4頭建て馬車と侍女長メイラ

 私は彼に答える。


「ご苦労様です」


 そして彼は言う。


「少々お待ちください」


 彼はその場で右手を上げた。それを誰かがどこかで見ているのだろう。ほどなくして馬の蹄の音がする。車輪の回る音がする。これは〝馬車〟だ。


「あっ!」


 私は思わず驚きの声を上げた。そこにはもうすでにモーデンハイムならではの圧倒的な存在が近づいてきたからだ。

 庶民向けには通常1頭建ての馬車が標準的だ。さらに特に力が必要であったり、裕福な所有者だった場合、馬の数が増えて2頭建てになる。

 ただ何事も例外というのはある。

 さらに家格が上になれば馬の数はさらに倍になる。すなわち4頭建ての馬車だ。馬車の馬の数というのはそれを所有する者の家の格に直結しているのだ。

 私の方へと4頭建ての馬車が歩み寄ってきている。ダークブラウンと黒であしらわれた車体に、その各部に金色のモールやプレートが飾られている。

 馭者は2名で正副が揃っている。

 道すがら通りすがる周囲の者たちを圧倒しながら馬車は走り抜ける。そして目の前に絶妙なタイミングでたどり着く。まさに至芸だ。


 馭者がクラレンス馬車から降りてきてキャビン入り口のステップを展開する。そして側面扉を開けると執事のエドワウが私にこう告げてくる。


「どうぞお乗り下さい」


 拒否するわけにはいかなかった。最後まで歩いて行きますと言ってしまうと、モーデンハイム家宗家から直命を受けたであろうマシュー家の面子を潰してしまうことになるからだ。


「ありがとうございます」


 必死になって言葉を選んで答えると、エドワウさんが私の荷物を受け取ろうと手を差し出してくる。私は自らの背中に背負った背嚢を降ろして差し出す。

 と、同時に二人揃っている馭者の片方がエドワウさんから荷物を受け取り馬車の荷台へと載せて収納してくれた。

 そう、

 もうこの段階から上級候族として、余人には容易に触れ得ざる暮らしが始まっていたのだ。


 路上の周囲の人々が興味深げに見守る中で私はその馬車の入り口のステップを上る。一段一段上がっていく度に私の心の中の何かが入れ替わり、2級傭兵のエルスト・ターナーから、上級候族の令嬢のエライアへと自らの認識が切り替わる。

 落ち着いてステップを上り車内に入り、腰を落ち着ける。私の後を追ってエドワウさんも乗り込んできた。私は後ろ側席の右側に、エドワウさんは前側席の左側に腰を下ろす。

 キャビンの中と馭者席とをつなぐ小窓が開けられ声がかけられる。


「行け」


 その声を命令として馭者の持つ鞭が振るわれる。


――パシッ!――


 鋭い音が響いて馬車はゆっくりと走り出したのだった。



 †     †     †



 馬車はミッターホルムの市街地を離れ郊外へと向かう。のどかな田園風景を横目に見ながらたどり着いたのは川のほとりにある温泉保養施設だった。

 太陽は午後へと傾き、仕事終わりが始まる四時過ぎを示していた。

 そこはモーデンハイム家が直接所有している施設で、本来はモーデンハイム家に関わりのある人間だけが使うことができる場所だ。

 だが現在では施設が拡張されて市井の人々にも一部が解放されているようだった。

 その施設の正面入り口へと馬車は横付けする。

 施設の入口には赤絨毯が敷かれており、クラレンス馬車は乗り降り口が絨毯に正確に並ぶように見事な手綱さばきで停められていた。

 正副二人の馭者のうち、副馭者が馬車から降り、入り口のステップを展開する。そして扉を開けて私に降りるように促してくれた。


「どうぞ」


 その言葉に導かれるように私は一歩一歩降りて行く。

 すると長くひかれた赤絨毯の両側には数え切れないほどの侍女たちが並んで待機していた。私の両足で赤絨毯の上に降り立った瞬間、二つの列をなしていた侍女たちは一斉に頭を下げる。


 私の後ろからエドワウ執事も降りてくる。速やかに駆け寄ってきた男性侍従が馬車の荷台に載せた私の荷物を受け取り何処かへと運んでいった。

 さらには侍女長と思わしき、20代後半に見える女性が施設入り口の向こうからやってくる。侍女の衣装としては定番のワンピースのエプロンスカートドレス姿に木綿地の白いキャップを着けているが、彼女がつけているエプロンとキャップだけがフリルなどの装飾が多く、キャップも長いリボンが誇らしげについている。履いているエスパドリーユの履物も他の者たちが質素な紺色なのに対して、彼女だけは光沢のある黒い革製だった。

 その彼女は私へと話しかけてきた。


「失礼いたします、エルスト・ターナー様、ご本名エライア・フォン・モーデンハイム嬢様でいらっしゃいますね?」


 私は落ち着き払って答える。


「いかにも。私がエライア・フォン・モーデンハイムです」


 そして自分自身である証明のように常に胸の内側に下げていたあのペンダントを取り出して見せる。


――人民のために戦杖を掲げる男女神の紋章像――


 それを視認した時に侍女頭の女性はうやうやしく頭を垂れた。


「失礼いたしました」


 そして頭を上げて改めて自ら名乗った。


「私、モーデンハイム家所属マシュー家にて侍女長を努めさせて頂いておりますアルメイラ・リンケンズと申します。よろしければメイラとお呼びください」


 白い素肌に金髪の髪、少し癖っ毛なのかパーマがかった長い髪を後頭部で丹念に編み込んでいる。瞳の色はブルーアイ。真面目そうで落ち着いた雰囲気の大人の女性だった。

 自ら名乗った侍女に対して返す言葉は決まっていた。


「よろしくてよ。メイラ」


 これは定番の挨拶のようなものだ。


「エライア様におかれましては、当施設にて医師による診察の後に、お着替えと衣装支度とお体や頭髪の美容を受けていただきます。これまでの長旅のお疲れなどもございますでしょう。ご休息の上で、どうぞお気兼ねなく何なりとお申し付けください」


 つまりこれはそうだ、私に『傭兵としての装いは一旦全ておろして上級候族の令嬢にふさわしい姿となってから、モーデンハイム本家へと帰参しなさい』と言う主旨なのだろう。

 そう容易には元の暮らしへは戻さないと言う強い意志のようなものが感じられたとしたら穿ちすぎだろうか?


「よろしくてよ。メイラ。この施設に滞在中はお任せするわ」

「身に余る光栄に存じます。それでは早速、お召し物をお替えさせていただきます」


 そしてメイラは私を誘導するように歩き出す。


「さ、こちらへどうぞ」


 私は彼女に導かれながらこの施設の中へと向かったのだった。そしてそれはそれで大変な数日間の始まりでもあったのだ。

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