入浴と化粧と衣装 ―化粧する―

 体を温め終えるとお湯からあがり、再び先ほどの寝椅子へと促される。清潔なタオルで体が拭かれ寝椅子に身を委ねると今度は私の体に香油を塗り込む作業が待っていた。


――香油――


 エッセンシャルオイルとも言い、花などの様々な香りのもとを香精として抽出したものと油液とを混ぜたものだ。昔から体に刷り込み、肌の手入れや良い香りがするように女性たちに使われてきた。

 私はどうしても職業傭兵という仕事がら、香水や香油のようなものを使うことが許されない。やたらと香りを放っていては敵に見つかってしまうからだ。しかし、今日のような日だけは許されるだろう。


 寝椅子に身を横たえた私に3人が作業を始める。手足の先から順番に良い香りのする香油を丹念かつ均一に塗り込んでくれる。手足、首筋、体、そして髪の毛。その手技の見事さに体が恍惚としてくるのがわかる。体の前側が終わったら次は背中。そして私はいつしか眠りに落ちてしまっていた。

 それから少しして――


「ルスト様、起きてくださいまし」


 私はすっかり熟睡してしまっていた。その間に作業のすべてが終わっていたようだった。

 体には保温用の布がかけられていて、体も髪もすっかり乾いて完璧に仕上がっていた。


「隣の部屋に移動します。そこで最後の仕上げをしますので」

「分かったわ、ありがとう」


 そう言葉を述べて体を起こすと二人が左右から私の体に湯上りのガウンを着せてくれた。そしてそのまま3人に導かれて隣の脱衣場へと向かった。

 そしてそこで、再び寝椅子に腰掛ける。今度は髪の手入れの仕上げと顔のお化粧に入る。手足の指先の爪の手入れも受ける。

 頭髪とお化粧はサーシィさんの担当。

 私の短めの髪をそのまま活かしあまり手を加えずに自然な形で細部を整えていく。自分自身で普段から手入れを怠っていなかったが、そこはやはり技術を持った人のほうが仕上がりがいい。自分自身で出来ることにはやはり限りがあるから。

 顔の方のお化粧は、小さなカミソリで産毛を剃ってもらう。眉の形も整えて首筋の襟足やもみあげの辺りも手入れしてもらう。

 その間にメグエルさんが両手足の爪の手入れ。どうしても職業柄伸ばせないし割れたりしやすい。彼女がつけ爪を選んだのは正しい選択だった。

 彼女が私に選んでくれた色は深紫こきむらさき色、格調ある厳かな深みのある濃い紫色。職業傭兵と言う堅い仕事をしている私の印象に会わせてくれたのかもしれない。

 その間にサーシィさんが髪の手入れを終えて化粧に移っていた。下地を整え白粉おしろいを塗り頬紅ほおべに眉墨まゆずみ目張りアイシャドー口紅くちべにと次々に彩りを加えてくれる。まぶたにはつけまつ毛を加えて目元をしっかりと作る。サーシィさんが言う。


「ルスト様、お口を開けてください」

「あ……」


 言われるままに口を大きく開ける。その中を彼女が覗き込む。


「お口の中は綺麗ですね。お仕事上歯が欠けたり抜けたりしてないかと思ったのですが」

「それじゃあ問題ないわね?」

「はい。このままでいいと思います」


 彼女とノリアさんのやり取りに私は問いかける。


「あ、やっぱり口の中とか心配でした?」

「ええ、お仕事柄、なかなか手入れができないとか考えられましたので」

「そこは任務の間も暇を見て、自分で手入れしてましたから」


 話題の言葉にサーシィさんが驚いて言う。


「傭兵のお仕事の合間にですか?」

「ええ、人に見られるのを意識するのもいざという時に大切な事ですから」


 それは私のポリシーだった。自分が女である以上、こう言うことにはどんな時でも手を抜きたくなかったのだ。

 そんなやり取りを交わしてる間に自分の体の手入れは終わる。

 そして次にもっと大きな準備が待っていた。


 ノリアさんが言う。


「衣装の準備は?」

「できてます」

「このままお召しになりますか?」

「ええ、もちろんよ」

「はい」

「それでは早速」


 3人のやり取りにある予感がする。祝勝会のためのドレスなのだろうがもしかすると〝アレ〟をつけるのだろうか?

