第三章 弾丸一直線
1
「ゴォーーーールッ、ダイドー君のスーパー弾丸ボレーが炸裂! ハット達成です! すげー、おれ! 最高! ハンサムッ! 天才ッ! 日本代表呼ばれちゃうかもね~っ!」
練習中のミニミニゲームで、マネージャの
「なんだお前、三ー三なのに、バカか? DFのおれですら六点取ってるのに」
本職CBの
橋本のいう通り、これは三人対三人、猫の額のような狭いコートを使い、しかもキーパーは無しだ。誰かが大量得点をしたところで、なんら不思議ではないのだ。
「いいのっ! 三点は三点なの! それじゃあ抜きますよ、ハッシーさんのこと。それなら文句ないですよね。それなら文句なしに、おれ凄いですよね」
と、大道は不敵な笑みを浮かべ、挑戦状を投げ付けた。
「だから、お前はFWだろうが。でも、いいよ、その挑戦、受けてやるよ。こっちはDF、点をやらなきゃいいだけだ。じゃあ賭けるか? カップ麺一週間分」
橋本は、不敵な笑みをお返しした。
「おー、いいっすねえ。カップ麺一週間分。あ、おれを負けさせようとして、手ぇ抜いたりしないでくださいよ。キョンさんも、ノッコさんもっ」
大道は振り返り、同じチームである
「ああ、どうしよう、手ぇ抜きたくなってきた、おれ」
日野は、自分の良心と戦っているかのように、両手を胸に当てて身震いをした。実にしらじらしい態度で。
「こらこらあ、ノッコさ~ん! 冗談は顔だけにしてよ! 別に、おれにどんどん回せとはいいませんから。実力で点は取りますから。ただ、ハッシーさんにわざと点やるのだけはやめて下さいよね」
「どうしよう、わざと点をやりたくなってきた、おれ」
「だからあっ、ノッコさんっ! 家に不幸の手紙送るぞ!」
「冗談だよ、バカ」
かくして大道大道と橋本英樹の、カップ麺一週間分を賭けた戦いの火ぶたが切って落とされたのであった。
そして結果は、大道の勝利であった。
あっという間に三点をもぎ取り追い付き、橋本のシュートをスライディングで身体を張って防ぎつつもボールを奪うと、一気にドリブル突破で
大道 7-6 橋本
「くそう、なんだよお前、気持ち悪いな。試合でも、もっと点を取れよ。こんな時だけ頑張りやがって、バーカ」
橋本は、見るからに不機嫌そうな顔。勝負に負けたからであろう。
「取りますよ。つうか、この前だって、取ったでしょうが。おれの決勝点で勝ったでしょうが。漁師との試合。段々と調子に乗ってきましたからね、おれ。これから、どんどん狙っていきますよ。点を取って取って取って取って取りまくりますよ。坂上二郎なみに取ります取ります、ですよ。ねー、梓っちゃあん」
大道は、近くで練習を見ていた女性マネージャの三宅梓の前に立つと、うなぎ屋看板のうの字のごとく、真横へ大きく首と身体を傾げた。
「うん。最後の坂上なんとかってのが、意味が分からなかったけど、でもまあ、頑張ってね」
そういうと、三宅梓はにっこりと笑った。
「はーい、ダイドーちゃん、頑張っちゃうっ」
うの字が、ぬるりんと逆反りになった。
「ダイドーの奴、今日はほんっと気持ち悪いな。気持ち悪いのは、ふざけた名前だけにしとけってんだよ。なにマネージャの前でデレデレと……あーっ!」
橋本は、はっとしたように目を見開き、思わず叫んでいた。
「そうか、あの時の……」
あの、この前の試合、大道の決勝点で勝った時……
六月十日 日曜日
H市営臨海陸上競技場
道東ブロックリーグ第三節 イクシオンAC 対 漁師の魂FC
試合は前半の早い時間に動いた。
漁師の魂FCがCKから先制し、すぐさまイクシオンACが
この場にいる誰の心の中にも、引き分けという文字がちらつき始めていた、そんな時であった。
CKから、大城政が競り勝ってヘディングシュート。
鋭い反応を見せた相手GKが横っ飛びでかろうじて弾くが、しかしそこへ大道大道が素早く詰め寄り、バイシクルシュート。
相手選手の間を擦り抜けるように、ゴールネットが揺れた。
土壇場での逆転劇であった。
その、大道の逆転弾を危なげなく守り切って、イクシオンACが勝利した。
「ダイドー君、かっこよかった!」
ゴール裏への挨拶を終えて引き上げてくる大道を、ついハイになったのかマネージャの三宅梓が両手広げて飛び込んで、ギュッと抱き着いた。
と、そんなことがあったのだ。
三日前に。
あの台詞と、ギュッ、きっとあれで、スイッチが入っちまったんだ。
恋の、スイッチが。
あいつ、単純バカだから。
などと口には出さないものの、腫れ物にでも触るような顔で大道を見つめる橋本英樹であった。
2
青々とした背の低い草が、どこまでも広がっている。
さわさわと、風に揺れている。
青臭い中に、ほのかに潮のにおいが混じっている。
広い草原の中を曲がりくねるように通っている、いかにも北海道の片田舎といった道を、恭太は走っている。
青いジャージ姿。
一定のリズムで道に歩を刻んでいた、はずであるのだが、
「ペース落ちてきたぞお!」
自転車で並走している妻の愛子が、声を裏返らせて叫んだ。
走り始めてたかだか三十分。まだ疲労などまるで感じていないし、速度を落としたつもりもまったくない。おそらく愛子は、そう叫びたいだけなのだろう。
「ほらあ、ペース落ちてきてるっ!」
「落ちてないって。どちらにしても、あれよりはマシだろう?」
恭太は、ちらりと後ろを振り返った。
そこには、全国いや世界中ののサッカー少年の夢をぶち壊すような光景があった。
