第七章 夢のはじまり
1
全道社会人ブロックリーグ決勝大会。
道東、道北、道南、道央の各ブロックリーグ優勝クラブが、来期からの北海道リーグ入りをかけて死力を尽くして戦う大会である。
本年度は、道央である小樽市にてのセントラル開催だ。
セントラルとは、リーグ戦で一般的なホームアンドアウエー方式ではなく、短期決戦の大会などによく見られる一つの会場を利用して集中開催とする方式だ。
この大会を制した一クラブのみが、来期からの北海道リーグ昇格を認められることになる。
まだまだ最低でも一年後なので話は早いが、さらにその北海道リーグで優勝すると、今度は地域リーグ決勝大会という全国規模の大会が待っている。地域リーグを制した者同士が、アマチュアリーグ最高峰であるJFL入りをかけて戦うのだ。
昇格していく過程において、この決勝大会というのが一番の難関といわれている。
他地区でリーグ優勝を果たした相手と戦い、勝ち上がらねばならないからだ。それまでとんとん拍子に昇格を果たしてきたというのに、ここで躓いていつまでも足踏みをしてしまうクラブも多い。
だが、Jの付くリーグを目指す以上は絶対に避けては通れない壁である。
難関であるがこそ、喜びも大きいのだ。選手たちも、応援するサポーターたちも。
ではここで、これからそのブロックリーグ決勝大会で激戦を繰り広げることになるであろう参加チームを紹介しよう。
【道北代表】
シーゲイル旭川
名前の意味を単純に推測するならば、「海の風」であろうか。
由来は公にはされていない。
裏で囁かれている話としては、単に母体会社の創始者が茂という名前だからということらしいが、定かではない。
青い上下のユニフォーム。
白い風が、左肩から右脇腹にかけて斜めに吹き抜けている。
Jリーグ参入を目指すと公言したことはない。しかし今期は、積極的に元Jリーガーをプロ契約で獲得しており、道北ブロックリーグは全試合で大量得点及び無失点という無敵の強さで優勝を果たしている。
決勝大会優勝のタイミングで、将来のJリーグ参入に関しては発表されるものと噂されている。
パス回しが上手く、攻と防、カウンターなどの状況判断も的確であり、特筆すべきストライカーはいないが誰もが点を取れるし、元JリーガーのFKは脅威であり、間違いなくこの決勝大会における優勝候補筆頭である。
一勝の重みが大きいこの短期決戦において、どのクラブからも総力をあげて挑まれることになるのであろう。
【道南代表】
クイケラーサYKCB
チーム名は、「さけ いくら」を並び替えたものに企業名を付けただけである。と、インターネットの公式ページにも記述されている。
冗談のようなネーミングとは裏腹に、真面目に将来のJリーグ参入を目指しており、地元漁業組合のスポンサーや協賛企業も多い。
Jリーグは企業名を付けることが許されていないため、いずれクイケラーサ室蘭に改名する予定とされている。Jリーグ参入ぎりぎりまで引っ張り過ぎても、地域密着つまり地元住民をファンとして引き込み定着させることに失敗する可能性があるが、親企業としては、せめてJFL参入までは現在のクラブ名で、と粘っているらしい。
理由としては企業名での宣伝が出来なくなるためであり、そのあたりの葛藤はイクシオンACと酷似している。
なおYKCBとは、ガラスと釣り具を製造しているという変わった会社である。
上下ワインレッドのユニフォーム。
川昇りをしている鮭がプリントされてる。
チームマスコットキャラは、「釣り師よんぺい君」。対戦相手のホームスタジアムにまで乱入してくるという、知る人ぞ知る有名な存在らしい。
