歓遇館の渡り廊下にて ―ジジスティカン国家大使との語らい―

 ちなみにちょっと余談。


 途中、トイレに行きたいと思ってもそうかんたんには行かない。

 なにしろこれだけ手間のかかるドレスだ。補助の人が最低3人はつかないとどうにもならない。尿意を催しても外見的には素知らぬふりをするのが常識となる。私は幼い頃から、モーデンハイムの一族として長時間に渡る催し物や歓待式などでのそう言う事情には慣れているがアルセラはそうはいかない。

 その辺の事情は小間使い役のノリアさんを通じて事前にアドバイスしていた。すなわち


――あまり水を飲まないように――


 乾杯のシャンパンですら、唇を濡らす程度で済ますようにと言い渡してある。

 途中、どうしてもトイレ行きを望むのならば、数人がかかりでスカートを持ち上げ、その状態で下着の脱ぎ着も他人の手を借りることになる。これがどれだけ恥ずかしいか――

 だから、ひたすら我慢となる。

 だから、余計に疲れる。


 無論、参列者の人たちも私たちのそういう事情はよく分かってくれている。よほど底意地の悪い人でなければ長話はしないし、簡単な名乗りと挨拶程度で許してくれる。


――歓待式の長話――


 これは最大級の失礼として複数の国でまかり通っている。

 たとえば100年ほど前の逸話として、とある国で王女の誕生歓迎会の席で興が乗った来賓が王女相手に話し込んでしまい、尿意を我慢していたその王女がものの見事に決壊してしまい赤っ恥をかかされて、国家間交流断絶の一歩手前までいった事もあるのだとか。

 まぁ、さすがにそれは作り話だと思うが。

 事前の教育が功を奏したのか、アルセラはそう言う状況には陥っていなかった。


 最初の挨拶から2時間が経過した頃に、付き添ってくれていたセルテスが耳打ちしてくれた。


「そろそろ、アルセラ様とご一緒に一度ご休憩なさってください」


 さりげなく視線を向ければ彼は言う。


「こちらの方は大旦那様と、デルプロア様とで対応いたします」

「ありがとう。是非そうさせていただくわ」


 2時間も立ちっぱなしで挨拶に歩き回るというのも恐ろしく骨が折れるものだ。気力が折れそうになる寸前のアルセラを伴いながら、私たちはこっそりと控え室へと姿を消すことにした。


 本会場から離れて脇廊下を通じて控室の方へと行く。純白の大理石と黒色の花崗岩がふんだんに使われているその廊下には、壁際に頑丈さを感じさせる飾り柱が等間隔に並んでいる。壁際には調度品として観葉植物と腰を下ろすベンチがこれも規則正しく並んでいる。左右の壁は縦長の窓になっており季節に応じて風を取り入れたり、分厚いカーテン下ろして暖を加工したりすることもできるようになっている。

 幅も広く複数の集団が肩をぶつけずに通りすがることも可能だ。


 そこからさらに別棟建てとなっている場所に主賓控え室が設けられている。

 私とアルセラ、そしてお付きの小間使い役のノリアさんとメイラさんの4人で私たちはその控え室へと向かおうとしていた。

 その廊下は私たち以外の人々も使うことがある。

 十三上級候族の当主クラスや、最高意思決定機関である賢人会議の議員、友好関係国の大使と言った人々だ。

 今もまた複数の人たちと通り過ぎた。

 友好国ジジスティカンの国家大使とそのお付きの人々だ。彼らが好んで着る礼服は数百年前から全く変わっていない。プールポワンと呼ばれる膨らみのある胴衣と、ジャーキンと呼ばれる毛皮製の荘厳さを感じる上着が基本となる。彼らが愛用する帽子はカワウソや海の猟虎ラッコなどの毛皮で作られたベレー帽だ。

 頑固で融通がきかないと言う評判のある民族だが、数百年を通じて変わらない正装にもそれは現れている。だが、非常に義理難く、一度受けた恩を絶対に忘れないというのがもっぱらの評判だ。

 フェンデリオルとは長年にわたり友好関係が続いている。我が国からは食料支援が送られる一方で、ジジスティカンからは職業傭兵の人材となる勇敢な若者たちが国を越えてやってきてくれる。内陸国で海に縁のないフェンデリオルにとって、海運王国でもあるジジスティカンは重要なパートナーでもあるのだ。

 その意味でも彼らとは切っても切れない絆があるのだ。


 先に立ち止まり頭を下げて一礼したのは私たちの方だ。当然ながら向こうからも返礼が帰ってくる。

 フェンデリオルでは、建国時に東方のエントラタ国の影響もあり会釈が習慣として根付いている。だが、会釈の習慣ない人々もいる。ジジスティカンは挨拶の際に、帽子を脱いで右手を差し出してくる。握手を交わすのが彼らの方の挨拶の習慣だからだ。

 ジジスティカンの国家大使を務めるスヴェンソン大使だ。

 私は彼から差し出された右手を握り返して挨拶を交わす。


「この度は拝命式にご参列いただき、誠にありがとうございます。モーデンハイム家令孫のエライアと申します」


 そして私は傍らのアルセラを右手のひらを上に上げて指し示した。


「こちらがこの度、ワルアイユ領新領主となられたアルセラ・ミラ・ワルアイユにございます」


 私からの挨拶を得てアルセラは数歩進み出て軽く会釈をしてから右手を差し出す。


「アルセラ・ミラ・ワルアイユにございます。この度は領主拝命式へのご参列、誠に痛み入ります」


 握手を終えた後、屈強な海の男思わせる立派なガタイのスヴェンソン大使はこう名乗った。


「ジジスティカン大使を務める、ヤン・スヴェンソン子爵と申します。ご丁寧な挨拶、感謝いたします」


 見事な青い瞳で見つめ返しながら彼は言った。


「これだけの規模の式典となると挨拶回りをするだけでも骨が折れるでしょう」


 アルセラは答える。


「はい。さすがに体に堪えます。ですが」


 一呼吸おいてアルセラは言った。


「西方国境で国と領地を守るための戦いに臨んだ時のことを考えれば辛いとは思いません」


 その言葉にスヴェンソン大使は言った。


「お見事ですな。さすが国を守るために代々身を捧げた一族の末裔だけはある。ワルアイユ家は国家防衛の責務を背負った辺境領だとお聞きしております。これからも苦難が続くとは思いますが、貴方ならきっと乗り越えられることでしょう」


 アルセラは笑みを浮かべて答えた。


「ありがとうございます。草葉の陰で父も喜んでいると思います」


 そして再びスヴェンソン大使は右手を差し出しながらアルセラにこう言ったのだ。


「あなたのこれからの生涯に武神の祝福のあらんことを」

「その言葉、心より感謝申し上げます」

「それでは失礼する」


 スヴェンソン大使とアルセラは礼儀を通した挨拶を交わして離れていった。私は思った。


「素晴らしいお方ね」


 私の漏らした言葉にアルセラたちが視線を向けてくる。


「アルセラの事を15歳の小娘と軽んじるようなそぶりは微塵もないわ。そればかりかワルアイユの歴史の事もしっかりと押さえた上でお話ししてくださるもの」

「はい。誠にありがたいです」


 私はアルセラに告げた。


「アルセラ」

「はい」

「あのような立派な振る舞いができる領主を目指しなさい。威厳があること、礼儀をわきまえていること、それこそが領主と言う地位にある者にとってとても大切なのだから」

「はいです。お姉さま」

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