元ブラジル代表、現イクシオンAC監督であるコージが、ふらふらと走って、いまにも死にそうな顔で、後を追い掛けてきているのだ。追い掛けて、といっても、徐々に引き離されていく一方であったが。
彼は監督就任が決まってからというもの、自分の住まいを持たず、恭太の経営する宿屋に客としてずっと泊まっている。
そこで体力不足を指摘されて、最近、恭太と一緒にジョギングをしているというわけだ。
「士農工商なんとやら、わざわざ下と比べても意味ないでしょ。楽すんな!」
愛子にあっては元ブラジル代表もなにもない。
まあそもそも、恭太の仲間、イクシオンACの選手たちの中にも、そうかしこまってコージに接する者など誰一人としていないのであるが。あの愛嬌溢れる笑顔と、ペラペラの日本語で変なことばかり喋っているため、こちらもかしこまった感情など抱きようがないのだ。
「くそ、スパルタだな」
恭太はぼやいた。
しかしその顔には、笑みが浮かんでいた。
そんな愛子に、感謝をしているからだ。
夢を見ている自分に付き合ってくれているということを、感謝しているからだ。
性格上、顔にこそ出さないが、最近、恭太はいつもわくわくしている。
夢を追い掛けることの楽しさに。
社会人リーグに所属している者は、ごく一部を除いて基本アマチュアである。サッカーをやっても給料などは貰えない。そのため仕事を別に持ち、空いた時間にサッカーをやっている。恭太も例外ではない。
もう、恭太は三十歳。
少年の頃には有名なサッカー選手になるんだという夢を持っていたが、もうとっくに現実との折り合いを考えなければならない年齢だ。
引退してサッカーは完全に趣味で続ける、と、そういうことも視野に入れて生きていかなければならない頃だ。
実際、そういう折り合いを、自分なりにはつけているつもりだった。
つまりは、夢を見ることを完全に諦めていた。
比較的時間を割ける環境にいたため、惰性でサッカーを続けていただけだった。
それがまた、十代の頃のように、夢を見ることが出来るようになった。
クラブを昇格させ、一歩でも近く、Jリーグという場所へ近付けるという、大きな夢を。
すべては、いま恭太たちの後ろを、死にそうな表情でふらふらと千鳥足のように走っている、不思議な外国人のおかげであった。
彼がイクシオンACの監督に就任して以来、練習においては選手たちの適正を見抜いて能力を伸ばし、試合においては適切な選手起用に素晴らしい戦術眼を発揮し、すっかり選手たちの信頼を勝ち取っている。
そんな彼は恭太の経営する宿屋にずっと世話になっているのであるが、そこでは夜な夜な遅くまでサッカーや夢の話。
胸の中に詰まっているわくわくの量を競うようにコージと恭太と、二人でどっぷりと(時には酒を酌み交わしながら)話しをしているうちに、そばで聞いていた愛子にもわくわくが伝染し、自然とジョギングに付き合うようになっていたのである。
「でね、そのダイドーって野郎が、マネージャーの娘に恋してるらしいんだって」
「うん、してるねえ。それは。絶対。間違いない」
愛子は自転車を漕ぎながら、一人うんうん頷いている。
「いま現在やけにはりきっているからさ、告白させないようにして成就するかしないか分からないどっちつかずの状態を引き延ばして、試合で活躍させようぜ、なんてハッシーに相談持ち掛けられたよ」
「それは悪くない作戦だ」
「単に告白して上手くいかれても面白くないってだけだろうけど。ハッシー遠距離恋愛の彼女いるくせに、なにをやってんだかな」
「たぶんからかっているだけだろうけど。もし本当に活躍して欲しいのなら、逆に彼女と上手くいって、くっついちゃったほうが、いいんじゃない? 有名なサッカー選手って、なんかみんな結婚早い気がするじゃない。心身ともに安定するんじゃないの?」
「そうかも知れないが、あいつは貯金を切り崩しながら生活してるからな、安定には程遠いぞ。それにそもそも、彼女がフリーとは限らないだろう。健全な女子大生だからな。まあ、なるようになるだろうし、ほっとこう。他人の恋路を邪魔する奴は、サッカー選手に蹴られて死んじまうからな。……ちょっと、ペース落としてあげようか」
恭太はちらり後ろを振り返ると、少しだけゆっくりになった。
疲れたからではない。後ろから追い掛けてきているはずのコージの姿が、うねうねしている道と、風に揺らめく背の高い草とに、まったく見えなくなってしまったからである。
やがて、姿が見えた。のろのろと、のろのろと、追い上げてきた。
それはもう、苦しそうな必死な顔で。
「愛ちゃん、その自転車貸してくださあい」
「嫌だよ」
非情な回答しかも即答。
「だらしないな、本当に元セレソンかよ。まだ四十ちょいのくせしやがって。五十歳のサラリーマンだって、もっと走るぞ」
恭太は、ほとんど足踏み状態になっており、実にもどかしそう。
「だからいったじゃないですかキョン君、体力作りなどしている暇があったら机にかじりついてずっと日本語の勉強をしていたって」
しかし……
この姿を一般人が見たら、どう思うよ。
未来のサッカー界を憂う、宿屋の主であった。
3
「ほれ、カップ麺一週間分」
橋本英樹は、ことりとテーブルの上にカップ麺の容器を置いた。
大道大道の前に。
一つだけ。
「えーーっ、これのどこが一週間分ですか? おれ、賭けに勝ったのに!」
大道は、見るからに不満そうな顔を浮かべた。
それはそうなるだろう。カップ麺一週間分を賭けるというのは、大道に取っては人生を賭けるに等しい大バクチだ。そのリスクを背負って戦い、見事勝利を掴み取ったというのに、なんだこれは?
