
思考分割。並列処理。本人の自覚すらないまま続けられた一時間に十数時間分の仮想体験。
ウェアラブル化され一時の大仰なヘッドギアのようなものではなくなったダイブ端末は睡眠時すら、肌身離さず持っていられる。
誕生したのは絞首死体のグラフィティを背負う最凶最悪のVRアバター。
分離が一層複雑に進み屈折した性格。
アイドルとなった今では世間で、彼女はこう呼ばれるようになった——〈VRの魔法少女〉と。
だが——。
【続く】
ちんちんちーん
ちんちんちーん
フルチンチンチンチーンwwwwwwwwww
——小学校の頃、メタクソ怒られたジングルベルの替え歌
この話を上げたのはクリスマス当日であり、精神が破壊されかけていたことをここに記録しておきます。
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