■ギダルム・ジーバスの場合
祝勝会の会場の様々な場所で丸テーブルに料理が並んでいる。そこには当然のように人だかりがあるが、中には人があまり集まっていないテーブルもあった。
そのような場所の一角に無言のまま佇む男が一人いた。影が薄く誰も気づかないような人物だった。
男はかつては小さい領地の領主だった。
以前には候族としてその領地を治めていたが、領地運営に失敗し破産していた。かろうじて全財産を失うことは避けられたが自らの領地は失い、候族の地位は剥奪された。
それ以来長年にわたって、馬と人足による物流業を細々と営んでいた。できうるならば先祖伝来のあの土地を取り戻したい。それが彼の長年の悲願だった。
そのために必死に働き、領地を取り戻すための蓄財に励んでいた。
領地を取り戻すためにはあと少しのところまで来ていた。だが、老いた自分の身の上では間に合うかどうかも分からない。齢で今年で62になる。男は焦っていた。
男は着衣の内側から小さな小瓶を取り出した。
指先ほどの大きさの茶色いガラス瓶。そのコルク栓を抜いて改めて右手に持つと、手のひらの内側にそっと隠したまま料理のあるテーブルへと歩み寄る。目の前にあるのは酒の肴に合いそうな魚料理だった。
酒盃が進めば食する者は必ず現れるだろう。
周囲の気配をさりげなく確かめながら、右手の手のひらの内に忍ばせたその茶色の小瓶を傾けて料理へと中の液体をかけようとする。
とその時だった。
――ガッ――
男の右手を背後から伸びてきた別の右手が掴んだ。
「やめとけ」
男は声のした方を振り向いた。声の主は告げる。
「そいつをやっちまったら、お前の人生いよいよおしまいだぜ」
その声には聞き覚えがあった。その声の主の名を彼は口にする。
「ギ、ギダルム」
「久しぶりだな。ホルゼント」
二人は旧知の仲だった。
「俺がまだ執事をやっていた頃はよく顔を合わせたが、職業傭兵になってからはとんと顔も見なくなった」
そう穏やかに問いかけつつもギダルムは言う。
「聞いたぞ、自分の領地を無くしたんだってな」
「―――」
ダルムの問いかけにも男は答えなかった。その沈黙の意味をダルムは分かっていた。
「領地を取り戻すまであと少し、しかしそのあと少しがなかなか届かない。それで誰かに囁かれたんだろう? 手助けしてやるって」
そう言いながらダルムは旧知の親友であるホルゼントの手を引いてテーブルから引き離した。そして彼が右手の中に持っていたあの茶色い小瓶を取り上げる。
「資金やら保証人やらを立て替える代わりにこいつを祝勝会の料理にぶっかけてこいとでも言われたんだろう?」
そう問い詰める声には、怒りと旧知の人物を思いやる気持ちがこめられていた。
「お前、これが一体何なのかわかってるんだろうな?」
そこまで問い詰められて観念したかのように男は答えた。
「こ、抗酒剤だと、酒飲みが腹を壊す程度の薬だと」
「そう言われたのか」
「ああ」
下を向いてうつむいたままか細い声で答える。抗酒剤とは
だがダルムは冷たく言い放つ。
「お前騙されてるぜ」
「え?」
「無味無臭の別の毒物にすり替えられてるはずだ。被害が出れば、お前は切り捨てられる。大量殺人を犯した犯人として捕らえられ全ての責任を背負わされて死刑台送りだ」
ダルムの言葉に男は絶句していた。自分が何に巻き込まれたのかようやく気づき始めたのだ。
「なぜだ、なぜそんなことが言えるんだ?」
男の問いかけにダルムは言う。
「20年間、職業傭兵をやっていろんな人の生き死にのありさまを嫌と言うほど見てきたからな。人間の裏側のずるい顔なんか見飽きてる。大体こういう場合、事前にも仕掛けられた話はうまい話ばっかりなんだよ。お前の場合もそうだろ?」
図星だった。反論の余地はなかった。男はその場に力なく崩れ落ちる。だがダルムは言う。
「立て。ホルゼント。まだ未遂だ。今なら間に合う」
だがそんなやり取りをしている間に、会場内に潜んでいたルタンゴトコート姿の私服警護が二人のそばにやってくる。
「何事ですか?」
「こいつの中身を調べてくれ。おそらくトリカブトかトウゴマだ」
いずれも猛毒だった。トウゴマは生成されて暗殺用にリシン毒として用いられている物だ。
「承知しました」
「黒幕の別な人間に騙されたんだ。ちょっとした騒動を起こすだけだと言われて抗酒剤と説明されたこいつを料理にぶっかけろと言われたそうだ」
その上でダルムは辛そうな表情で私服警備にこう求めたのだ。
「とりあえず最悪の事態は避けられた。未遂だし被害者なしってことでなんとか丸く収めちゃくれないか?」
そう問いかけられて渋い顔で私服警備は答えた。
「とりあえず尋問だけはいたします。そこからどうするかはワイゼム大佐と協議させていただきます」
「すまねぇな」
そう言葉のやり取りを終えると私服警備はホルゼントを引っ立てていく。
今、精霊神殿の祭壇では、アルセラとルストが挨拶の口上を述べようとしていた。どうやらこのまま何事もなく無事に終わることができそうだ。
ダルムは無言のまま、寂しげな表情でルストたちのその姿を見守っていたのだった。
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