多摩市暴力団事務所壊滅事件
机に腰かけ見下ろす様にしながら、こちらを威圧してくるのが、若頭なのだろう。その周りを、構成員が刃物を持って、睨みを利かせている。
雄二達は、余程酷い暴行を受けたのだろう。顔が変わる程に打ち据えられている。その内の何名かは、意識を失って床に転がされている。
雄二は何とか意識を保っている様子だが、時間の問題に見える。
早く、病院に連れて行った方がいい。
冷静に状況を観察していた冬也に、再び若頭から声がかかる。
「おい、聞いてんのか? 東郷ってのは、お前なんだろ? てめぇが呼び出された理由くらい、わかってんだろ?」
多少、ドスが利いていても、一般人とそう変わらない話し方だ。構成員達の方が、よっぽどその筋らしい話し方をする。
恐らく、社会に混じりこむ為に使う、表向きの顔なのだろう。
しかし、若頭が雄二達を見る時の視線は、酷く蔑んでいる様に感じる。恐らく、彼らがここで死んでも、何も感じないのだろう。
何かが心の中から欠落している、そんな冷徹さを若頭からは感じるのだ。
それは、怒りや殺意の類ではない、酷い冷たさだ。
歪さを感じさせる若頭、刃物を持って威嚇してくる構成員。一般人なら、こんな者達に囲まれたら、言葉も話せない程に怯えるだろう。
だが、冬也にとって怖いのは、雄二達が手遅れになる事。だからこそ、冬也は冷静になろうと努めた。
「わかんねぇよ。それに誰だよ、あんた!」
「おい、若頭に向かって、舐めた事言ってんじゃねぇ!」
「黙ってろ!」
構成員の一人が、冬也に向かって声を荒げた次の瞬間だった。
若頭は机の上にあるガラス製の分厚い灰皿を掴み、声を荒げた構成員の頭を強く殴りつける。滂沱の血が流れ出して、構成員の一人が蹲る。それを別の構成員が奥へと運ぶ。
日常では、見る事の無い光景だろう。
「そんなもんで殴ったら、いてぇだろ? あんたの部下なんだろ?」
「無能な奴は、必要ない。わかるか? このご時世、しのぎだって、大変なんだよ」
「だったら、優しくしてやれよ。それに、早くこいつらを開放してくれ。こいつらが、何をしたんだ?」
若頭に向かい、冬也は鷹揚な態度を崩さない。寧ろ、崩す必要が無い。
冬也は、雄二達を開放する様に訴えると、そのまま雄二達の近くへと歩みを進める。その歩みは、刃物を持った構成員に阻まれる。
しかし冬也の視線に怯んだのか、それとも後ろから威圧している若頭に怯えたのか、構成員達は大人しく引き下がった。
「おい、雄二。話せるか? 辛かったら、しかたねぇけどよ。お前等、何をやらかしたんだよ?」
目の前まで近づいて、膝を突いた冬也は、雄二に話しかけた。
口を開くのさえ辛いのだろう。雄二は、ただ済まないとだけ呟いた。
「こいつらはなぁ。俺達のシノギに、手を出しやがったんだ。言っただろ? 多少のやんちゃなら、目を瞑ってやるってよ。だがなあ、ガキがこっちの領分にぃ、入って来ちゃあ、いけねぇよなあ!」
若頭の仮面が剥がれつつ有るのだろう、言葉の最後は荒々しかった。
本来ならば、ここでほとんどの者が、心を折られるのだろう。
「意味がわかんねぇよ。ちゃんと日本語で話せよ。俺はあんたと違って、一般人なんだ」
「聞いてた以上に、面白え奴だな。ここまでして、少しも芋を引かねえ。あぁ、いいぜ。ちゃんと話してやる」
冬也の変わらぬ態度に、興味を示したのだろうか、若頭は語り始めた。
雄二とその仲間が、組の構成員といざこざを起こす事は、度々あった。それ自体は、敢えて咎める迄の事ではない。
