悔いのない選択 ―トマリ総帥、来る―

 そして、その翌日のことだ。私のもとにある人物が姿を現したのだ。

 本邸にある図書蔵書室の中で、読書をしていた時だった。来客の知らせがセルテスから告げられた。


「お嬢様、ご来客でらっしゃいます」

「どなたかしら?」

「応接室にお通ししてございます」

「よろしくてよ。今、向かわせてもらうわ」


 私はお母様やメイラさんとともに応接室へと向かった。

 そこに居たのはルダンゴトコート姿の青年だった。年の頃は20代後半というところだろう。見事なまでの金髪が印象的だった。

 青い目の彼は私の方を見てこう名乗った。


「傭兵ギルド総帥、トマリ・ファクタム・オルトガルと申します。以後お見知りおきを」


 傭兵ギルド総帥――国中の職業傭兵を束ねるその頂点に位置する人物だ。凛とした落ち着いた声が印象的な好青年と言う印象だった。

 しかも、十三上級候族の中の一つオルトガル家の人間だ。確か私の記憶が確かならば、傭兵ギルドの総帥は代々、オルトガル家が世襲で継承しているという。

 しかし、単なる世襲ではなく、兄弟やいとこの中で最も優れた武功を挙げたものがオルトガル家の親族会議と傭兵ギルド総本部との話し合いによって推挙されて総帥に就任するのが習わしとなっていた。