「お前、貧乏なんだろ。一個を割って砕いて、一週間かけて食ってるっていう話じゃないか」
「究極に金がなくてどうしようもない頃に、何度かやったことがあるだけで、もうやってませんよ、そんなこと!」
「やめたのはお前の事情、お前の勝手だ」
橋本はぷいと冷たく背中を向けると、ロッカールームを出ていった。
「くそー、なんか騙された感じ。しかもこれ、百円ショップでよく見る奴じゃん。つうかスーパーで八十八円で売ってるの見たこともあるぞ。貧乏なのそっちじゃねえか」
「どうした貧乏人。財布でも落としたか? そりゃ大変だな。まあ、二百円くらいしか入ってないんだろうけど」
日野浩一が、なんだか怖そうな顔で近づいてきた。明らかに笑いをこらえてそういう顔をしていると分かる。
「ノッコさんさあ、絶対いまの会話聞いてて、それで絡んできたでしょ?」
「ん? ハッシーとなんか話してたよな。貧乏自慢でもしてたのか? どっちが同じパンツを長く続けて履くかとか」
「そんな貧乏じゃないですよ!」
「じゃ、これから飲みに行くか?」
「ダメです。おれ、これから仕事ですから」
大道は求職中であるが、現在のところ食い繋ぐためにコンビニエンスストアで夜勤をしている。完全に昼夜逆転の生活だ。
最初は昼勤務であったが、時給が良いため夜勤に変えてもらったのだ。とはいっても、それでも収支はマイナスであり、少しずつ財産を切り崩している状態であるが。
「ああ、そういやお前、夜勤になったんだよな。あれだろ、暇な時にエロ本ずっと読んでんだろ。勝手に紐切っちゃったり、袋とじ切っちゃったりしてさ。客にやられた振りして」
「あのね、夜のコンビニバイトはレジ以外がもの凄く忙しいんですよ! しかも明け方四時くらいになると、ノッコさんみたいなガラの悪いのがわらわらやってくるしさあ」
「おれのどこがガラ悪いんだよ。優等生だろが、てめえ」
訂正させようと、日野は大道に掴み掛かり、肩をガタガタ揺らした。
「どこが! 最悪じゃないですか!」
「明け方四時に行くぞてめえ」
「やめてええ!!」
4
駅近くの、駐車場に囲まれるようにぽつんと建つ、古臭い三階建てのビル。そこの自動ドアが開いた。
しょぼくれたような表情で、一人の若者が出てきた。
続いて出てきたのは、彼の口からのため息であった。結構、長めの。
練習前の時間を使って、ハローワークで職探しをしていたのだが、結果が芳しくなかったのだ。
「まだまだ、コンビニで夜勤だな」
また、ため息をついた。
ふと脳裏に、まだ深夜ともいえる明け方の四時に、ノッコさんこと日野浩一が分身して十人くらいで職場のコンビニにわらわら押し寄せてくる光景が浮かんだ。
みんな黒い皮ジャン姿で、サングラスをかけて、チョッパーかなんかに乗ってて、もちろんマフラー改造してドルドルふかしてて。
実際に四時過ぎにやってくるのは、見ず知らずの顔の二十歳くらいの連中であるが。竹槍出っ歯のシャコタンに、白い特攻服や長ランなど着た。
この前は思い切り拒絶してしまったけれども、いっそのことノッコさんが来てくれたほうがいいような気がしてきた。
毒を以って毒を制するというかなんというか。
勝手に大喧嘩でもしてくれれば、夜勤二人体制にしてもらえるかも知れないし。
まあ、夜のコンビニなんだからああいう不良連中や、ノッコさんみたいなのが来たりするのは、我慢しなきゃならない問題なんだろうけど。バイトにしては割がいいんだから。といっても、月々ちょっとずつマイナスだけど。
職が見つからないのだから、どうしようもない。
この生活、もうしばらく続きそうだ。
我慢して働かなきゃもなにも、辞めでもした日には一瞬にして貯金を食い潰して飢え死にする。そうなったら就職活動どころではない。なんであろうとも、働くしかないのだ。
今日も仕事がまったく見つからなかったし。
これで、何度目だろう。ハローワーク。
足繁く通っているというのに。
仕事の内容や、重労働であるかどうかなどは、贅沢をいうつもりはない。
安定して、ほんの少しずつでも貯金が出来るくらいの給料を貰えて、なおかつサッカーを優先させてくれる職場。希望は、ただそれだけなのだ。
しかし収入面で良いのを紹介してもらっても、勤務場所や時間など考えると、そもそもサッカーが出来ないようなところばかりだし、場所と時間を優先させると収入面で折り合いがつかず、いまのコンビニで働き続けるほうがよほどマシということになってしまい……と、就職活動を開始した時には想像もしなかったようなままならなさであった。
サッカーは続けたい。
その思いは強い。
強くなった。
あの監督が就任してから。
ノッコさんが監督兼任選手だった暗黒時代のままであったならば、もうとっくにクラブに見切りをつけて退団し、どこかの正社員になっていたかも知れない。
でも、あの監督になって、考えが変わった。
残留争いしていた去年までと面子がまったくおんなじなのに、勝てるようになってきているし、
なによりもあの監督、選手から自信を引き出させるのが上手なんだよな。
そしたらさあ、もっともっとサッカーが楽しくなって、もっともっとサッカーが好きになっちまうの、当たり前じゃねえかよ。
拷問だよな。
こっちは、明日生きてく金に困ってるってのにさ。
大道はまた、ながーいため息をついた。
「幸せ逃げるよ」