一方的にやられたなら問題だろうが、その道のプロが高校生程度に負ける事はない。
問題なのは、諍いを起こした時に現れる、助っ人の方だ。高校生離れした強さに、構成員が何人もやられた。
本来ならばこの時点で、落とし前を付けさせなければならなかった。
警察の締め付けが厳しくなっている昨今では、シノギが辛くなっている。生活出来ない構成員の中に、組から離れてカタギになる者も出てきている。
じわじわと、真綿で首を締められる様に、組織を維持させるのが難しい状況へ、追い込まれているのだ。
その上、ガキにやられた事が噂になれば、他の組に舐められる。そうなれば、自分達の組は終わりだ。
だが、若頭は落とし前を付けさせなかった。大きな取引を控えていたので、小さな事に構っていられなかった。
この時点で、雄二のグループを放置するべきでは無かった。
雄二というより、その仲間が問題であった。
冬也という存在が居る事で、後ろ盾を得た気になっていたのだろう。気が大きくなっていた雄二の仲間は、超えてはならない一線を越えてしまった。
取引の相手は、俗に言う海外マフィア。その内容は、特殊なルートで持ち込んだ、麻薬を一定量融通する代わりに、都内に所有する幾つかのビルを売却するというものだ。
そして、麻薬を入手ルートを確保した若頭は、売人に捌かせた。
雄二の仲間は、売人達を次々に襲った。それだけではなく、構成員と売人達が麻薬を受け渡している現場を、複数人で襲った後、警察へ匿名で連絡をしたのだ。
当然、警察官が駆け付けた時には、雄二の仲間は消えている。倒れている売人や構成員は、麻薬の不法所持で逮捕。さらに多数の麻薬が、押収される事になった。
どんな理由が有るにせよ、流石に見過ごせる事ではない。そして、遊び半分にしては、度が過ぎている。
しかし、やくざに喧嘩を売る、馬鹿なガキ共が本当にいるのだろうか?
そう考えた若頭は、雄二のグループを全員捕らえて、世間の厳しさを教え込む事を決めた。それと共に、助っ人として現れる、喧嘩の強い男を呼び出す事にした。
「それが、俺って事か?」
「ああ、そうだ東郷」
「ただよぉ。お仕置きにしちゃあ、やり過ぎじゃねぇのか? 全治何か月だよ!」
「俺達がカタギに手を出さねぇ様に、カタギは俺達の世界に、手を出すべきじゃねぇんだよ。どんな義侠心に駆られたんだか、誰に影響されたんだか知らねぇけどなぁ。興味本位で首を突っ込むと、こうなるんだ」
「こいつらが、あんたらから奪ったっていう、何とかってのを返すとしたら?」
「俺の話を聞いてたのか? 押収されてんだよ! それに、そんなレベルは超えてんだ。うちのシノギに手を出した時点で、こいつらの人生は終わりなんだよ!」
「あんた、話しになんねぇよ。俺は、許してやれって言ってんだ!」
「話になってねぇのはお前だ、東郷!」
若頭の言葉を最後に、冬也はゆっくりと立ち上がる。そして、ゆっくりと若頭との距離を詰める。若頭の周囲にいた構成員達は、一斉に刃物を構える。中には、拳銃を構えている者もいる。
ピリリとした、緊張感が事務所内を包む。あと一歩、冬也が足を踏み出せば、構成員は一気に襲い掛かるだろう。
それでも冬也は、冷静であった。
構成員達が動き出す、ギリギリのラインを見極め、冬也は立ち止まる。そして、若頭を睨め付けた。
「どうしてもってんなら、俺が相手をしてやる。てめぇら全員ぶちのめして、こいつらを回収させてもらう」
「はぁ? やれんのか? やっぱとチャカを持たせてんだぞ!」
「当たり前だ! だから、あんたらは、ここで引け!」
