女医アルスの診察
保養施設の中をメイラに導かれながら進んで行けば、最初の控え室へと案内される。
ここは最初の脱衣室らしい。
すでに10名ほどの侍女たちが控えている。部屋の中には脱いだ着衣をしまう衣装ケースが数基準備されている。
そしてその中の2名ほどが私が着るべきガウンのようなものを用意してその手に携えていた。
メイラが言う。
「さ、どうぞこちらへ」
促されるままに部屋の中ほどへと進み出て立てば、私の周囲を8名ほどの侍女たちが取り囲んで一斉に作業を始めた。
脱衣だ。
正直なところ、上級候族のご令嬢ともなると衣類の着替えにおける羞恥心が欠落している人たちが意外と多い。理由はこれだ。小さい頃から侍女たちにかしづかれて、ドレスの着替えはもとより、風呂上がりの体拭きから下着の脱ぎ着に至るまで他人の手を借りるのだ。恥ずかしがれというほうがかえっておかしい。
私もご多分に漏れず。人前で何の抵抗もなく着替えを始める時があるので驚かれることが多々ある。それでいて服装の上では素肌の露出を嫌がるというのだから矛盾しているとしか言いようがない。
もっとも、クラレンス馬車に乗せられて以降、昔の感覚が強く戻ってきているので尚更にされるがままな事に抵抗が薄くなっているのかもしれない。
まずは頭につけているカチューシャが外される。
首に下げた愛用のペンダントは侍女長のメイラさんが自ら外して専用の宝石箱へとしまってくれる。
自分の耳につけていた金色のイヤクリップも他の侍女が外してくれてペンダントと一緒の宝石箱へと収められた。
次にショートブーツ。靴紐を緩めるところからすでに他人の手だ。
フード付きマントコートを外し、ボレロを脱ぐ。さらにロングのスカートジャケット。ボタンシャツにレギンスを外せば後に残るのは下着だけ。
ここで止まると思ったら大間違い。上級候族のご令嬢の暮らしを甘く見てはいけない。
これまで脱いだものが種類別に分けられて衣装ケースに納められる。汚れのひどいものはそのまま洗濯と手入れの担当の元へと運ばれていく。
それを尻目に、4名ほどが私の下着を脱がしていく。胸元のブラレット、腰から下のパンタレット。
生まれたままの姿になったうえで、すかさず体に薄桃色のタオル地のガウンが着せられる。その早着替えの手際は至芸というよりほかはない。
袖を通し前身頃を合わせて、腰の辺りで帯締めする。着替えの最中に乱れた髪は手に櫛を持った担当がその場で乱れを整えてくれる。
そして素足にスリッパを履かせてくれた。
ここに至るまでまさにあっという間。完璧に手慣れた連携作業だ。あっけにとられる間もなくメイラさんが私を招く。
「お召し物をお替えになられましたら、どうぞこちらへいらしてください」
着替えを終えた私がメイラさんの誘導で歩き出せば、私の背後で着替えを手伝ってくれた侍女の人たちが恭しく頭を垂れて見送ってくれる。
彼女たちの方を振り向きながら私は言葉をかけた。
「ご苦労様」
たった一言だが言葉のニュアンスやタイミングで侍女の人たちが抱く印象は全く異なるものになる。だから、そうしたことを意識しながら上級候族の令嬢というのは振舞わねばならないのだ。
その部屋から廊下を経由して隣の部屋へと向かう。
部屋の扉にはこう記してあった。
【医務室、兼、医務担当官控え室】
それを見ただけでこれから何が起こるのか即座にわかった。そう、身体検査だ。何しろ2年も外をほっつき歩いてきたのだ、病気の心配などはされて当然だった。
私が抵抗する間もなく、メイラさんは医務室の扉を開けて中へと声をかける。
「先生、エライアお嬢様がお見えになられました」
すると中から理知的な声が聞こえる。
「中にお通しして」
「かしこまりました――、さ、お嬢様どうぞこちらに」
招かれるままに医務室の中へと入る。するとそこには大型の木製の事務用机が据えられており、診察用のベッドに、患者用の丸椅子、医薬品や医療用具の詰まったガラス戸付き整理棚などがある。
事務机に付属する革張り椅子に腰掛けていたのは、男性ではなくまだうら若いと言える女医さんだった。
やや黒みのかかった赤毛の長髪をしており。それを巧みに後頭部で一つにまとめあげている。服装は長ズボンにボタンシャツ、丈の短いベストを身につけ、その上にアビと呼ばれる裾広がりのジャケットを羽織っていた。一見すると美形の男性のようにもみえるような人だった。
その風貌からはフェンデリオルではなく、北の隣国ヘルンハイトの出身のような雰囲気がしている。
背が高く女性にしてはややガッチリとした体型だったので低めのよく響く声が聞こえた。
「どうぞ。まずは座って」
「はい」
促されるままにガウン姿で丸椅子へと腰を下ろす。すると女医さんは余計な挨拶もそこそこに診察を開始した。
「モーデンハイム本家専属の医師のアルスと言います。エライア様のお体をあらためさせていただきます」
医師の診察は軍学校時代から何度も経験していた。職業傭兵になってからも1年に1回医師による診察が義務付けられている。
軍学校の専属医や傭兵ギルドの顧問医師などは大抵が男性の医師だから女性の士官候補生や女性職業傭兵などは診察を受けるたびに多少なりともしんどい思いをする。
そういう記憶があったから女医さんの診察ということで私は思わず安堵していた。でも良いことばかりとは限らない。世の中には同じ女性だからこそ遠慮がないということもあるのだ。
「よろしくお願いいたします」
「はいよろしく。それじゃ早速診察を始めるから指示に従って」
無駄話のないテンポの良い会話は私にとっては心地よかった。
「それではお嬢様のガウンの前を開けてください」
「承知しました」
メイラさんが促されるままに私のガウンの腰帯を解くとガウンの前側を開けてくれる。まずは聴診器で呼吸器と循環器の具合を見る。
「はい大きく息をして、ゆっくり戻して」
私の体の上を聴診器の冷たい感覚があちこち移動する。さらに私の胸部や胴体の上を右手の指先で何度も丹念に叩いて音を確かめる。打診法と呼ばれる診察方法だ。
人間の体内を反響する音で体調や内臓の具合などを確かめるのだ。
「呼吸器も異常なさそうだし、心臓の雑音も無いわね」
次に口を開けるように指示される。舌圧器と言う金属のヘラで舌を抑えて口の中を見る。
「お口の中は綺麗ですね。虫歯ひとつないわ」
次に右手を差し出すように言われる。事務机の片隅に設置された秒針の付いた医療用のクロノメーターが置かれている。それを見ながら心臓の脈をとるのだ。
「脈も問題なし。健康そのものね」
その一言にほっとしたのだが、それは甘かった。
「さて、その診察用のベッドにガウンのままでいいから横になってください」
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