「うおわあ!」
すぐ背後からの女性の声に、大道は背骨に鉄骨でも差し込まれたかのようにびいいんと気をつけをした。
聞き覚えのある声に、そおっと振り向いてみると、やはりイクシオンAC女性マネージャの
「梓ちゃんっ、どうしてどうしてっ、ここにっ」
無意識にヒーロー変身ポーズのような大袈裟な仕草をとりながら、質問をした。
「うち、ここの近くだから。いま、大学の帰り。いったん戻ってから、練習場に行こうと思って」
「ああ、そうなんだ」
大道は、自分がなんだか恥ずかしいポーズをとっていることに気付き、慌てて解除した。こほん、と咳払い。
「ダイドー君こそ、今日はどう……」
「ああ、あのさっ! ……誰にも、いうなよ」
「ん、就活の結果のこと? 分かった、絶対黙ってるよ」
「なんで就活してること知ってんだよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る大道。
「みんな知ってるよ。……まさかとは思うけど、ひょっとして内緒にしてるつもりだったの? ハローワークから出てくるところ、何度も目撃されてるよ。木場さんとか、ゴンさんの奥さんとか。あたしも見たことあるし」
「そう、なんだ」
はあ。
大道は、心の中でため息をついた。
なんだか、ますます自分が惨めな気がしてきた。
「それで、結果は?」
「……ダメだった。あ、いやいや、おれがダメっていうことじゃなく、サッカーが出来なくなっちまうような仕事しか、今回は、なかったというかなんというか」
聞かれてもいないところまで、先回りで必死な弁明を展開する大道であった。
どちらからともなく、二人はバス停のベンチに腰を下ろしていた。バスを利用するわけではないが、どうせあと四十分は来ないのでまだ誰もいないし、座っていても問題ないだろう。
「……Jリーガーに、なりたかったんだよね、おれさ」
職についての話をしているうち、いつの間にか将来の夢の話になっていた。
そう、大道の夢はJリーガーになることであった。
小学校の頃から、周囲の子にいつもいって回っていた。
将来の夢の作文でも、書くのは必ずそのことだった。
女子の背中に無理矢理に、極太マジックペンで未来のスーパースターのサインを書いて泣かせてしまい、先生にボコボコに殴られたこともある。
小学校の卒業証書を受け取る時にも、絶対にJリーガーになるぞお、と校長のマイクを奪って叫んだ記憶がある。もう卒業だし、殴られはしなかったと思うが。あ、いや、どうだったか。
でも結局、その夢は叶わなかった。
いや、それはまだ分からないけど、でも常識的に考えて、ほぼ不可能であろう。
「梓ちゃんの夢は?」
「えっとね、北海道に住んでえ……」
「住んでるじゃんか」
「あたし、中二まで千葉県に住んでたんだよ。で、牧場のお嫁さんになって、毎日アイスクリームを食べること」
「夢? それが? まあ、夢といえば、夢か」
毎日アイスクリームを食べるのも、Jリーガーになるのも。
どっちが尊いとか、偉いとか、そういうものではないだろう。
それが明日への糧になるのであれば、それは尊重されるべきであるからだ。
コンビニバイトが偉そうに、とか思われたくないので黙っていたが。
「小三くらいまで、本気で考えてたよ」
「半分、かなったじゃんか」
「うん。びっくりしたよ、いきなり北海道に行くだなんてね。札幌なんだけどね」
「そうなんだ」
「でもどうせならということで、高校出たあとは、牧場がたくさんありそうってことでこっちの大学を受けてね、一人暮らしを始めちゃったんだけど。だからあとは、相手探しをするだけなんだあ。っても、もう牧場の人とじゃなくても、いいんだけどね。いい人ならさ」
「あ、ああ、あの、あの、かかっかれっ、かれっ、彼氏っ、かれっ」
大道はいきなりドギマギとした様子で、つっかえつっかえの声を出した。猫が毛玉を吐く時のように、なんだか必死に顔を上下させている。
「ん?」
「い、いい、いな、いなっ、いない、の?」
尋ねた。
ついに、尋ねてしまった。
顔、真っ赤になってるよ、おれ、きっと。
この前ノッコさんが定食屋で、「カツ丼のカツの脂身部分が少ねえぞゴルァ! おれ好物なんだよお!」とかバカなこと叫びながら立ち上がって坊主頭から湯気をピーッと噴き上げてたけど、あん時の顔くらい、いまのおれの顔も絶対に真っ赤だ。
……気付かれちゃったかなあ。
「うん」
と、彼女は頷いた。
「きっかけがなくて、生まれてこのかた一度もね。友達はみんないるし、あたしも欲しいなあ」
「え?」
大道は、きょとんとした表情を、三宅梓に向けた。
わざわざ、おれにいっている、
わざわざ、おれにいっている、
わざわざ、おれにいっている、
ということは、
ということは、
ということは、
ということは、
やっぱり、
やっぱり?
やっぱり?
やっぱりっ!
「じゃ、そろそろ行こうかな。あたしん家こっちだから、じゃあ、またあとでねえ」
三宅梓は立ち上がると、手を振って去って行った。
ぼけーーっと呆けた顔のまま、取り残された大道大道。
しかし顔こそもともとのしまりのなさもあってどうしようもなく呆けていたが、その胸の中では、激しい激しい炎が、立ち上りつつあった。
……ン
ドドンドドン……
ドドンドドンドン おおみちだいどっ!
ドドンドドンドン おおみちだいどっ!
