第三章 その8
翌日の放課後。勝善は困っていた。
莉菜の自分に対する態度がどうもおかしかったのだ。
莉菜はあきらかに勝善を避けていた。
さらに話しかけてもすぐに会話を止めてしまう。
こんな態度を莉菜にされたことが一度としてない勝善は自分が何かしたのではと考えるが、心当たりがまったくなかった。
しかし、そんな状況ではあるが今は放課後。勝善は莉菜のボディーガードとして莉菜と共にザ・レストランフランスに行く必要があった。
「なぁ、姉崎」
「……何?」
「そろそろ一緒にバイト行こうぜ」
「ああ、それ。筒森、ボディーガードの件、もういいわ」
「はっ? いいって、どういうことだよ?」
勝善はすぐに莉菜に真意を聞こうとするのだが、
「筒森君」
「い、委員長?」
真希が突然話しかけてきたため、勝善の意識は真希の方に移ってしまう。
「な、何か用でございましょうか?」
「うん、その様子だと完璧に忘れてるわね。今日は約束した美術準備室の整理をする日よ」
「…………あっ」
そう、今日は以前約束していた美術準備室の整理をする日だったのだ。
「あ、あの、委員長」
「あら? まさか約束を忘れた上に、その約束を断るって言うの?」
「い、いや、そういうわけじゃ」
どう真希に言えばいいのか、勝善が悩んでいると、
「筒森、約束通り委員長と美術準備室の整理をしなさい」
莉菜が真希と美術準備室の整理をしろと言ってきた。
「えっ?」
「私は先に一人でバイトに行ってるから。それじゃ」
「お、おい!」
そして、莉菜は勝善の制止を無視し、教室をあとにしてしまった。
莉菜は、視線を地面に向けたまま、ザ・レストランフランスに向かっていた。
昨日、莉菜は自分の本当の気持ちに気付いた。
自分は、勝善に恋をしている、と。
だが、その本当の気持ちに気付いてから莉菜は普段通りに勝善に接することができなくなっていた。
恥ずかしい、と思う気持ちがあるから。
真っ赤な自分の顔を見られたくないから。
理由は色々とあるが、本当のところは勝善の顔を見れば泣きそうになってしまうからだった。
莉菜の恋は、ほぼ叶うものではない。
勝善は光に恋をしている。
そして莉菜は、そんな勝善の恋を応援している。
ただ、それだけならばまだ莉菜の恋は叶う可能性があった。
勝善の恋が成就しなければ、勝善と一番親しい女である自分にチャンスがあると莉菜が思っていたからだ。
ところが莉菜は短い期間で自分以外に勝善と親しい女の存在を知った。
真希に、礼。どちらも、自分よりも魅力的な部分を持っていると莉菜は感じていた。
早い話、莉菜は真希や礼に勝てる自信がなかったのだ。
莉菜自身は気付いていないが、莉菜には真希や礼よりも魅力的な部分はある。
だが、この恋は莉菜にとって初恋。普段と違って莉菜はずっと、ずっと臆病になっていたのだ。
そんな、臆病になってしまった莉菜は勝善とまともに接することができなくなり、ボディーガードも断ってしまったのだ。
しかし、莉菜はボディーガードを断っても大丈夫だと思っていた。
今のところストーカーが姿を現したことは一度としてない。
せいぜい自宅マンションのポストに盗撮された写真を投函されたくらいだ。
おそらくストーカーは臆病であり、姿を現して行動することはできないのだろう。
そう、莉菜は思い込んでいた。
「莉菜ちゃん」
日が暮れ始め、街灯で照らされた薄暗い道。
莉菜がそこを歩いていると突然、目の前に自分の名前を呼ぶ男が現れた、男は、どこにでもいそうなサラリーマン風の男だった。
別に気にしない、気にもされないような男。
莉菜は、そんな自分の名前を呼ぶ男に見覚えはなかった。
そして、その事実は莉菜に冷や汗をかかせるのに十分過ぎるものだった。
「あ、あんた誰よ?」
「……莉菜ちゃん、昨日一緒にいた男って誰?」
「昨日?」
「俺、見てたんだよ。誰だよ、あれ。まさか彼氏とかって言わないよね? だって莉菜ちゃんは、俺と付き合ってるんだもんね」
