第23話
夏休みも折り返しを越えた8月の中頃。
俺は、とある理由から金が欲しくて藤木んちで短期のバイトをしていた。
藤木家は作業用品の卸売業を営んでいて
この時期、輸入商品の積み下ろし作業に人手が必要だという話を前から聞いていたからだ。
夏の期間に行われるこの作業を、藤木は「灼熱のコンテナ地獄祭り」と呼んでいて
1日に100個近い重量40キロのダンボールを、フォークリフトが入れない狭い倉庫の奥に人力で運び込む手伝いから毎年逃げ回っては捕まって
殴られながら連れ戻されていた。
作業は、コンテナトラックの到着をもって始まり
朝の9時から終了までの時間制限はなく、荷物の完全格納までが1日分の仕事。
それが連続で3日間続いて、バイトの日当は5000円。
昼飯付きなのと、足元が見えなくなる日没までに作業を終えればよくて
急かされない気楽さだけがウリだ。
他には、ドクズの先輩が電話1個でやっているモグリの人材派遣で働くという手もあるが
本当に最後の手段だ。いくらピンハネされているのかわからないから
まともな知能を持ったヤツは誰もやろうとしない。
アレは金の計算ができないアホか
弱みを握られている不運な連中専用の搾取奴隷体験アトラクションだ。
「カツオ、なにか欲しいもんでもあんの?」
疲労と熱中症の関連性を利用して前途ある若者を効率よく殺す方法の一つだと考えられる
殺人的重量物運搬作業の休憩中に、塩をぶっかけたらそのまま消えてしまいそうなほど
汗だくでバテている藤木がきいてきた。
「誕生日のプレゼントを買いたい。リカ姉には世話になりすぎた。」
藤木よりは余裕が残っている俺は、フタをひねる握力をかろうじて絞り出して
差し入れのスポーツドリンクを飲みながら答えた。
「誕生日のプレゼント」と聴いた時点で、美紅へのモノだと思ったのだろう
一瞬だけ渋い顔をした藤木は、「リカ姉」と続けたあとに表情を複雑なモノへと変えた。
バカ四天王は、全員が小学校時代からリカ姉にドツき回されてきた
自業自得の歴史を共有している。
成田は中1の終わりまでキレて飛び掛かったあとに、実力でねじ伏せられてきたが
本多と藤木は小6で抵抗を諦めていて
正座でビンタを食らいながら、大人しく説教を受ける習慣が身についていた。
こいつらは基本的に、リカ姉の前ではアブラ汗を流して下を向く。
平然としてるのは、50個ぐらいキンタマを蹴り潰されているはずの岸田だけだ。
「俺も三崎先輩には色々と世話になったから、卒業前には菓子折もってくけどよ」
そう、1コ上に逆らいまくってきた俺たちは
全員がリカ姉に世話にもなっていた。春には俺たちの連名で卒業祝いのケーキも贈った。
だから刷り込まれた恐怖の後に、それを思い出したらしい藤木の表情も少し緩んでいる。
「卒業か」
その言葉には、胸の中の火が弱まっていくような感覚があった。
心から楽しんだ一日の終わりにいつも抱いた、あの気分。もの悲しい気持ち。
卒業したら俺たち5人はバラバラになる。
会わなくなるわけじゃない。でも、集まる機会は減るだろう。
いっしょにバカをやる勢いだって衰えていく。
寂しくないなんて嘘はつけない。
俺は、リカ姉と同じ高校を目指す。
成田と本多は、もともと勉強ができるので同じ高校に通うかもしれないが
藤木は手先が器用なので、工業高校で将来を模索しながら
なにもなければ実家を継ぐつもりだそうだ。
岸田からは「俳優になりたい」としか聞いていないが、男優の間違いだと思う。
ついに、俺たちにも将来を自分だけで選ぶ時が来てしまった。
小学校の卒業とは違う、停滞願望の混じった矛盾を含んだ期待感がある。
不安、諦め、喪失感、それでも近くに住んでいるというキズナに縋った安心。
それが逃避かもしれないと、気づいてもいる虚しさ。
葛藤のループが何度も繰り返されて目の奥をよぎっていく。
答えはない。みんな知ってる。たぶん、誰もが納得してる。することになる。
だけど、俺はまだパーティーを終わらせたくない。
「なぁ、楽しかったよな」
こみ上げてきた、たくさんの情景と
それに伴った感情を必死にせき止めて、塊にして吐き出すように空を見上げたら
自然に言葉が出た。そんなことでも言わなければ叫んでしまいそうだった。
