ファントムの不在証明

 ◇



 ————0s



「テメェは……動画で見るすっとぼけたアイツと本当に同一人物かよ⁉︎‼︎」


 拘束が解けると同時に剣光、周囲を無差別破壊するパワーウェイブが爆発的に再展開した。

 唯一の得物である最強の蒼剣——〈イラストリアカノン〉の蒼い力場が鋭く折り重なる風衝になって一閃、剣圧を四方八方へ圧しつける。

 狙いなどない。全領域、無差別破壊、結局そう、これなら。


 相手の纏うフードマントの白金繊維が軋んで弾け、硝子の砕けるような快音を発した。至近で聞こえたその音に反応、溜めて、溜めて、ネザーフィアが動き出す瞬間を待っていたとばかりに繰り出された大技——上下二フロアもまとめて切り裂くかのような、すれ違い様の断界一閃にタイミングを合わせ、再びフィールドを一線収束。

 剣と剣がかち合うと、身体にぶつかってきた衝撃を半分いなして残り半分を独楽の如く反作用に転換。

 回転し、全身を振り向かせ反転——どんなに速度で負けようと、突っ込んで来た最中なら、相手は軌道上にいる。


「! どうやってッ、このフィールドを突破するってんだ——‼」


 軌道を貫く収束照射。

 反動、着地した両足が風圧で地面を勢いよく擦る。

 ……ダメだ。

 捉えられなかった。

 考え方は合っていても、速度が違う。『反応』できても『反撃』するには思考の速さが間に合わない。

 だが勝てる——今まで、無差別ダメージを与えるフィールドの圏内から敵は一度も離脱していない。


 緊張が喉元にこみ上げてきた。

 退避しながらスキルを滅茶苦茶に撃ち、わざと天井を崩落させながら安全圏と反対方向へダッシュ。

 崩落する構造体の瓦礫を利用し、自分と敵の進路を遮る。次の一手の可能性を絞り、特定し——耐える。

 そう、『反応』は間に合うのだから。

 体感時間ではそれが永遠に等しい程だろうと、フィールドによる継続ダメージは一〇〇秒で敵の命を尽きさす。必ずだ。残り時間は僅かしかない。


 足下の地面が弾け、床面がついに限界になるとフロアが一直線に沈下——ネザーフィアの体勢が沈み、前を見ていたのがやや見上げる体になったその時、揺れる視界の端で敵が右足を軽く振り被ると、地面に向かって爆速の蹴りを繰り出した。瓦礫の落下を未来予測するガイドラインがそこに重なる。

 瞬く間に、ガイドラインが真横を向いて殺到。


「石礫なんか、効くかよッ! ——」


 効いた。降りしきる瓦礫ごと壁際まで弾き飛ばされ、思い切り強く背中を叩きつけられる。

 破片がまともに顔へ浴びせかけられた。

 無理やり体を引き剥がすも、大きく吐いた息を直に吸い取られた気がした瞬間、そこに忽然と現れる敵影。



「っ——————響けッ、カノン‼」



 無差別破壊フィールドが一旦消えて剣先に収斂、見る見る内に径路上に降りしきって積もっていく瓦礫を螺旋状に吹き飛ばし、大気すら震壊させながら障害物を意に返さず対象を貫く。

 これまでとは桁違いの戦塵が上がった。反動で再び壁に叩きつけられ、頭上へ崩落してきた大岩をネザーフィアは倒れ込みながら、半ば運良く回避する。

 立ち上がろうと努力してもフロアの床面に手応えがなかった。瓦礫になった床ごと身体は落下していた刹那の後、どこなのかわからない底に辿りついて止まると、反動で全身が跳ね上がる。


 ——しばらく息を整えてから、両手と膝を地面についたまま顔を上げる。周囲には白煙が濃く漂い、しんとした静寂が立ち込めていた。やがてパラパラと小さな粒が地面に落ちてくる音が聞こえ、一体瓦礫が降って来るかと身を固くするも、見上げた天井には大穴が開き、帯電した黒雲に覆われた雨空が広がっていた。