メンバー登録から外れた選手が中に入っているという噂もあるが、よんぺい君に中の人などいないと主張するサポーターも多数。
元Jリーガーは一人もおらず、せいぜいがJクラブユース出身が何名かいる程度。
しかしながら個々の能力やチーム力は高く、俊足のFWもおり、シーゲイル旭川同様に決してあなどれない相手である。
【道央代表】
豊川印刷FC
決勝大会会場のあるこの小樽市を中心として豊川グループという製造企業が存在しており、傘下である印刷会社のサッカー部だ。
完全なる企業宣伝のためだけに存在しており、出費と見返りの観点からJFL入りすらも目指してはおらず、北海道リーグへの昇格及び定着を目標にしているという一風変わったクラブである。
ユニフォームは、黄色と緑の縞模様のシャツに、パンツは白。
強くはない、ということを自覚しているのか、徹底的に引いて守ってカウンターのチームだ。
このような大会に出場するクラブは、リーグ戦を圧倒的な戦力で勝ち上がってくることが多いものであるが、この豊川印刷はほとんどが接戦であった。守って守って、相手の焦りを突いて一点を取り、守って守って粘り勝つ、というやり方でリーグ戦優勝を果たした。
その守備力が決勝大会での相手にどこまで通じるか、それが豊川印刷という企業の存在を全道に知らしめ`ることが出来るか否かの鍵を握るところであろう。
そして、決勝大会に参加する残る一つのクラブが……
2
「きたぜっ、北海道~~っ!」
三百六十度どこまでも澄み渡る、北の大地の青い空の下、
観光客らが、びっくりして目を見開いている。
【道東代表】
イクシオンAC
の、選手たちは、小樽市のホテル前にバスが到着するなり解散して、若干の観光気分を満喫していた。
とはいっても移動する足もないし、このあと軽めの調整練習が控えているし、だからみんなでぞろぞろホテル近辺の土産物屋をうろつく程度しか、やれることもなかったのだが。
しかし、そうはいっても自由時間は自由時間。リラックス出来る時間には違いない。
到着早々にその自由時間が与えられたのは、気を緩めろというコージ監督の命令によるものであった。大道に限っては、入団してから常にこんな調子であるので、コージ云々はまったく関係ないのだが。
「きたぜって、おれたちがいるのは最初っから北海道だろうが」
名物である揚げかまぼこや運河まんじゅうなど忙しく買い食いしながらも珍妙なことを叫んでいる大道の背中に、
大道はくるりと、軸を地に突き刺した人形のように不自然な動きでぐりんと振り向くと、口一杯になにやら詰め込んだままで橋本へと歩み寄った。
「でもさあ、ハッシーさん、決勝大会までくると、なんかそんな気分になりません? ついにきたぜ北海道って」
ふがふがもごもごと、そんなことを口走った。
「なんねえよ」
「まあまあ、一緒に腹の底から叫んでみれば、そんな気分になりますから。いきますよお、はい、いちにいの」
と、大道は自分の指でタクトを振る。
「やだよバカみっともない。お前一人でやりゃあいいだ……きたぜ北海道!」
橋本は大道と肩をならべて、ずどおんと右腕を突き上げた。
「ね」
大道はにこりと笑った。
「確かに、北海道にきた気分になったかも。よし、それじゃあおれも、揚げかまぼこ串でも買ってこよっと。あと、あんかけ焼きそば。っと、その前に、ノッコ、大城、バン、キョンさん、コージ、ファングさん!」
近くにいる他の選手たちを手招きで呼ぶ橋本英樹。
「みんな、一列にならんでな。あ、ノッコちょっと出すぎ。そうそう、そこ。はい、いちにいのっ……」
きたぜ北海道!
