第2話

足をけられた。すっころんだ。

床板に寝そべって転がって道場の隅っこにエスケープ。

もう帰ろうって思ったけど、立ち上がる気力がない。

どこも痛くない。胸だけが痛い。


そもそもなんで道場にいるのか記憶がない。今日なにしてたんだっけ。

美紅と学校行って、授業受けて、昼メシ食って…食ったっけ?

家帰ったら空手の日だから来た。

朝から動く気なかったから、今日は一日俺に動いてもらった。動力源は日常習慣。


昨日さ、母ちゃんと父ちゃんに慰められたんだよ。

メシ食えなかったから。親の前で泣いたから。

諦めるなってさ。待つのも愛だってさ。

あと、従兄のヨシオ兄ちゃんが180センチまで背が伸びて爆モテしだしたって話。


中坊のころのヨシオ兄ちゃんも、今の俺と一緒で160チョイしかなくて

目つき悪くて、面も陰気で、

俺とそっくりだったからオマエもダイジョーブだって。

爺さんがイケメンだったって。隔世遺伝がどーたらこーたら。


でもそれってさ、今じゃないよね?俺が死んでるの今だから。

死んだあとで死体の背が伸びても、ソイツ動けないから。


そんで、その間もクソ吉岡と美紅は生きてて、デートしてキスしてセックスして

俺の死体が4メートルを超えるころには子供だって生まれてるんだろうさ。

死ねよ。


なにかが込み上げてきたけど、喉の奥まで来たところで空気みたいに抜けた。


おかげで暴れださないで済んだけど、もっと美しく産んで欲しかったと目の前の両親に思った。思ってしまった。

後悔した。後悔が過去に、美紅との思い出に飛び火してまた涙が出た。


メシ食わずに部屋に戻って泣いた。泣き疲れて、鼻が詰まって、

苦しくてフラフラになった頭で窓の外から首を伸ばした。

こうするとギリギリ向かいの家の美紅の部屋が見える。


明かりがついてた。あそこで吉岡とイチャコラして、セックスすんのかよ。

いつか知らんけど、誰かそん時のタイミング教えてくれよ。特攻するから。

しないけど。いやわからん。


寝た。心配した父ちゃんが日本酒を持ってきてくれたから眠れた。

前に飲んだ時、すぐ寝たから。

クセになるようなら殴って止めるから安心して飲めって言われた。


そういや、盗み飲んだあの時もそばに美紅がいたっけな。

居間のコタツが食い物だらけになってた正月の記憶。

あの時、美紅は酔った俺を心配してくれたんだろうか。

甘栗剥いて無視してただろうねきっと。



「起きろカツオ、男なら立て」



聞き飽きたそれ。道場には響いても、心には響かない雑音。

どっかで反響してウォンウォンたわんで行ったり来たり。

次に脇腹を蹴られた。サッカーボールキック。せめて空手の蹴りを使ってほしい。



「ウラァ!」



襟を掴まれてひっくり返された。

馬乗り顔面パンチ。痛い。でもまだ心が入ってる胸のほうが痛い。

そんで、ビンタされて、ビンタされて、ビンタされた。

目が震えただけ、涙が出ただけ、痛かっただけ。


ちなみに、今「ウラァ!」つって俺に空手と関係ない暴力を振るったこの人。

一応、女で名前が三崎梨華。

俺はリカ姉って呼んでる。歳は一コ上の高校一年生。

家が美紅んちの隣。つまり俺とも幼馴染なんだけど、正直なんとも言えない人だ。


リカ姉専用のサンドバッグとして長年勤めあげてきた俺は

この人に好悪入り乱れた感情を持っている。


とにかく凶暴で、口より先に手が動く人…というよりは、口と共に勢いがついて飛んでいく人だ。

俺を空手道場に引きずり込んだ張本人でもある。


男になれるとか、喧嘩に使うなと宣言した先生の前で

「喧嘩に強くなれるから入門決めろ」と言った人で

基本的に我が道しかいかない。


中学に入ってからは部活に精を出すようになって落ち着いたけど

小学校の時はかなり広い意味で『このへん』を支配した女ガキ大将だった。


小6の時にカツアゲしてた中学生をボッコボコにしてるのを見たことがある。


長所はただ一つ。面倒見がいいこと。ウザいほどだ。


そのせいで、一番ヤンチャしてた時期ですら親たちから絶大な信頼を寄せられていた。

真面目に高校生活を送っている今なら計り知れない。

このあと家に帰って腫れあがった俺の顔を親に見せても、リカ姉を信じてお咎めなしだ。間違いない。


ベリーショートの茶髪。切れ長のつり目。筋の通った鼻。薄い唇。

顔だけ見れば美人だけど、中身は男。いや、ライオンだ。

だから損をしてるのかと言えば違う気がする。

彼女はこれで満足らしい。気にしていない。

多分、制服以外のスカートを一枚も持っていない。ふんどし締めてても驚かない。

あなたはあなたらしく生きていけばいい。



「美紅に振られたからって、死んでんじゃないよ」



母ちゃんズのネットワークは迅速性がウリだ。そのミエナイチカラは当然リカ姉にも及ぶんだろう。

みんなが手を繋いで回ってるあの狭い世界。俺は美紅と手を繋げなかったのに。


痛っ。チンコ握るかフツー。どこまで女捨ててんだよ。



「五秒以内に立てカツオ。アナルに指行くぞ。さーん、にー、いーち」



『よーん』はどこに行ったのか。


だとすると、美紅にも俺が落ち込んでいることは伝わってるんだろうな。

今日の事はイマイチ記憶がないが、態度は普通だった気がする。

明日はどんな顔すりゃいいんだろ。


明日?今日が終わっても、また次が来るのかよ。明日なんていらねえ。アスもいらねえ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る