第14話

 あたりがすっかり暗くなった夜の七時。車体の長いリムジン二台で会場入りしたが、まわりもまけず劣らずリッチな車ばかりで、リムジンが悪目立ちすることもない。

 ハリウッドの試写会かと思うような赤じゅうたんが敷かれ、カメラのフラッシュがあちこちで瞬いている。

 リムジンをバックにして石神にコンパクトカメラで写真を撮られた笹田の顔は盛大に引きつっている。

 石神はしばらく笹田をエスコートしてから、取材腕章をつけてちゃんとした取材用の写真を撮ることになっていた。

「さぁ、背筋を伸ばして。だいじょうぶよ。私たちがついてるから」

 ブルーラグーンのグラデーションのエンパイヤドレスを着た笹田は、胸元の大きく開いたブラックドレスのヴィヴィに背中をさすられて深呼吸を繰り返す。

「だいじょうぶです」

 心配そうに覗き込むリタにも笑い返して、覚悟を決めたらしい。ぐっと腹筋に力を入れて背中を伸ばした。

 タキシードの内ポケットにカメラを片付けた石神の腕に手を添える。

 カイリのそばには小百合が寄り添い、ゴージャスなヴィヴィには負けず劣らず存在感のあるサトルが、褐色の足の付け根までスリットが入った、タイトなドレスに身を包むリタの引き立て役には悠護がつく。

 世界的に有名なヴィヴィの登場に、レッドカーペットの上がざわめいた。

 古い洋館を敷地ごと貸し切って行われるパーティーは、館内と庭一面が会場だ。

 まずは広間でシャンパンを受け取り、八人で乾杯した。屋内を見回してみると日本人が圧倒的に多いが、パーティー慣れした顔をしているのは外国人だ。

 その表情や着ている物で、客層はぱっきりと二つに分かれている。その点、笹田は見事にパーティーセレブの分類に入っていた。

 一度、輪から離れた石神が取材の腕章をつけ、カメラを手にして戻って来る。

 それから庭も含めて一通りをみんなでぐるりと見て回って、笹田と石神は取材の打ち合わせに入り、ヴィヴィは知り合いとの挨拶タイムが始まった。

 だが、意外にも人が集中したのはサトルだった。それを悠護がニヤニヤ笑って眺めている。

 寄ってくる人間の素性は両脇に立つ小百合が小声で教えてくれた。

 気後れするカイリをよそに、仕事モードに入った笹田は慣れないドレス姿ながら、急に輝き始める。それに目をつけて口説きに近寄る男たちを悠護がそれとなく蹴散らすのを横目で見て、カイリはため息をつく。

「向こうのケータリングでも食べましょうか」

 小百合が笑いながら促してくれ、カイリは一も二もなくその場を離れた。

 どれもおいしそうな軽食を皿に載せて、庭のそこかしこに置かれたソファの中でも隅のほうを選んで座る。

「こういうのが、サトルの世界なんやな。……これ、めっちゃうまい」

 どう見ても串に刺さった焼き鳥なのだが、味も焼き鳥のタレなのだが、今まで食べた焼き鳥とは比べ物にならないぐらいのジューシーさにカイリは思わず声をあげる。

「日本らしい料理ばかりを、アレンジしてるんですね。向こうにはお寿司もありましたよ。あっちにはミニ広島焼き」

「めっちゃ豪華な縁日やと思えば、乗り切れそうや」

「それは良かったです。ビールを頼みましょう」

 小百合がボーイを見つけて手を振った。ビールを頼むと、あっという間に届けてくれる。

「おおきに。これ、これ。やっぱ俺はこの泡が一番」

 カイリはニコニコ笑ってビールを一口でグラス半分飲む。

「どうして私がお相手かおわかりになりますか。本当はリタさまが希望されていたんですよ」

「あぁ、小百合ちゃんがフォローしてくれるから」

「それもないわけではないですけれど」

 小百合はくすくすと愛らしい笑い声をこぼした。

「サトルさまは自分があぁして拘束されることを見越していらっしゃったんですわ。カイリさまがおさびしくならないように。それから、悪い虫が近寄らないように。私は防虫剤だと思ってください」