「おいおい! ガキの言う通りにしてる様じゃ、この世界は生きていけねぇんだよ!」
「じゃあ、話しは終わりだな」
元々、穏便な話し合いで済むとは思っていない。冬也は、拳を握り闘志を漲らせる。
そんな冬也に、若頭は待ったをかけた。
「まぁ落ち着け、東郷。なぁ、お前。俺の下につけ! 今なら盃をくれてやる!」
「はぁ?」
「わかんねぇのか? それで、手打ちにしてやるって言ってんだよ」
まるで嘲笑する様に、若頭は冬也に言い放つ。だが、そんな条件を呑む事は出来ない。首を縦に振る意味すらない。
「なぁ。その何とかってのは、法律で禁止されてんだろ?」
「正確には、免許が必要だな。俺達がやってるのは、不法所持ってやつだ」
「難しいこと言うんじゃねぇよ。わかるように、説明しろよ!」
「つまりだ。麻薬ってのは、依存性が高いんだよ、だから切れたら欲しくなる。それを提供してやるのが、俺達の仕事だ。需要が有るんだから、供給してやらないといけねぇよな? 真っ当な仕事だとは、思わないか? まぁ、少しは値が張るがな。仕方ねぇよ、手に入れるのが難しいんだからよ。それに、こっちも食っていかなきゃならねぇ。多少は、客を増やす努力ってのもするんだよ」
「あぁ、なるほどな。そうやって、あんたらは儲けてんのか? 言い方を変れば、俺を騙せるとでも思ったか? 薬漬けにして、金を奪って、それが真っ当だって言いてぇのか」
「営業努力と、言って欲しいもんだな」
「はぁ。あんたら全員、糞野郎だな!」
冬也が、覚醒剤の事を、全く理解していないのではない。冬也は、敢えて問いただしたのだ。
雄二の仲間が、一方的に迷惑をかけたのなら、それなりの謝罪が必要だろう。だが、意識を失うほど暴行を受けたのだ、これ以上の謝罪は必要あるまい。
ただ、こういった組織には、面子というものがある。それを立てねば、納得はしまい。
法律が絶対に正しいとは、限らない。だが、この国で暮らす限り、遵守すべき物だ。
話を聞く限り、彼らに正当性を全く感じない。しかも、自分を部下にしたいが為に、ここまでの暴行に及んだとすれば、許せるはずがない。
冬也は声を荒げる。それに反応して、構成員の一人が刃物を振りかざし、冬也に襲い掛かる。
冬也は、素早く構成員の懐に飛び込むと、刃物を持っていた手を掴む。そのまま背後に回り、構成員の手を捻り上げて、肩の関節を外す。
そして、背中に掌底を叩き入れ、意識を奪う。
それが引き金となり、事務所内での乱闘が始まった。
次々と、刃物を持った構成員が、冬也に襲い掛かる。しかし、刃物を持った相手に対しても、冬也が動じる事はない。
素早く相手との間合いを詰め、刃物を持った手を殴りつける。相手が刃物を手放した所で、顎の先端を強打し、失神させる。
背後から襲ってくる相手には、後ろ蹴りを放ち、吹き飛ばす。
剣を極めた者が相手なら、冬也でもそう上手くは、立ち回れない。
相手がプロと言っても、それは喧嘩のプロである。武術を極めた者に、太刀打ちは出来ない。例え、拳銃を持っていても、冬也の動きを追って狙いを定める事は難しい。
引き金を引く前に叩き落せば、拳銃だろうが刃物だろうが、変わりはない。
相手の動き出しを捉え、武器を持つ手にダメージを与える。後は急所に一撃を加えて終了だ。
また冬也は、雄二達に危害が及ばない様にしている。人質に取ろうとする構成員が居れば、真っ先に意識を奪う。
一人、また一人と構成員が倒れていく。最後に残ったのは、若頭だけになっていた。
流石に場慣れしているのだろう。乱闘の隙をついて、若頭は冬也から距離を取っていた。そして、冬也に向かって拳銃を構えている。
