第一章 その2

 勝善が自転車を漕ぎ続け、ちらほらと同じ高校に通う生徒を見かけるようになった時、


「おーい」

「ん? おっ」


 声をかけられた勝善は相手を確認し、自転車を止めた。声をかけてきたのは、中学の頃からの勝善の友達で同じ高校に通う同級生、姉崎あねさき莉菜りなだった。


「おはおはー」


 莉菜はくせ毛のある髪をかきながら勝善にあいさつをする。


「おう、おはよう」


 莉菜に返事をして、勝善は自転車を降りた。徒歩で登校する莉菜に合わせて自転車を押しながら歩くことにしたためだ。

 ちなみに莉菜は、ダイエットのため徒歩で登校している。


「あー、筒森は相変わらず見ただけで元気だってわかるわねー」

「当たり前だ、姉崎。元気じゃないなら学校には行かないだろ」

「それもそうね。まぁ、筒森の場合は愛しの牧野さんがいる学校を休まないよう健康に気を付けているから元気なんでしょうけどね」

「…………ははっ、何のことやら」

「そこはとぼけるとこじゃないでしょ。どこの誰だったかしら。牧野さんの志望校が私と同じ泉葉せんば高校だって知って、私に泣きついてきて勉強を教えてもらったのは」

「うっ」


 泉葉高校。交通の便は悪いが体育会系、文科系の部活共に全国区で有名な部活があり、毎年そこそこの人数を偏差値の高い大学に進学させている歴史ある高校である。


 前述の理由と近年制服が一新されたことで人気が高まり、泉葉高校の入試は倍率が高い。

 勝善はバカだ。そして当たり前のことだが、勝善の学力では泉葉の入試に合格するなど夢のまた夢である。

 しかし、どうしても光と同じ高校に行きたかった勝善は光と同じ泉葉高校が志望校だった莉菜に泣きつき、勉強を教えてもらったのだ。


 もっとも、莉菜に勉強を教えてもらっただけで合格できるほど泉葉高校の入試は甘くなく、最終的に必要になるのは本人の努力であり、勝善は合格するため猛勉強した。

 どのくらい猛勉強したかというと、入試当日、試験が終了し、答案用紙が回収された瞬間倒れ、救急車で運ばれて病室のベッドの上で泉葉高校に合格したことを知ったくらいだ。


 ちなみにこの時、既に勝善の父親が姿を消して勝善に入院費を払う余裕などまったくなかったのだが、バカである勝善が倍率の高い泉葉高校に合格したことに感動し、勝善の病室で号泣した当時の担任が入院費を全額支払ってくれたことで事なきを得ている。


「……まぁ、イジるのはこのくらいにしてあげるわ」

「ふぅ……」


 どうにか話を広げられずに済み、勝善は一安心する。


「にしても、ただでさえ今日は寒いのにあんたを見たら余計寒くなったわ」

「はっ? 何でだ?」

「いや、あんたの格好、寒すぎだから」


 勝善は寒空の中、ブレザーの制服しか着ておらず、寒さ対策をまったくしていなかった。

 いくら勝善が貧乏だからといって寒さ対策としてダウンジャケットくらいは持っている。

 だが、泉葉高校は校則が厳しく、学校に着ていけるコート類が指定されており、ダウンジャケットは着ていけず、コート類がそれ一着しかない勝善はコート類を何も着ずに学校に通っているのだ。


「コートがなくたって何も問題ないさ。お前だって言っただろ。俺は見るだけで元気だって分かるって」

「そうね。まぁ、とりあえずティッシュ一枚あげるから鼻かみなさい。鼻水垂れてるから」

「ありがとう」


 素直にお礼を言いながら勝善は莉菜からティッシュを受け取り、鼻をかむ。


「ふぅー、すっきり」


 だらだらと垂れてた鼻水がなくなり、勝善はすっきりした様子だ。


「あっ、そうだ」


 と、勝善はあることを思い出す。


「姉崎、お前に会ったら聞こうと思ってたことがあるんだ」

「何よ?」

「すぐに給料が出る割りのいいバイトあるか?」


 勝善が莉菜にいいバイトがあるかと聞いたのは、勝善が以前にも莉菜にバイト先を紹介してもらったことがあるからだ。

 その時は食べる物に困っていてまかないが出るバイトはないか、と勝善は莉菜に聞き、莉菜は自分のバイト先でもある洋食店を紹介し、以後勝善はウェイターとして莉菜と共にその洋食店で週に三回ほど働いている。