3
「なんでやれるんだ、お前らは?」
土産物屋街をあとにして時間も経つというのに、まだそんなくだらない話を続けているのは、それだけ話題になるようなものがなにもなかったからである。
「知るかよ。決勝大会の地にくりゃあ、なんかそんな気分になるだろうが」
日野浩一は吐き捨てるようにいった。この言葉も、もう何回も繰り返している。
彼らイクシオンACの選手たちは、薄暗くひんやりとした階段を上っていた。
こつんこつんと反響する靴音が小さくなってきたかと思うと、突然に視界が開け、眩しい光が飛び込んできた。
眼下に広がっているのは、緑色の長方形。芝の敷かれた競技用のフィールドだ。
いまそこには誰一人いない。
そのフィールドを取り囲んでいる、みっしりと敷き詰められた観客席。やはりそこにも誰一人としておらず、ただ乾いた寒風が吹き抜けているばかりである。
さらに遠くを見渡せば、てっぺんに雪の白が目立ち始めている、連なる山々の姿。
ここは小樽市郊外にある、トヨカワ電子スタジアムだ。
そのメインスタンド観客席に、イクシオンACの選手たちはやってきているのであった。
「すみませんねコージさん。ピッチはどうしてもダメだというので。まあ、客席も最初は渋い顔をされたんですがね」
遠征に帯同しているスポーツクラブイクシオンの社員、
「ありがとうございます。それで充分です。もしも可能ならば、そうしたかったというだけなので。遠くからでも芝の具合などある程度は分かりますから、大丈夫です。悪くはないピッチコンディションですね」
「人工芝ですからね」
田島のその言葉に、これまでと比較にならないほどの寒風が彼らの間を吹き抜けた。
「コージ、ひょっとして……」
恐る恐る口を開く
「知っているに決まっているじゃないですか! ブラジルジョークですよ、ブラジルジョーク。……という冗談はここまでにして。……みなさん」
そういうとコージはいったん黙り、日野浩一、小笠原慎二、木場芳樹、村山伴、ここにいる選手たちの顔を一人一人ゆっくりと見回していった。
先ほどのは、冗談ではなく素で知らなかったとしか思えない態度であったが、だからこそ、ごまかすために真面目な展開に持っていきたかったのかも知れない。
「明日から、このスタジアム、わたしたちの眼下に見えている緑のピッチで、いよいよ、昇格に向けた試合が始まります。……ここで戦う自分の姿を、イメージしてみてください」
コージはそういうと、目を閉じた。
唐突になにを、と思ったのか選手たちは若干の戸惑いを見せたが、やがて一人一人、ゆっくりと目を閉じていった。
「緊張し、なすすべもなくボロボロにやられ、連係も最悪、負の要素が負の要素を招く悪循環、三戦全敗、無念さに涙をにじませ土をガシガシ甲子園。……さあ、目を開けて下さい。どうですか? そんな惨めな自分達を……イメージ、出来ましたか?」
「全然」
日野浩一、即答であった。
「負ける気しないな」
木場芳樹が、指をポキポキと鳴らした。
「つうか、優勝するイメージしかない。全試合、大量得点で」
さすがに大言壮語に過ぎるとでも思ったか、大道大道がちょっと恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「あたしも、優勝すると思う。絶対!」
マネージャの三宅梓が、子供みたいにぶんぶん振りながら挙手。
「昇格決めて、みんなで喜んでるイメージしかないです」
村山伴のかぼそい声。でもその表情は、なんだか揺るぎのない自信に満ちていた。
「わたしもです」
そういうとコージは、その堀の深い顔に柔らかな影を作った。
勝利という共通イメージが出来ていることに満足すると、コージはゆっくりと回りながらスタジアム全体を見回した。
「随分と立派な、競技場ですよね」
呟いた。
「三万人収容らしいからな。おれたちゃ日本代表どころかJリーグでもなし、席がガラガラ過ぎて立派な分だけ、むしろ寂しいだろうな」
日野浩一は前へ出て、コージと肩をならべると、同じようにぐるりとスタジアムを見回した。
「三万人、ですか?」
「そうだよ」
三十、三百、三千、と指を折り始めるコージ。うん間違いない、といった顔。
「……これはいい。そうですか。……三万人ですか」
なんだか薄気味の悪いその口調に、日野が思わずその顔を覗き込む。
コージは満面に、ニンマリとした笑みを浮かべていた。
4
トヨカワ電子スタジアムの人工芝のピッチ上に、サッカーユニフォーム姿の男たちが、いくつもの縦列を作っている。
現在、ブロックリーグ決勝大会の開幕式が行われているのだ。
昨年まではただ所定の時間に集まって試合を開始するだけであったのだが、本年度から、セレモニーなど若干の演出することになったのである。
集まっているのは四つのチーム。
青色のユニフォーム、シーゲイル旭川。
黄と緑の縞々模様は、豊川印刷。
