コーヒーと朝食 ―ルスト正装準備始まる―

 それから気持ちを落ち着けた私は皆と共に村へと帰って行く。

 私が宿代わりにしている政務館に到着すると声をかける。


「おはようございます!」


 私のその声に反応してくれたのは侍女長のノリアさんだった。


「おはようございます。ルスト隊長!」


 足早に駆け寄ってくるとこう語りかけてくる。


「お早いお目覚めですね。朝の散歩ですか?」

「ええ、そんなところね」


 そう会話を交わしていると私と共に現れた査察部隊の面々にも声をかける。


「皆様もおはようございます! ただいま朝食が出来上がっておりますのでどうぞこちらにいらしてください!」


 そつのない語り口と立ち振舞いで彼女は私たちを会食場へと案内してくれた。そして朝食とともに今日の予定が知らされたのだった。


 用意されていたのは焼きたてのライ麦パンに、厚切りのハムといくつかの野菜を一緒にソテーしたもの。飲み物には卵スープと一緒に、この辺りでは珍しいコーヒーが添えられていた。

 コーヒー豆の心地よい香りが漂ってくる。


「いい香りですね」

「はい、来賓の方が少しずつお見えになられているので、コーヒーを好まれる方のために豆を取り寄せたんです」


 土地柄、流通の都合もありお茶類は事欠かなかったがコーヒーはこの地域では豆を産出しないのでよそから取り寄せる必要があった。

 そして、ノリアさんの言葉からすでに来賓たちが続々とやってきていることが伺えた。


「来賓の方たちは?」

「はい、村の名士の方々や村長さんのご自宅などにて過ごされておられます」


 こういう村のように定宿がない場合、来賓や来訪者が現れる時は、領主や村長や村の有力者たちの自宅となる邸宅が宿代わりに供される。

 その際に誰をどこに割り振るかはとても重要な判断になる。それを差配するのは執事のオルデアさんだろう。彼が相当に胃を痛くしているであろう事は想像だに難くない。


 私たちはノリアさんたちに感謝を述べつつ朝食を頂いた。


 そして食べ終える頃に今日の予定が教えられた。


「ご朝食後に入浴をお願い致します。この近くにある村の共同浴場を用意しました。朝のうちであれば他の方達は参りませんし」

「そうですか。ではありがたく」

「はい、ではその際にドレスの着付けもさせていただきますね」

「えっ?」


 その言葉に私は思わず少し間の抜けた声を出してしまった。


――ドレス――


 考えてみればそうだ。これだけの規模の祝勝会。着の身着のままやいつもの傭兵装束で参加するわけにはいかない。ましてや私は主賓メインゲストなのだから。カークさんが感心したように言う。


「ほう?」


 ゴアズさんも言う。


「これは楽しみですね」


 そしてドルスが言った。


「ルスト隊長のドレス姿はブレンデッドの街でも一度見たことがあるが、今度のはどんなドレスになるのか楽しみだな」


 そうだ、そうだった。とっておきのマーメイドドレスを着て見せたことがあるんだった。その時のことを思い出し思わず顔が真っ赤になる。


「あら。やっぱりドレスをお召しになることがあるんですね」

「おう、誰もが夢中になるほどでな、着こなしも見事なもんだったぜ」

「そうなんですか? それでは今日お召しになられるドレスもきっと素敵になると思いますよ」


 ちょっと待った、勝手に煽るな、話を膨らますな。もう! これでもドレス姿で正装するのって結構気持ちの整理必要なのよ!


「――――!」


 私はちょっと苛立ちを込めてジト目でドルスを睨みつけた。後で覚えてろよ、おのれ。

 そんな私の肩を後ろからそっと叩く人がいる。

 いつも心配してくれているダルムさんだった。そして彼は言った。


「隊長だけじゃなく、俺たちも正装することになる。そのための準備もできてるんだろ?」

「はい。すでに皆様のそれぞれのご都合に合わせる形でご用意させて頂いております。ご入浴の後に宿舎にてお着替えください」


 これはもっともな話で、主賓は私だけでなく、私とその仲間たちなのだから。

 私は横目でドルスを眺めながらこう言ったのだ。


「正装姿、期待させてもらうからね!」


 笑いながら告げられた言葉にドルスさんの渋い顔が浮かぶ。それを受けて皆が声をひそめて笑っていたのだった。



 †     †     †



 私はノリアさんを伴いながら、政務館をあとにする。

 メルト村の中を歩いていくと表通りの南側にあるのが村の共同浴場だった。

 当然ながら男女に分かれていて建物は石造りの2階建て。2階が集会場や宿代わりになる。そして1階がメインの浴場だった。

 建物を入るとすぐがエントランスで、待ち合わせの場所となっている。正面に上へと登る階段があり、左右にそれぞれが男女別に入り口が分かれている。中に入ると脱衣をする場所だろう。軍学校時代の寮宿舎の風呂場もそんな感じだったのを思い出していた。

 私がその女性用の入口へと向かおうとしたときだった。

 

「ルスト隊長、こちらです」


 ノリアさんがそう呼び止めて、私を案内したのは正面階段脇にある小通路だ。共同浴場の奥の方へと続いている。

 

「えっ?」

「こちらに個室があるんです。さ、どうぞ」


 個室――、そう言えば政務館には浴室もシャワーもない。アルセラがそこに寝泊まりする事になればいちいち本邸に帰るわけにもいかないだろう。近くに安心して入れる個室浴場が有っても不思議じゃない。

 

「もしかしてご領主やその家族の方が一人で入られるためですか?」

「はい、前領主のバルワラ様も、アルセラ様も、よくご利用になられています。まさか、他の村民たちと一緒にご入浴なされるわけには参りませんから」

「おっしゃるとおりですね」


 そんな事を話し合いながら、案内されるままに進めば小通路を真っすぐ進んだ奥に引き戸があり、それを開ければそこは理美容室を兼ねた脱衣場だった。全身姿見の鏡があり、背もたれと足乗せのある美容椅子もある。部屋全体がほんのりと暖かくなっていて、このまま服を脱いでも風邪をひくこともないだろう。


「ようこそ、エルスト様」

「おまちしておりました」


 そう私に声をかけてきたのはノリアさんと同い年くらいの二人の女性だった。白い前合わせのガウンのような衣を身に着けている。このまま浴室の中で作業をするためのものだろう。するとノリアさんが言う。

 

「ルストさんの脱衣を頼みます。私も着替えてまいりますので」

「はい」

「さ、エルスト様」


 淀みのない連携でやり取りすると、待機していた二人は私に歩み寄ってきた。そして、私の服に手をかけ始める。

 

「さ、どうぞ」


 そう言いながら私の着衣を脱がしていく。そして、私はその時悟った。

 

――あぁこれ〝実家〟のモーデンハイムのときと同じ流れだ――


 侯族として使用人にかしずかれて暮らしていると『スプーンとフォークより重い物を持たない』と言われるほどに身の回りのことは何でもしてもらえる。それこそ服の脱ぎ着から入浴に至るまで。かつてモーデンハイムの邸宅で暮らしていたときのことを思い出さずには居られなかった。

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