第3話 死と生存。
お湯を沸かすために、ガスコンロに火をつける。機会で行うと、味が落ちると何かの本に書いてあったから、と手動のミルを用いてコーヒー豆を挽く。「の」の字を書くようにお湯をコーヒー豆に向かって静かに注ぐ。あらゆる本や教えて貰った知識と技術を総動員して、樹はコーヒーを淹れた。
ぽたぽたとドリッパーからサーバーへと、コーヒーが落ちる様を興味深そうに後ろから行儀よく何も言わずカフナルは眺め、グレゴールは依然として足を組んで座り、片手で料理人の頭をぽんぽん投げながらも、コーヒーの匂いを感じて樹の手順をじっくりと見ていた。
「よし」と、サーバーからカップへとコーヒーを移し、グレゴールの元へ運ぼうと樹がソーサーごとカップを持つと、カフナルが慌てて声をかけた。
「ちょっと待ってください樹様」
淹れたてのものを持っていこうとしていた樹は煩わしそうに「何」とだけ言うと、
「あの、申し上げにくいのですが、まさか、それだけの工程で終わりでしょうか?」
「え、まぁそうだけど.....。何か駄目なところとかあった?」
まさか魔族特有のルールや禁止行為でもあったのか、と思い樹が確認すると、
「いえ、特に駄目だ、といったことは無いのですが.....」
もごもごと、言いにくそうにするカフナルを見かねて、
「カフナルさん、言いたいことがあるなら言ってよ。カフナルさんは道具を持ってきてくれてたり、色々説明してくれたから、信頼してるからさ」
樹の言葉でカフナルは思い悩んでいたことを口にした。
「実は我々魔族は味覚がほとんどありません」
「え」
「食事を取らなくても、およそ一世紀、長いと三世紀は生命活動を維持できます。そのためにほとんど食事を取るものは少なく、退化しているのです。その、貶している訳では無いのですが、豆を挽いて、お湯を通しただけの飲料が我々の味覚を刺激することが可能かどうか......」
「.......それはもう少しはやく言ってほしかったな」
「申し訳ありません」
手のひらサイズまで体を小さくし、反省するカフナルを見て、責める気も起きず樹は別案を考えた。
「今からでも変更出来ないかな、お酒とかに」
「許されない、と思います。飲料と言っていたら良かったと思いますが、樹様はコーヒーと口にされてしまったので。それと我らが長は嘘を嫌います。ごまかしもやめた方が良いかと」
「そうか.......うん.......よし!」
「どうされますか?」
ふーっと体内の空気を全て吐き出し尽くして、大きく息を吸い込み樹は言った。
「駄目だったら埋葬してよ」
***
「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」
樹はグレゴールの前にカップを置いた。
出されたコーヒーをじっと見つめたあと、左手でソーサーを持ち、右手でカップを持つと鼻へと近づけ優雅にグレゴールは香りを感じた。
「良い香りだ」
グレゴールの一言は樹には届いてなかった。死ぬ覚悟を決めても、怖いものは怖い。気に入られることが無ければ、死が待っている。人間相手の味が魔族に通じるかどうかなど分からない。樹は食べたものを戻してしまいそうになりながらも耐えていたが、目の前が白く点滅し、気を失いそうになっていた。
音をたてることなく、グレゴールはカップを空にした。そして、ただ一言。
「苦い」
(終わった。俺の人生はここまでた)
「人間」
「はい」
これまでの人生を振り返り涙ぐみながら、返事をすると、グレゴールは間髪入れず問いかけてきた。
「名は?」
「本坂樹です」
「イツキか」
そう言うとグレゴールは立ち上がり、樹の目の前まで歩み寄り、
「樹、お前は我らに必要な人間だ。魔族内に味のするものを作ることの出来る者は居ない。私が認める。おまえは、生きて.......」
言葉を途中で止めたグレゴールを不思議に思い、カフナルは樹の後ろから、問いかけた。
「長、どうされました?」
「.......白目を向いておる」
グレゴールに近寄られ、話しかけられ、そのプレッシャーに耐えきれず樹は意識を失っていた。その様子を見て、可笑しそうにグレゴールは笑った。
「なんともまぁ腑抜けた人間が残ったものだ」
と笑みを浮かべながら、樹のことを見つめた後に
「カフナル!お前が色々と魔族内のことを教えてやれ」
と、命じた。
「色々と、と言いますと」
「樹、こいつには我々魔族相手にコーヒーを出す店を営んでもらう。人間の言うところのカフェだ。樹が起きたら色々と今後のことを話し合う。場を片して、綺麗にしておけ」
と、足元に落ちた料理人の生首を蹴飛ばし、グレゴールは議室を出ていった。
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