ワインレッドで鮭の川登りが昇華プリントされているのが、クイケラーサYKCB。
同じくワインレッドのシャツで、パンツがダークブルーのイクシオンAC。
開幕式といっても、まったくもって形式ばかりのものではあるが。
これから行われるであろう死闘激闘を、スポーツマンシップにのっとって正々堂々と、などという余裕はないのだから。
昇格、という夢をかなえるためにも。
数こそ少ないがこの中にはプロの選手もおり、そういう者には名誉や生活のためでもあるだろう。
むしろそうした勝利への執念を熱く高ぶらせるためにこそ、こうしたセレモニーは有効であったかも知れない。
既に、戦いは始まっているのである。
スタジアムはメインスタンドとゴール裏が開放されており入場無料であるが、ほとんど客の姿はない。
あと一時間足らずで本日の第一試合が始まるというのに、昨日、
各クラブのサポーターと思われる、それぞれのレプリカユニフォームを着ている者たちが十数人ずついる程度だ。
今年は、道央でのセントラル開催。この大会の道央代表は豊川印刷であるが、地元であるにもかかわらずここのサポーターが一番数が少ないようであった。
単なる企業のサッカー部であり地域密着性に弱く、強豪チームというわけでもなく、つまりは元々のサポーター人数があまりに少ないのだ。
上からの命令で社員が動員されているのか、サポーターたちとは別に、チームカラーである黄色と緑のジェット風船を両手に持った二十人ほどの集団が後ろに座っており、合わせれば他のクラブのサポーターと数はどっこいどっこいではあったが。
なお、会場であるトヨカワ電子スタジアムは、正式名称を小樽ゆきのさと陸上競技場というが、去年、豊川電子がネーミングライツによって五年間の命名権を購入し、現在の名前になっている。
豊川電子は豊川グループである豊川商事の子会社。つまりは、豊川印刷の兄弟会社である。
だというのに道央ブロックリーグでの豊川印刷の試合は、スタジアム使用料金の高さからここでは開催されず、市営の小さな小さな運動公園で行われているというのはなんたる皮肉であろうか。
いまは十一月。
幸いにしてまだ雪こそ降ってはいないが、寒さは既に本格的。肌の切れるような寒風が、常に吹いている状態だ。
だが、厳しい極寒はそれはそれとして、見回せば実にのどかな雰囲気、のどかな光景のスタジアムであった。
客もほとんどおらず、ギスギスとした雰囲気になどなりようがなかった。
見上げれば、澄み渡る青い空。
ぐるり取り囲む山々。
うっすらと漂ってくる牛糞の臭い。近くに大きな牧場があるのだ。
と、その時である。
突然、数少ないながらもどっと観客がわいた。
奴だ。
牛糞の臭いに混じって、客席に奴が現れたのだ。
釣り師よんぺい君が。
草履、よれよれのジーンズにポロシャツえり立て、顔だけがかぶり物であるため異様にでっかくアンバランス。麦藁帽子にニッコリ笑顔。釣竿を肩にかけている。
クイケラーサYKCBの、マスコットキャラだ。
着ぐるみでない利を生かしてドドドドと客席間の階段を身軽に駆け下り、ちょっと蹴つまずいて頭が取れかけたがなんとか持ちこたえ、最前列まで下りると、ひらりフェンスを飛び越えてピッチへと乱入してきた。
くるり振り返ると、観客席に向かって、ひゅんと釣竿を振るう仕草。
魚信あり! よんぺい君は、ぐいと竿を引いた。
おっとっとっと、
クイケラーサのサポーターたちは、みんな揃って、ぐいぐいと引っ張られる真似をした。
よんぺい君は、続いてイクシオンACサポーターの前に立ち、やはり釣竿を振るった。
サポーターたちも、釣り師よんぺい君のことを噂には聞いていたため覚悟はとっくに出来ていたということか。
おっとっとっと、
やはり、ぐいぐいぐいーっと引っ張られたのである。
次いでシーゲイル旭川サポーターにも。豊川印刷にも。
そして今度は、ピッチで列を作る選手たちに向かって、大きく竿を振るった。
「うおお、釣られちまったぜー!」
最前列の日野浩一がぐいぐい引っ張られて、前へと飛び出した。
自分のシャツの中に手を入れ膨らませたりして、釣られているというより昭和四十年代の小学生がよく真似していたピョン吉のド根性にしか見えなかったが。
続いて豊川印刷の選手たちの前で一振り、先頭の選手が釣られて、前へ引きずり出された。
そしてシーゲイル旭川、
クイケラーサYKCBも。
釣られ、前に引っ張り出されたのは先頭の選手、それはそれぞれの主将であった。
開幕式セレモニーの一環として、相手スタジアムへの乱入で知られる釣り師よんぺい君を使おうということになり、各クラブへと話が持ち掛けられていたということである。
「それではこの大会が、選手、サポーターたちの心に残る、雪山の雪を溶かすような熱い熱い、熱い試合になりますように!」
場内スピーカーから、DJの声が流れた。
四チーム、それぞれの主将が右腕を伸ばし、手のひらを重ね合わせた。
全勝優勝してやるぜ。絶対に!