ドドンドドンドン おおみちだいどっ!
ドドンドドンドン おおみちだいどっ!
「うおおおおおおおおーーーっっ!」
両手を振り上げ、絶叫していた。
通りすがりの老婆が怪訝そうな顔を隠さず、じろじろと睨み付けるように通り過ぎて行った。
5
六月十七日 日曜日
道東ブロックリーグ第四節 パープルアロー釧路 対 イクシオンAC
今日の試合は、釧路の地でのアウェー戦である。
第三節終了時点でのイクシオンACの勝ち点は六、順位は三位。開幕三連勝を飾って首位に立っている
昇格のライバルである八蘇地信銀であるが、今節の対戦相手を考えると、まず勝利は硬いといえるであろう。バービーボーイズという、今期降格候補ナンバーワンのクラブが相手であるからだ。
つまりイクシオンACとしては、今日のこの試合に勝たないと、首位争いから大きく脱落することになる。
リーグ戦はまだ前期であるため、八蘇地信銀との直接対決はあと一回残っている。それまでなんとか食らい付いて、その直接対決を制することさえ出来れば、イクシオンACにも自力優勝、つまりはブロックリーグ決勝大会に進むための可能性がぐっと広がることになる。
地域リーグは試合数が少ないため、今節からの二試合は昇格に向けて絶対に落とせない戦いになる。八蘇地信銀との直接対決に昇格の望みを繋ぐためにも。
去年までの選手たちならば、そんなこと、考えたこともなかったであろう。昇格を視野に入れて戦うことなど。
当然である。常に残留争いの渦中にいたのだから。
優勝、昇格など夢見る資格すらもない。選手たちは、口にこそ出さないまでも、そう考えていたとしてもなんら不思議ではない雰囲気であったのだ。
昇格、などという言葉を会話の中で誰もが何気なく発するようになったのは、コージ監督が就任してからであった。
正確にはまだ就任していなかった時だがコージに率いられて、お互い去年とまったく同じ選手たちであるというのに八蘇地信銀を相手に好ゲームを繰り広げることが出来た。去年は大虐殺されたというのに。
そしてその後、二連勝することが出来た。
内容こそまだまだ改善の余地が多分にあるものの、結果が選手たちに自信を与えていた。
結果だけではない。普段の練習や、コージの立ち振る舞い、そういった点も間違いなく選手たちに良い影響を与えていた。
つまりは漠然とではあるが、この監督がいれば大丈夫だという思いを選手たちは感じていたのである。
……しかし……
後半戦十五分。
前半のキックオフからずっと続いてきた膠着状態が破られて、イクシオンACは先制を許してしまった。
押し気味に前半を進めていたが、後半に流れを相手に持っていかれ、修正することが出来ないうちにやられてしまったのである。
ドンドンドンドン!
パープルアロー釧路ゴール裏から、太鼓の音が轟いた。二十人ほどのサポーターたちの歓声、そして拍手が響く。
失点シーンであるが、これは実にあっけないものであった。
攻め上がろうとした際に連係の乱れを突かれカウンターを受けて、GK以外近くに誰もいないというガラガラのゴールに流し込まれてしまったのである。
そうなった原因は明らかで、後半からの、コージの指示したシステム変更にあった。
三節を終えて、少しずつコージの掲げる戦術の浸透してきたイクシオンAC。しかしコージの目指すサッカーはまだまだ先にあり、次の段階へ進むために少し手を加えたのだ。練習で経験していても、実戦は初めて。ちぐはぐなところを、しっかりと突かれてしまったものだ。
「てめえら、下向くな! 絶対に追い付……」
と、
「まだまだあ! おれがぜーったいにぜーったいに点を取るっ! 逆転しようぜえっ!」
FWの
あまりの迫力に、すっかりぽかんとしてしまっていた選手たちであるが、
「まだ、追い付ける」
「集中してこうぜ」
気を取り直し、大道のいう通りだ、とお互いに声を掛け合った。
失点したイクシオンACのボールで、試合再開。
大道はキックオフの笛と同時にすぐそばの大城政へと転がすと、迷わず前へと走り出した。
そっとボールを受けた大城は、大道を狙わずに、右サイドを駆け上がっている芹沢恭太を目掛けてボールを転がした。大道を囮に使う作戦であったが、読まれており、相手に簡単にカットされてしまった。
釧路の選手たちは、無理に攻めようとはせずに、ボールを回し始めた。プレスをいなすように引き付けてはパス、引き付けてはパス。
自らのシステム変更により、奪いどころ攻めどころのはっきりしなくなってしまったイクシオンACとしては、ただぐだぐだとした状態のまま、相手のパス回しに翻弄されながらも闇雲にボールを追い掛けるしかなかった。
そして、点を取らなければ勝てないという選手それぞれの焦りが、さらにチームのバランスを崩していった。
相手はそれを利用し、しっかり引いて失点しないようにした上で前線の選手だけでボールを回し、冷静な判断から生まれる効果的な攻めを要所で発動させた。
それはカウンターであったり、長身FWを目掛けたロングボールであったり。
イクシオンACの側が勝手に混乱をしているものだから、それはやりたい放題であった。
両チームの監督は、どちらもピッチそばに立って試合を見ている。しかしその姿は、実に対極的であった。
釧路の監督は、大きな声を張り上げながら、絶えず大きな身振り手振りで指示を飛ばしている。
対してイクシオンACの監督であるコージは、腕を組んで試合の様子をじっと見ているだけであった。
コージの表情は、まったく読めない。怒っているようにも見えるし、笑っているようにも見える。
