二 消えた彼女

「――あれ? いつの間に席替えしたの?」


 いつも通りに教室へ入ると、となりの席に別の女子が座っていたので、初め僕はそう思い込んで多少の驚きを覚えながらその子に尋ねた。


「席替え? 何言ってんの? ぜんぜん変わってないじゃん」


 だが、その女子は周囲を見回すと、眉間に皺を寄せて訝しげにそう答える。


「いや、僕のとなりは河垂だっただろ? 確かに他のみんなは席変わってないみたいだけど……どうして河垂だけ席替わってるんだろう?」


 質問がちゃんと伝わっていないようなので、僕は改めてもっと具体的に言い直すのだったが……。


「はあ? あんたのとなりはずっとあたしだったでしょう? それともなに? 遠回しにあたしじゃ嫌だって言いたいわけ? ってか、河垂って誰? そんな子うちのクラスにいた?」


 ところが、彼女はますます何を言われているのかわからないという顔をすると、ひどく不機嫌な様子で逆に訊き返してくる。


「誰って河垂かすみだよ。あんな強烈キャラな女子、忘れたくても忘れられないだろ? ああ、そうか。これはあいつの悪戯だな。そうやって僕の記憶が混乱してるように思わせて驚かそうっていうんだな。なんともあいつらしい知的なドッキリだ…」


 次に僕はそう考え、どこかに隠れて河垂が様子を覗っているのではないかと教室内にその姿を探してみる。


「はい? ちょっとあんた、頭大丈夫? もしかして休みボケで妄想癖が悪化した? それとも恋愛ゲームと現実の区別がつかなくなった中二病患者?」


 だが、どこにもその姿は見えず、馴染みのない目の前の新たなおとなりさんは、とても嘘を吐いているとは思えない険しい顔つきになって、精神異常者でも見るような眼差しを僕に対して向けた。


「中二病って……いや、もうわかったから勘弁してくれよ。君の演技もアカデミー賞級だって認めるからさあ…」


「ほら、席につけ! ホームルーム始めるぞお!」


 なんだか少し怖くなり、あっさり降参の白旗を上げようとしたその時、始業のチャイムが鳴り響くと担任教師が入って来た。


「………………」


 僕は宙ぶらりんの消化不良のまま、やむなく隣人の変わった自分の席に腰を下ろしたのであるが、そのホームルームはさらに僕の頭を混乱させることとなる。


「――織田……加藤……鹿島……木之本……九度山……」


「…………え?」


 普段通りに出席をとっていた担任が、河垂の名前を飛ばしたのだ。まるで、そんな生徒はこのクラスにいないとでもいうように……。


 平然とその後も生徒達の名を呼び続けている担任をまじまじと見つめた後、僕はまたしても教室内をぐるりと見回した。


 しかし、誰一人として河垂の名が呼ばれなかったことを不審がる者はいない……僕は、ようやくこれが彼女の悪戯ではない可能性を疑い始めた。


 さすがにクラス全員、しかも担任教師まで彼女の悪戯に協力するなんてことはないだろう……とすれば、いったいこれはどういうことだろう? 


 ひょっとして、何かやむにやまれぬ事情があって、僕にも内緒で突然転校したとか?


 いや、それでも他のみんながまるで動じていないことの説明にはならないが、じつは僕以外、事情を知っていて、僕にだけなんらかの理由で秘密にしているのだとか……。


 あまり現実味のある話とはいえないが、そんな仮説を立てた僕はいつもより長く感じるホームルームの時間を過ごし、終わって担任が廊下へ出るや、慌てて後を追いかけるとおそるおそる河垂のことを尋ねた。


 もしかしたら本人に口封じされているのかもしれないが、それでも何も告げずに転校するなんて、どんな理由があるにせよ、そんなの納得がいかない。


「――河垂? 誰だそりゃ? 他のクラスのやつは先生でも把握してないぞ?」


 だが、訝しげに小首を傾げた担任の答えは、意外にもとなりの女子と異口同音のものだった。


「いや、あの河垂ですよ? こう言っちゃなんだけど超絶美少女の。その上、成績優秀でスポーツ万能の……」


「超絶美少女? なんだ、スマホの恋愛ゲームと現実の区別がつかなくなったのか? いや、ゲームやるなとはいわないけど、それはさすがにやりすぎってもんだぞ?」


 僕は驚いて訊き返すが、逆にこちらの方が頭どうかしているようにまたも思われてしまう。


 しかも、その様子は嘘や冗談で言ってるようにはとても思えない。


「ゲームの世界にばっかのめり込まないで、ちゃんとリアルな生活を充実させろよ?」


「………………」


 得意げにお説教をして立ち去って行く担任を、僕は廊下に茫然と立ち尽くしてしばし見送る。


 …………いったい、何がどうなってるというのだ?


 河垂が恋愛ゲームの登場キャラだって? 冗談じゃない。そもそも僕はその手のゲームをする趣味はないし、無論、ゲームと現実の区別がつかないほどの中二病患者でもない。


 なんだかバカにされているような気がして、僕は怒りにも似た感情を抱くと授業も身に入らず、休み時間が来るたびにクラスメイト達を手当たり次第問い質した。


「――河垂かすみ? 誰それ? いるの気づかないくらい影薄い子?」


「――んな美少女いたら知らないわけないだろ? あ、病気がちで入学早々学校来れてないとか?」


 だが……いや、もう薄々予期していたことではあるんだけど、やはり皆答えは同じで、誰一人としてあの子がいなくなったことを気にしてはいない……というより、彼女がいたことをまったく憶えていないのだ。


 まるで、河垂かすみという人物が、この世界にもともと存在していなかったとでもいうように……。

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