 ノリアさんが私に告げてくる。


「どうぞこちらにいらしてください。お召し物をお着せいたします」


 脱衣室の片隅、浴室の湿気が届かない場所。そこに衣装箱と衣装置きのテーブルがある。そこに私が着るであろう洋服の一式が並んでいた。


「さ、こちらです」

 

 そこにあったのは、一着のきれいな仕立ての薄クリーム色のドレス。私がそれまで着ていた黒系の傭兵装束は別に用意された衣装箱の中へと丁寧にしまわれていた。

 私は用意された衣装一式に目を走らせる。


 今となっては少し古式ゆかしいローブ・ア・ラングレース風のドレスは、布地の量もたっぷりでいかにも前時代的な膨らみを帯びてスカートの裾が大きく広がるシルエットのものだ。

 足元は赤紫色のエスパドリーユのシューズ、

 その下には純白のタイツに数枚重ねのパニエ、

 腰から胸にかけては薄手のコルセット、

 首から胸元までのデコルテの辺りは隠すこと無く大胆露出する。

 さらにはその上に肩にかけるフィシューと言う三角形のストールまである。

 これにシルクのロンググローブや、ヘッドコサージュも用意されている。

 それはまるで社交界か夜会にでも出るかのような品揃えだ。

 私はそれを眺めながら問いかける。

 

「素敵ですね。これはどなたが?」


 私の問いにノリアさんは答えた。

 

「ルスト隊長のご帰還に合わせて、セルネルズのサマイアス候がご用意くださったんです。祝勝会にご参加くださるのであればそれ相応の衣装が必要だろうと申されましてアルセラ様の分とともに見繕ってくださいました」


 サマイアス候――

 そうか、あの人が居たんだっけ。コルセットを必要とする古式ゆかしいドレスなのはおそらくはこの地域の流行りなのだろう。


「ドレスかぁ」


 私は思わず感慨深げに言葉を漏らす。ドルスたちのまえで着て見せたような大人の色香の漂う派手なドレスは着た事があるものの、こういう公式の場で着こなすような正装のためのドレスはここ2年間ついぞ着たことはなかった。

 なにしろ、この2年間、ほとんど職業傭兵として実利一辺倒の服装しかしてこなかったのだから。

 興味深げにドレスを眺めている私にノリアさんは意外な言葉を口にした。

 

「お嬢様も色や仕立てとか、たいそうお喜びになられて選んでらっしゃいましたよ」

「そうなんですか?」


 驚きぎみに問い返せばノリアさんは感慨深げに答えてくれた。

 

「えぇ、アルセラお嬢様って、あれで催し物とか祝賀会とかお好きなんです」


 ノリアさんは昔話を始めた。


「お母上君も早くに亡くなられて、お父上君は仕事で多忙。なかなか家族水入らずの時を得ることもできませんでした。そんなアルセラお嬢様がお父上君と気兼ねなく伴に過ごせたのが、村の行事や国の祝祭日の催し物、あるいはお仕事に絡む祝賀会などのときだったんです。そんな時だけは領主随伴の婦人役代行として気兼ねなくお父上君と一緒にいることができましたから」


 つまりはそう言うときだけしか親子水入らずの時を迎えることができなかったと言うことなのだろう。

 私の傍らに置かれていたドレスにはそう言う意味が込められていたのだ。


「わかりました」


 そこまで聞かされればその思いを無碍むげにすることはできない。

 このあと、アルセラと一緒に居られるのもそう長くはないだろう。私もいずれはブレンデッドの街へと帰らねばならないのだから。ならば最高の思い出を残してあげるしか無いだろう。


「ご厚意、お受けさせていただきますね」

「ありがとうございます」


 そう答えるノリアさんは笑顔だった。

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