 小雨で煙が消えていくと少しずつ視界がクリアになる。

 周囲雷光に映る影なし。

 ピッ、ピッ、ピッ、と代わりに単調な電子音が点滅——。



「————ッ、あたしのタイマーか。これで一〇〇秒。ってことは……」



 終わり——仮想最凶に、勝った。

 敏感そうに狐耳が揺れる。

 最早疑いようがない。どんな敵でも、どれほどの長時間に感じようと。

 蒼光の無差別破壊フィールドは一〇〇秒間で全ての物を震壊させる。HPを直接一定割合で削り、防御力は意味を成さない。

 そのはずだったが——。


「一〇〇秒経ったよ? ブラックラウンド・コロシアムでは、どんな魔法も幻想のままではいられない。ここでは全てが現実の物理法則で再定義され、あらゆる力が原理と理論に置き換えられる」

「⁉ なっ——」


 ズッ、と胸に重量物が滑り込んでくる音がするとすぐに冷たい鋼鉄の感触。振り向こうとしたネザーフィアの身体は意に反して動き、地面に倒れた。薄い胸板を突き破ってバスターソードの刃が突き出ている。

 ——チッ! と火花を発して刃が引き抜かれると、支えをなくした体が地面で音を立てて跳ね、半分しか世界が見えなくなった。地平線で視界が真っ二つになり、片側には小雨があたる地面しか映らない。


 自分の生命量を示すサークルは急速にバイブレーションしながら均一な円から線に近づいていく。


 無慈悲な追撃、地面のラインが斜めに傾いだかと思うとネザーフィアは全身を弾き飛ばされ、手から離れた剣は彼方へ転がっていった。まるで、見えない壁がぶつかってきたような感じだった。



「——それの原理を解体するのに一〇〇秒なんて多過ぎたよね」



 必然的に——〈納刀状態—Blade off—〉。

 頼みの綱のフィールドが消えた。

 そして、その間、同時刻。

 行政特区として新設されたばかりの学園都市圏――それは仮想ではなく現実の世界で、小さな騒ぎが起こっていた。

 臨海区の特進校、その中でも際立って先進的なカリキュラムが行われている特別クラスで、数日前から囁かれていたとある噂がいよいよ盛り上がっていた。



「なあ、あれ本当なのかな? だって、ありえないだろ⁉ ——」



 噂とは、ある人物が転校してくるという噂だ。

 仮想現実が現実になった現代。その多方面で、ほぼ悪い方向で話題を集める孤高の天才が——最新のドローン制御技術と仮想グラフィックのカリキュラムを履修するため飛び級で入学して来ると。

 世間でそれはオペラ座のファントムの存在証明と囁かれる。

 なにしろ彼女は、実在の人物ではないのだから。しかも、それだけでなく彼女は今、全く別の場所にいるはずだ。


「どうなるんだ——? もし現実の人間だったら……即逮捕か」


 今、ダイブ端末で意識をスイッチすれば世界中のどの場所からでも、歓声に沸き出した巨大ドーム会場が見られる。その特設アリーナは、現実で訪れる事ができなくても仮想で観客となることができ、皆が主役の登場を待ちわびていた。

 Unreal World Experience——リアリティが拡大されつつある昨今、史上初のダイブ端末が発売されてから毎年催されてきたUWEも今年は信じられないくらい大規模な開催となった。


