第三章 思い出は、くさい臭いと共に

第三章 その1

 姉崎莉菜はさっぱりとした性格であり、言いたいことは、はっきりと言うタイプの人間である。

 莉菜にとって自分は昔からそんな人間であり、別に問題もないと考えていた。

 なぜなら保育園、小学校とそれが原因で人に嫌われることなどなかったからだ。


 しかし、莉菜が問題ないと考えていた自分の人間性は、実は問題があったのだ。

 その問題が表面化したのは、中学校に入学してしばらくしてから。

 端的に言ってしまえば莉菜の人間性は、ある程度心が成長しているものの、まだまだ心が未熟な年齢の子供にとってはイラつくものだったのだ。


 そんなわけで莉菜は、中学校に入学してしばらく経ったある日、上級生に呼び出されてしまった。

 莉菜としては無視してもよかったのだが、上級生は、上級生という立場を利用して莉菜のクラスメートを使って呼び出したのだ。


 自分が行かなければ呼び出しに使われたクラスメートが上級生に何をされるか分からない。

 そう考えた莉菜はしかたなく上級生のもとに向かった。


 そして、莉菜は人気の少ない体育館近くの女子トイレに連れてかれた。


「あんたさ、生意気なんだよね」


 女子トイレに連れてかれて開口一番がこれである。


「はぁ?」


 この時点で莉菜のイライラは極限まで高まったのだが、


「そういうところが生意気なんだよ」

「やっぱ調子に乗ってるわ、この子」

「……ちっ」


 同時に莉菜の面倒くさいという感情も高まった。

 莉菜を呼び出した上級生は全部で五人。

 五人の上級生は莉菜を女子トイレの窓際の壁を背にさせ、女子トイレから出られないようブロックしていた。


「てかさ、一年生のクセして髪にパーマかけてるとか、本当に生意気」

「そうそう。それにさ、茶髪に染めてるし」


 莉菜の髪は、パーマをかけているのではなくただのくせ毛である。

 茶髪も染めているのではなく、地毛である。

 さらに莉菜からしてみたらそれらは一種のコンプレックスである。


 結論だけ言ってしまうと、莉菜は自分のコンプレックスをイジった目の前にいる上級生五人の顔面を殴ると決めたのである。


 無論、殴ったら莉菜もただではすまない。

 そればかりか上級生が後日、自分達に有利な話をして莉菜を陥れるかもしれない。


 だが、莉菜は別に自分が不利な立場になってもかまわなかった。

 なぜなら莉菜はかまわないと思えるほどキレていたからだ。


 そして、莉菜が拳を振り上げようとしたまさに瞬間、女子トイレの扉が開いた。


「ん? ちょっと今取り込んでるから出て…………はっ?」


 扉が開き、誰かが入ってきたのだろうと思った上級生の一人は入ってきた人間を追い出そうとしたのだが、入ってきた人間を見て驚きのあまり固まってしまった。


 なぜなら、女子トイレに入ってきたのは男だったのだ。


「えっ?」

「な、何で男が入ってくるのよ?」


 上級生五人はいきなり男が女子トイレに入ってきて驚き、動揺を隠せないでいた。

 莉菜も、上級生五人と同じように驚いていたのだが、莉菜が驚いた理由は上級生五人とは別だった。女子トイレに入ってきた男は、莉菜が知っている顔だったのだ。


 男の名は、筒森勝善。莉菜のクラスメートだった。


「じょ、女子トイレに入ってくるとかマジありえない!」

「そ、そうよ! 出てけ、変態!」


 上級生五人は女子トイレに入ってきた勝善を追い出そうとする。

 しかし、勝善は上級生五人を無視し、そのまま女子トイレの扉から一番近い個室トイレに入って扉を閉めてしまった。


 その直後、勝善はとても言葉や文字で表現することのできない下品過ぎる音を出しながらことを始め、女子トイレ内にこの世のものとは思えない悪臭が充満する。


「くっさ!」

「な、何よこれ!?」

「……私、気持ち悪くなってきた」


 あまりの悪臭に上級生五人は軽いパニックに陥る。

 一方莉菜は、冷静に鼻を摘み、近くの窓を開けて新鮮な空気を確保し、一体この状況は何なのだろうと考えながらパニックに陥る上級生五人を見ていた。


「ふぅー、すっきりしたー」


 と、悪臭の原因である勝善がトイレの水を流し、個室から出てきた。


「て、てめぇ、何なんだよ!?」

「あー、すいませんね。今にも出そうだったのに男子トイレの個室が満室で緊急避難として使わせていただきました」


 勝善はパッと聞くとまともそうな理由を言った。

 が、ここは人気の少ない体育館近くのトイレ。個室が満室になるほど利用する人間がいるはずもない。


「嘘ついてんじゃねえよ! 満室になるほどここのトイレ使う人間がいるかよ!」


 上級生はそのことに気付き、勝善に怒鳴るのだが、


「ね、ねぇ……」


 別の上級生が、勝善に怒鳴る上級生に話しかける。


「何よ!?」

「わ、私達、これ以上ここにいたら気分悪くて倒れそう……」

「えっ?」


 その言葉で上級生の一人は気付いた。

 自分以外の人間があまりの悪臭に体調を崩し、今にも倒れそうな状況に。


「く、くぅううう! てめぇ、覚えておけよ! あとお前! これで終わると思うなよ!」


 これ以上ここにはいれないと上級生は判断したのだろう。この状況を作った勝善に捨て台詞を吐き、莉菜に釘を刺して仲間と一緒に女子トイレから出ていった。


「たくっ」


 上級生五人が女子トイレを出るのを確認した勝善は洗面所で手を洗い始める。


「大丈夫か?」

「へっ?」


 勝善は女子トイレに残っていた莉菜に声をかけ、声をかけられた莉菜はいきなり自分の安否を聞いてきたことに少し驚いた反応を見せる。


「同じクラスの姉崎だろ?」

「え、ええ、そうよ」

「で、大丈夫だったか?」

「まぁ、おかげさまで」

「ならいい」


 莉菜からの返答を聞いた勝善はそれで会話を切り上げてしまう。

 一方、莉菜はなぜ勝善が自分を助けたのか分からなかったのでそのことについて聞いてみることにした。


「ねぇ、あんた筒森だったわよね?」

「ああ」

「筒森はさ、何で私を助けたの?」

「そりゃー、同じクラスの顔見知りが上級生に呼び出しくらったって知ったらさすがに見逃せないからな」


 勝善は、クラスメートという理由だけで上級生相手に莉菜を助けに来たのだ。

 そして、それだけの理由で自分を助けに来る人間がいるとは思ってもみなかった莉菜にとって、その言葉はおそらく自分の人生の中で一番の驚きを与えるものだった。


 と、同時に莉菜は思った。

 それだけの理由で人を助けてしまうこのお人好しと、もっと話をしたい、友達になりたい、と。


「ねぇ、筒森。もう一つ聞きたいことがあるんだけど」

「何だ?」

「何食べたらこんな悪臭放つもの出せるのよ?」

「…………そんなにくさい?」

「気分悪くなって逃げたくなるくらいにはくさいわよ」


 以上が、勝善と莉菜が友達となった、その始まりの出来事である。

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