「お金に困ってるの?」

「まぁな。先月の家賃、まだ払えてないんだ」

「あの安すぎて住む気なくすアパートの家賃滞納してるってどういうことよ」

「色々と出費が重なってな」

「たくっ、また変なことにお金使ったんでしょ。割りのいいバイトねぇ。うーん、ないわ」

「返答早いよ」


 といった具合に、勝善は莉菜と話をしながら泉葉高校に向かうのだった。




「この高校の何がいいって、エアコンを完備してることよねー」

「部屋にエアコンがない身としては文明社会を感じる貴重な瞬間だな」

「はぁー、ぬくぬくだわー」

「うん、人の話聞いてないな」

「うっさいわね。私は低血圧で冷え性なんだからこうして暖まってる時は誰にも邪魔されたくないの」

「へいへい、そうですか」


 登校して自分の席に座った勝善は隣の席の莉菜とどうでもいい話をしていた。


「筒森君」


 と、その時、勝善に声をかけてくる一人の生徒がいた。


「何、委員長?」


 声をかけてきたのは、勝善のクラスの学級委員長、弓木ゆみぎ真希まきだった。


「筒森君、まだ進路調査票出してないでしょ? そろそろ出しておいてほしんだけど」

「あー、そういえばそうだったか。でも、まだ締め切りまで日にちあるよな?」


 泉葉高校は一年生の内から定期的に進路調査のため生徒に進路調査票を提出させているのだが、勝善はまだ進路調査票を提出していなかった。

 といっても、勝善が進路調査票を提出してないのは中学三年生の時のように進路が決まっていないからではない。

 少なくとも勝善は進路の方向性は既に決めているのだ。


 光と同じ進路。それが勝善が決めている進路だ。


 しかし、勝善は光の進路をまだ知らないため、具体的な進路を書くことができず、進路調査票を提出していなかったのだ。

 ただ、進路調査票の提出締め切りまではまだ日にちがあり、勝善は特に気にもしていなかったのだが、真希は早めに進路調査票に出してほしいようであった。


「ええ、筒森君の言う通り、まだ日にちがあるわ。けど、そろそろ出しておいてくれないと先生が私に頼み込んできてまた筒森君に催促しなきゃいけなくなるの。でも私、もう少しすると町おこしのイベントでの手伝いで忙しくなりそうだから、正直そういうちょっとした頼まれごとは避けたいの。だから今こうして提出してって、頼んでるの」

「なるほど」


 真希はとても頼りになる学級委員長で、教師達も何かと真希を頼りにすることが多い。

 教師に頼まれて真希が進路調査票を提出していない生徒に提出するようにと言う光景は容易に想像できることである。


 さらに泉葉高校は近々おこなわれる町おこしのイベントに全面協力することになっていて、その手伝いで真希のような頼りになる人間が忙しくなるのは分かりきっていることであり、真希がこうして先回りして進路調査票の提出を催促するのは理にかなっていた。


「分かった。それじゃ適当に書いて今日中に出しておくよ」

「ええ、お願い」


 用件を言い終えた真希が勝善の席から離れ、勝善はカバンに入れっぱなしだった進路調査票を取り出し、記入し始める。


「えーと、進路は進学、就職、その他と」

「本当に適当ね」


 勝善のあまりの適当な記入に、莉菜は思わずツッコミを入れてしまう。


「しょうがねぇだろ。まだ具体的には書けないんだから」

「牧野さんの進路が分からないから、の間違えでしょ」

「ははっ、何のことやら」

「まーたとぼける。てか、牧野さんの進路なら本人に聞けばいいじゃない」

「それは、そのー、……恥ずかしい」

「はぁー。そんなんでよく中学の時、牧野さんの進路が泉葉だって分かったわね」

「あははははっ」


 とある事情通に金を渡して知った、とは口が裂けても言えない勝善であった。


「にしても、さすが委員長よね。先回りして面倒ごとを片付けるなんて」

「まぁ、それはうちの委員長が特別に優秀な人間だからだろ」

「そうね。それに噂じゃまだ一年生なのに有名大学の推薦は堅いって言うじゃない。嫉妬するのもバカらしくなるけど……正直に言って色々と委員長がうらやましいわ」

「ほう、お前が推薦をうらやましがるとは思わなかったな」

「いや、一番うらやましがってるのは委員長が推薦貰ったことじゃないのよね」

「どういうことだ?」

「髪よ、髪」

「髪?」

「そう、髪。委員長の髪を見てみなさいよ。真っ直ぐ肩まで伸びた綺麗な黒髪でしょ? くせ毛の私からしたらうらやましくてしょうがないのよ」


 たしかに莉菜の言う通り、莉菜の髪はくせ毛なのだが、勝善としては莉菜の地毛である茶色の髪と合わさっていい感じにオシャレな髪になっていると思っていた。


 だが、そう思っているのとは別に、勝善は莉菜がいきなり乙女みたいなことを言ったことに対してからかいたくなったので、そのことを口にした。


「ははっ、お前が乙女みたいなこと言うなんてギャグみたい「ふん!」ぐぎゃ!!」


 勝善が莉菜をからかっている途中、莉菜の右ストレートが勝善の顔面に炸裂した。


「グー一発で済ませたことに感謝しなさい」

「……はい」


 付き合いが長いことによる遠慮のない威力のパンチを二発も喰らいたくない勝善は莉菜をからかうのをやめ、進路調査票の記入を続けた。

 そして、勝善が進路調査票の記入を終えた時だった。


「弓木さんおはよう」

「あら、牧野さんおはよう」


 右側に結んだサイドポニーテールの髪を揺らしながら光が登校してきた。

 勝善はすぐさま光の声が聞こえた方を見る。


「いや、本当に分かりやすいわ、あんた」


 そんな莉菜の言葉を無視して。


 ちなみに、莉菜の言葉通り、勝善は光に対して非常に分かりやすい態度で接しているのだが、クラスメートとの交流がそこまで深くないからか、今のところ莉菜以外に光が好きだとは奇跡的にバレてなかったりする。


 さて、真希へのあいさつを終えた光はゆっくりと自分の席がある窓側に向かっていった。


「お、おおおはようございます、牧野さん!」


 その途中、教室の真ん中の席に座る勝善はすかさず目の前を通る光にあいさつをした。


「あっ、筒森君おはよう。姉崎さんもおはよう」

「おはおはー」


 勝善と莉菜にあいさつを終えた光は再び自分の席に向かった。


「…………なぁ、姉崎」

「何よ?」

「世界は、何でこう輝いているんだろうな」

「うわぁー、めんどくさ」


 莉菜は、それはもう露骨に分かりやす過ぎるくらい嫌な顔をしながらそう言った。


「そう、牧野さん。君がいるから世界は輝いているんだ」


 しかし、勝善はそんな莉菜を気にもせず席に座った光を見ながら、何も知らない第三者からしたら鳥肌しか立たない言葉を言い続ける。


「はぁー」


 一方、何を言っても無駄だと分かっている莉菜はただただ深いため息をするのだった。

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