 私はその彼に問うた。


「失礼いたしました。当家、令孫、エライア・フォン・モーデンハイムと申します。今回はどのようなご用向きでしょうか?」


 セルテスが言う。


「立ち話も失礼ですので、お席の方でお話をお伺いさせていただきます」


 私たちは応接席を挟んで会話を始めた。

 応接侍女が茶を運んでくるのを待って、トマリ総帥の言葉に私たちは耳を傾ける。彼の落ち着き払った声が聞こえる。


「今回、ご令孫のエライア君が西方国境防衛戦では多大な功績を残したのは皆さんご承知のことと思う」

「はい、それは十分に承知しております」


 忘れられるはずがない自分にとって一番大きい出来事なのだから。


「ですがそれが、一体何かあったのでしょうか?」


 私の問いかけにトマリ総帥は一つ一つ言葉を選びながら語り始めた。


「我々としては君の実績は極めて高く評価している。100年に1度の逸材だという声も聞かれる。それについては私も同意見だ」

「ありがとうございます。大変恐縮です」


 私は感謝の言葉を口にして頭を下げる。だが、彼の言葉がさらに続いた。


「だが君にはある致命的な問題が生じている」


 その時のトマリ総帥は落ち着いた表情の中に苛立ちを隠しているかのようだった。


「えっ? それはいったい?」


 思わぬ言葉に私は驚き動揺しそうになる。総帥は遠慮することなく言葉を続けた。


「君はこの2年間、エルスト・ターナーと言う別人の戸籍を借用して活動していたね?」

「はいその通りです。その事実に相違はありません」


 私と総帥の会話に、お爺様もお母様も互いに顔を見合わせて当惑しているのか分かる。


「実はだね」


 総帥は一呼吸区切ってから語り続けた。


「職業傭兵は偽名での登録は3級職なら登録可能だ。それは君も知っているね?」

「はい」

「次に、2級以上は実名が必須だ。ましてや別人の戸籍を使っての登録は認められない。この事実、君ほどの人物が知らなかったというわけではあるまい?」


 私は俯いて両手をぎゅっと握りしめてやや怯えながら総帥へと言葉を返した。


「はい、承知しております――」


 罪を断罪される。そういう雰囲気の会話になってきた。私はそう感じていた。


「実はだね。今回の一件が大問題に発展しかねないのだよ」

「大問題?」

「ああ」


 私は全身から血の気が引いてくる感覚を覚えた。足の末端が冷たくなり意識が遠のきそうになる。考えられた事態だが、発覚するとなると恐ろしいという気持ちが湧いてくる。

 総帥は私に語りかける。


「その様子では、問題の本質の重大さを分かっているようだね」


 私は無言で頷いた。他人の戸籍を使うことに問題があるのでは? というのはずっと引っかかっていたのだ。


「でも――」

「分かっている。君にはどうしてもそうせざるを得ない極めて重篤な事情があることは察している。何しろ」


 総帥は大きくため息をついた。


「国を売り飛ばすような卑劣な真似をする御仁。そのような人物を父親に持たねばならないというのはあまりにも重い現実だからな」

「はい」


 すっかり笑みが顔から消えた私に総帥は打って変わった笑顔で私へと、こう切り出したのだ。


「なに。そう怖がることはないんだ。そんな泣きそうになる顔はやめておくれ。実はだね、私はモーデンハイム家にある対応をお願いしに参ったのだ」


 総帥の言葉にお爺様が問う。


「ある対応ですと?」

「はい。傭兵ギルドとしてモーデンハイム家に依頼したいのは〝2年前にさかのぼりエルスト・ターナーと言う『別名』が存在したという書面〟を作成していただきたいのです」

「2年前ですか?」


 お母様の驚きの声に総帥は言葉を返してくる。


「ええ、そうすることで君の過去における問題はすべて解決する。これまでの君の行動は、エライア・フォン・モーデンハイムと言う一人の候族令嬢がエルスト・ターナーと言う別名を用いての活動だった――、そう結論付けることが可能になるのだ」


 総帥の言葉は続いた。


「それにだ。西方国境戦で2級傭兵にすぎない君が指揮権を行使したと言う事実が非常に大きな矛盾となって未だに解決できない難問となっているのは君も承知のことと思う」


 その通りだ。必要に駆られたとはいえ今考えてみればとんでもないことをしてしまったのだ。だが総帥は言った。


「だがこれについても、君が別名を行使していた、とすることで一気に解決するのだ」

「それはどういうことですか?」


 驚く私に総帥は言う。


「正規軍のワイゼム大佐はご存知のことと思う」

「はい、よく存じております。ベルクハイド家の極めて優秀な方です」

「そうだ。その彼とモーデンハイム家が旧知の仲であり特に互いを知っていたという事にして『大佐が持ち得る指揮権を軍本部を経由して、エルスト・ターナー2級傭兵に特別に預託した』と言うことにすれば良いのだ」


 彼は柔和な笑みを浮かべて言った。


「そうすれば問題は一気に解決する。表向きは大佐が、その素養と能力を熟知している君に特別な事情を持って指揮権を預託した、と発表すればいいだけのこと。この事はすでにベルクハイド家にも承諾してもらっている」


 さすが、そつのない行動だった。

 セルテスが即座に反応した。


「それでは早速、別名があるとする書類を2年前の日付にて作成いたします」

「頼む。公式書類として作成してそれを傭兵ギルド総本部事務局あてで送達してくれたまえ」

「承知いたしました。トマリ候」

「うむ」


 彼は満足げに頷くと私にこう言葉を残した。


「君は極めて優秀な人間だ。常人には見えていないものが見えている。だがそれだけに周りがそれについていけないという可能性も君は考えておかなければならない」

「はい」


 トマル総帥は言う。


「達人は脚が速い。それだけに余人を置き去りにしてしまう。その事を常に意識の中に置き自分以外の人々が離れていかないように注意を払わねばならないのだ」


 それは流石に総帥という立場を務める人物にふさわしい言葉だった。


「肝に銘じておきます」

「うむ。理解がされないと言うのは、いかなる才能も腐らせる原因になるのだからね」

「はい。お言葉痛み入ります」


 彼はそう語り切ると帰っていく。

 正面玄関まで総帥を見送る。オルトガル家の紋章がついたクラレンス馬車が控えていた。

 オルトガル家の紋章は、刀匠により金床の上で打ち鍛えられる牙剣を模したものだ。職業傭兵の成立過程においてオルトガル家は深い関わりがあるとされているのだ。

 総帥は馬車に乗る手前で私の方へと振り向きこう告げた。


「君にはあらためて別なお願いをすることになると思う。そう遠くないうちに、君は職業傭兵を続けるか否か決断しなければならない」


 その重く響く言葉が私へと投げかけられた。


「君は、国家的英雄に〝なってしまった〟のだから」


 国家的英雄――、その現実は脳裏の片隅をよぎっていたが傭兵ギルド総帥という極めて重い立場の人に現実として突きつけられると、その深刻さが両肩に重くのしかかってくると感じた。


 馬車の窓から総帥は言った。


「では失礼するよ」


 そして、総帥を乗せた馬車は走り去って行った。

 お母様の声が、優しい声が、私へと投げかけられる。

 

「エライア。とてもとても重要なことよ?」

「はい。お母様」

「焦らずに後悔のない選択をしなさい」

「はい」


 お母様は私を一切責めなかった。

 後悔のない選択――、それがどれほど重いものか今あらためて感じずにはいられなかった。


 私は天を仰いだ。

 選択の結論はまだ見えてこない。

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