第一章 その3
勝善の授業を受ける姿勢は実にシンプルで、授業時間の内、九割ほどの時間を光の方に視線を向ける。勝善は泉葉高校に入学して以降、そんな姿勢で授業を受け続けていた。
勝善にとって光とは、授業よりもはるかに大事な存在なのである。
なお、勝善のこの姿勢には勝善の隣の席に座る莉菜の深いため息がセットで付く。
だが、そんな勝善も光を見るのをやめる時間がある。それは、昼休みだ。
授業終了を知らせるチャイムが鳴り、各々が弁当や買ってきたご飯を取り出したり、購買や学食に向かうなど昼食の準備をする中、勝善は勝善のクラスではもはや昼休みの恒例行事となっている事の準備としてカバンから箸とプラスチックの皿を取り出す。
そして、勝善は立ち上がって教室にいるクラスメート全員に聞こえる声の大きさでこう言った。
「はーい、みなさーん! お金がなくて食事に困ってる筒森さんへ、食べ物という名の愛の恵みを分けてくださーい!」
勝善のクラスの昼休みの恒例行事。
それは、昼飯を買うお金がない勝善がクラスメートから昼飯を分けてもらうというものだった。
「いや、毎回思うけど、恥じらいもなく堂々とそう言えるあんたってある意味凄いわ」
「姉崎、人は食べないと死ぬんだ。恥じらいなど、気にしてる場合じゃないんだよ」
「あー、そうね。はい、から揚げ一つあげるわ」
「あざーす!」
莉菜を皮切りに、勝善は次々とクラスメートから昼飯を分けてもらう。
勝善のクラスメートはとても優しい人間ばかりであり、毎回勝善が昼飯を分けてくれと言うと、苦笑いしながら昼飯を勝善に分け与えているのだ。
「委員長、この筒森に愛の恵みをいただけないでしょうか?」
「……筒森君、いつも言ってるけど、お昼自分でどうにか出来ないの?」
「ははっ、先月分の家賃を滞納してる身分の俺が用意できるとでも?」
「…………まぁ、言っても無駄だって分かってたけど。はい、おにぎり一個あげるわ」
「あざーす!」
真希は少し呆れつつ、勝善におにぎりをあげた。
そんな感じにクラスメートから順調に昼飯を分けてもらっている勝善は窓側、光の席の近くに差し掛かる。
勝善は、本音としては光がいる前で昼飯を分けてくれ、とは恥ずかしくてあまり言いたくないと思っている。
しかし、クラスメートに分けてもらう昼飯は貧乏生活の勝善にとって貴重な、まともな食事にありつける機会なのである。
早い話、勝善は食欲に関してだけは自身の恋よりも優先しているのだ。
「あっ、筒森君、いつものだね?」
勝善に気付いた光が、声をかける。
光は毎回嫌な顔一つせず勝善に昼飯を分けている。
「えっ、あっ、う、うん、そう」
やはりいくら食欲を優先しても光に昼食を分けてもらうことに対して勝善は羞恥心を持っていたのだが、
「はい、卵焼きあげる。私の手作りだよ」
光の手作りという言葉を聞いた瞬間、勝善の羞恥心は星の彼方に消えていった。
「あ、ありがとう、牧野さん!」
「どういたしまして」
光の手作り卵焼きをゲットし、テンションゲージを振り切った勝善は自分の席に戻り、
「いただきまーす!」
クラスメートへの感謝を込めたいただきますを言ってから昼食を食べ始めた。
「タダ飯おいしい?」
隣の席にいる莉菜が昼食を食べる勝善に聞く。
「すっごく!」
「そこまで満面の笑みで答えられると何も言えないわ」
莉菜はそれ以上勝善にとやかく言うことをやめ、勝善は昼食を食べ続けた。
そして、プラスチックの皿の上に乗っていた昼食をほぼ食べ終え、最後の楽しみにすると分けてもらった時から決めていた光の手作り卵焼きに勝善は箸をつけた。
「いざ」
勝善は、光の手作り卵焼きを口に入れた。
「……………………うまぁー」
光の手作り卵焼きは最高の出来だった。味も、焼き加減も絶妙。
さらに勝善からしたらそこに光の手作りというスパイスが加わる。
光の手作り卵焼きは、勝善の人生においてもっともうまい料理となった。
「凄いうまそうに食べるわね、あんた」
「何を言ってるんだ姉崎。うまいという感想以外に何があるというんだ」
「あー、そうですか」
莉菜の問いに勝善は卵焼きを口の中で噛み続けながら即答し、莉菜は話を掘り下げるとめんどくさいことになると判断し、話を切り上げることにした。
「俺、泉葉に来て本当によかった」
「……牧野さんがいるからね」
しかし、莉菜が話を切り上げたタイミングは既に遅く、勝善はめんどくさい話を始め、莉菜はしかたなく勝善の話に乗ることにした。
「そうだ。ああ、俺の人生、間違いなく今が一番輝いてる」
「いやいや、人生総括するの早いって」
「それもそうだな。この輝く日々がこれからもまだまだ続く。つまり、輝かしい未来は続く! なんて、なんて素晴らしいんだ!!」
輝かしい未来が続く。それは勝善にとって何よりも素晴らしいことだった。
だが、
「いや、これからも続くかは分からないでしょ」
莉菜の話が、輝かしい未来を壊すことになる。
「はっ? 何でだよ?」
「筒森の言う輝かしい未来ってのは、要はクラスメートである牧野さんが手作りの卵焼きをくれるそういった未来でしょ」
「そうだ」
「なら、その未来が続くかは分からないわね。だって私達もうすぐ二年生よ。二年生になったらクラス替えがあって牧野さんと別々のクラスになっちゃうかもしれないじゃない」
今は高校一年生の冬。勝善達はもうすぐ二年生に進級することになる季節だ。
そして泉葉高校は他の高校と同じように進級の際にはクラス替えがある。
つまり、光と別々のクラスになる確率があるということだ。
その事実に気付いた瞬間、勝善は天国から地獄に叩きつけられた。
「か、輝かしい未来が、く、崩れ…………」
「気付いてなかったのね」
最悪の未来の可能性を前にして勝善は絶望し、結果的に自分の言葉で勝善を追い込んでしまった莉菜は少しだけ悪いことをしたと思ったが、話を掘り下げるとかなりめんどくさいことになると考え、そのまま何も言わないでおくことにしたのだった。
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