この牧歌的ムードの中、日野浩一はそのような熱い火花を散らしていた。
それは他の主将も、選手たちも、みな同じ気持ちであったことだろう。
サポーターたちは、暖かな拍手を送った。
北の大地、澄み渡る青空の下、よんぺい君が、ぶるうんと大きく釣竿を振った。
5
十月六日 土曜日
ブロックリーグ決勝大会 第一節
イクシオンAC 対 クイケラーサYKCB
弾丸シュートが
クイケラーサYKCBサポーターたちの歓声、どこどこと打ち鳴らされる太鼓の音。
木場芳樹は腹ばいのまま、何度も自分の拳を地に叩き付けた。
ミスから生じた守備陣の混乱を突かれ、崩されたことによる失点であり、木場自身のせいではないというのに。
むしろ、ボールに触れたというだけでもその反射神経や読みを褒められて然るべきであるというのに。
しかしながら木場がどう思おうと、周囲がどう思おうと、事実は一つ。イクシオンACは試合も後半であるというのに、相手に先制を許してしまったのである。
後半十五分。
イクシオンAC 0-1 クイケラーサYKCB
得点者
実力の均衡する相手にこのような時間帯で先制点を献上してしまったというのに、コージ監督は腕を組んだまま微動だにもせず、ピッチ脇にどっしりと構えるばかりであった。
コージは思う。
どんな試合、相手であれ、失点はつきものだ。
確かにミスはミスであったが、これは相手の勢いが大きかったのだ。
瞬発的な気迫に、イクシオンACの選手が飲まれ、伝播し、そこを突かれて運悪く失点してしまったのだ。
ただ、それだけだ。
ならば、そういった勢いを相手が出したくとも出せないように、削ぎ落としてしまえば良い。
相手は先制したことにより波に乗ってくるかも知れないが、反対に、追い付くことさえ出来れば波に乗るのはこちらだ。相手の勢いの絶対値が、そのままこちらの勢いになる。
クイケラーサとしては、この時間での先制ということもあって、もうリスクを背負って攻撃に出てくることもないだろう。だから、攻め込むにはいまがチャンスといえる。
しかし、まだ早い。
失点しないことが理想ではあったが、作戦を変えるつもりはない。
作戦は、着々と進行中だ。
こちらの望む通りの状況になってきている。
だから、
「いい調子です! このままこのまま!」
コージはそう叫んだ。前半戦同様に、飛ばすことなくぐっと抑えて戦うことを指示した。
いい調子、などでは決してないかも知れないが、ここで変にいじってしまってはバランスの崩れたところをクイケラーサに突かれる可能性が高い。
失点は想定内とはいえ、この時間帯で二点差を付けられるのは致命的だ。
「まだ三十分もあります。焦ってはいけません! じっくり、じっくり!」
コージはそう声を飛ばした。
だがこれは、特にかける言葉が思い付かず、つい口をついて出たというだけであった。
いわれるまでもなく、選手たちは試合前やハーフタイムに受けたコージの指示を守り、攻め急がず焦らずに戦っていたからである。それが意外であることなのか否であるか、このチームを育ててきたコージ自身にも分からなかったが。
そしてついに、両勢の状況、バランスに、大きな変化が訪れたのであった。
コージの望む状態へと。
起きて然るべき、結果へと。
6
奪った瞬間には、パスを出していた。
8番が勢いよく距離を詰めてくるが、
「キョンさん!」
受けに下がってきたFW
このように、イクシオンACはパスが繋がるようになってきていた。
なにも戦術などは変えていないというのに。
そうなった理由は単純な話で、クイケラーサYKCBの選手たちの、足が止まってきているのだ。
三人に囲まれた大城からのヒールパスを受けた
端を狙ったつもりのようであったが、少しコースが甘く、GKにキャッチされた。
GKは一息つくと、助走をつけ、大きく蹴った。