「これはまた、最高級の防虫剤やな。セレブパーティー仕様や」

「もう酔っていらっしゃるんですか」

 小百合が困ったように笑いながら、クラッチバッグの中から絹のハンカチを出して、カイリの口元を拭った。

「泡のおひげが生えていらっしゃいます」

「なぁ、小百合ちゃん」

 カイリは眉をひそめて、清楚な美貌を覗き込むように見た。

「前に、会ったことあるよなぁ。なんか、いま、デジャブが……」

「口説いていらっしゃるんですか」

 ふふっと笑ってごまかされ、カイリは眉根を寄せた。 

「いや、そういうんやない。そうじゃなくて……。声としぐさが」

 ううんと唸りながら、カイリは行儀悪く片方のひざを立てる。小百合はとがめもせずに微笑んだ。

「もしわかったとしても、意味のないことですわ」

 それは会ったことがあるということを暗に肯定していた。

「私は嘘つきですし、カイリさまのことはとても好きですけれど、絶対にサトルさまを裏切ることはしません」

「忠実やな」

「これが私の喜びですから」

「……」

 カイリはビールを飲み干して、薄明るい都会の空を見上げた。

「ほんなら、あいつのこと、何を聞いても無駄なんやな」

「何がご心配ですか?」

「んー。住む世界がやっぱ違いすぎるやろ」

「そうでしょうか」

 小百合はまたボーイを呼びつけて、ビールを頼む。空になったグラスが回収される。

「確かに金銭的なことに関して言えば、サトルさまの世界は日本では現実離れしていますわ。でも、メンタルな部分を言えば、カイリさまほどあの方のそばに寄り添える人はおりません」

「かいかぶりすぎやな」

 新しいビールがまたたく間に届けられる。冷えたグラスを手にして、カイリは薄く笑った。

「あいつには、俺の前に、俺以上に好きやった男がいるはずや」 

「存じ上げません」

 小百合は感情をすべて美しくしまいこんで真顔になる。

「小百合ちゃんはいつから、あいつについてる? 年齢から言っても最近やろ。俺はあいつと友達になる前に、偶然に会うたことがある……」

 カイリはため息をついた。

「あいつはたぶん後追いでもやって、死のうと思ってたんやないかなぁ。それが出来なかったから、生きるってことに執着してる。そやから、俺が夜とか冬に海に長いこと入ったら、こういう関係になる前からえらい怒っとったで」