莉菜はゆっくりと一歩ずつ、男から距離を置く。
「だから、莉菜ちゃんが知らない男と仲良くしてたのって俺の見間違いなんだよね? ねぇ、どうなの? ねぇ、ねぇ? ねぇ…………何か言えよぉおおおおおおおおおお!!」
男が叫ぶのと同時に、莉菜は走り出した。
莉菜は、がむしゃらに走った。
男は、間違いなくストーカーだった。
だから莉菜は走って、走って、走って…………気付いたら袋小路に入ってしまっていた。
「莉菜ちゃん、どうして逃げるの?」
「っ!」
必死に逃げていたはずなのに、ストーカーは莉菜に追いついていた。
「こ、こないで!」
「どうしてそんなこと言うんだい? 俺と莉菜ちゃんの仲だろ?」
「い、いや」
「莉菜ちゃん……莉菜ちゃん……莉菜ちゃん」
逃げ道はない。このまま自分はストーカーに危害を加えられてしまう。
普段なら、そう思っても莉菜は諦めることはなかった。
いや、そもそもストーカーから逃げずに立ち向かっただろう。
だが、今の莉菜は臆病になっていた。
そんな莉菜は、強くこう思った。
助けて、と。
その直後、
「待てぇい!」
突然、第三者の声が辺りに響いた。
「だ、誰だ!?」
ストーカーは慌てた様子で辺りを見渡す。
「とぉう!」
そして、莉菜の前に人影が降り立つ。
「正義のヒーロー、クロスAただいま参上!」
マスク越しでも聞き間違うことはなかった。
その声は、莉菜が今、一番聞きたいと思っていた声だ。
莉菜は歓喜した。
中学の時のように、勝善が助けにきてくれた、と。
「クロスA? な、何なんだ!? 俺の邪魔をするな!」
「知るか。いいか、よく聞けストーカー野郎。こいつには指一本触れさせないぞ」
「ふ、ふざけるな! お、俺の莉菜から離れろぉおおおおおおお!!」
ストーカーは勢いよく勝善に殴りかかる。が、
「あらよっと」
「ぐへっ!?」
勝善はストーカーをいともたやすく近くにあったゴミ捨て場に向かって投げ飛ばし、たったの一撃でストーカーは気絶してしまった。
「びっくりするくらい弱いな」
勝善、余裕の勝利であった。
「……ねぇ」
莉菜が勝善に声をかけた。
「ん? ああ、大丈夫ですかお嬢さん? ケガとかしてませんか?」
まだ自分の正体がバレてないと思っている勝善は、クロスAとして莉菜に接した。
「大丈夫。ケガもしてない。助けてくれてありがとう、筒森」
「…………お、俺は正義のヒーロー、クロスAだ。決して筒森という名前じゃ「私が、あんたの声を聞き間違えるわけないでしょ」そ、そっかー」
勝善は無駄な抵抗をしようとするが、莉菜の一言で観念した。
「まさかニュースにもなったヒーローがあんたとはね」
「あのー、そのー、できればこのことは黙っててくれるとうれしいです」
「助けてもらった恩があるもの。あんたが黙っていてほしいなら黙ってるわ」
「よ、よかったー」
勝善は莉菜が黙っていると言ったことに心底安心した様子だ。
「それで、あんたはどうしてここに来れたの? 委員長の手伝いがあったし、逃げ回ってた私を見つけるのなんて大変だったでしょ?」
「あー、委員長に関してはお前のボディーガードの件を言ったら、そういうことは早く言え、手伝いなんていいからさっさと追いかけろって、言われてな」
本当にバカなんだから、と思っているのがよく分かる呆れ果てた顔をされながら真希に言われたという事実は隠して、勝善は莉菜に教える。
「それとお前を見つけられたのは、俺の知り合いにストーカーの件を相談したら、ストーカーがお前と一緒に帰った俺のことを彼氏とかと勘違いして何か行動に移しかねないって言ってさ、その知り合いが自分のツテを使ってお前のこと探してくれたんだよ。で、女子高生が何かから逃げるように走り回ってるって情報が入ってきて、辺りを探し回ったんだ」
