第15話
人で溢れた会場はざわめきが重なり合い、笹田たちがどこにいるのかもわからない。サトルはもう挨拶ラッシュから解放されていはずだが、見つけるのは困難そうだ。
とりあえず、建物の中で石神を探そうと足を向けたカイリは、庭の周囲を囲んだ低木の茂みから出てきた二人連れとぶつかりかけた。
背の高い外人と肩がぶつかり、英語で謝られた。その手はしっかりと先に飛び出した男の腕を掴んでいた。
「あ、カイリ」
間の抜けた声で、石神が男の手を振り払う。
何事かを英語で言いながらカイリの背中に隠れた。
「早く、歩いて」
「は?」
「いいから」
背中を突き飛ばすように押されて、カイリはまだ追いすがろうとする外人に愛想笑いを浮かべながら歩き出した。
「連絡先を教えろってうるさいんだよ」
「あんなとこで何をしてたんや」
「ちょっと……」
肩越しに振り返ると、石神はふふっと意味ありげに笑う。それがすべてを語っている。
「せめて中でせぇや」
「中は、満員御礼でしたよ」
「なんやねん。乱交パーティか」
「あはは。口が悪いね。……サトルさんは?」
「わからんねん」
カイリが手にしていたビールを奪って飲んだ石神があたりを見回した。
「あぁ、笹田さんはいたね。リタさんといる。あっちに」
「そうやな。よく気がつくなぁ」
「合流してきたら?」
「おまえは?」
「パーティは始まったばっかりだよ。中盤にも取材写真を撮るから、それまでは自由時間を満喫する。それじゃあね」
「ちょっと、待て」
慌てて石神の腕を掴む。
「今したばっかりで、次を探すつもりか」
「最後まではしてないよ」
さらりと口にした石神はにこにこと笑う。
「好みじゃなかった」
「何がかは、聞かんとくわ。ぐったり疲れそうや」
「そうだね」
「止めても無駄やな。仕事中とは言え、プライベート部分やし」
「あんまり口出しすると、相手をさせるよ」
「とか言い出されるしな。あんまり悪さしなや」
「カイリも楽しんでね」
「俺は料理専門でええわ」
軽く手を振り合って別れた。
石神がすぐに男に手を出すのは困った癖だが、その代わりをしろと迫られるのはもっと困る。一度、最後までではないが酔った勢いでそうなってしまったことがあって、それがサトルにバレて大変だったのだ。
だから、友人としては、病気さえもらわなければいいと思っていた。
「せやかて、体力ありすぎやろ」
カイリはひとり言を漏らした。
この選り取り見取りに男が溢れた中で、お気に入りの一人を探し出すために、どれほどの狩りをするつもりなのか。成果は後で聞けばはっきりするだろう。カイリの質問には何でも素直に答えすぎるのが石神だった。
サトルを探して、建物へ向かう。庭からあがる階段の途中で何気なく建物を見上げたカイリはバルコニーにヴィヴィとサトルの姿を見つけた。
建物の中に入り、二階へ上がる。どの部屋にも人がほどよく入っていた。
ヴィヴィとサトルを見かけた部屋は談話室になっていて、他の部屋とは打って変わって大人のしっとりとした雰囲気だ。
バルコニーへ向かうと、開け放った扉の向こうから男女の声が聞こえた。
半身を隠しながら覗くと、思った通り、サトルとヴィヴィがグラスを手にして話し込んでいた。
「久しぶりのパーティーはどう?」
淀みのない日本でヴィヴィが言った。
違う国の言葉で話されていたら、カイリには内容がわからないところだった。
柱の影に隠れながら、二人の会話を盗み聞きする気満々の自分に苦笑いを浮かべる。ヴィヴィから言われたことを気にしていないと思っていたのは、たぶん間違いだった。
本当のサトルを知らない、ふさわしくないと言われて苛立ったのは、自分が自由人でいたいからではない。それはあくまで建前で、本音はその事実に腹を立てただけ。
自分の知らないサトルは確かにいて、それをヴィヴィは知っている。
どちらが本当のサトルかと問われたら、カイリは日本で暮らしているサトルは絵空事のようだと思ってしまう。現実的じゃないのだ。高級マンション一棟を保有して、財産は友人に運用させ、それなのに町医者の手伝いをしている。そして一番の楽しみは、カイリの世話だと言ってはばからず、カロリー計算までをこなす。
この会場に現れたサトルを取り囲んだ人間たちからすれば信じられないことなのかもしれない。
「おもしろくはないよ」
サトルは笑いながらヴィヴィの質問に答えた。
「またパリのパーティーにも帰ってきて。みんな、さびしがっているのよ。たまに悠護が代理で出てくれれば、確かに場は盛り上がるけれど、みんなが待っているのは、やっぱりあなたなのよ」
「悠護みたいなことを言うなよ」
「ほら、間違いじゃないのよ」
ヴィヴィの声は明るく軽やかに弾んだ。
女性実業家として、隙を見せまいとするポーズが身についているいつもの彼女とは違う。少女のような笑い声で続けた。
「日本のパーティーは垢抜けないわ。それが良いところだってリタは言うけど……」
「そうは思えないか」