「たとえ、そんな方が過去にいらっしゃったとしても、今はカイリさまだけがあの方の一番です。それは私が」

「うん。わかってるつもりや。わかってんねんけど……、俺も煮えきらんな」

 カイリはため息をついた。ヴィヴィから言われた言葉が胸に重くのしかかった。

 海なのか、サトルなのか、一番を決めろと言われたことだ。

 二つは次元が違う。それは恋人を取るか、親を取るかと迫られるようなものだ。

 選びきれるはずがない。

 しかし、こんなことが心に引っかかって仕方ないのは、そう思いながらサトルに申し訳ないと引け目を感じる自分もいるからだ。

「カイリさま。出すぎたことを申し上げますけれど、お住まいを引き払ってマンションへお移りになってください」

 小百合の言葉は核心をついている。

「あなたが住む世界を気にするなんて、私には言い訳にしか聞こえません」

「はっきり言うなぁー。それはサトルにとっては都合がええかもしれんけど」

「いいえ。カイリさまにとっても、物事がはっきりすると思います。……カイリさまが腕の中に飛び込んでも、サトルさまはそれでもずっと追いかけ続けますわ」

「結婚がゴールやないか」

 ふざけて笑ったカイリに、小百合は明るく笑い返す。

「人と人は永遠に交われません。お互いの精神が住む世界は一生同じにはならないのではないでしょうか」

「それは……、小百合ちゃんと悠護のことやな?」

 カイリはあえてビールを飲みながら軽く言った。見ていればわかる。

 どんなに悠護を拒絶していても、小百合はどこかで彼が自分にまとわりつくことを待っている。

「あの人も、繋いでおくことができない男ですわ。私が何もかもを捨ててついて行けばいいということでもありません。一時的な満足は得られても、きっと後悔します」

「それで、また離れたらええやん。それじゃ、あかんのか」

「……カイリさまだから言います」

 小百合が視線をあげた。カイリを覗き込む。

「悠護が傷つくのを見たくないんです。私にがっかりするぐらいならいいんです。私をダメにしてしまったと自分を責めるあの人は見たくない」

「好きなんやなぁ」

 カイリは思わずしみじみと言った。小百合はまた目を伏せて、静かに笑う。

「俺とあいつが、同じようになるとは思えへんか? 俺は小百合ちゃんみたいな気持ちはないけど」

「ですから、お二人は大丈夫なんです」

 ぱっと顔を上げた瞳が輝いた。大丈夫であってほしいと願う気持ちが込められているみたいだ。

「カイリさまをそばに置いても、サトルさまの束縛はポーズです。それに、もしもサトルさまが過去に誰かを愛していても、それが心の中で継続していても、カイリさまはお認めになるでしょう?」

「だから、かいかぶりすぎ」

「いえ。カイリさまはただ真実を知りたいと思っていらっしゃるだけでしょう。知った上であの人を責めたりはなさらない」

 それは事実だった。

 誰かを過去に愛していても、いまも自分よりサトルの心を占めていても、それはただの事実だ。自分を求めるサトルの気持ちはまた別物だと理解できる。

 カイリがサトルを求めるのと同時に、海へ帰りたいと思い続けるのと一緒だ。

 だからこそ、別の拠り所を持つ免罪符として、その事実が欲しいのかもしれない。

「私はカイリさまが監禁されている間、お世話をしていましたわ」

 突然、小百合が言った。

 ぎょっとして振り返るカイリの視線を受け止めて、取り落としそうなグラスを支えながら静かに苦笑した。

「眠っている間にお身体を清潔にして、点滴もしました」

「点滴、されてたんか……」

「私はサトルさまが以前に誰かを愛していらっしゃったかどうかは、本当に知りません。身のまわりに、そのような形跡を見たこともありません。ただ、私が知っているのは、カイリさまがすべてをあきらめてサトルさまを受け入れてくださったとき、自分のなさったことを深く後悔されていたことだけです」

「あぁー、強姦と監禁な……。ことごとく犯罪やな」

 冗談めかしたカイリを、小百合がたしなめる目で見た。けれど、気持ちは伝わっている。小百合はすぐに笑顔になってうなずいた。

「それと同時に、愛情を獲得できるか、疑心暗鬼になるのは当然のことでしょう?」

「まぁ、そうやな」

「すっかり、ほだされたようですけれど」

 小百合が目を細めて嬉しそうに笑う。

「まぁ、それもそうやな。あんなことがあったなんて、今じゃ嘘みたいやな」

「もう潮時ですわ。カイリさま」

 アパートを引き払って同棲しろと小百合の目が追い詰めてくる。

「まさか、サトルの差し金か?」

「そうであれば、もっと上手にいたします」

「そうかー。ほんなら、会場を周遊して考えてみるし、あの男とダンスでも踊っておいでや」

 カイリは手を上げて、遠くから近づいて来る悠護を呼び寄せる。

「カイリさま……」

「サトルの愛人として頼むんやないで。悠護の友人として頼むわ」

「……せめて、恋人とおっしゃってください」

「あいつの愛情が、そういうレベルやないことは小百合ちゃんが一番知ってるやろ」

 カイリはぼやいて立ち上がった。

「ええとこに来たなぁ、悠護。小百合ちゃんが踊りたいらしいし、相手したって。俺は怜を探しに行かなあかんわ。あいつ、うっかり外人としけこんでんのちゃうか」

「あぁ、あの美人の彼なら、フランス人の俳優と建物の中に入って行ったのを見たけど。取材じゃないのか」

「オフレコの取材すんねん、ほっとくと」

「ほほぅ、それはすごいな」

「悠護さん」

 小百合に視線に気づいて、バツが悪そうに笑いながら悠護は顔の前で手を振った。

「俺は、男は趣味じゃないから」

「知ってますわ」

「気になるのは、目の前のお嬢様だけだ。小百合の好きなワルツをかけさせようか」

 差し出された手に、小百合はもったいぶりながら指を返す。

「えぇ、ぜひお願いするわ」

「ボサノバ調のアドリブがきけばいいけどな」

「カイリさま、失礼して行って参ります」

「何曲でも好きなだけ踊っておいでや」

 さりげなく感謝を示してくる悠護の視線を受け流して、カイリはビールを片手にその場を離れた。

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