モーデンハイム本邸帰着 ―セルテス出迎える―
モーデンハイム家、
上級侯族十三家の序列2位、フェンデリオルを代表する有数の軍閥家系として知られている。
1つの本宅と4つの別宅を持ち、関連する一族全てでは使用人の数は1000人を軽く超える。
保有する馬車の数は、軽快なハンサムキャブから、標準的な4人乗りのブルーム、荘厳華麗なクラレンス馬車、貨物用の大小様々な荷馬車に、大人数用のオムニバスと、数十台を保有している。
また、本宅敷地には邸宅は四つあり、それぞれに執事が配置されている。それらを総括するのが筆頭執事とされている。
敷地には巨大な庭園が広がり、その全容は容易には知り得ない。
その巨大な敷地の中の第一本邸、モーデンハイム宗家当主が寝起きし政務を執り行う場所だ。
第一本邸に近づくにつれて道の両サイドに立つ衛兵の数はさらに増えていく。
そしてついに、その正面入り口に馬車は滑り込むようにたどり着いた。正面入り口玄関には赤と青で彩られた金色の縁取りがある絨毯がひかれている。その絨毯の最端部に馬車は正確に停められた。
正副二人、乗車している馭者のうちの副馭者が先に降りて、まずは馬車の車輪が勝手に動かないように〝輪止め〟の楔を設置していく。
次いで馬車のタラップを広げて展開し、乗降扉の外側の
「当家! モーデンハイム宗家御当主! ご令孫! エライア・フォン・モーデンハイム嬢! ご帰着でございます!」
その言葉が合図となり邸宅正門玄関の内部から、モーデンハイム本家所属の侍女たちが2列に並んだまま一斉に現れる。
そしてその2列の侍女たちは左右に割れて絨毯の端に整然と並ぶ。その所作と動きは完璧であり一糸乱れぬものだ。その数、ざっと見ても40人くらいはくだらないだろう。
上級候族、それも十三上級候族ともなると、使用人への礼儀作法教育は凄まじいものがある。家人はもとより来客に対しても一切の失礼は許されない。
浮ついた表情を一つせず、2列に整然と並んだ侍女たちは真剣な面持ちで馬車の方を向いている。
受け入れる側の準備が整い副馭者はついに、馬車の乗降扉を開けた。
その車内で先に腰をあげたのは小間使い役のメイラだ。彼女は自ら先に立ち上がり、私が立ち上がるのを補助する。
次いで馬車から先に降りるのは私の方だ。
ドレスのスカートの膝の上あたりを両手でつまんで軽く持ち上げる。そうやって自分自身で裾を踏まないようにしながら、静かにゆっくりとタラップを降りていく。
一歩、また一歩と降りて行き一番下まで降りると。入り口に2列整然と並んだ侍女たちの先頭の二人が私の方へと速やかに駆け寄り、ドレスのスカートの裾の乱れを直してくれる。
私の背後ではメイラが降りる準備をしている。彼女の気配と位置を頭に入れながら私はゆっくりとその第一歩を歩み出した。
かつてワルアイユのアルセラに礼儀作法と所作の指導を行なったが、今回は私が礼儀作法を披露する側だった。
視線はまっすぐ前を向き、背筋はまっすぐピンと伸び、両手はへその少し下のあたり、お腹の上で両手のひらを重ねるようにしておく。
みだりにキョロキョロしたり浮わついた様子は令嬢の礼儀作法としては絶対にあってはならない。毅然として背筋をまっすぐに伸ばし正面を見据えて体を無駄に揺らすことなく、前へ、前へと歩いて行く。
馬車から適度に距離を取ると、その背後に小間使い役のメイラが付かず離れずに待機しているのを気配で確認するとその場に立ち停まる。
そして私は眼前に居並ぶ数多の侍女たちの次の所作を待った。
全員が私の方に体を向けたまま一斉に発声する。
「お帰りなさいませ」
乱れることなく全員が一つに揃った出迎えの言葉を述べると上体を前とゆっくり傾け会釈をする。彼女たちの姿勢が元に戻ると今度は私の番だ。
姿勢を一切、乱すことなく私は毅然とした凛とした見つめて中詰めるな顔声でこう告げた。
「出迎え、ご苦労さまです」
そこまでこなして初めて私は邸宅内へと歩みを進めることができるのだ。
焦ることなく乱れることなく私は歩みを進めた。左右からモーデンハイム本家の侍女たちが見つめる中をしずしずと歩いて行く。私が通り過ぎる時に私の左右に立つ侍女たちがうやうやしくお辞儀をしてくれる。
その私の少し後ろをついてくるのはメイラさんだ。
侍女の階級において小間使い役の侍女というのは存在は別格だ。
今回の場合、メイラさんはあくまでも私の本家帰参に同行してくれたに過ぎない。だが、それでも実質的には小間使い役の役割を果たしているのは間違いない。そのこともあってここに並んでいる侍女たちの態度も極めてあらたまったものだった。