「えぇ。だって、インターナショナルなゲストを呼んでいるなら、なおのこと、こんなどこにでもあるようなハコはつまらないわ。もっとジャポニズムを押し出した方が日本と言う国も売り出せるでしょう」
「商売人だな」
「ねぇ、サトル」
ふっとヴィヴィの声が沈んだ。
「パリへ帰って来てよ」
「ヴィヴィのためにか? 無理だな」
あっさりと答えは返る。
息を飲んで聞き耳を立てていたカイリは喉の渇きを覚えて、近くを通り過ぎようとするボーイの持つトレイからドリンクを取った。
「何故、カイリなの?」
元いた場所に戻ると、ちょうどヴィヴィが本題を口にしたところで、カイリは小さく息を吐き出した。
「どういう意味?」
サトルの声はまだ笑ったままだ。
「住む世界が違うわ。遊びで付き合うような相手でもない」
「もう、遊びの恋なんてやめたよ。カイリとのことはゲームじゃない」
「そうね、私とはゲームだったけど」
ヴィヴィがトゲトゲしく言ったが、サトルがあわてて言い繕う雰囲気はない。バルコニーを覗き込むと、二人の横顔が見えた。
派手な顔立ちのヴィヴィは大輪の花のように華やかで美しく、向かい合って立っているサトルは洗練された身のこなしでバルコニーの柵に手をかけている。
似合いの二人だ。なのに、男と女の間には見えない壁があった。
ヴィヴィはそこを越えようとしていて、サトルはそんな彼女の思惑さえ軽く無視している。
「お互いにわかっていただろう」
「……いまさらなのはわかってるわ。だけど、カイリはあなたが一番じゃないでしょう」
サトルのくちびるが静かに笑った。
「あぁ、違うだろうな」
サトルがどんなに止めても、カイリは海へ入る。波と戯れ、魚と遊び、時には遠く沖合まで運ばれる。
何時間でも海水の中で過ごすことができる。夜でも冬でも。
ただ、水中で息をすることだけは無理だ。
「それがそんなに問題なのか」
「……信じられないわ。あなたがそんなこと言うなんて。サトルのために人生を投げ打つ人間なら掃いて捨てるほどいるのよ。女でも、男でも」
「自分で言っていることがわかってるのか? ヴィヴィ」
酔っているのだろうとサトルが笑う。あくまでもまともに取り合う気はないらしい。
ヴィヴィの横顔に、焦りの色が浮かんだ。それが嫉妬の色になり、赤いくちびるを震わせた。
「あなたにふさわしいのは、あなたを一番に考える人よ。それなら、みんな、納得するわ。……カイリはあなたにふさわしくない」
ヴィヴィの訴えをサトルがどう受け止めたのか、カイリには聞き取れなかった。
カイリを探しに来た小百合が声をかけて来たからだ。
後ろ髪を引かれながら、その場を離れた。
「もっと踊ってよかったんやで」
バルコニーのサトルたちに聞こえないぐらいに離れてから声をかけると、はにかむような笑顔が返ってくる。二人で部屋を出た。
「いいんです。じゅうぶんに楽しみました。ありがとうございます」
階段を降りながら、小百合は肩をすくめた。
「あんまり長く一緒にいると、変に付け上がりますから」
「このぐらいでええか」
カイリは思わず笑ってしまう。
「はい」
と、明るく答える小百合はやはり悠護が好きなのだ。しかし、優先順位はサトルが上で、だから相手を束縛しないと決めているのだろう。
ヴィヴィの言葉が、カイリの心をチクチクと刺した。
サトルは誰からも、何を差し置いても一番に扱われる存在で、それをしないカイリは彼にふさわしくないと言う。
そんなことは知ったことではないと言えないのは、カイリもまた、サトルはそういう人間だとわかっているからだ。しかし、それを自分ができるわけではない。
好きだし、一緒にいると楽しい。だけれど、海よりも何よりもなんて、それは言葉だけのことだろう。
ロビーに出たところで、カイリは後に続いてくる小百合を振り返った。
「俺、このまま帰るわ」
「え? 何か、ご機嫌を損ねるようなことでも?」
「いや、そうやない。やっぱり、こういうのは向いてへんねやな。なんか、肩が痛くなって来た」
肩を回す素振りをすると、カイリの言葉を鵜呑みにするはずもない小百合は心配そうに眉をひそめた。
「大丈夫ですか? お車をご用意しましょう。私もご一緒しますから」
「あぁ、ええわ。通りでタクシーでも乗るし。小百合ちゃんは、リタたちのフォローもあるやろ。うちの石神も頼むわ。すぐ消えるからな」
「ですが、カイリさま」
「サトルには、俺が怒るからついて行かれへんかったって言うとき。ほな、お先に」
後はもう、くるりと背を向けた。
それを無理に追ってくる小百合ではない。
カイリは足早に人の波を抜けた。すぐにでもサトルが追って来そうな気がして、まどろっこしい。
追って欲しいと思う。
だけれど、その気持ちに誠実な答えを返せるのか、カイリには自信がない。
愛されれば愛されるほど、好きになればなるほど、まるで水の中のように息が苦しくなる。
カイリは一度も振り返らずに会場を後にした。
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