前半には声を飛ばすこともあったのだが、後半から完全に指示の言葉が皆無。時々大きな鼻を撫でる程度で、突っ立ったまま微動だにもしていない。
「おい、監督、どうすりゃいいんだよ! 負けるぞ!」
釧路のファールでプレーの切れた際に、日野浩一がコージへと詰め寄った。
「この程度は、自分で打開して下さい。昇格、したくないんですか?」
ようやく口を開いたかと思えば、それは指示や助言ではなく、単に冷たく突っぱねるだけの言葉であった。
日野は舌打ちすると、セットプレーの攻撃のため、相手ゴール前へと走って行った。
FKは、
相手が大きくクリアするのだが、イクシオンACとしては運悪く、それがそのままカウンターになってしまった。
守備には小笠原慎二と和歌収が残っていたが、二人ともボールのこぼれをむしろ攻撃に繋げたいという意識が強く守備の対応が遅れ、相手FWの裏への飛び出しを許してしまった。
FWはサポーターの声援を背に独走。
全力で追って、なんとか相手と肩を並べた後藤権三であったが、すでにそこはゴール目前。
ここで釧路FWは、GKの位置をよく見て難しいと判断したか、仲間の声を聞いてヒールで後ろへ。
後ろから走り込んで飛び込んだ釧路の選手が、そのまま駆け抜け一瞬で守備網突破し、右足を振り抜いた。
釧路の追加点が決まったかに思われたが、間一髪、ボールは横っ飛びしたGK木場のパンチングによって弾かれていた。
ボールはゴールラインを割った。
観客席から拍手が起きた。
CKを与えることになったが、これは木場がジャンプしながらしっかりとキャッチした。
とりあえずのピンチを凌いだイクシオンACであるが、なおも釧路にペースを握られる時間は続いた。二点を取って、逆転しなければならないというのに、一点すら取れない。
釧路の選手たちは、引きつつも、自陣でしっかりとボールを回して、イクシオンACにボールを追わせ、疲れさせ、焦らせ、イラだたせていた。
「みんな、奪ったらどんどん上がれ!」
一番に自制を失い、ブチ切れたように叫んでいたのは、大道大道であった。
「そう、それでいい!」
コージも手を打ち、叫んでいた。とても嬉しそうに目尻にシワを寄せて。後半になってずっと無表情であったコージだが、ようやく、表情を見せたのであった。
大道の言葉に触発され、ドリブルで切り込もうとする長岡巧であったが、横からガツンと身体を当ててきた相手ボランチに奪われてしまった。
ボランチは小さくドリブルして、和歌収を引き付けると、前方逆サイドへとパスを出した。
だがそこは芹沢恭太が読んでいた。パスの軌道上に走り込み、スライディングカット。素早く起き上がると、前線に張るFW大城政へとグラウンダーのパス。
大城が受けようとしたところ、相手の七番に身体を当てられ、奪われた。
だがそこへ、
「うおららあ!」
ボランチ日野浩一の野獣のごとき絶叫。前線にまで上がってきていたのだ。そしてボールを奪い返した。
相手をかわし様、ループ気味に前線の大道大道を狙ったパスを出した。
大道は、二人のDFと競り合いながらも、腕を巧に使って相手を寄せ付けず、足の甲で受けていた。
そのままボールを蹴り上げ、くるりと周りながら腿でさらに蹴り上げ、DFを抜いていた。
その浮かせたボールが芝に落ち切る寸前、右足を振り抜いていた。
斜めからゴールへ向かう美しい虹の軌跡、しかし惜しくも枠を捉えることは出来なかった。と、思われたが、突如くくっとドライブがかかり、隅へと飛び込みサイドネットの内側を揺らした。
嘘……
まるでワールドクラスといったレベルのシュートに、誰よりも驚いたのは大道本人であった。
あんぐり開いた口の中に手を突っ込んで、信じられないといった表情で立ち尽くしている。
ドンドンドンドンドン!
サポーターの太鼓、そして歓声、そして、
「ダイドー、この野郎!」
日野浩一や大城政に駆け寄られ、髪の毛を掴み引っ張られ、尻を蹴飛ばされ、手荒い祝福を受けているうちに、少しずつ、実感がわいてきていた。
シュートを決めた。追い付いた。という実感が。
しかも、素晴らしいシュートを決めたということ。
簡単には真似出来ないような、それは素晴らしいシュートを。
そう。
それを、
おれが……
おれが決めたのだ。
「世界ワールドっ!!」
絶叫していた。
さっぱり意味不明ではあったが、とにかくそう絶叫すると、両手を天へと突き上げていた。
「まだ時間あるっ、七点取るっ、おれあと七点取るっ!」
興奮したように、日野浩一の肩を掴んで、なんの根拠もなく叫んでいた。現在同点であり、そこまで取る必要はないのだが。
パープルアロー釧路ボールで、試合再開。
世界ワールドなシュートを決めた大道だけでなく、イクシオンACの全員に活力が戻っていた。
見た目から顕著なのが、日野浩一であった。
「ついさっきまで、キャプテン権限で勝手にシステム戻しちゃおうかなって思ってたけど、辞めたぜ」
などと、また独り言をいっている。
コージからの課題に応えようとしなかったこと、反省しているのだろう。
コージからの課題に応えずして、昇格など夢見る資格もない。と。
後半からろくに指示を出さず、冷淡な態度を取っていたコージ。その態度の意味は単に、自分たちで考えろということだったのだろう。このシステムの意味はなにか。ある状況に陥った際の打開について。等など。
つまり先ほどまでの状況でいえば、負けていて、時間もないのだから、前掛かりになってガンガン攻めれば良かったのだ。それにより点が取れるかも知れないし、個人の意識によって戦術を越えた勢いが生まれる効果もあるかも知れないのだから。
