第三話 二人の理由
メイが屋敷にやって来たのは七年前、僕が五歳の時だ。これからお前の身の回りの世話は全て彼女がやる。両親はメイをそんな風に紹介した。父も母もきっと僕という厄介な子供を育てることに疲れてしまったのだろう。そう考えれば簡単に納得がいく。
僕を作った神様は、感情という機能の存在を度忘れしたらしい。僕は何を見ても笑わないし泣かないし、驚かないし恐れない。人を人たらしめる豊かな情緒が悉く欠けているのだ。
初めて会う人は、僕をノン゠インテリジェンスロボットの類だと勘違いする。人の手によって書かれたコードをなぞるだけの、感情を持たないロボットだと。
金ならばいくらでも持っていた両親は、僕を様々な医師に診せ治療を懇願した。だが誰もが首を振った。いくら金を積まれようが、直す方法がないと言って。
次第に両親の精神は荒んでいった。目に見えて喧嘩が多くなった。そのほとんどがつまらないことに起因していたが、終いに二人は一つ屋根の下にいながら顔を合わせない生活を始めてしまう。無闇に広い屋敷は二人を隔てるのに好都合だった。
メイが僕の世話係になったのはそんな頃。常に暗雲が立ち込めていた屋敷で、彼女は太陽のような存在となった。あくまで僕の世話係という位置づけだったメイだが、彼女は屋敷全体の掃除を行ったり、三人分の朝食を作ったりと、僕ら家族のためによく働いた。その働きのおかげか、それとも僕を病院に連れていかなくなったからなのか、両親の間にあった亀裂は徐々に消えていった。
それからしばらく落ち着いた生活が続く。相変わらず僕は感情を得られないままだったけれど、普通の小学校に通う事は十分できていた。
小学校は僕にとって初めての社会だった。僕はいわゆる無園児で、保育園や幼稚園には通っていなかったから。
そんな初めての社会で僕は人について学んだ。同級生たちはとにかく騒がしい。行動の理由が突飛で予測不能、感情の起伏が激しく理解不能。僕は人という生き物を複雑怪奇なものだと理解した。
その理解から出発して、僕はあることに気づいた。メイが人ではないということだ。メイは人にしてはシンプルすぎた。だからある時、くすんだ窓を熱心に拭くメイにこう尋ねた。
「お前は人なのか?」
「うーん……半分くらいは」
煮え切らない回答に甘んじることなく、僕はメイを質問攻めにした。その結果二つのことが分かった。
まずメイが元人間であり、現在は体の大半が機械でできたセミヒューマンだということだ。脳の一部は人工神経回路、体中の筋は大半がナイロン繊維、瞳の片方には極小なカメラが入っているという。
もう一つはメイが人間だった頃のこと。彼女もまた僕と似たような障碍を持っていたという事実だ。メイは僕とは反対で、情緒はあるが情緒を理解できない。だから機械知性の有無も判断できないし、同様に人が情緒を持っていようがなかろうが、全く区別できない。
それを知って僕は膝を打った。普通の人間ならば僕とまともに付き合っていくことはできない。それこそ家族だからという強い縛りがなければ。だが心を理解しない彼女なら僕と付き合っていくことができるのだ。だからメイが世話係に選ばれた。
しかし、だとすれば別にわざわざメイという稀有な存在の登場を待たなくとも、僕を世話する役目なら、適当な人型ロボットにでも担わせればいいのではないだろうか?
そう考えてしまうと、両親がメイを僕に付けた理由は謎のままなのだ。
なぜメイだったのか。世界にたった一人残された今、再びそのことを考えるようになった。学校に行くふりをして外を歩きながら、じっと空を眺めて考えた。だけど真っ青な快晴の空も、寂寥感漂う夕日の緋色も、それから夜空に輝く星たちも、その答えを教えてはくれなかった。
それならば、しんしんと雪を降らせるこの灰色の雲もまた、僕に何も教えてはくれないのだろうか。
スーパーからの帰り道、空を見上げながらそんなことを考えた。
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