ルスト、シャワーともう一つのドレス

 そして私たちは路上で一旦別れることにした。一度家に帰って身支度を整えようと思う。


「体を綺麗にして一旦着替えてから天使の小羽根亭に行くね」


 そう告げるとプロアは笑いながら言った。


「またあのドレスを着るのか?」


 ドルスとやりあった時のマーメイドドレスのことを言っているのだろう。


「あれはもう着ないよ! あれは宝物だからそうそう簡単に人目に晒したくないの。大丈夫よあれ以外にも色々持ってるから」

「へぇ、そいつは楽しみだ」


 そして彼は言う。


「後で迎えに行く」

「わかったありがとう」


 そう言葉を交わして私たちは一旦別れた。私は家と戻り長旅の汗を流すのだった。


 †     †     †


 プロアと別れて自分の暮らす一部屋限りの一軒家に戻る。同じような建物が10件ほど並んでいるその場所の一つが私の家だ。

 鍵を取り出しドアを開ける。10数日間空気の入れ替えもなかった家の中は少しカビ臭かった。なので、すべての窓を開けて空気を入れ替える。ほうきを取り出し床を吐き出して埃を追い払う。濡れた雑巾を用意してテーブルや家具のあちこちを拭く。そうしている間に部屋の中の気配は清潔感と活気を取り戻した。


「これでよし!」


 そして最低限の換気だけを残してドアや窓を閉じると私は着替えを始めた。

 まずはいつもの傭兵装束を脱ぐ。フード付きマント、ボレロジャケット、ロングのスカートジャケット。スパッツにボタンシャツ。途中何度かワルアイユの人たちに洗ってもらったとはいえずっと袖を入れっぱなしだったので、いささか汗臭い気配が抜けないのは仕方ない。臭い取りをする漂白をしないと駄目だろう。

 そしてそれよりもまず――


「シャワー浴びよう」


 そこでどうしてもワルアイユで入った温泉のことを思い出す。体をゆっくり湯船につけられるお風呂と体を洗うだけのシャワーでは疲れの取れ方が違う。

 贅沢を覚えてしまったんだなぁと思わずにはいられない。

 下着姿でシャワールームに入るとシャワー用の温水ボイラーを作動させる。


 ボイラーと言っても、原理は火精系の精術武具の技術を応用した構造になっている。本来ならば火精系の適性がないと使えないはずだがそこは技術が発展しててうまい方法が見つかっていた。

 精術武具には、窃盗や略取などで不正に入手した精術武具を適正のないものが使えるようにするために〝詐術符〟と呼ばれる〝精術適正をごまかすための呪符〟が闇社会で作られてきた。これの存在に気づいた表社会の精術学者や技術者たちが、精術への適性を気にせずに誰でも気軽に扱えるようにするための技術として応用。

 今では〝適正化術式回路〟として民生用の精術器具に組み込まれるようになっていた。

 とはいえ安定度は6割程度、良くて7割なので本当に効率はまだまだ良くないのだが。

 ちなみにそうした装置を組み込んでいたのが、あのメルト村の出店に出ていたシャーベット屋さんの冷却樽だ。もっともあれは火精ではなく氷精系。


 ボイラーの精術機構を作動させてお湯を沸かす。私は地精系の適正なので本来ならばこのボイラーを作動させることはできない。でも技術の発達がそうした事を可能にしつつあった。


「便利になったなぁ」


 そうつぶやいている間にも、出てくる水はお湯へと変わる。湯気が立ち込めて風呂場は手頃な温度へと変わる。

 私は体を拭くタオルを準備すると下着を脱いでお風呂場へと入っていった。

 

 そして、頭と体を洗い終えて体をタオルで吹き、大柄なタオルを体に巻く。濡れた髪を入念に布で拭くとまずは髪型を整える。

 次いで顔の手入れ。小さく薄いカミソリ刃でムダ毛を剃っていく。眉の形を整えて軽くお化粧。

 肌荒れを防ぐ化粧水を顔になじませると、おしろいで下地を作る。薄く頬紅をひろげ目元にはまぶたはくっきりとさせるための眉墨、唇には薄桃色の紅を入れる。こういったお化粧のやり方は娼館時代にお店の先輩娼婦の人たちに教えてもらったものだ。

 半年に満たない日々だったが私はあそこで本当にたくさんのこと教えてもらった。そのことは今でも心の底から感謝している。


「いつかお礼に行かないとな」


 そんなことをつぶやきながらお化粧を終える。

 次に着るものを決める。

 下着はいつものブラレットにパンタレット。普段つけているのは半ズボンのように少し丈の長いものだが、ドレスを身につける時は違うものを使う。

 娼館のお姉さま方がよく身につけている小さめの下着。腰脇は紐のように細くほとんど股下の覆いだけ。娼館の姉さん方がよくつけていたので一般には娼婦下着と呼ばれて一般女性からは敬遠されている。

 でも、ドレスやズボン姿をしていると昔ながらの大柄な下着では外からでも着ているのが分かってしまう時がある。そのため着るものにうるさい人からは、新しい時代に適応した下着として、愛用している人も増えているという。

 下着を上下とも身につけると、いよいよドレスだ。

 あまり派手にならずそれでいて見ていて映える物を着ていきたいと考えていた私は、クローゼットからそれを取り出した。


「あった」


 私がクローゼットの中から見つけ出したのは【コルセットドレス】と呼ばれるものだった。

 これは昔、娼館の下働き時代に常連のお客さんからプレゼントされたものだった。フェンデリオルではないお隣りのヘルンハイトの人で着ている服装の文化が微妙に違っていた。


――コルセットは衣類の下に着る物―


 それが当たり前に通用してきた常識だったけど、このドレスは違う。お隣のヘルンハイトのファッションの世界で考えられたもので、着重ねの一番上にコルセットを見せるために身に着けるというものだった。


 まずは下着の上にブラウスシャツを着る。色は白で肩が少し膨らんだジゴ袖、襟口が広めに作られていて鎖骨の辺りが覗いているのも特徴だった。さすがにワルアイユの時のドレスのようにデコルテが見えるほど広がってはいないけど。

 足には薄手のタイツ。一番上に着るコルセットに合わせるように赤茶色をしている。そして一番上に大きいサイズのコルセットを重ねる。

 一番上に着るのが、魅せるためのコルセットと言う代物であるため、コルセットそのものがドレスのスカート部分を兼ねていて膝下までの丈があった。

 胸元から腰の辺りまでが厚手の革製で腰から下のスカート部分がビロードのような生地で透かしのフリル付き。色は濃いめの赤茶色で全体に蔦模様が編み込まれている。コルセットの部分は前身頃の留め金バスクの部分が真鍮で作られてあえて目立つようになっている。

 昔、プレゼントしてもらった時から一目で気に入ったものだけどあらためて取り出して見るとなかなかに迫力がある。


「目立ちすぎるかなこれ」


 でもまあいいよね。これくらい。

 ウキウキしながら着てみるが、着付けて初めてまずいことに気づいた。


「あっ、いけないこれ後ろで縛るやつだ――」


 背中側が編み込みになっていて、それを思い切り引っ張って締め上げる形式だ。やっぱりコルセットであることに変わりはないのだ。自分自身の手の届く範囲の中にその紐は無かったのだ。

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