ダチが命の危険に晒されてるのに、授業なんて受けてられっか馬鹿野郎!

 これは冬也とペスカが、まだ学校に通っていた頃の話である。

 通学の時間になると、毎日の恒例とも言える光景が繰り広げられる。彼らを知る近所の住民は、仲の良い兄妹に温かい声援を送った。


「ペスカちゃん! 今日こそは兄貴に勝てよ!」

「頑張れ、ペスカちゃん!」

「糞兄貴に負けんなよ、ペスカちゃん!」

「頑張ってね、ペスカちゃん!」

「事故には気を付けるんだよ!」


 玄関前で屈伸をしながら、近所の住民にペスカは笑顔で手を振る。冬也は、声援を気にも留めずに、ストレッチを行う。


「準備はいいか?」

「今日こそ、お兄ちゃんに勝つよ!」


 そして始まる。学校まで、どっちが早く辿り着くかの競争が。

 自宅から高校までは、歩いても三十分程度の距離である。神社から商店街を抜けて、駅の反対側に回るのが、通学のルートである。

 大した距離ではないが、一直線でもない。そして最大の難所が、駅を迂回するために渡る踏切である。タイミングによっては、遮断機が下りて大きな時間のロスとなる。


 また、通勤や通学の為に、駅へ向かう人々は知っている。

 これが、毎朝の恒例であり、下手に避けると危険であると。故に、出来るだけ道の端を歩く。

 

 ペスカと冬也は、短距離走の記録保持者でも、顔を青くする様な速度で疾走する。自転車を追い越し、商店街を疾走する。


 美しいフォームで走るペスカに対し、出鱈目なフォームの割には異様に早い冬也。商店街を抜ける頃には、差が開く。

 ペスカは冬也に追い付く為に、マナで身体能力を向上させる。それでも、冬也を追い越す事は出来ずにいた。


 駅を迂回し二人は踏切を渡る。渡った瞬間に、遮断機は音を鳴らし、電車の到来を告げる。

 ここから学校までは直線となる、ここで二人はラストスパートに入る。


 学生達の声援を受けて、二人は全力で走る。直ぐに校門が見えて来る。

 二人は、校門前で待ち受けている教師を無視して、ゴールを決めた。


「あ〜、もうちょいだったのに!」

「惜しかったなペスカ。でも、まだまだだな」


 冬也の方が、頭一つ校門を潜るのが早かった。悔しそうにしつつ、ペスカは息を整える。対して冬也は、汗一つかいていない。

 二人はそのまま、校舎へと向かう。その時、背後から声がかかる。


「待て! 東郷兄妹! 先生を無視して、ゴールするな!」


 二人が振り向くと、先ほどの教師が、眉根を寄せて仁王立ちしていた。


「なぁに、先生?」

「あぁ? なんだよ!」

 

 可愛らしさをアピールし、その場をやり過ごそうとするペスカ。それに対し冬也は、相手が教師であろうと、ふてぶてしい態度を変えない。


「東郷妹、お前なぁ」


 教師は溜息をつくと、二人に近寄った。


「年頃の女の子が、ジャージで街中を疾走って、どうかと思うぞ!」

「だって、先生! 制服だと、色々見えちゃうでしょ? そうしたら」

「そうしたら?」

「お兄ちゃんが、血の雨を降らす事になるよ!」


 ペスカの答えを聞くと、教師はがっくりと肩を落とす。

 そして、深いため息をついた後、諭す様に言葉を続けた。


「あのなぁ。疾走しないって選択はないのか?」

「ないよ! お兄ちゃんと一緒に登校出来なくなっちゃう!」

「はぁ、じゃあ何か? お前か? お前のせいか? 問題児!」


 教師が冬也ではなく、ペスカと会話を試みたのには理由が有る。

 冬也と話しをしていると、論点がずれていると、感じる事が有る。それは、冬也に理解力が無いからではない。話しの通じない相手でもない。寧ろ、こちらの意図を理解し、機微を察する事さえも出来る。

 何か食い違いを感じたら、往々にして間違っているのは、冬也ではないのだ。

 