システム云々ではなく、とにかく相手より点を取れば勝つ。それがサッカーなのだから。
だから大道の勢いに、コージは「それでいい!」と、喜んだのだ。そして、同点ゴールが生まれたのだ。
とはいえこの試合、分かったからと簡単に攻略出来るものでもなかった。
今日の試合、良きにしろ悪しきにせよ、ポイントとなったのは大道大道であった。
まず、相手の反応としては、偶然にせよ世界ワールドのゴールを決めた大道への、マークが非情に厳しくなった。
イクシオンACとしては、その分少しだけ中盤が楽にボールを保持出来るようになり、FWの大城へも良いボールが渡るようになったし、考えようによっては良い効果であるということも出来る。しかし相手のがっちりとした守備陣に阻まれて、そうそう得点のチャンスを作ることも出来なかった。
それどころか前掛かりになっているところを突かれて、何度も相手の鋭いカウンターを受ける始末。
DFの頑張りや、木場の果敢な飛び出しでかろうじて難を逃れるという有様であった。
ひやりとさせられながらも、なおもイクシオンACは前掛かりになったままで攻め続けた。
失点のリスクが高いことなどみな充分に承知している。とにかくここで点を取らないことには、この試合に勝利しないことには、上位に引き離されてしまう。
だから、攻め続けた。
一秒、一分、と時間が過ぎていく。
残り時間が少なくなっていく。
現在、後半三十分。残り時間あと十五分である。
ここでイクシオンACは、新たな危機に直面していた。
良きにせよ悪しきにせよポイントであるところの大道の、その悪い面が出てしまったのである。
「またかよ」
後ろで見ていた日野浩一は、ため息をついた。
大道大道が、DF二人をルーレットでかわして抜こうとして失敗して奪われたのだ。
大道は足元の技術があまり高くはなく、二人をかわして抜き去るなど至難の技。囲まれてしまったのならば、無理せず後ろに戻せばいいし、そこは普段から練習しているところですぐ近くに大城がフォローに来ていたのだから、そちらにパスを出せばよかったのだ。
試合は続く。
相手のドリブルからのパスを、読んで奪った日野浩一は、すぐさま右サイドの芹沢恭太へと送った。
するり一人かわしてサイドを突破した恭太は、相手の陣形が整わないうちに、と前線へロングボールを放り込んだ。
大道は全力で走りながら、背中越しに足の甲で受けようとして失敗し、ボールを思い切り跳ね上げ、ゴールラインを割ってしまった。
大道は膝をつくと、芝を叩いて悔しがった。
自分に出来ないはずがないのに。
だってさっきは成功して、それがあのかっこいいゴールに繋がったんだから。
大道は、コージの近くに立っている女性マネージャの三宅梓へと視線を向けた。
でも遠くて、どんな表情をしているのか、よく分からなかった。
自分、彼女に、どんな目で、見られているのだろう。
一点取ったきり、後はへぼなプレーばかりしているおれを、どう思っているのだろう。
早く、活躍しないと。
じゃないと、まぐれだと思われちまう。
さっきのゴールだけじゃない。早く、スーパーな逆転弾を、決めないと。
ボールを追い、走り出した。
視界がくるんと回っていた。
宙を舞っていた。
どう、と地面に背中から落ち、呻き声を上げた。
相手選手に突っ込んでしまったのだ。
大道は立ち上がり、すぐさままた走り出すが、主審に笛を吹かれて止められた。
「止血をお願いします」
その言葉を聞いた途端、鼻の奥になんだかじんわりした熱さや、鉄臭さを感じ、そっと指で出口付近を拭うように動かしてみると、果たしてどろりと赤いものが付いていた。
どうやら、交錯した瞬間に相手の肘が鼻に当たってしまったようであった。
大道は主審の指示に従い、ピッチの外へと出た。
イクシオンACが一人少ない状態で、試合が再開された。
「すぐ止めっから、そこで気をつけしてろ」
選手兼トレーナーの
「はい」
いわれた通りにびしっと立つ大道。
宇野井は、大道の顔を両手で掴み、引き寄せると、早速止血処理に取り掛かり始めた。
マネージャの三宅梓が、宇野井の指示に従って、脱脂綿やスプレーなどを取り出しては手渡している。
大道にとって、どうにも三宅梓の態度が冷たいように思えていた。
自分の止血のために、いそいそと働いてくれているのは有難いのだが、とにかくそんな思いが大道を混乱させていた。
硬直したように仁王立ちでじっとピッチでの試合を見詰めたまま、なんだか慌てたように言葉を発していた。間が持たなくて。
「おれ、なんか、みっともないとこばかり、見せちゃって」
試合中に口をきいたことなどこれまで一度もないというのに、何故だかいま三宅梓と無言でいることがどうにも耐えられなかった。
それで無意識に口を開いてしまっていた。
だから、返答など、まったく期待していなかった。
考えて喋り始めたわけではないからだ。
だから、その反応は予期していなかった。
「ほんと、みっともない」
梓が、押し殺したような表情で、さらりといったのである。
予期はしていなかったが、まったくの正論なので、受け入れることが出来た。
「だよね」
苦笑した。
梓はその笑みを受け流し、さらに言葉を続けた。
「ほんっと、みっともない。かっこつけようとしてばかりいて。そもそも、みっともないのがダイドー君でしょ! 泥臭くゴールを決めるのがダイドー君でしょ! ……はやく、みっともないところが最高にかっこいい、本当のダイドー君に戻ってよ!」
「本当の……おれ?」
なにをいわれたのか一瞬で理解出来ず、大道は呆然としてしまっていた。
