<2>
「こんなこと言うとびっくりすると思うけど」
突然彼女が言った。
初めて言葉を交わしてから
相変わらず彼女はひまわりを何枚も描き続けてて
僕もなんとなくそれを眺めるという
日々が続いていた。
僕は講義がない日も大学に行って
お昼にはここに来る。
あれ以来会話らしい会話はしてないんだけど
彼女の筆を持つ手が
考え込む背中が
僕に話しかけているような気がして
僕もその声に応えるように
そこに座ってた。
そんな毎日だったので
急に話かけられて僕はまた驚いてしまった。
こんなに近くにずっといるのに
声をかけられて驚くなんて
ちょっと面白かった。自分が。
純情な男子学生みたいじゃないか。
今度このシチュエーションで書いてみようかな。
「あなたね、息子に似てるんだよ」
おっと。意外な展開。
「息子さんいるんですか」
「もう亡くなったの。何年も前に。旦那は出ていった」
身の上話か。
僕はちょっと用心深く答えた。
「残念ですね…」
「あなたを誘惑したい」
こちらを見ずに、筆を動かしながら彼女は言った。
「どうしても思い出しちゃう。小さかった時の。
そうやっていつも私の後ろから私が絵を描くのを見てたから」
少し震えるような穂先をじっと見ながら言った。
「あなたが息子じゃないのを確かめたいの」
彼女はやっと手を止めてふっと肩で息をした。
彼女にまとう空気が変わった気がした。
どこか遠く
目の前の画紙の向こう側を見ているようだ。
細い首筋がますます儚く見えて
ただ淡々と話すその声をもっと聞きたいと思った。
「こんなこと言って危ないおばさんと思うでしょうね」
用心深く再び絵の具を画紙にのせる。
ひまわりの花びらを描く。
「そんなことありません。綺麗な人からそう言われるの好きですよ」
「あなた大学生よね?まさか高校生じゃないわよね」
「大学生です」
「よかった。じゃあ犯罪じゃない」
彼女はくくく、と含み笑い。
僕もつられて笑った。
「大丈夫です。童貞でもないですよ」
彼女は目を見開いてこちらに向き直った。
「言うじゃない。大学生にしては随分女慣れしてる」
「そんなことありません。あなたのこと、ちょっと面白いなと思いながら見てました」
彼女はまた笑いながら。
「面白い、ねえ。そんなこと女に言ってどうするの。もっと言い方があるでしょう」
「さっき言いました。綺麗な人だと」
筆をさっと布で拭き、画材を片付けながら彼女は
うって変わった明るさで言った。
「うちにいらっしゃいよ。お昼ご飯食べさせたげる。いつもそんなの食べてるんだから」
僕の左手にずっとあるスティックパンを指差しながら。
ちょっと変わった女性。
魔法のように色を紡ぐ。
僕は原稿用紙の上でモノクロの世界にいたから
たぶんそれがとても眩しかったんだ。
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