 人生の正解なんて、教師にだってわからない。

 精々、人生の先輩として、アドバイスが出来るだけだ。

 ましてや冬也は、信念に基づいて行動している。そんな相手に対し、意見をする意味が無い。その信念が、根本的に間違えているならまだしも。

 冬也は家庭を支える、立派な大人なのだ。


 だからこそ、面倒なのだ。

 頭が良く、愛想も良い、おまけに要領も良い妹は、遥か高みから降りてきて、対応してくれる。

 要領の悪い兄は、己の信念を力づくで通す。


「はぁ? 先生、体を鍛えるのは、悪い事だって言いてぇのか?」

「そうは言ってない。そんなに体を動かしたいなら、部活に入れ!」

「そんな暇はねぇ!」

「事故が起きてからじゃ遅いんだぞ!」

「安全かどうかなら、気を付けてる。事故なんて起こしてないし、車や自転車、それに歩行者にも気を配ってる。それとも何か? 迷惑だって通報が来たのか?」

「そうじゃない。だがな、お前らが登校する度に、お祭り騒ぎになるんだよ! いずれ事故が起きるかもしれないだろ?」

「ならねぇよ。その前に、俺が助ける」


 馬鹿げた身体能力を持つこの兄なら、有言実行にしてしまうかもしれない。

 自信有り気に答えた冬也に対し、教師は妙な幻想を思い描く。そして教師は大きく頭を振り、今日何度目かの溜息をついた。


「ところで、東郷兄。設楽が今、何をしてるか知らないか?」

「雄二? あいつがどうしたんだよ?」

「ここ最近、また学校に来てないんだ。親御さんに連絡したら、家にも帰ってないと言うし」

「あれじゃねぇのか? 修行! 俺だって、何週間も学校に来ない事が有っただろ?」

「お前の所は、特別だ! 子供をジャングルに放置してくる親が、何人もいて堪るか!」

「違うよお兄ちゃん。ほら先生、あれだよ、あれ! 若さ故の何とか!」

「あぁ。認めたくないものだな、自分自身のって、何を言わせるつもりだ!」

「おぉ! わかってるね、先生!」

「まぁ流石に、ファーストの世代だからな」

「そんな先生に免じて、私が力を貸してあげよう」

「東郷妹、お前は手を出すな。ややこしくなる」


 言いたい事を言い終えたのか、教師は腕組みをしながら去って行く。

 そして、ペスカと冬也も校舎に向かった。下駄箱で靴を履き替えると、教室棟へ向かう。


「じゃあお兄ちゃん。また、お昼にね」

「おう」


 その時は、まだ誰も知らなかった。

 これから街を騒がせる事態が起こる事を。


「冬也、少しは手加減してあげなよ」

「駄目だ。ペスカが買ったら、秋葉原に行かなきゃなんねぇ」

「秋葉原? ペスカちゃんと?」

「メイド喫茶に行きてぇんだと。空ちゃんと行けばいいのによ」

「まぁね。ちょっとハードルが高いね」

 

 冬也が教室に入るのを、待っていたかの様に、翔一が声をかける。溜息混じりに翔一に答え、冬也は自分の席に着く。

 やがて、ホームルームが始まり、一時間目の授業の教諭が教室に入って来る。

 

 冬也は成績が悪い。唯一、赤点を待逃れているのが、体育である。

 無論、自宅で復習やテスト勉強をする事はない。寧ろ、そんな暇がない。また、度重なる欠席により、授業について行けてない。

 しかし、冬也の授業態度は、決して悪くはない。教諭の説明はちゃんと聞くし、ノートもしっかりとっている。

 だから成績が悪く、度々問題を起こしても、決して駄目な生徒ではない。その問題は大抵の場合、他人の面倒事に巻き込まれた結果、暴力沙汰に発展しているだけなのだ。


 冬也が、色んな生徒から頼りにされるのは、そういった所以があるからだろう。

 そしてこの日も授業中に、冬也のスマートフォンにメッセージが届いた。それは、クラスメイトから転送された物である。

 そのメッセージを読んだ瞬間、冬也は席を立った。


「おい、東郷! 授業中だぞ!」

「先生、少し用が出来た。俺は早退する。翔一、この事はペスカに黙っとけ」

「何言ってんだ東郷! また授業を抜け出すのか? 単位がどうなってもいいのか?」

「うるせぇよ! ダチが命の危険に晒されてるのに、授業なんて受けてられっか馬鹿野郎!」


 大声で教師に反論すると、冬也は慌てて教室を出る。

 だが、冬也の口から飛び出した言葉は、決して聞き逃せるものではない。教師は授業を中断し、事情を知る者が居ないか、確認をする。

 そして、急いで職員室に向かい、教師陣と対応策を練った。


 一方、教室を出た冬也は、階段を駆け下りる。

 そして靴に履き替えると、校門へ急ぐ。校門まで来ると、道路脇に黒塗りのベンツが止まっている。

 冬也の姿を見るなり、いかつい男達がベンツから降りて来た。


「てめぇが東郷だな。着いて来い」


 冬也は男達の言うまま、ベンツに乗り込む。

 

「おい! 雄二に万が一の事があったら、てめぇら覚悟しとけよ!」

「黙ってろ、ガキ! 若頭がてめぇを呼んでんだ。てめぇは、大人しくしてろ!」

「そうだ! ガキが、調子に乗ってんじゃねぇ!」


 男達は、明らかにカタギではない職業の人間である。そして、車に乗るなり、冬也は拳銃を突きつけられていた。


 その手の職業にしては、やり過ぎだ。

 雄二が何をしたのかは、凡その検討がつく。どうせ、構成員の誰かと揉めて、数人がかりで叩きのめしたのだろう。

 だが、そんな程度の事なら、一々組織は介入しない。学生如きに叩きのめされた構成員が、仕置きされるならまだしも、揉めた学生に対しては恐怖を与えて終わりだ。

 結果的に、事務所に連れて行かれる事があっても、命に関わるような真似はしない。


 そんな事をすれば、警察に目を付けられる。カタギに手を出しても、デメリットしか無いのだ。

 だが、今回は違った。明らかに脅迫と取れるメッセージが、冬也のスマートフォンに転送されて来た。


 ダチの命が惜しければ、迎えをやるから、一人で事務所に来い。


 メッセージに写真も添付されていた。

 そこには、暴行された挙句、縛られている雄二の姿が写っていた。

 

 雄二の無事が確認できるまで、大人しく言う事を聞いた方が良い。

 そう判断した冬也は、それ以上口を開かなかった。

 そして、小一時間ほど過ぎた頃、車は事務所に到着する。そして、いかつい男達に急かされる様に、冬也は車を降ろされる。


 事務所のドアを、男の一人が開ける。そして、冬也は男達の後に続いて中に入る。

 そこで見たのは、雄二だけではない。雄二の仲間と思える数名が、同じ様に暴行を受け、縛り上げられていた。

 そして豪華な机に腰かけ、足を組みながら、彼らを見下ろしている男が、冬也に向かって声をかけた。


「てめぇが、東郷か。うちの連中が、世話になってるそうだな。ガキのやんちゃ程度なら、目を瞑ってやるよ。だがなぁ、流石に今回はそうもいかねぇんだよ。わかるよなぁ東郷!」

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