君民同人

君主と人民は同じ人間である。両者は、上から徳を施す立場にあるか、下で徳を受ける立場にあるかの違いに過ぎぬ。ただその衣食が異なることを言うのではない。農夫に礼服を着せ礼帽を被らせて立派な建物に座らせ、君主に粗衣を着せ農具を持たせ丘の上に立たせたとしても、君主と人民の立場が入れ替わるわけではない。衣食が立派か貧しいかによって君主となり人民となるのではないことを弁えるべきだ。

ところが人君は往々にして、自分の身は安逸にして人を使役するのが君主だと思い、苦労して人に使われるのが人民だと考える。人民は非常に愚かなので賤しいのだと考えている。

そもそも君主も人民も、同じように天によって生じたものであって、耳目鼻口、体のどんな部位にも異なるところなどない。人民に徳を施す任に堪えうる者が天職を受け、あるいは祖先の余沢によって天職を受ける。それゆえに、自分は安逸にして、人を使うことができるのである。一方で、人に使役される者が、人を使う者よりも優れた資質があったとしても、君主の地位を窺うことなく、雑務に服し、おとなしく従っているのは、これまた、人民としてその天職を行っているのである。

それを知らずして、人民を賤しみ、愚かと考えるのは、愚かな君主であると言うばかりではない。もし人民が農具を捨ててその仕事を放棄すれば、必ず刑罰を受ける。もし君主がその天職を行わなければ、国家は廃墟となり、身は滅び、名を失う。しかしながら天の処罰は徐々に行われ、今日の罪は今日処罰されるわけではないので、君主は自分が罪を犯していることを察せず、恐れ顧みることもない。人民が一言片句でも、一歩一行でも、法令に背いて罪を犯せば、ただちに罰せられる。それ故、人民は処罰されることを恐れてその職を失うことはまれである。君主は罪に気付いて恐れることがないために、ややもすればその職を失い、天罰を受ける。

昔、夏の桀王は天職に仕えなかったので、天は桀王を廃して湯王に与え、殷の紂王もまた、天職に仕えなかったので、天は、紂王を廃して武王に与えた。百王の興廃はみな、天命でないことはない。人君たる者の恐れ慎むべきことである。

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