第2話:主賓ルスト正装する

日の出前の野原にて ~ルストたち集う~

 私はワイゼム大佐に送られて宿代わりにしている政務館へと帰り着いた。


 先に帰着していたはずのアルセラたちの事を尋ねれば、アルセラは既に就寝していると聞いた。侍女長のノリアさんのことを尋ねれば、彼女は明日の準備のために今も忙しく働いているという。

 礼を述べて自分の部屋と帰り着く。するとそこにはモスリン生地のネグリジェが置いてあった。ふんわりした生地のゆったりめの造りのネグリジェはとても温かで気持ちを落ち着かせてくれる。

 おそらくはアルセラたちの気遣いだろう。傭兵装束を脱ぎ、下着姿になるとワンピースのネグリジェを着る。それとそれを見計らったかのように部屋がノックされて一人の侍女が入ってくる。


「お夕食がまだとお聞きしましたのでお夜食をお持ちしました」

「ありがとう、そこに置いて」

「はい」


 お礼を述べれば丁寧に礼を返して彼女は私の部屋から出て行く。テーブルの上に置かれたのはベーコンとキノコの入ったチーズリゾット。トマトのコンソメスープ。それにアスパラとベビーコーンで作ったピクルスが添えられていた。

 私は感謝を口にしつつ、出された夜食を食していく。食べ終えた後に食器を廊下に出しておく。後で時間を見計らって先ほどの彼女が片付けてくれるはずだ。

 ベッドに腰掛け、部屋のテーブルに置かれた水差しからコップに水を取りそれを飲む。水の冷たさが体に染み行ってようやくに体は落ち着きを取り戻していた。


「やっと終わった」


 そう口にしたが全てが完全に終わったわけでないことは自分自身でも分かっていた。明日は明日で今日以上に神経をすり減らす1日が待っているはずだ。


「考えるのはよそう。神経がもたないし」


 何よりも私自身がどんなに気を張って頑張っても結果に繋がらないというのはあまりにももどかしい。今この場においてはアルセラを心から信じるより他はないだから。


「寝よう」


 そうぽつりと言葉を漏らして寝具の中へと潜り込む。清潔な羽毛布団の暖かさの中で窓の外の気配を感じながら私は眠りへと落ちていった。



 †     †     †



 そして翌日、私は悪い夢を見ることもなく心地よく目を覚ました。


「ん……」


 ぐっすりと眠ったため疲労は残っていない。木陰の下で野宿をした時とは比べ物にならないくらい心地よい目覚めだった。


 窓を開けて外を眺める。星空や水平線の明るさから見てもうすぐ夜明けだろう。肌寒さを感じるが驚くほど寒いわけではない。


「よし」


 着替えて外へ出よう。何も警戒することのない平和な朝だ。ほんのいっときぐらい穏やかな気持ちで歩いてみてもいいだろう。


 ネグリジェを脱ぎ傭兵装束を身につける。護身用にいつもの戦杖を腰に下げて部屋から出て行く。館の中は人は起きている気配はない。足音を立てずにそっと1階に降りて行く。

 見れば厨房の方で早くも朝食の準備をしている人たちがいた。彼女達に気付かれないようにしてそっと館の外へと出て行った。


 とはいえ、何かアテがあるわけではない。私の足は自然に村の北側の小麦畑へと繋がる道へと向いた。そちらの方に誰かがいるような気がしていた。

 そして歩くこと数分。そこに姿を見かけたのは村はずれの野原で朝の功夫クンフーに励んでいるパックさんの姿だった。


「やっぱり」


 任務の作戦時間中で自由がない時ならともかく、今のように余裕がある時は少しでも鍛錬を欠かさないのが彼だった。だから今日のような日は、日が昇る前から体を動かせる場所を探して歩いているはずなのだ。

 その時、私が声をかけるよりも早くパックさんが私に気づいた。

 

「隊長」


 そう声にすると右手の上に左手を胸の前で重ねる拱手ゴンシュと呼ばれる仕草で挨拶をしてきた。


「おはようございます」

「はい、おはようございます!」


 私も元気な声で挨拶を返した。

 彼は功夫の鍛錬を止めて私の方へ速やかに歩み寄ってくる。


「こんな朝早くにどうなされたのですか?」


 彼の口から発せられたのは日の出前から歩き出している私についての疑問だった。


「戦闘行動も周囲警戒も必要ないからゆっくり寝てもいいんだけど、なんとなく目が覚めてしまったのよ」

「それで散歩がてらと」

「ええ、それにパックさんならこの時間からもう目を覚ましてるはずだと思ってね」

「そうでしたか」


 そんな彼に私は言う。


「こちらこそごめんなさいね。功夫の邪魔をしてしまって」

「いえ、お気になさらないでください。この時間に起きるのは癖のようなものですから」


 彼らしい答えだった。そんな彼の口からは当然とも言える言葉が飛び出してきた。


「それにしても、大変なことになりましたね」

「アルセラの事ね?」

「はい。今日の祝勝会を成功させねば先がないとお聞きしました」


 そう語る彼の表情は険しかった。


「これでは何のために戦場で血を流したのか分かりません」


 それは戦うということに対していつでも真剣に向き合っている彼だからこそ出てきた言葉だった。

 だが私はそんな彼を諭すように言う。


「それは違うわ」


 私のその言葉に彼は視線を向けてきた。


「これも戦いなの。戦場で刃を振るい、拳を繰り出すだけが戦いではない。戦場を離れてもなお続く戦いもある。戦場で勝利を得たからこそ、その勝利が正しくもたらされるべき人々のもとへともたらされるようにと、繰り広げられる戦いもあるのよ」

「隊長――」


 私のその言葉にパックさんはじっと聴き入っていた。


「でも残念ながら、その戦いの主役は私たちじゃない。戦いの勝利はこのワルアイユの土地の人々にこそ与えられるべきもの。そして、このワルアイユの土地を治めるべき領主たるアルセラにしかできない戦いなのよ」


 私の言葉に彼は言葉で反論しなかった。ただ沈黙と拱手ゴンシュの仕草で同意の意思を示したのだった。

 そして彼はある疑問を口にした。


「アルセラ様はこの戦いに勝利できるでしょうか?」


 難しい問いかけだった。どう答えれば良いのかすぐには答えとなる言葉が出てこない。戸惑いの沈黙が流れそうになった時、私の背後からかけられる声があった。

 それはとても聞き慣れた中年男性の声だった。


「そんなの決まってるじゃねえか」


 声のした方を振り向く。するとそこに立っていたのは、


「ドルスさん?」


 私の声に笑みを浮かべながら彼は言った。


「アルセラなら勝ってみせるさ。あの絶望の底から這い上がったんだからな」


 さらにもう一人の声がする。ダルムさんだ。


「あのバルワラの血を引いてるんだ。逆境に強いのがワルアイユの血筋の特徴なんだ」


 それは信念、そして信頼。ダルムさんは言う。


「覚悟さえ決まれば乗り越えて見せるはずだ。あのアルセラならな」

「ええ、そうですね」


 今は信じるしかない。私たちがうろたえては何の意味もない。


「彼女に教えられるものはみな教えました。伝えられるものは全て伝えた。後はアルセラと彼女を守る人々との絆を信じましょう」


 皆が納得して頷きあう。見ればいつのまにか査察部隊の仲間たちが皆揃っていた。

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