梓は頷いた。
かっこいいのはみっともない
みっともないのがかっこいい
大道の頭の中に、その言葉がくるくる回っていた。
え、おれ、いままでどうやって、点を取ってきたっけ。
と、その数々を回想していた。
転び、倒れながら、
こぼれを気迫でねじ込み、
時にはポストに頭をぶつけたり、
空振って、自分だけゴールに飛び込んでしまったり。
ああ……
なんだか、心が洗われていくようであった。
ゴールシーンは当然ほとんどが去年までの記憶であり、つまりは負け試合ばかりであったが、それにもかかわらず大道の心は暖かなもので満たされていた。
なにが自分であるかなんて、改めて考えたことなどなかったから、だから、先ほどのゴールで、なにが自分であるのかをすっかり勘違いしてしまっていた。
そうだよな。
みっともねえのが、おれだろうが。
大道は、心にそう呟くと、拳をぎゅっと握った。
「うおおおおっ! 梓ちゃんっ、おれを鼻血出るくらいに殴ってくれえっ!」
叫んだ。
「やだよせっかく止血したのに。いいから早く行けえ!」
ばあん、と梓は強く背中を叩いた。
「おっしゃあああ!」
大道は雄叫びを張り上げながら、ピッチの中に飛び込んだ。
「まだ許可してませんよ」
と主審に入り直しを命じられ、すごすごとピッチ外に出たが、許可され入るなり、さっそく魅せた。
ボランチ日野浩一からのロングボールが上がって来たのであるが、大道はそれを予期し、走り出していたのである。
バウンドしたボールを、なんとか頭で受け、落とし、走る。
独走だ。
しかし、オフサイドの判定であった。
「ノッコさん、ごめん!」
「気にすんな!」
まったく気にしていない。謝ったけれど、全然気にしていない。こうやって粘り強く続けて、続けて、ゴールを決める、もしくは得点機に絡むのが、自分のやりかたなのだから。
オフサイドトラップに何度引っ掛かろうが構わない。
一発だ。一発、通ればいい。
そうしたら絶対に、決めてやる。
左SH、長岡巧が高い位置でボールを奪った。
また、大道は走り出していた。
背後に、ボールを蹴る音を聞いた。
笛はない。
通った!
頭上を飛び越えるボール。大道は全力で追い掛け、そして受けた。
大きく前へと転がして、ほとんど速度を殺すことなく全力で走り続ける。
斜め後方から走り寄ってきた相手の駿足DFに、並ばれ、肩をぶつけられ、がくりとよろめいた。
しかし、よろめきながらも踏ん張って、シュートを打っていた。
ジャストミートせず、弱いボールになった。
釧路のGKが拾おうと飛び出したが、そのボールに大城が走り寄っていた。
間に合わないと判断したか、GKは出るのをやめて、シュートに備えて構えた。
大城はGKのタイミングを外して、シュートを打った。しかしコースがGK正面、両手でしっかりとキャッチされてしまう。
いや、キャッチしたはずが、こぼれていた。
足元へと落ちた、そのボールへと、大道が走り込んでいた。
頭から突っ込んでいた。
叩き付けられたボールは大きくバウンドし、ゴールネットが揺れた。
1-2
イクシオンACは、再び大道大道が決めて、ついに試合をひっくり返したのであった。
6
「おれと、付き合ってくれえ!」
いってしまった。
ついに、いってしまった。
そしてみな、ついに、聞いてしまった。
大道大道の、その台詞を。
女性マネージャの
周囲の雰囲気は、完全に凍り付いていた。
大道大道の額から、たらりと汗が流れていた。
こんなところで、いうんじゃなかった。
と、後悔していること丸わかりの、そんな表情であった。
しかしもう遅い。
既に矢は放たれた。
大道は、試合終了直後のスタジアムで、公開告白してしまったのである。
こんなところでもなにも、後悔もなにも、そもそも勝利でハイになっているこの雰囲気だったからこそ、いえたのではあろうが。
とにかく繰り返すが、既に矢は放たれたのだ。
そして、ドギマギドギマギとしている大道に、矢は一瞬にして帰ってきた。
一矢しか放っていないのに、細かな矢がぶすぶすぶすぶすと身体中に突き刺さりまくったのである。
「ダイドー君のこと嫌いじゃあないけど、そういう感情はあたし全然ないから」
という、この言葉によって。
じゃあね~、と三宅梓は遠征の後処理のために立ち去っていった。
いま告白されたことを、まるで気にしていないどころかそもそも覚えてすらいない、というような態度で、スタッフの中に混じって笑顔で作業に取り掛かっている。
ぴゅう~~
風が吹いた。
大道の、心の中に。
分からないが、きっと、肌が切れそうなくらいに冷たい北風が。
「プッ」
笑い声が上がった。
ぶるぶる肩を震わせていた大道は、ぐるりんと首を動かし、橋本英樹を睨んだ。
「……ハッシーさん、ひょっとして、いま笑いました?」
何故だか小股内股でちょこちょこと、橋本へと走り寄った。凄まじく恥ずかしいのを、こうしてごまかしているのであろう。
「あ、聞こえた? うん、笑った。ごめんな。まあ、そんな怒るな。カップ麺、買ってやるから」
橋本英樹は、大道の肩をぽんと叩いた。
大道は橋本の前で、怒っているような泣きたいような、複雑な表情を浮かべ、じっと俯いていた。
やがて、ぼそりと小さく口を開いた。すねた子供のように、唇を尖らせて。
「期間限定の、民来軒のがいい。二百九十八円の、生麺タイプの」
その言葉を聞いた橋本は、
「生麺をどうやって、一週間かけて食うつもりだよ」
苦笑しながらこう返したのであった。
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