第5話 龍門館
最澄と空海の前を辞した晴明、勇躍近江に向かうのかと思いきや、比叡山山麓の八瀬大原の里に向かった。
しかも、向かった先が、隠棲した建礼門院こと平徳子の隠居所。
師匠霊仙が、この地方の名産であるしば漬けが好物であったことを思い出して、手土産に買い求めるつもりだった。
治承の乱・寿永の乱の終わり、栄華を極めた平氏を滅亡に導いた檀ノ浦の戦いに敗れた平徳子に、大原の農民達が差し入れしたと伝えられている漬物を、師匠霊仙への手土産にするつもりだった。
時の人、安倍晴明が突然訪ねたら、大原の里でなくとも大騒ぎになるのは必定の時代。
建礼門院とて、例外ではなかった。
男子ながらも、あまりに美しい晴明に見とれてしまった。
都の怨霊を退治して勇名を馳せた晴明。
人々は、屈強な若者を想像していた。
ところが、見目麗しい公逹。
今でいうところのイケメン。
あっという間に人々に囲まれて、身動きが取れなくなってしまった。
空海より、人々への心構えを叩き込まれていた晴明は、騒ぎが治まるまでのしばらくは、建礼門院の話し相手になって過ごすことにした。
代わりに、里の農民がしば漬けを木製樽に詰めてきてくれた。
晴明、建礼門院平徳子と農民に丁寧にお礼を言うと、真っ直ぐ上空に浮き上がった。
都での晴明の怨霊退治を見ていない人々は、驚愕した。
近江の国、信楽郷までひとっ飛び。
大原の里で、遅れた時間を一気に取り戻した。
『悟空・八戒・悟浄・・・
久し振りだな・・・
元気だったか・・・。』
孫悟空・猪八戒・沙悟浄の3匹の神獣は、晴明に飛び付いて喜んだ。
3匹以上に喜んだ者がいた。
天馬玉龍である。
騒ぎを聞いた霊仙が、本堂から出てきた。
『晴明が帰着したか・・・。』
霊仙、実はこの日を心待ちにしていた。
『お師匠様・・・
道場建立から、遅くなって
しまい、申し訳ございま
せん。』
『なんの、それより晴明。
玉龍と共に駆けてみよ。
三蔵ではなくとも、それだ
けの力はついておるはず
じゃ。』
霊仙の言葉に確信のようなものがあった。
『玉龍・・・
頑張ってくれるか。』
馬の姿になっている玉龍の首をポンポンと撫でるようにして、
足踏みに足をかけた晴明。
右手で手綱と鞍の前立てを持つと、ヒラリと身を翻し、馬上の人となった。
『さぁ、玉龍・・・
思う存分駆けて良いぞ。』
そう言うと晴明、玉龍の腹を足の内側で軽くポンと蹴った。
と、同時に玉龍は、猛然と走り出した。
本当に嬉しそうな表情で走っていたが、しばらく走っているうちに、鞍の後ろに白く美しく大きな羽が生えてきた。
玉龍、天馬どころではなく、ペガサスの子供であったのだ。
三蔵法師の下で修行を重ねて、ペガサスに成長する日を待っていたのだ。
だが、最後の儀式である、羽が生えて、初めて飛ぶ儀式を行う体力が、高齢の霊仙には残っていなかった。
道場に帰った晴明を見たとたん。
霊仙は、晴明の成長を見て取った。
そうこうするうちに玉龍、羽を羽ばたかせて、フワッと舞い上がった。
玉龍、正真正銘の天馬になった瞬間である、
孫悟空・猪八戒・沙悟浄の3匹の神獣は、小躍りして喜んだ。
その昔、玄奘三蔵と共に天竺まで苦労して旅をした仲間である。
その仲間、玉龍が、神獣となり、天馬ペガサスへと成長したのである。
3匹は、嬉し泣きながら、号泣した。
『お~い、玉龍・・・
良かったなぁ・・・
良く頑張ったなぁ・・・
お師匠様・・・
晴明・・・
ありがとう・・・。』
孫悟空、ちょっと泣き過ぎであった。
孫悟空の横では、猪八戒と沙悟浄がうずくまって泣いていた。
玉龍が、地上に降りて、晴明がヒラリと身を翻して玉龍から下りると、3匹は、玉龍に抱きついた。
『お前ら・・・
抱きつくの好きや
なぁ・・・。』
晴明は、霊仙の隣で笑った。
晴明自身も、自身の新たな力に驚いている。
三蔵法師になれているはずはない。
三蔵法師の装束は、霊仙しか持っていない。
晴明は、山伏姿のままで、玉龍に跨がったのである。
『玉龍の乗馬は、陰陽道の修
行度合いなんじゃ・・・。
陰陽道だけでなく修験道ま
で極めたそなたには、資格
が備わったのじゃ。』
崇徳上皇・平将門・菅原道真の日本三大怨霊とキツネの妖怪玉藻を退治した後、玉梓怨霊まで退治していた晴明の陰陽力は、限りなく強いものになっていた。
そこに、大峰山で修験道の修行を重ねて、役行者から力を授かるほどになっていた。
『仏道の修行がまだまだじゃ
から三蔵にはなってな
いが。
もう、ほとんどの力は習得
しておる。』
霊仙は、晴明を称えたが、もう一人、進化の条件を充たしている者がいた。
『悟空・・・
いつまで泣いているんだ。』
晴明が、号泣していた孫悟空に声をかけると、悟空が顔を上げた。
その顔を見た霊仙と弟子逹は、仰天した。
『ご・ご・悟空・・・
その顔・・・。』
霊仙でさえ、叫んでしまった。
孫悟空の顔が、毘沙門天になっていた。
『悟空・・・
ついに、十二神将に昇格し
たようだな。』
晴明は、心から感心して喜んだ。
『そうか・・・
玉龍の修行進化を、心から
喜ぶことで、慈悲の心が備
わったんじゃな。』
霊仙がそれを喜んだ。
『残るは、八戒と悟浄じゃ。』
その夜、霊仙は上機嫌だった。
晴明の土産のしば漬けをつまみながら、久し振りに弟子逹と酒を酌み交わした。
この時代は、まだ僧侶であっても、肉も食べれば、妻も娶る。
肉食妻帯禁止等という禅宗の教えは無い。
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