 その、日増しにスケールが巨大になる仮想現実の——〈負の象徴〉であり、UWEの本年度イメージキャラクター。

 VRアイドル。元はアイドルだったのに、実在しないことにされた彼女は間もなく行われる会場限定ライブに出演するので今、遠く離れた特設会場にいる。

 一方、この講堂で本日行われるのは民間企業と提携した必修のカリキュラムであり、彼女は必ず来るはずなのだ。


「!」


 その時、企業と連携している都合で講堂には許可証を下げた一般の参加者も数多くいたが、突然入口の辺りでざわめきが起こった。

 すりばちを半分にしたような形状の講義堂に、一目で目を惹く美少女が入ってきた。


「来た……!」

「生きた人間だ……」


 毛先だけウェーブしたアイスシャンパーニュソレイユ&ゴールデンプリシオライトの色と色が重なり合う髪は、たっぷりふわふわしたプリズムのよう。

 透きとおる肌の透明感は天からの授かり物というほかない。

 金細工師による太陽球を思わせる眩い金色の瞳はさながら運命を司る女神の気まぐれないたずら。ラメ入りのグリッター系アイシャドウでさらにきらっ☆ と。

 よく変わるが、今の髪型と長さは背中の半分よりやや下までのツインテール。

 公式のプロフィールが事実であれば、まだ一一歳という年齢を差し引いても真っ平らでぺたんこな胸とか。

 これはもう発育とかしない完成系なんじゃないかと思わせる、ない胸とか。

 形のない将来への不安だけがべったりはりついた胸とか。

 その辺りの個々人の好みが分かれる造形さえ除けば。

 ——胸さえなければ。

 否、ない胸さえ見なければ。今最も勢いのある自称・VRアイドル。これがいい、全人類一かわいいと言って憚らないガチ恋勢も相当数いる程だ。

 一瞬構内がどよめくと美少女は口元にしっと指を立て、にっこりと笑った。



「……本物だ。——〈イオリアフレイン〉が、っっ——!」



 それを見て講堂の一人が震え、思わず零した。

 彼女の仮想での名を。

 現代では、そこで過ごす時間が現実と等価。大げさでないとするならそれは、仮想現実の重みが増した昨今がありありとわかるリアクションだった。


 だが。登場の小さな騒ぎが収まると入口近くにいたグループが気づく。おそらくは人のいない辺りを目指して美少女は講堂の階段を下りていくが、その背後で一人が声を上げ構内は途端に呆然となる。


「ちっ……違うッ! それは本物じゃない……!」


 階段を進む足が止まる。注目はそのまま、しんとなったことで——それが現れて以来、ずっと鳴っていたブーン……という極小の駆動音。羽音? が、急に目立って耳障りに響き出した。


 ——すると、美少女は唐突にその場から姿を消してしまった。


 何が起こったかと。講堂がにわかに色めき立つ中、学生たちだけでなく講師や企業の人間の目も前方へ一斉に向けられた。

 やがてどこかの企業所属らしい風体の男が、隣の部下らしい男に言うのが周囲へ聞こえた。


「子供の頃に帰りたいと思ったことは、あるか?」

「——は?」


 いきなり上司に話しかけられた若い補佐役は、今現れた皆が注目する物体と、隣の上司の顔の間で一度視線を往復させる。

 苦い表情をした室長の視線は前に戻ったが、彼はその横顔で止まった。


「常時っす。一生、小学校で生きたいっすわ」

「俺は一度もなかったけど今生まれて初めて思った。あんな風にだって使えるんだもんな? 今のダイブ端末が子供の頃にあったら、夢があったよ」



 机上へと着陸した機体が、投影していたホログラフィックを解除すると——全方位カメラとエコロケーションを搭載したポータブルドローンが姿を現す。

 機体に刻印された名は、〈ブラック・ラース・インクリーター〉。

 搭載機構で現実の地形をマップ化し、仮想世界でVRアバターを動かすのと同じ要領で精巧なホログラフィックを操作できる。全ての部品とOSが所有者により一から設計されたワンオフ。



「——ああ! まあ。あの子は、別カテゴリーですけどね?」


 かつて世界は粉々に分かたれていた。仮想現実に限らず——人がつながり、一つになれる場所やそれを実現する最新のデバイスなどなく、既知の世界に人々は閉じ込められていた。

 そこで大人になった自分たちの真面目な商品開発など、子供の遊びに追いつかれるのが時代なのかと柄にもないことを思うのは室長の技術者としての感傷だったが。


 ?


「現実の人間じゃなくて——自称・VRアイドル。ゲームプレイヤーでエンジニア、最近の配信じゃドローンカーで占拠したアウトバーンに滑空翼付きの車を空挺降下させて、自動車の世界最高速度違反記録を樹立した存在しないはずの人物」


 は?


「実在の人間だろう? この——ガワだけって言葉、俺は嫌いだからな⁉︎ 要は実際にこれを作れたなら、VRのキャラクターじゃなくて」

「いや、だから。公式にはVRアイドルってなってて、本当の所はわからないんすよ。実在するなら逮捕ですよ?」



 駐機したポータブルドローン——〈ブラック・ラース・インクリーター〉。



「実在しないことにされている……だと?」



 そして、その人物は現在、UWEライブ会場のスタジアム展望階、イベントの規模とフロア運用の関係でウェイティングルームとして扱われることになった巨大なレストランで出番を待っていたのだった。重いDMなど受け取りつつ。



【続く】

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