第2話 魔族の長。

 化け物の姿は腕も、足も、胴体も、どこがどの部位の切れ目か分からない、肉塊のような容貌だった。かろうじて、目らしき黒点が2つ、歯が並んでいるために口の部分のみ樹には理解出来た。

 突然のことに樹はどうすればいいか分からず、逃げ出すという選択肢すら思い浮かばず、ただ一言、化け物に向かって発した。

「い、いらっしゃいませ...」

 その言葉を聞いた瞬間、化け物はずいっと樹の方へ近寄ってきた。そして、口を大きく開いた。綺麗に並んだ白い歯、口腔の奥の方まで鮮やかな赤色。意外にもフルーツのようないい匂いがした。

(あ、俺喰われて死ぬのか)

 と、思いながらも恐怖で固まった樹の体は動かなかった。涙すら流れない。

「Do you understand what I'm saying?」

「.......へ?」

 化け物が発したものは確かに英語だった。予想外のことに樹が何も言えないでいると、今度は中国語、そして韓国語でも何かを伝えてくる。そのどれもに反応出来ないでほうけた表情でいると、あらゆる言語が飛び出てきた。そしてようやく

「私が何を言ってるか理解できますか?」

 慌てて、「で、できます!」と言うと、化け物は安心したように、フゥと一息つき、

「なるほど、あなたは日本語なら会話ができるのですね。申し遅れました、私はカフナル。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「え、あ、俺は本坂樹と言います。あのカフナルさんは、その、人ですか?」

 我ながら、なんと馬鹿な質問だ、と思いながらも樹は聞かずには居られなかった。

 カフナルは、そんな樹の質問を笑うことなく、優しそうに微笑みながら

「私は人間族ではないですよ。と言ってもこの世界の人々に理解することは難しいですよね。私は不死族と呼ばれる一族のものです。詳しいことは、私達の長が話をされると思います。それまで生きてたら、その時知ることが出来ますよ」

 カフナルはそう言うと、店内を物色し、様々な質問を樹に投げつけた。

「樹様は何か飲み物や食べ物を作るのですか?それとも卸売り、ということを生業にして?」

「俺は今日から店を開くつもりでした。」

「なんと!それはまた、タイミングを伺えず、申し訳ありません。ふむ...なるほど...樹様、一つだけ大切な質問をさせて頂着たいのですがよろしいですか?」

「俺に答えれるなら...」

「ありがとうございます。では樹様。貴方は何が出来ますか?じっくり、考えてからお答えください」

「珈琲を淹れるこれが出来ます」

 カフナルは即答する樹に驚きを隠せなかった。

「...え?あの、質問の解答はそれでよろしいのですか?先程の質問、樹様の命に関わるものですよ。もう少し考えてみても...」

「いえ、俺には他に何も無いですから...あ、紅茶やハーブティー、お酒も多少なら出すことができますよ!」

 カフナルはそう言う樹を興味深そうに眺めた。

「...樹様。素晴らしい。合格です」

「合格?俺はどうなるんです」

「私達、魔族の長グレゴール・スメラにあって頂きます」

 言うがはやいか、カフナルは樹をばくっと一口で飲み込んだ。

 * * *


 樹が目を覚ますと、見覚えのある景色が広がっていた。

「.....国会議事堂...?」

「起きたか」

 低く、腹の底に響く声だった。声がしたほうを見ると、官僚達が本来座る椅子には、足を組み、偉そうに座る男がいた。姿を目にした瞬間、樹はこの男がグレゴール・スメラと理解した。

「お前が起きるのを皆が待っていた」

(.....皆...?)

 グレゴールに気を取られ、気付かなかったが樹の後ろには二人の男が立っていた。一人は全身にタトゥーを彫り、ガタイのいいアフリカ系の民族。もう一人はコック帽をかぶった東洋人らしき料理人だった。正反対にみえた二人には自信に溢れた笑みを浮かべているという共通点から相当な自信家であるということが伺えた。

「*^*%|<"><^#+%=*]^%'」

 何語か分からない言葉で、タトゥーの男とグレゴールが話す。するとグレゴールは立ち上がり、男の目の前まで歩み寄った。突如男がグレゴールのみぞおちに向かって、全力の拳を放った。しかしグレゴールは顔色一つ変えずにつまらなそうな顔で右手をゆっくり持ち上げ、デコピンをした。

 パンッ

 上顎より上が消え失せ、ぐらりと統制を失った身体は倒れ、絨毯を鮮血で染め上げた。

「お前達は二人共が日本人と聞いている。この言語で通じるはずだ。まずお前、何が出来る」

 と、指名されたのは樹ではなく、料理人の方だった。料理人は何も言わず脱兎のごとく逃げ出した。人の死を目の当たりにしたのだから、本能的に脳が逃走を選択したのだ。

「面倒事を増やすな」

 そう言ったグレゴールの右手には、料理人の頭のみが握られていた。

「お前は何が出来る」

 樹の番となった。

「...珈琲を淹れることが出来ます」

「行え」

「え?」

「証明しろ、と言ったのだ。口だけなら殺す」

 そう言い、グレゴールは再び椅子に腰かけた。

「樹様、道具なら全て持ってきておきましたよ」

 樹の後ろにはいつの間にかカフナルがいた。

「ある程度の知識は私にもありますが、他になにか必要なものはありますか?」

 カフナルが持ってきたものを樹が確かめると、ミルに、ドリッパー、カップ、豆、ポット、など一式、全てが揃っていた。

「いや、大丈夫だよ。カフナルさんありがとうございます」

「恐縮です」

(やるしかないか)

 腹を括り、樹は準備に取り掛かった。

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