流石の冬也も、この時はマナの使い方を知らない。銃弾を避ける事など出来ない。
「東郷、そこまでにしとけや! お前の強さは、オヤジや上の連中が認めてんだ。黙って、盃を受け取れや!」
「断ると言ったら?」
「ここまでしといて、ただで帰れるなんて、思っちゃいねぇだろ?」
それに頷く冬也ではない。
冬也は若頭の距離を詰める。そして若頭は、躊躇なく拳銃の引き金を引く。
銃弾は真っすぐ飛び、冬也の肩を射抜き、背後の壁に穴を開ける。だが、冬也は止まらない。
続けざまに、若頭は引き金を引く。銃弾は、冬也の太ももを貫通し、床に当たって止まる。
それでも、冬也は止まらない。
「てめぇ! 何がどうなってやがる!」
「俺の体は、頑丈に出来てんだよ。俺を殺したければ、心臓か頭を狙え!」
ただ、若頭が冬也の頭を狙い、撃つ事は無かった。
肩と太ももの両方から血を流しながらも、若頭に拳が届く位置まで近寄っていた。そして、冬也の拳が振るわれる。
顔面を殴られた若頭は、後ろに大きく吹き飛び、壁に激突して意識を失った。
全員を片付けた冬也は、ポケットからスマートフォンを取り出す。そして、電話をかける。
電話の相手は勿論、警察である。電話で子細を伝えると、雄二達の下へ歩み寄り、拘束している縄を解いた。
続けて冬也は、別の相手に電話をかける。
「あの、政さん。仕込み中にすみません」
「あぁ? どうした冬也、今は授業中じゃないのか?」
「いや、そうなんですけど」
「また喧嘩か? いい加減にしとけよ!」
「すみません。今回は、ちょっとヘマをしちゃいまして」
「おい! まさか?」
「多分、そのまさかです。付け場を汚す訳にはいかないので、今日は休ませて下さい」
「この馬鹿野郎! 授業をさぼって、あぶねぇ真似しやがって! 親方の拳骨は、覚悟しとけよ!」
「わかってます。親方の拳骨が、一番いてぇ」
「わかってんなら、心配かけんじゃねぇ! わかったな! 早く病院に行って、手当てしてこい!」
電話を切った冬也は、笑っていた。
心配をして、怒ってくれる人が居る事は、何よりも幸せな事なのだ。
その後、警察と救急者が到着し、雄二達が運ばれていく。
そして冬也は、病院で治療を受けつつ、警察官に事情聴取を受ける事になる。
無論、下部組織を潰された事で、冬也は組全体から狙われる事になる。
しかし冬也は、向かってくる者を全て片付ける。それは、警察が仲介役となり、手打ちとなるまで続いた。
そして当の雄二と言えば、それ以降は真面目に学校へ通う様になった。その仲間達も、懲りたのだろう。藪をつついて蛇を出す様な真似は、一切しなくなった。
☆ ☆ ☆
「僕と出会う前から、君は危ない橋を渡っていたんだね。道理で君は、戦い慣れしていると思ったよ」
「随分と、昔の話しだ。雄二も居ねえしな」
「でも、連絡が有ったんだろ?」
「あぁ、天狗のおっさんからな。雄二は日本、美咲さんはこの世界だ」
飯縄権現は、冬也達との約束を守った。
冬也が知らされた内容は、あの大戦でロメリアから能力を強引に引き剥がされ、転生が出来ない程に欠損した、魂魄の修復が完了した事、そして転生先が決まった事であった、
過ぎ去った過去、それは痛みと苦さを内包して、儚い輝きを放つ。
しかし、明日がまた訪れる様に、明るい未来は必ず訪れる。
ペスカトーレ、おまけ集 東郷 珠 @tama69
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