落下地点へといち早く走り込み、腿でトラップしたクイケラーサの7番は、ボールを落ち着かせることなく前線へと大きく蹴り、地を転がした。
スルーパスに反応したFW11番が全力疾走し、追い付いた。
だが、イクシオンACのDF
くるり反転した橋本は、様子を見ながらちょっとだけ駆け上がると、大きく蹴り、一気に前線へと送った。
大道大道がトラップ。だが、クイケラーサのDF二人に挟まれてしまう。
ボールを足の裏で小さく転がしながら、大道は右に左に視線をやり、次の瞬間、フェイントで一気にDFを抜きにかかった……というそれ自体がフェイントというかとにかく騙しで、実際にはちょこんと横パスで大城へ。
相手がイクシオンACの選手個々についてまでしっかり研究していたならば、大道が技術でDFの間を抜き去るような選手でないことなど分かっていたことだろうが。
ゴール前でフリーの大城は、ボールを受けるとペナルティエリア内に入った。
DFがボールを奪おうとスライディングで突っ込んできたが、それを冷静にかわして、シュートを打った。
いや、打とうとした。
打つ前に、転んでいた。正確には転ばされていた。
かわしざま、DFの足に自分の足を引っ掛けられてしまったのだ。
笛の音が鳴った。
主審は、スライディングをしたクイケラーサのDFに歩みよりながら手にしたイエローカードを高く掲げた。
「いまのどこがファールですか!」
カードを受けた当人であるクイケラーサのDF、
ペナルティエリア内でのファールであるため、イクシオンACにPKが与えられることになった。
イクシオンACサポーターから、歓声が上がった。
対してクイケラーササポーターからは、判定へのブーイングである。
キッカーは、
彼なりの願掛けなのか、こんこんと杭を打ち込むかのようにボールをセットした。
腰を上げ、ゴールを見つめる。
クイケラーサGKの
どん、どん、どん。
サポーターの太鼓の音。
そして、主審は笛を吹いた。
長岡巧はゆっくりと、ボールへと近付いていった。
ゆっくりと、ゆっくりと、
そして、ほとんど足を振り上げることなく、ボールを蹴っていた。
長田は自分から見て、右隅に流し込もうとした。
蹴る方向を見破られにくい小さなモーションではあったが、外れることを恐れたか少し狙いが甘くなってしまっていた。
GKが横っ跳び、両手で弾いていた。
ライン上の選手たちが、雪崩のように一斉に動き出す。
大道と、クイケラーサの7番が肩をぶつけ合いながら鬼気迫る必死の形相でボールへと迫った。
二人はもつれ合い、バランスを崩して後ろへと倒れた。
倒れるその瞬間、大道は7番の身体を支えに、ぐいと左足を伸ばし、つま先でボールに触れていた。
まだ倒れているGKが、這い寄って掻き出そうとするその指先をすり抜けて、ボールはゴールラインを越えた。
サポーター、そしてイクシオンACの選手たちから歓喜の声が沸き上がった。
大道は、手をついて上体を起こした。
そして、この騒ぎが自分の触れたボールがゴールインしているためであることを確認すると、
「やった! 同点だ!」
立ち上がり、飛び上がった。
「ナイスゴール、ダイドー。助かったよ」
PKを蹴った長岡が、大道の背中を叩いた。
「こっちこそ、お前の得点を貰っちゃったみたいで悪いな」
大道は振り返ると、長岡の肩を叩いた。
二人は笑った。
後半35分。
イクシオンAC 1-1 クイケラーサYKCB
得点者 大道大道(イクシオンAC)
もう終盤に差し掛かっているこの時間で、ようやくイクシオンACは試合を振り出しに戻したのだった。
クイケラーサYKCBボールで試合再開だ。
試合の残り時間は十分。
ピッチ脇に立っているコージは右手を高く上げ、
「攻めましょう! どんどん上がりましょう!」
と叫んだ。
「うおっしゃああ、リミッター解除おお!」
