黒レンガの怪しい店と召喚状

 そのお店はブレンデッドの市街地でも少し治安のよろしくない場所にあった。町の北側の外れ近く。酒場や賭博場、娼館や連れ込み宿など、男性の欲望のはけ口となりやすい業種が集まっているエリアだった。

 その中でもそのエリアの入り口に近い場所にその店はあった。店の名前はない。地下へと降りる石造りの階段の入り口アーチの上に黒いレンガが三つ横に並んで嵌め込まれている。それがその店のシンボルだった。

 その筋では〝黒レンガ〟と呼ばれていた。


「ここね」


 私はその店に行く際に、極めて大きいサイズのマントで、頭からつま先までくまなく覆っていた。

 店の入り口には視線の鋭いガラの悪そうな用心棒が立っている。私がその店に近づくとその用心棒が私を鋭く睨み返した。不用意に近づく者を追い返そうとしているかのようだった。

 私が近づきあぐねていると地下階の店の中から誰かが上がってくる足音がした。


「待て、俺の客人だ」


 声の主はプロアだった。彼の声を聞いて用心棒は一歩引いた。


「ありがとう」


 彼は彼なりに自分の仕事をしているだけに過ぎない。不快に思ういわれはない。

 出迎えてくれたプロアが言う。


「来い、みんなが待ってる」


 プロアが先になり階段を下へと降りていく。入り口の階段はオイルランプで照らされていてあまり明るくはない。

 それでも階段のステップの部分は小さめのランプでこまめに照らされているから、降りにくいということはない。

 階段を下まで降り切るとすぐに木製の扉になる。それを押し開けば物静かな店内になる。

 店内に入ってカウンターがありそこにも用心棒が立っている。男性のウエイターが受付カウンターで控えていた。


「俺の客人だ」


 プロアはこの店では相当顔が利くらしい。いわゆる一見さんお断りの常連客だけで回している店なのだ。ウエイターが先を歩いて案内してくれる。地下にある店だというのにオープンなスペースがなく、全ては個室になっている。店の中を歩いて一番奥にプロアが手配した場所があった。


「どうぞ」


 そう短く語るウェイターに促されてプロアが扉を開き中へと声をかけた。


「来たぞ」


 プロアの声に部屋の中から視線が集まってくる。そこにはワルアイユの土地で苦楽を共にしたあの仲間たちの姿があった。

 部屋の真ん中に大きな丸テーブル。それを囲むように椅子が並べられている。私とプロアを除く6人がすでに席に着いて酒を傾けていた。


「おっ? やっと来たな?」


 そう呟くのはダルム爺さん。

 その言葉と同時に皆の視線が私の方へと一斉に集る。

 その視線を意識して私は頭からすっぽりとかぶった特大のマントをそっと脱ぎ降ろした。


「お待たせ」


 そう答える私に皆が驚きの声を上げた。

 ドルスが言う。


「お前、それは――」

「うふふ。覚えてる?」

「忘れるわけねえだろよ」


 苦笑混じりながらドルスは笑いながら答えてくれた。


「あの時のドレスじゃねえか」


 私がこの場に着てきたのは、天使の小羽根亭でドルスをもてなすためにと持ち出してきたあのドレスだった。


 足下には極彩色に染め上げられた革製のエスパドリーユを履き、つま先から赤く塗られたペディキュアがチラ見えしていた。

 着ているドレスはハイネックのアームホールで首筋から胸元までいかにも女性的なラインを描いている。

 胸から腰にかけてはコルセット風の仕立てがしてあり腰回りをメリハリの効いたボディラインにしてくれる。

 さらにその下は流線型を描くマーメイドシルエットで、太ももから下には、左右に深いスリットが入っていた。

 背中は素肌が露出し、大きく開いたベアバック。

 カラーリングは襟元が濃い目の紫でグラデーションを描いて真っ青になり、腰の切り返しのあたりから再び紫になり足元へ向けて赤へと変わるダブルグラデーション。素材はシルク地で汚れに強くなる加工が施してある。

 そのドレスの上にフェイクファーの純白のロングショールを緩やかに肩にかけていた。両腕には濃青のアームロンググローブをはめている。

 当然、顔にもどぎつくならないようにより自然なアレンジで化粧を施していた。パフュームもしっかりめに吹いていて、体温で温められた香水が心地よい香りをあたりに漂わせていた。

 あの時はドルスとの喧騒でゆっくりする暇もなかったが、今日ならば落ち着いて皆と話すこともできるだろう。そう思えばこれを着てくる甲斐があると思うのだ。

 空いている席の一つに腰掛けながら、ウェイターを呼び出し飲み物をオーダーする。頼んだのは香りの良いシャンパン。さほど時間を置かずに速やかに届けられた。

 ゴアズさんが心配げに言う。


「その格好でここまで来たのですか?」

「ええ。自宅からまっすぐね」


 カークさんも言う。


「大丈夫か? この界隈、あまりタチが良くねーぞ?」

「もちろん分かってるわよ。だから頭からすっぽり全身を覆ってきたんだけどね」


 ドルスが言う。


「でも目鼻の効くやつはマント越しでも、中身が女かどうかを見抜くって言うぜ?」


 バロンさんが言った。


「ええ、そうですね。おかえりの時は誰かが同行した方がいいでしょう。万が一にも襲われたりしたらことですから」


 皆が心配を口にする中で私はあっけらかんと言った。


「あら? 心配してくれるの?」


 珍しくパックさんが苛立ち気味に言った。


「当然です。ご自身の身の上を考えていただきたい」


 滅多に怒らないパックさんまでこう言うのだ。みんなからはおふざけが過ぎると思われたのかもしれない。だが彼は言う。


「もっとも、何を意図してそのお姿でここにいらしたのかは分からないでもありません」


 ダルムさんが言う。


「そうだな。多分あれだ〝もてなす〟ためだろう?」


 その言葉を聞いてドルスが言った。


「そうだ。そうだったな」


 そしてみんなが頷いていた。

 プロアが席につきながら言う。


「それで? 今日は何のためにみんなを集めたんだ?」


 その言葉と同時に皆が一斉に私のほうを見つめて言葉を待っていた。

 私は声を落ち着けて静かに語った。


「うん。実はね――」


 私は左手に携えていた小さな手提げかばんであるレティキュールのその中から一通の手紙を取り出してテーブルの上へと出した。

 金の箔の押し付きの特徴的な封書。そこに記された紋章を見てみんなが一斉に反応した。


「それは」

「モーデンハイムの!」


 私は答える。


「えぇ、そうよ。私の実家モーデンハイムからの召喚状よ」

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