その知り合いが礼であり、ツテを使ったことによる料金をきっちりと請求されたという事実を隠して、勝善は莉菜に教える。
「……まぁ、結果的にはお守りのおかげもあるんだろうけどな」
勝善はぼそっ、と莉菜に聞こえない声の大きさでそうつぶやいた。
勝善は今も呪いのお守りを持っていた。
呪いのお守りの効力は遅かれ早かれ起こる厄介ごとを持ち主の前で起こすというもの。
つまり、呪いのお守りを持って探し回っていればストーカーに襲われる莉菜の前にたどり着けるということであり、礼のツテによる情報提供と呪いのお守りのおかげで勝善は莉菜を見つけ出すことができたということである。
「ふーん、そうなの。で、もう一つ聞いておきたいんだけど、そのクロスAって何なの?」
莉菜が勝善に聞いたそれは、もう一つ聞いておきたいことというよりは、莉菜が一番聞いておきたいことであった。
「………………………………………………………………俺の趣味だ」
「あっ、そ」
長い沈黙の末、ようやく搾り出した勝善の言葉を聞き、それが明らかな嘘であることを莉菜は理解していたが、勝善がそう言うならそれで納得しておくことにした。
「ま、まぁ、本当間に合ってよかったよ。さてと、気を失ってる間にストーカーを捕まえておかないとな」
そう言って、勝善はロープを取り出し、気絶しているストーカーを縛り始める。
そんな勝善を、莉菜はじっと見ていた。
自分は、勝善が好きだ。
その恋は、ほぼ叶うものではない。
失恋すれば、想像を絶するほど傷つくだろう。
だが、それがどうしたというのだ。
その程度ではもう、自分の恋は止まらない、止められない。
もう自分ではどうにもならないほど、自分は勝善という男に惚れてしまったのだ。
莉菜の心は、どんどん勝善に対する恋心で埋まっていく。
「……ねぇ、筒森。唐突なこと、言ってもいい?」
「ん? 何だ?」
そして、その恋心はあっという間に莉菜の心からあふれ、莉菜は自分の思いを勝善に伝えようとする。
「私、筒森のことが「はうっ!?」」
莉菜の言葉は、突然勝善が発した叫び声によってかき消されてしまう。
「どうしたの?」
「い、いや、何でも……へぶっ!?」
再び勝善は叫び声を発し、手で自分のおなかを押さえた。
勝善がそんな行動をした原因に、莉菜は一つ、心当たりがあった。
「ねぇ、あんた、もしかして……」
「昨日のお肉が、あたったみたい」
勝善は、昨日貰った消費期限が一日過ぎた肉にあたった。
「うー、うー」
「いや、壮絶に腹壊してるわね、あんた」
消費期限が一日過ぎた肉にあたった勝善はストーカーをロープで縛り、ストーカーを担いで近くの公園のトイレに向かった。
莉菜は勝善についていき、ロープで縛られたストーカーを自分が監視すると言って勝善をトイレに入らせ、トイレの入り口で待っていた。
「はひー、はひー」
「まぁ、これに懲りたら消費期限が過ぎた食べ物を食べるのはやめなさいよ」
「ひ、人は食べないと「食べて死んだら元もこうもないでしょ」そ、そうですね。ぐぉ!?」
おそらく、勝善がトイレから出られるのは当分先だろう、と勝善を待つ莉菜は思った。
「……あっ」
その時、莉菜はずいぶんとなつかしい臭いに気付く。
「あんた、相変わらず何食べたらこんな悪臭放つのって思うレベルのもの出してるわね」
「…………そ、そんなにくさい? ごぉ!?」
「気分悪くなって逃げたくなるくらいにね」
自分の恋は、茨の道だ。
だが、もうおくびょうになるつもりはない。
これからは、少しばかり積極的になろう。
成功してもいい。
失敗してもいい。
どんな結果になってもこの恋の思い出は、素晴らしいものになるはずだ。
なぜならこれは、初恋だから。
なつかしいにおいを嗅ぎながら、そんなことを考える莉菜は、笑みを浮かべて夜空に視線を向けていた。
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