私が前を歩き、メイラさんがその後をついてくる。
そして私たちが正門玄関に近づいたときだった。
分厚い両開きの木製の扉があらかじめ開け放たれていた。その開かれた扉の向こうからルタンゴトコート姿の一人の人物が姿を現したのだ。
その細身の長身のシルエットを私は知っている。
その人物の名前が思わず口から漏れる。
「セルテス……」
思わず呆然となりそうな私を、メイラさんが後ろから声をかけてくる。
「エライアお嬢様」
声をかけられ私はハッとする。いけない、まだうろたえる場ではない。
この場合先に声をかけるべきは立場が上の者からだ。当然ながら身分的には私の方が上だ。当然声をかけるべきは私からだ。
私は足を止めると意識して落ち着いて声を放った。
「出迎えご苦労様です」
すると向こうも足を止めて直立して姿勢を正す。一切の乱れもない見事な身のこなし。右手を肘で直角に曲げ右掌を胴体の辺りに置く。
そしてそのまま上体をうやうやしく前と傾けてお辞儀する。体を起こすと彼は言い放った。
「エライアお嬢様。よくぞご無事にお戻りになられました」
彼はその顔に笑みを浮かべながらこう告げた。
「このセルテス、誠に喜びの極みでございます」
2年前、あの出奔の時に後始末で一番苦労したに違いないのだ。かつての父親デライガの性格から言って、セルテスに何もしなかったはずがないのだ。それでも彼は何の迷いもなく私を迎えてくれた。
「あなたがそう言ってくれると安心してこの家の中へと入ることができます。本当にお久しぶりねセルテス」
「何をおっしゃいますか。エライアお嬢様! ここはあなたのご実家です。帰るべき場所です。何の遠慮もいりません」
彼はいついかなる時でも私の味方だった。彼がいたから私は自分の人生を歩むことができたのだ。
「積もる話もございますが、大旦那様とあなたのお母上君が先ほどから首を長くしてお待ちになられております。さ、こちらへどうぞ」
本当にこの人はぶれない人だ。執事として、ユーダイムお爺様の補佐役として、そつのない振る舞いは決して変わらないのだ。
「ありがとうセルテス。よろしくてよ」
私のその言葉を受けてセルテスは再び頭を下げた。
そして上体を起こすと今度は私の背後についてくるメイラさんにも受けられた。
この場合、立場が上なのはセルテスになるから彼のほうから声をかけることになる。
「エライアお嬢様へのご同行役、誠にご苦労様です」
そしてこれに答えるのはメイラさん。
「これは誠に恐縮に存じます。私、モーデンハイム家、第一階位分家マシュー家所属侍女長アルメイラ・リンケンズと申します。この度、エライアお嬢様のご帰還に際してご同行をさせていただきました」
第一位階分家とはモーデンハイム本家から直接別れた分家という意味だ。同じ一族でも、分家のさらに分家は第二位階分家と呼ばれ扱いも格も全く異なる。
本家から何か重要な案件を任されるのは第一位階の分家のみであり、私のような当主の直接家族の世話を任されるのは当然ながら第一位階の分家に所属する使用人等までだ。
使用人の扱いにおいても本家と第一位階分家と第二位階分家とでは待遇も報酬も社会的信用も、雲泥の差があるのだ。
メイラさんはその第一位階分家の侍女長をしているだけあって、それゆえに本家の筆頭執事をしているセルテスとも直接の会話を許されているのだ。
その彼女の〝名乗り〟に対して、答えたのはセルテスだ。
「これはご丁寧なご挨拶、誠に恐縮です。
そこまで互いに名乗ってお互いに一礼する。そしてセルテスは言う。
「アルメイラ殿におかれましてはこのままエライアお嬢様にご同行を継続して頂きたく存じます」
それは実質的な命令だった。本来であれば、私を本家邸宅へと送り届けた段階で彼女の役目は終わり本来の務め場所であるマシュー家に帰還する運びになるはずだ。
だが、そうならずに、このまま役目を継続して欲しいと言う。これにはおそらく大きい意味があるだろう。
ベテランであるメイラさんも適切に対応する。
「かしこまりました。それではありがたくエライアお嬢様にご同行させていただきます」
役割への指示を含むそれらのやり取りを終えて、セルテスは私の先に立ち、私を屋敷の中へと案内してくれた。
「ではご案内いたします。どうぞこちらへ」
その言葉に対して私は答えた。
「よろしくてよ。セルテス」
セルテスが満足気に微笑み、穏やかに身を翻して私の先を歩き始める。私とメイラさんはその後をついて行ったのだった。
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