藤木は何も言わずに俺の隣に立った。
深く、抑え込んだ息遣いが聞こえてきた。
振り向かなくても、二人で同じものを見ているのがわかった。
8月21日。リカ姉の誕生日がきた。
俺は最初から決めていた。時間に関係したものを贈ると。
藤木のオヤジさんからイロとツバをつけてもらった3日分の日当と
残りの小遣いを全部つぎ込んで、2万円の腕時計を選んだ。
バンドも、時計本体も真っ白のクロノグラフ。
値段じゃなくて、一生懸命に汗水たらして歯を食いしばって得たものを渡したかった。
わかってる。こんなの俺の自己満足だ。
言い尽くせない想いが形になって欲しかっただけだ。
今までの償いにはならない。
「うれしいよ、ありがとな」
道場からの帰りに呼び止めて、招き入れた俺の部屋でプレゼントを渡した。
そして俺の手から包みが離れた瞬間、リカ姉の弾むような声を聞いた。
俺は初めて意識して、誕生日プレゼントを渡した後のリカ姉の顔を見た。
いつもテキトーなもんを、ぶっきらぼうに渡してたから
今までの顔をまったく思い出せなくて、戸惑って
そもそも見ていなかったことに気づいて、押しつぶされるような後悔を抱いた。
立ち眩むほどの自責に耐えて垣間見たリカ姉の顔は
無邪気な喜びしか表れていない、子供みたいな顔をしていた。
薄く開けられた目は俺を見ていた。渡したプレゼントではなく、俺を見ていた。
美紅は違った。いつもプレゼントの包みを見透かすように見ていた。俺を見ていなかった。
リカ姉の潤んだ瞳と、赤くなった頬が震えていた。
竦められた肩と、膨らんだ髪にキラキラと光るものがまとわりついていた。
俺はようやく気付いた。この人はきっと何を渡しても、おなじ顔で俺を見る。
今までもそうだったはずなのに。ずっと逃してきた。目を背けてきた。
なぜこんな大切なものを見てこなかったのだろう。
「カツオ、どうした?」
俺は首を振った。「喜んでくれたら嬉しい」とだけ伝えた。
リカ姉は包みを大事そうに胸に抱えた。喉の奥に焼けつくような痛みを覚えた。
「アタシと同じ高校に通うんだろ?美紅といっしょに」
少しの沈黙のあと、向かい合っていたリカ姉が呟いた。
俺は頷いた。前から伝えていたし、頑張ってるとも言った。
でも、「アンタと一緒にいたいからだ」とは言えてなかった。
いつの間にか、リカ姉の顔は窓の方を向いていた。
俺はその髪に手を伸ばすのをためらっていたところだった。
「美紅は、やっとオマエを見るようになった」
日に焼けた首筋を見た。綺麗な形をした鼻の先を追った。
生ぬるい風に弄ばれているカーテンの隙間、窓の外の夜空に
この日は隠れていて見えないはずの月が映った気がした。
「あの子は弱い。支えてやれ。」
アンタが高校に入ってからずっと、夜にだけ会う日が多かった。
アンタを見ると月を探す癖がついた。
アンタから目を逸らしていたからだ。今は見たくもない。
「オマエがそばにいてやれ」
アンタが離れていくぐらいなら
夜なんて明けなければいいと思ったことだってある。
永遠に太陽なんて見なくてもいいと思った日もある。
そう思えるぐらい好きになった。
「アタシは応援してるから」
白い時計。それが煤けてしまうまで、ちぎれて動かなくなるまで
俺と生きて欲しいと思った。一生懸命、意味を考えたプレゼントだった。
だけど、そんなクサイ言葉を伝えるつもりはなかった。
想っているだけでよかった。いつか言えたらよかった。
「オマエたちには、幸せになってほしいんだ」
こっちを向いて欲しい。言いたいことがある。俺を見てほしい。
「リカ姉はどうして髪を伸ばしているの?」
リカ姉は振り向かなかった。
だから、ずっと触れてこなかったことに触れた。
あれから伸び続けていたアンタの髪。
今では耳を隠しているソレのことだ。
綺麗なうなじを半分見えなくしていて残念だけど
女らしく揺れる、ショートになりかけの茶髪。
俺はさっきまで、それに触ろうとしていた。
触れたら気持ちが伝えられると思った。伝わると思った。
生意気だって笑ってほしかった。
「リカ姉」
答えは返ってこなかった。
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