地下7階『黄昏の森』
石壁の一つが静かに動き二人と二匹の蝙蝠が姿をあらわす。シウーは相変わらずフィッシュアンドチップスを頬張っている。苔むした石床にルージュとシウーの足音だけが響く。ルージュの生み出した魔法の灯だけを頼りに進む。
長く封印場にいたルージュにとっては遥か昔だが、微かな記憶を頼りにルージュは歩をすすめる。
(ここを曲がれば…)
苔のせいで緑色になった石壁の角から既にその匂いがする。
「やはりな。こっちだ」
その角を曲がるとそこには…
「あったぞ。黄昏の森だ」
巨大な湖があった。
「なんだこれは」
シウーが驚きの声をあげる。相変わらずフィッシュアンドチップスを頬張ってるが。
「ふふん。我が地下迷宮名物の海だ」
説明しながらシウーの方を向くと頭から水に顔を突っ込みながら水をがぶ飲みしていた。
「おい。お前何してる。腹壊すぞ」
「いや。喉が渇いてて」
二人が話ていると、奥の方から小さな灯が見える。ゆらゆらと鬼火のように近づいてきたそれはランプを携えたボロボロの緑のローブに身を包んだ骸骨だった。身構えるシウーを横目に船に飛び乗るルージュ。それを見て観念してシウーも乗り込む。
「おおん。ルンジュ様。おひささぶりです。我がたみによたこそ」
訛りの強い骸骨が人懐こそうに語り掛ける。
「訛りが強いな。お久しぶりです。我が海にようこそって事か?っていうか湖だろ」
「細かい事は気にするな。エルザド。元気か?」
「おかげさまでごぜえますよ。おじょたさま」
「こやつは元はこの地方の魔術師でな。森までの渡し守をさせてるのさ」
船が静かにゆれながら波を掻き分けていく。渡し守の持つ頼りない灯が暗い湖面を映す。夜目の効かないシウーはずっと緊張した眼差しで山を見据えている。やがて…
「なんだあれ?」
初めはうっすらとだが次第にはっきりと闇の中でそれがあらわれる。黒いキャンバスに薄い緑の絵の具を点描したようなそれは船が進むにつれ数が増えていきやがて眼前にそれが現れる。
「あれが黄昏の森だ」
それは小さな島だった。島には一様に樹木が生えそれがうっすらと緑色に光っている。よく見ると樹皮に緑色の何かが付着している。
「スライムだ」
物珍しそうに木を眺めるシウーに声をかける。
「迷宮ミドリスライム。世界でも珍しい草食のスライムだ。植物に寄生して栄養をもらう。その代わりに発光して光合成させるという共生関係にある。おかげで迷宮内でも木が育つ」
「この奥の木が外壁を割って外に出てる。そこから出るぞ」
説明しながら使い魔である二匹の蝙蝠に嬉しそうに餌を与えている。
「さてと、では行け。タイ、ヨウ」
「何だ逃すのか?」
「あいつら一族は元々果実を食べる草食の蝙蝠だ。もう充分あたしにつかえてくれた」
「そうか」
「あたしはこれから死ぬのについてきたって仕方ないだろ。あの子達一族は今まであたしによくつかえてくれた」
「なぁ。本当に太陽を見るつもりなのか?」
「そうだ」
「唯一人の吸血鬼の最後がそれじゃあ閉まらないだろ?あんたここら辺の伝説じゃこの迷宮から人類を滅ぼそうとしてるって話だったぜ」
「人間なんて滅ぼしてどうするんだ?あたしは人類を滅ぼすどころか自分を滅ぼそうとしてるんだぞ?人間の伝説なんてあてになるか。ついさっきも余りに暇だから宮殿の隅にほったらかしてあるこの世で最も邪悪なものを呼び出す魔導書とやらを使ってみたが何もあらわれんかったし」
「世界滅ぼしかねない暇つぶしやめろよ…太陽なんて死んでまで見るもんじゃないぞ」
「死は終わりではない。夜明け前のランプを消すのと同じだ」
「何だ?」
「お前たち人間の言葉だろう?…どれだけ生きたかは大事じゃないんだ。どう生きたかが大事なんだ」
「そんなに見たいのか?」
「美しいのだろう?」
「太陽というものはこの森よりもっと強く光り輝いて美しいのだろう?あたしはここしか知らない。腐敗と闇が満ちるこの場所しか知らないんだ。美しい物を一度も見た事がない」
「神代の三十三『故歩自封』」
光の帯がルージュに巻き付こうとするが間一髪で飛びのく。
「戻りましょうルージュ様」
ザランガルドが木の間から姿をあらわす。
「あたしは太陽を見る」
「そのような事を…見てどうするのです?貴女は死ぬのですよ?」
「死ぬ…なら、今のあたしは生きているのか?こんな薄暗い牢獄に閉じ込められて、何が不死の王だ」
「貴女様は最後の吸血鬼なのですよ?人間なら誰もが羨む永遠の命の持ち主なのですよ?」
「愚かだな人間…こんなもの…こんな下らないものに焦がれるなど…あたしは欲しくなかった。あたしは死ぬんじゃない。今から生きるんだ」
ザランガルドが悲しそうにしかしはっきりと言い切る。
「いいえ。ルージュ様…私はもう人間ではありませんよ。あなたの眷属です。どのような手を使ってもここから出しません…永久に」
「いけ」
シウーが前に出る。
「おい。シウー」
「ここは俺が何とかしとくから」
「だけどお前…」
「行け。ルージュ」
「すまん」
それだけ言うと奥の木の方に走り出す。追いかけようとするザランガルドにシウーが立ちふさがる。
「さっきの訳わからんやつか」
「わけわからなくはない」
「貴様にはあの御方を命を捨てて助ける義理はないだろう?」
「あるね。あの子は可愛い。命を捨てる理由としちゃ上等だろ?」
「もうさっきのようにはいかんぞ」
呟くように呪文を唱えながら指が鍵盤を弾くように動き出す。あの時と同じように島中の空気がザランガルドに集まりはじめる。太い木の幹が大きく揺さぶられ今にも折れそうになる。それに対してシウーは…空気の集まっている中心に走り出す。
「お前…」
この術を使って10人中10人が取らない自殺行為に完全に不意をつかれる。
「神代の四十八にもないあんた独自の魔術『颶風』。繊細な魔力のコントロールが必要な天才魔術師のあんたらしい魔術だが、唯一の弱点はこの空気の集まる集中点が不安定だって事だ」
ザランガルドがこの謎の男が自分の魔術の弱点を知っているという事より先に脳裏によぎった事…それは
「お前死ぬ気か」
「言ったろ?命を捨てるには上等だって」
その直後二人を中心にして7階全体を震わせる大きな爆発が起こった。
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