日野浩一が、コージの声を掻き消すような絶叫。待ってましたといわんばかりであった。
眼前を転がるボールへと野獣のような雄叫びを上げながら全力疾走で飛び込み、スライディングパスカット。
立ち上がるなり、寄ってきた7番をかわして、芹沢恭太へとパスを出した。
前半からこれまでの間は余裕で回せていたパスが通じなくなって、クイケラーサYKCBの選手たちの間に少なからず動揺が走ったようであった。
恭太にボールが渡ったことを合図に、イクシオンACの選手たちは全員が前へと走り出していた。
相手が戻りきらぬうちに、恭太はゴール前へと蹴り込んだ。アーリークロスだ。
大城がボール目掛けて飛び込もうとするが、その寸前にDFが必死のヘディングクリア。
しかしイクシオンACの攻撃はまだ終わらない。ボールを拾った
和歌収から、前を走る長岡巧へ。
そのパスは通らなかった。クイケラーサがなんとかクリアしたのだ。
いや、クリアミスだ。ボールが小さく跳ね上がり、それを大道が横から掻っさらっていた。
少し距離はあるが強引にゴールマウスを狙い、足を振り抜いた。
しかし、遥か宇宙開発。
「ドンマイ。まだまだいくぜえ」
自分にドンマイをいいながら、不敵な笑みを浮かべる大道。
クイケラーサの選手たちは、明らかに動揺していた。
体力面で絶対的に不利な状況に陥っていることを、誰もが認識し、どうすべきか分からなくなっているようであった。
現在、同点である。
勝ち点一でよしとするか、しかしこの短期決戦だ、ならばやはりリスクをおかして点を取りに行くべきか。
しかし、攻撃しようにも、前半から飛ばし過ぎて足がろくに動かない状態なのだ。選手たちや監督の胸には、焦りがつのるばかりであったことだろう。
飛ばし過ぎたということそのものが、イクシオンACの作戦にすっかり乗せられていたのかも知れない、と。
事実は、まさしくその通りであった。
コージは、あえて攻撃的に行かずにクイケラーサにボールを回させたのだ。
いける、と思ったクイケラーサは序盤から走り、得点を狙った。そして、体力を疲労した。
疲労から勢いの衰えてきたところで、まるで体力の落ちていないイクシオンACの元気に走り回る姿を見せつけられ、気持ちが畏縮してますます足が止まってしまったのだ。
クイケラーサの監督はとにかく走れる選手を入れようと考えたのか、三枚目の交代カードを切った。しかしそれは焼け石に水、というよりもむしろチームワークの乱れという負の面のみ目立つ交代となった。
ますます攻勢を強めるイクシオンAC。
後半四十一分に、ようやく一人目の選手交代。
野木基は俊敏性や足の速さはサッカー選手として並ではあるが、交代で入ったばかりという有り余る体力にものをいわせて、FWながらもピッチを端から端まで走り回り、クイケラーサYKCBの選手たちにさらなる動揺をもたらした。
その野木のかいた汗が実りを見せるのに、さしたる時間は必要なかった。
相手が初歩的なパスミスをしてしまい、それを芹沢恭太が拾った。
右SB村山伴がオーバーラップ、ボールを受けてサイドを駆け抜ける。
突っ込んでくる6番を、引き付け、かわして、中へと切り込んだ村山は、長岡とのワンツーで、ペナルティエリア内へと入り込んだ。
DFがスライディングでボールを奪おうとするが、村山は、ちょんと爪先で蹴ってボールを浮かせていた。
そこへ飛び込んできたのは、後方から全力で駆け戻ってきていた野木。大きく跳躍しながら、アクロバティックなジャンピングボレーを見せた。
完全に枠を捉えていたが、GKは必死の粘りを見せ、横っ跳びで弾いた。
が、必死の粘りもそこまでだった。
そのボールを目掛けて、大道が魚雷さながら低空ダイビングヘッド。
ゴールネットが揺れた。
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